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第339回 東のカネ、西のカネ

2019-10-04 | エッセイ

 値打ちに変わりはないんですが、東と西のお金(かね)に対する価値観の違いみたいなことが、よく話題になります。

 西の代表選手の大阪といえば、オッちゃん、オバちゃんは、デパートでも平気で値切るという「都市伝説」が有名です。そして、「ケチ」、「始末」、「しぶちん」という言葉が浮かびます。

 だけど、多くの大阪人の言い分は、「ケチ」とか「始末」は、決して悪口ではなく、ムダなカネは使わへん、同じ買うなら出来るだけ安う買う、生きたカネを使うという合理的精神や、というもの。出すのは、舌を出すのもイヤという卑しいヤツが「しぶちん」で、一緒にしてくれるな、とも。

 で、思い出すのが、「大阪の3ケチ」です。いずれも故人ですが、(写真の左から)森下泰(森下仁丹社長)、鳥井道夫(サントリー副会長)、吉本晴彦(大阪丸ビル会長)の3氏とされてます。


 その3人がタクシーに乗る時のことです。まず、助手席が奪い合いになります。そして、後部座席の奥を譲り合うというのです。助手席なら、さっと降りて、タクシー代を払わずに済む。一番最後に降りることになる後部座席の奥の人間が、料金を払わなければならないから、というのがその理由。

 でもまあ、ホントのケチなら、タクシーなんか使わず、歩くはず。それぞれ立派な立場の人たちで、ハイヤーくらいは(安く)雇ってるでしょうし、3人がタクシーに乗り合わせるのも不自然な状況です。どうやら吉本氏の創作したエピソード、というのが定説です。
 ただ、創作だとしても、「始末」「ケチ」は恥ずべき行為にあらず、商売人であれ客であれ、堂々とやってよろしい、という精神が基本にあるように感じます。加えて、ユーモアでくるむ気持ちの余裕も大事だという気風があって、広く大阪人に受け入れられているのではないでしょうか。

 ちなみに、吉本氏は、「大日本どケチ教」を宗教法人として申請しています。祈りの言葉は、「もったいない、もったいない」と「ありがたい、ありがたい」。ただし、「ご神体は?」と担当の役所に問われて「おごりたかぶらない心や」。本人は大真面目でしたが、笑われて相手にされなかったという逸話(これは本当)も残しています。

 さて、ところ変わって、東の代表として、江戸っ子、特に職人の「宵越しの銭は持たねぇ」という価値観を取り上げてみます。

 江戸っ子の心意気、気っぷ、粋を表す言葉として、落語のマクラでもよく聞くのですが、私みたいな関西人には、単なる刹那主義、やせ我慢、見栄っ張りのようにも見えます。

 ものの本によると、これは、職人たち自身が産み出した価値観ではなく、彼らの雇い主たちが、戦略的に植え付けた価値観だ、というのです。

 多くの雇い主は、職人たちを必要とする現場(工事、もの売りなど)へ斡旋するだけでなく、別の事業もやっているのが普通でした。飲食のような正業から、賭場のような裏稼業までさまざまで、そこにカネを落としてもらわなければ、儲かりません。

 宵越しの銭なんか持たず、使ってしまえ、それが江戸っ子だーそんな刷り込みに乗せられて、職人は散財する一方、雇い主は、宵越しの銭をしっかり貯めまくる、という構図です。つまり、江戸の街全体が「総タコ部屋化」してた、ということにでもなるでしょうか。

 宵越しの銭を持たせないのには、もうひとつの戦略があります。

 例えば、大工の場合、ヘタに小銭を貯めれば、「じゃ、2~3日、仕事休んで、のんびり」となります(たぶん)。そうなると、「派遣先」の工事の予定が立たず、具合が悪いです。
 その日に稼いだカネは、その日のうちに使い切り、「毎日、働かざるを得ない」ようにするーー久しぶりに「搾取」なんて言葉を思い出しました。いつの時代も雇い主、事業主の方が、上手(うわて)ということですね。それが江戸の街の繁栄を支えてきたとも言えますが・・・

 東だから、西だからと決めつけるのはナンセンスです。カネを巡る話題のひとつとして楽しんでいただければと思います。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

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