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第383回 フランス暮らしの傾向と対策

2020-08-14 | エッセイ

 以前、「英国暮らしの傾向と対策」と題して、2回に亘り、英国人気質の一端をご紹介しました(文末にリンクを貼っています)。今回は、その英国の宿敵というか、とにかく仲が悪いフランスを取り上げようと思います。

 とても私なんかの手に負えませんので、ガイド役を「フランス人 この奇妙な人たち」(CCCメディアハウス)の著者のポリー・プラットさんにお願いしました。アメリカ出身で、豊富な対仏経験を活かし、異文化セミナーを主宰するなど活躍された女性です(2008年没)。多岐にわたる中から、身近な話題に絞って、「奇妙な人たち」の「奇妙ぶり」をお伝えします。

<仏頂面が基本>
 いきなりですが、フランス人が普段見せる顔の表情について、著者の主張を私なりに要約するとこうなります。とにかくフレンドリーで、いつもニコニコ、知らない人にでも気軽に「ハーイ」などと声をかけるアメリカ人から見ると、フランス人は、ことごとく無表情で、いつも不機嫌そうに映るようです。

 でも、別に意地が悪いわけじゃなく、「理由がなければ微笑まない」という彼らなりの基本原則に従っているだけ、というのが、著者の分析です。
 「前の車が急停車したので自転車に乗っていた私が急ブレーキをかけると、その車に乗っていた女の子が「うちのお母さんは運転が苦手なの」とでも言うかのように私にニコッとした」(同書から)という彼女の体験を読んで、子供の照れ笑いはあるんだ、と少しほっとしました。

 ちなみに、フランス語には、「フレンドリー」:に当る言葉がない、というのです。しいて探せば「amical(アミカル)」というのが近いようですが、これは「敵対的でない」という程度の意味だそうで、なかなか根が深そう。
 こちらがフレンドリーに微笑みかけても、相手のフランス人は仏頂面で、笑顔の持って行きどころがない、というバツの悪さには、アメリカ人に限らず、ヨーロッパの人たちも手を焼いていると書いてあります。なにかにつけて微笑みを絶やさない日本人にとっても、これはかなり手強(てごわ)い相手のようです。

<「身内」と「よそ者」をきっちり区別ー買い物編>
 個人の名誉を何より重んじるのがフランス人です。そして、商品を売ることや客の非常識な(あくまでフランス人にとってですが)要求に応えること自体は名誉にはなりません。「買えるものなら買ってみろ」といわんばかりに店先で客をにらんでいる店主までいるというんですから。

 そんなお店の人とうまく付き合うために知っておくべきことは、「フランス人はどんな些細な用件でも顔見知りの人を通すことを好む」(同書から)ということです。ですから、店の側は「身内(家族、親しい人、なじみ客など)」と「よそ者」を区別します。

 初めてのパン屋でライ麦パンを買ったアメリカ人のエピソードです。こんなパンですね。

 彼が、パンを入れる袋を頼んだのですが、ティッシュペーパーにくるんで渡されただけで、いくらお願いしてもまくしたてられる一方でラチがあきません。仕方なく店を出たところで人とぶつかり、パンを落としたところになんと犬の糞。「よそ者」扱いされると、袋ひとつ貰えず、こんな悲劇というか、喜劇が待っているという好例です。

 大規模スーパーなどの場合でも「身内」と「よそ者」を区別する原則は変わりません。
 別のアメリカ人が、スーパーで、ヨーグルトをひとつだけ買って、大きな札で支払おうとしたところ、受け取りを拒否されたというのです。(これもフランスでは普通だそうですが)レジを覗いて釣り銭が十分あるにもかかわらずそんな態度をとられた彼は、商品をレジに置いて、憤然と店を出たといいます。
 「知っているレジ係の列に並ばなかったのが誤り」(同書から)だとの指摘です。大きな店でも、そこまでしないといけないのかと思うと、いやはや大変なことであるな、と感じます。

<困っている人には親切>
 話のバランス上、フランス人の「いい一面」も紹介しておかなければいけないでしょう。

 「パリの路上で落とし物をすると、誰かがわざわざ走って届けにきてくれることが多い。信じないなら、試しになにか落としてみるといい」(同書から)とまで書いてあります。留学でボルドーに着いた時、「チェロとスーツケースを持っていたら、みんなが助けてくれた」(同書から)という日本人音楽家の体験など、いろんな「親切話」が語られ、そして、著者自身の体験です。

 滞納していた電話料金の小切手を入れた電話会社宛の封筒を、投函する途中で失くしてしまいました。とても見つからないだろうと諦めていたら、なんと翌日、自宅の扉にテープで止めてあったというのです。大事そうな中味だからというので、わざわざ差出人である彼女の家まで届けてくれた親切な人がいたんですね。

 なんだか無理矢理ハッピー・エンディングに持っていったみたいですが、行動の原理原則、ルールの違いといっても、人間性の根幹部分は変わらず、それなりの努力で乗り越えられるものかも知れません。
 買い物にしても、どこまでお店の人の心を開かせて、「身内」になることができるか、私も”若い頃だったら”ゲーム感覚で挑んでいたかも。そんなことを考えました。

 「英国暮らしの傾向と対策」へのリンクは、こちら<第317回>こちら<第364回>です。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。
 

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