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第362回 身銭を切る

2020-03-20 | エッセイ

 無料というのは何かにつけて魅力的ですが、時には「身銭を切る」のも大切かな、と思うことがあります。

 私が趣味でよく足を運ぶ美術館の場合、東京都美術館(上野)は、毎月の第3水曜日が「シニアデイ」で、65歳以上は、入場無料(年齢を証明できるものの提示が必要)です。特別展にも適用されるのがありがたく、随分お世話になっています。
 企画内容、作品、アーティストなどに関心があって足を運ぶのですが、無料だと、どうももうひとつ身が入らないというか、鑑賞が雑になるようです。「どうせ、タダだから」そんな想いがよぎっているんでしょうね。

 本の場合だと、図書館で借りるという手があります。私も割合利用する方です。入手が困難、値段が高価、ちょっと中味が知りたいだけ、などその都度自分を納得させていますが、目次だけのざっと見とか、流し読みが多くなりがちで、「どうせタダ」の呪縛から抜けられません。

 自費出版した本をいただいたことが何度かありました。そのうちの1冊です。

 ご覧の通り、いかにも本好きで教養豊かな方にふさわしい装丁で、内容も立派(そう)だったりはするのですが、どうも手が伸びません。ご本人には誠に申し訳ないことながら、本棚の奥の方で眠っています。身銭を切らない「いただきもの」というのも、(私の場合)読書意欲を刺激しないようです。

 それで思い出すのが、若い頃読んだ作家・立花隆の本にあった「本は買って読みなさい。買えば読むし、読めば(つまらない本であっても)何か得るものはあるはず」」という趣旨の言葉です。
 読書には、肉体的にも、精神的にもある程度のエネルギーが必要です。たとえ100円、200円程度の中古本であっても、自分で選び、納得して身銭を切った以上、何らかのモトを取らねばという意欲(単なる貧乏性かも知れませんが)が、なんとか私の読書生活を支えてきた、と彼の言葉をあらためて噛みしめます。

 一方で、7年ほど続けている当ブログの書き手として、つくづく身にしみるのは、「身銭を切ってまで買ってもらえる本が書けるプロにはかなわない」ということです。
 書くに足るだけの豊富なネタ、話題、知識があり、それを巧みな話の展開と、的確な描写でぐいぐい読ませる文章力ーー自身が書き手になって初めて分かるプロのスゴさを思い知らされます。

 ーこういう書き出し、ツカミでその気にさせて、読ませる手があったかー
 ー会話もこう使えば臨場感が出たり、説得力があったりするなぁー
 ーこんなさりげないユーモアだったら使ってみたいなぁー
 などなど、いろいろ気づくことは多いのですが、とてもその域には達しません。

 少し前になりますが、馴染みの店で、雑誌の編集に携わっておられて、私のブログを愛読していただいているKさんとご一緒しました。そのKさんから「芦坊さんのブログもだいぶ記事が溜まったみたいだけど、本にする気はあるの?」と訊かれた時、まずその事が頭に浮かびました。

「とてもとても・・・自分なりに納得できる記事がたまに書けたかなと思うこともありますけど、所詮アマチュアです。適当に拾ってきたネタを寄せ集めた雑文だと自覚しています」とまったくの本心で答えて、こう付け加えました。
「第一、こんなものを本にして、タダで配っても、誰も読まないでしょっ」

「さすがよく分かってらっしゃる。そうなんだよね。タダで貰った本って、誰も読まないんだよね」とのコメントがKさんから返ってきました。タダ本が読書欲を刺激しないのは、私だけじゃないんだと、妙に安心したのを覚えています。

 と同時に、「タダにもかかわらず」当ブログを愛読いただいている読者の皆様への感謝の思いが一層強くなりました。
 卑屈にはならず、慢心せず、「アマチュアはアマチュア」なりで、少しでも面白い記事、ためになる記事が書けるよう努力・工夫を続けて行くつもりです。引き続きご愛読ください。

 それでは次回をお楽しみに。