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第190回 カープ残念記念! 懐古趣味としてのプロ野球

2016-11-04 | エッセイ

 一応、阪神タイガースのファンなんですが、今年の日本シリーズは、広島に肩入れしつつ、何年ぶりかでテレビにかじりつきました。ちょっと残念な結果でしたが、優勝インタビューでの日ハム栗山監督の態度、コメントが爽やかでした。対戦相手であるチーム、ファン、そして黒田投手への敬意は自然体で、日本一になったからといって、浮ついたところは微塵もない。おざなりの喜びコメントを引き出そうと必死になってるアナウンサーがアホに見えた。

 さて、今回の日本シリーズは、例外として、最近は、プロ野球そのものへの興味が、なんとなく薄れてきているのを感じます。気が向いた時に、ネットで、天下、というか球界の情勢をチェックする程度。歳のせいでしょうか?私自身も、世の中も、野球に熱かったのは、1990年代までかな、と思ったりします。

 で、そんな私が、つれづれに開くのが、「プロ野球データブック」(宇佐美徹也 講談社文庫 1995年刊)。1993年に刊行された「プロ野球記録大鑑」に加筆、修正し、文庫化したものです。著者の宇佐美は、1933年生まれ。パリーグ記録部公式集計員を経て、64年報知新聞社に入社。記録の分析をベースにしたコラムで健筆をふるいました。

 日本のプロ野球という広大な世界の人間ドラマを、数字、データで鮮やかに切り取って、みせてくれます。850ページという大部ながら、飽きることがありません。懐古趣味といわれそうですが・・・
 ほんの一部ですが、エピソードをご紹介します(数字・データはすべて同書から。年号は西暦。カウントは、ストライクーボールの順)。

 まずは、個人の年間本塁打記録にまつわる話題から。
 小鶴誠(松竹)の51本の記録を破ったのは、63年の野村(南海)。新記録の52本目が飛び出したのは、本拠大阪球場での最終戦150試合目。7回二死、一・三塁で迎えた最終打席。カウントは、0-3。スタンドから、大きなため息が漏れる中、野村がはじき返した打球は、左中間スタンドに突き刺さった。試合終了と同時に、ファンがスタンドに飛び降り、野村を胴上げする騒ぎとなった。
 ファンの気持ちはよく分かる。勝負したピッチャーも立派。

 85年のバース(阪神)も、54本のホームランをかっ飛ばし、当時の王の55本の記録に迫ったが、シーズンの残り2試合が、なんと、巨人戦で、監督は王。まともに勝負してもらえるわけもなく、記録達成はならなかった。なんとも後味の悪い幕切れ。

 あと一個の奪三振にこだわって、チームに迷惑をかけたのが、戦前から活躍していた若林(毎日)。43歳となり、引退を考えだした51年、自分の通算奪三振が999個であることに気がついた。こんな写真が残っています。


 8月25日の西鉄戦。4点リードの7回から、「2年ぶり」に登板したが。三振どころか、連打で1点を失い、リリーフをあおぐ始末。

 悲願を込めた10月の消化試合も、5回まで8失点。8番打者を、ボール先行から、なんとか追い込んで、空振りの三振。夢の1000奪三振を「達成」した。チームは、15安打9失点で、黒星一つ。随分、高いものについた。

 投手なら何がなんでも達成したいのが、完全試合。あと一人で、逃した投手が3人いるが、なかでも、口惜しい思いをしたのは、52年の別所(巨人)に違いない。9回二死まで、松竹を、完全に抑えて、迎えたバッターは、プロ2年目のブルペン捕手の神崎。1、2球目は、バント失敗で、カウント2-0。しかし、別所も力が入って、ストライクが決まらず、フルカウント。6球目、かろうじてボールの上を叩いた打球は、別所の脇を抜けて、力なくショート前へ。しかし、前夜来の雨で、軟弱なグランドが、球足を殺し、一塁セーフ。大記録は、夢と消えた。

 劇的な(?)一打を放った神崎だが、プロには4年在籍しただけで、引退している。通算9打数1安打。生涯で唯一のヒットが、別所の夢を砕く一打になったというわけで、ちょっとしたドラマを感じます。

 いかがでしたか?いずれ続編をお送りできると思います。

 それでは、次回をお楽しみに。