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第192回 善意の落とし穴

2016-11-18 | エッセイ

 かつて、大規模災害などが起きると、「救援物資」の呼びかけがよく行われました。どうみてもゴミを処分してるとしか思えないようなものも含めて、山のように物資が集まります。ただでさえ忙しい地元自治体の職員、ボランティアなどがその整理に追われ、救援・復旧作業に支障が出ている、などと報じられた時期がありました。

 さすがに、最近は「義援金」に一本化されているようですが、それにかこつけた怪しい団体や詐欺まがいの寄付集めの横行が止まりません。また、集まったカネの配分を巡っても、あれこれあって、被災者のもとになかなかカネが届きにくいという現実もあるとのこと。

 善意を、被災者の方々にとって本当に役に立つ形にするのって、難しいなと感じます。

 こんな例もあります。毎年、広島には、大量の千羽鶴が送られてきます。ひとりひとりの「善意の塊」です。でも、あまりの多さに、ほとんどが環境問題となるゴミと化していて、焼却処分費だけで、年間1億円かかっているという事実はほとんど知られていません。
 善意には、現実的にこんな落とし穴もあるんですね。

 それを強く実感したのは、ドキュメンタリー映画「ポバティー・インク あなたの寄付の不都合な真実」を観てから。そこで描かれた善意の落とし穴の事例を、ざっとご紹介します。

 主な舞台は、ハイチ。2010年、大規模な地震が発生し、甚大な被害が出ました。全人口の3分の1にあたる300万人が被災したとされ、世界中から支援物資が寄せられました。惨状を伝える画像です。


 地震の被害で、生活必需品などが自給できない当座の状況では、確かにそれらの支援物資は、ありがたいものだったでしょう。
 しかしながら、地震から3年(映画製作時(おそらく今も続いているはず))たっても、アメリカから大量のコメが届き続けているといいます。その結果、アメリカ人の善意の寄付で購入された無料のコメが市場にあふれて、地元のコメは売れなくなりました。売れないコメを作る農家なんかありませんから、多くの農家から職を奪い、農業は崩壊、自立への道も閉ざされました。1980年代、コメは貴重品で、週に2~3回食べる程度だったのが、今や毎食コメの生活が定着してしまったのです。寄付のコメがなければ、国民の食生活が成り立たない体質に陥ってしまいました。

 農業を追われた人々は、都市に流れ込んできますが、そこに新たな職はなく、スラム化、というあらたな問題も産み出しています。

 「電力不足を救う」と称して、無料で大量に送られてくる太陽光パネルも、ハイチの人々の職を奪い、自立の足を引っ張っています。地震前から数十人の従業員を雇用し、街頭用パネルの製作、販売をほそぼそと手がけて来た地元の会社の場合です。事業が軌道に乗りかけた矢先の地震、そして無料のパネルの流入で、事業の継続が危機に瀕しているといいます。

 映画のタイトル通り、数多くのNGOも巻き込んで「ポバティー(貧困)」を、ビジネスのサイクルに乗せ、「インク(企業、会社)」として機能する仕組みががっちり出来上がっている、というわけです。善意に潜むこんな落とし穴に暗然となります。せめて、現場への想像力を、目一杯発揮するしかないのでしょうか・・・

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。