時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百二)

2007-11-03 05:27:43 | 蒲殿春秋
文の内容は次の通りであった。

「三郎、元気に過ごしていますか。
あなたが兵を挙げてからは文のやりとりをすることもままならず
あなたの生死すらも耳にする噂だけで判断するしかなく、もどかしい思いをしておりました。

先日あなたからの文が届き、無事で過ごしていることを知り安堵いたしました。
六郎、禅師、九郎も鎌倉の三郎の元に集ったことを知り
大変うれしく思います。
三郎の身の上も心配でしたが、六郎たち他の弟たちの行く末も気にかけておりました。
禅師は都を出てから東国についたか不安でしたし、奥州に行った九郎も消息はまったくわからず、
六郎にいたっては、遠江から姿を消したっきりどこでどうしていたのやら。
禅師、九郎については母御の常盤殿が、六郎については高倉殿※も大変心配しておられるようです。

三郎については都では色々な噂が流れますが、六郎たちのことについては
噂一つ流れません。
どうして過ごしているのか、生きているのかさえ知る手だてはありませんでした。
けれども、三郎からの文が届き
こうして他の弟たちの無事を知ることができたことは私の喜びとなりました。

父上の子で男の子は九人おりました。
けれども今遺っているのは、三郎、六郎、禅師、九郎の四人だけなのですね。
皆私にとって大切な弟たちです。
兄弟仲よく力を合わせて生き抜いて欲しいと願います。
兄上たち、五郎、卿の君を喪ったあの辛さはもう味わいたくありません。

鎌倉で兄弟四人集まったことは、大変喜ばしいことです。
できれば私も鎌倉に行って皆の顔を見たい所ですがそれは叶わぬこと。
遠く都から弟達の再会を喜び、皆の無事とこの先の幸いを祈りたいと思います。

この先戦はつづくでしょう。
先のことはわかりません。けれども私はあなた方弟達の無事をひたすら願っております。
できれば、再びどこかであなた方に私も会いたい。
生きていてください。
生きてさえいれば再び会う日もあるでしょう。

私が知っている三郎は十四才のままで止まったままです。
あなたがどんな大人になり、どんな北の方をむかえ、三郎の姫の顔がどのようなものなのか
知る術もありません。
大きくなったあなたに会いたい。
だから、生きて、生きて、生きていて欲しい。
生きて私に今のあなたの顔を見せて欲しいのです。

私のことは心配しないでください。
私は女ですからなにがあっても生きていけます。

三郎や他の弟達にお会いする日が来ることを待ち望んでおります。」

※高倉殿 藤原範季(範頼の養父)のこと

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