時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百四)

2007-11-06 05:45:54 | 蒲殿春秋
そして、頼朝は心の中で二人の人物に謝っていた。
都に住する姉と今は亡き母に。
姉が出した文は純粋に弟達を思いやる愛情であふれていた。
その姉の想いを自分は利用した。
兄弟のなかで誰よりも姉を慕っている異母弟範頼を自分の弟としてひきつけておくために。
範頼がもし将来兄か盟友かと迷ったときに兄である自分を選ばせるために。
兄弟の絆を姉の手紙を使って想起させるために。
そしてまたこの文は縁談に対する弟の疑念の質問をはぐらかす為にも一役買った。

黄泉にいる母は今の自分のこの行動を快く思わないだろう。
「姉の純粋な思いをそんなことに利用するとは」
きっとそう怒るはずである。
━━ 怒って欲しい、母上。もう一度わしの目の前に現れて。

頼朝は文机の奥に大切にしまってある袋を取り出した。
それはもう何十年も前、伊豆で流人として暮らしていた頼朝に
ひそかに範頼が届けてくれたものである。
袋の中には古ぼけた人形が入っていた。
姉が密かに伊豆に向かう範頼に持たせたものである。
あのときの自分は無力な流人であった。
訪ねてきた弟に粗末な食事を与えるのが精一杯のもてなしだった。

それでも、範頼の来訪に対して何の邪心を抱くことなかった。
弟が来たことを純粋に喜ぶだけでよかった。
姉の思いを利用する必要も無かった。

今ならば弟にどのようなもてなしもできる。
近く三河に戻るであろう範頼に盛大な土産を持たすこともできる。
けれども、その弟にはすでに盟友がいて
三河という国の支配という問題も絡んでいる。
純粋に弟として遇するだけというわけにはいかなくなっている。
もはやあの伊豆の一夜のようにただの兄と弟として対峙することはできない。

縁談と姉への想いで弟を縛り付ける必要すら出てきてしまった。

頼朝は人形を暫く見つめた。
やがて人形は再び袋にしまわれ文箱の奥へと戻された。

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