時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百八)

2007-11-16 05:16:20 | 蒲殿春秋
翌早朝範頼は文をしたためそれを郎党の持たせて遠江へと向かわせた。
その一部始終を安達家の郎党に見られ、行き先まで探っていたことに彼らは気が付かない。

朝餉を終えると範頼は新太郎を連れて瑠璃の元へと行った。
新太郎と一緒に海辺を歩こう、と誘った。

浜辺を歩き始めた三人。
新太郎はうれしそうに声を上げた。
しかし、範頼と瑠璃の二人は暫くの間無言であった。

「風が気持ちいいですね。」
「そうですね。」

辛うじてこの会話が成立したが、また暫く沈黙の時が続く。

結局この日はそれ以上話が出ないまま安達館へと戻ることになった。

翌日また海辺へと行った。
今度もあまり話しをせぬまま帰宅する。

翌日もまた。
けれども、今度は新太郎を連れずに二人だけで歩いた。
無言であるが二人は手を握って歩いていた。

その夜、範頼の郎党は戻ってきた。
郎党は縁談に祝意を寄せた安田義定の文を持って帰ってきた。
その様子も安達家の者が密かに見ていた。

翌日、また範頼は瑠璃と海辺を歩いた。
少しづつ取り留めのないことを話すようになった。
やがて、それぞれの好きなことや生い立ちなどを話すようにもなってきた。

そのような日々が続いたある日、範頼は思い切って瑠璃にこう切り出した。
「ご息女。よろしければお名前を教えていただけませんか?」
瑠璃はうつむいて顔を赤らめた。
しばらくしてから。
「瑠璃。わたしの名前は瑠璃」
恥ずかしそうに小さな声で答えた。
「素敵な名前ですね。」
そう言うと範頼は瑠璃の両の手をとり、そして抱きしめた。

肉親ならぬ男に名を明かす。
それは相手に全てをゆだねるということ。
名を教えて下さいという男の求婚に女が答えたのと同じことである。

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