時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百七十八)

2008-07-11 05:52:38 | 蒲殿春秋
「加えて八条院さまの問題もある。
志田先生が預かる志田荘は八条院さまの御料。志田先生は八条院さまに誼が深い。
その縁を通じて、八条院さまの御料を預かっているものどもに同心を呼びかけているようだ。
坂東にも八条院さまの御料は多い。鎌倉殿に仕える御家人にも八条院さまの御料をお預かりしているものも少なくない。」
八条院はこの国で最も多くの荘園を所有する皇女。
その八条院領は坂東にも多く存在する。

「下野の足利忠綱*はどうやら、志田先生の誘いに応じたようだ。」
と盛長は声を潜めて言った。

「では、八条院さまの御料をお預かりしている者たちは皆志田先生につくのでしょうか。」
と範頼は盛長に疑問をぶつける。
「それがはっきりとはせぬのらしい。家の浮沈に関わることゆえ皆態度を決めかねているようだ。
ただし、八条院さまの御料をお預かりしているもの同士で相争っているものも少なくない。
よって八条院さまの縁のみで直ぐに志田先生につくとは言い切れぬ。
たとえば、下野の小山四郎殿。小山殿も八条院さまの御料に携わっている。
しかし、足利*が志田先生に付くのならば小山が志田先生に付くことはない。
八田局殿もそう断言している。」

足利忠綱と小山一族は険悪、足利忠綱が志田に付けば小山は必ず鎌倉につく。
俵藤太秀郷の血を引く足利と小山は下野の竜虎と言われ、相容れない間柄である。
その両者のすさまじい確執をかつて下野にいた範頼はよく見聞きしていた。

確かに藤姓足利氏と小山氏が手を携えることはないであろう。
それに、夫の留守を預かり小山氏の指導者として振舞っている八田局は鎌倉殿源頼朝の乳母であり、その八田局の主導で小山一族は石橋山から起死回生を果たした頼朝に真っ先に従う意思を示した。
その小山一族が頼朝に背くとは考え難い。

「では、小山殿はあくまでも鎌倉殿の味方なのですね。」
「おそらくな。
ただし、もし志田先生が足利*と手を携えて兵を挙げた場合小山殿だけでは勝つことはできぬ。」
「それは?」
「小山殿はご当主が大番役で兵の多くを都に連れていってしまわれて下野にはあまり兵を残しておられぬ。
よって只今嫡子の四郎殿が動かすことができる兵は僅かに過ぎぬ。」


*ここに出てくる「足利氏」とは藤原秀郷の子孫の「藤姓足利氏」で、源義家の血を引き後に室町将軍家を出す「源姓足利氏」とは別の系統となります。当時の源姓足利氏には足利義兼などがいますが、藤姓足利氏とは血統も動向もまったく異なります。

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