時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百四十二)

2009-01-20 19:03:44 | 蒲殿春秋
一方平家都落ちの原動力となった源氏諸将らの間にも不協和音が鳴り響き始めていた。

八月の間に何度かに分けて、今回上洛した各武将達に官位が与えられた。
真っ先に賞されたのが義仲と行家の二名であった。
その官位は

左馬頭兼越後守 源(木曽)義仲
備後守 源行家
というものである。

が、この除目に対して行家から不満の声が上がる。
行家は家の門を閉ざして怒りの態度を露にした。義仲に比して自らの官位が低すぎるというのである。

数日後の除目においては任国の変更が行なわれた。
行家の任国は備後から備前に変更となる。だが同時に義仲も任国が越後から伊予へと変更となった。

また今回上洛に際して最も功があると見られている他の四人にも国司の地位が与えられた。

遠江守 源(安田)義定
伯耆守 源(土岐)光長
佐渡守 源(葦敷)重隆
伊賀守 源(山本)義経

また、他にも六位相当の任官を受けたものも少なくない。
が、この武将達も自分たちの功績を認められたことを喜びつつも義仲に対する厚遇を内心苦々しく思っている。

義仲は都の官位である左馬頭を兼ねている。この官位は河内源氏としては源義朝以来の任官で父祖代々の京官としては最高位にあたる。これだけでも他の武将に比して義仲はかなり優遇されている。
されに伊予守は受領としては播磨守に次ぐ最高位の任国である。また河内源氏としてはかの源頼義が任ぜられた栄光の役職である。源頼義は今回受領もしくは衛門尉などになった武士たちの多くの共通の祖である。
つまり、伊予守と左馬頭を兼ねることによって義仲は源氏諸将の中で最高位に位置されることとなったのである。

この義仲の官位の優遇は北陸宮擁立をあきらめさせる見返りという面もあったかもしれない。
義仲は北陸宮擁立に失敗したものの諸将の上位の官位を得ることで義仲の面目は保たれた。
だが、この義仲優遇は義仲に対する武将たちの反発を醸し出した。
都に仕える武者としての側面を長く持ち、この以前から都の官位を有していた土岐光長や葦敷重隆などにはその感が深い。
義仲の入京は自分たちの協力あってのものという思いを彼等は抱いている。
今まで無位無官で都では全くの無名だった男が彼等の祖頼義が任ぜられた河内源氏最高位の官位に居座ることにも不快の念を覚える。

かれらは表面上は義仲には穏やかに接しつつ、少しずつ義仲と距離をとり始めている。
そして、彼等は法皇の御所に出入りする回数を増やしつつあった。

都にある武者達の間には隙間風が吹き始めていた。

清和源氏諸流略系図

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