時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百五十四)

2007-08-09 13:33:30 | 蒲殿春秋
平家が都を発したのとほぼ時を同じくして、奥州(東北地方)から藤原秀衡の支配下にある豪族たちが坂東へと兵を進めた。
この奥州の軍勢の進撃に坂東の兵たちは目だった抵抗をしなかった。それどころか積極的に奥州勢に与同するものまで現れた。
鎌倉にあって南坂東を押さえていた源頼朝は追い詰められた。
奥州勢は武蔵と常陸に押し寄せてきた。武蔵、相模の豪族たちは日和見を決め込んでいる。
一旦は頼朝に臣従したように見せた平家寄りの豪族の動向も不穏である。
頼朝は鎌倉から逃れ安房へと撤退することを余儀なくされた。
奥州の兵たちは間違いなく頼朝を追い込んでいた。

一方、信濃甲斐の反乱勢力には越後から城助永が攻め込むことになっている。奥州勢が頼朝を追い込み平家が西から迫っているこの機会を活かせば城氏の信濃攻略は容易に進み源頼朝、甲斐源氏、木曽義仲らの信濃源氏一派は三方向からの包囲攻撃により立ち直れないほどの打撃を受けやがて壊滅状態に追い込まれたであろう。

しかし、その三方向からの攻撃はなされることがなかった。

それは、城一族が信濃へと攻め込むべく出の儀式を執り行っている最中の出来事であった。
居並ぶ兵を鼓舞すべく高らかに出陣の号令をかけていた資永の言葉が突然途切れた。
次の瞬間硬直した資永の体は前のめりに倒れた。
周囲のものがあわてて資永に駆け寄る。
だが資永の体は硬直したまま動かない。
そのまま、城資永は世を去った。

資永の急死により越後城氏の信濃出撃は中止された。

この報せはまず、坂東に快進撃をしていた奥州勢にもたらされた。
知らせを聞いた奥州勢は直ぐに兵を白河の関より北へと戻した。
既に坂東の南にまで攻め込んでいた彼らは、城氏という対戦相手を失った
信濃勢に背後を突かれる危険性があったからである。

越後勢の出撃中止と奥州勢の撤退の知らせは都にももたらされた。
兵糧の不足、兵の消耗を知りつつも平重衡が官軍を動員していたのは
奥州、越後と同時に作戦をとるつもりであったからである。

この北方の二者が動けない中、不利な条件で官軍のみが東国に攻め込むのは危険、
平宗盛はそのように判断した。
そして、東征軍総大将平重衡に尾張以西への撤退を指示したのである。

安田義定、源範頼を唖然とさせた平家軍の突然の消失にはこのような事情があったのである。

城資永の死は東国反乱軍を壊滅させる絶好の機会を逸しさせた。
源頼朝らの東国反乱勢力は、またしても人の死という人力ではいかんともしがたい力の恩恵を受け命拾いをしたのであった。

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