i8ロードスターPR動画
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b7/e1f21e45d970d96519145377eab0f933.jpg)
菊華荘は、富美宮充子(ふみのみや のぶこ)内親王の避暑のための御用邸として建てられた。皇太子時代の昭和天皇も毎年のように避暑に訪れていた。その後高松宮殿下の別邸となった後に富士屋ホテルに払い下げられ、日本料亭に改装された。建物のある土地は富士屋ホテルの所有である。菊華荘での食事は、朝夕共宿泊客専用で完全予約制のため、一般外来客は利用できない。
筆者は、雨上がりの歩道を傘無しで歩き、国道を渡ってすぐの所にある菊華荘へ5月4日の午前7時半丁度にお邪魔した。靴を脱いでお座敷に上がると、奥の大広間に通された。そこには、畳の上に幾つかのテーブルと椅子がセットされ、卓上には、各種の御惣菜と湯豆腐の鍋が用意してあった。着席するとほどなくして仲居のおねーさんがやって来て、湯豆腐の鍋の下にある簡易コンロに点灯し、運んで来たご飯と味噌汁を置いた。おかずは、鮪のタルタル、野菜のお浸し、椎茸とキャラブキ、おから、金平牛蒡、梅干しなどであった。何か足りないなと思っていたら、ご飯の一膳目を食べ終わる頃に、鯛の焼き物と出し巻卵を運んで来たのでご飯の御代りをお願いした。デザートは、リンゴゼリー。美味しくて結局ご飯を三杯も食べてしまった。
菊華荘正面玄関
店内の様子
椅子とテーブルがあった
湯豆腐
金平牛蒡
おから
キャラブキ
梅干し
ご飯
味噌汁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/0a/9d1e6aab454bd2195b333967164bc868.jpg)
菅原神社は、大蓮寺の左隣に接するようにして建っている、見事な赤い鳥居が印象的な神社だ。石段を登ると、真正面に本殿があり、その前に牛の銅像がある。菅原道真公は、牛の時(午前二時~四時)に生まれたので牛を大切にしたとされているし、道真公が京都北山へ出かけた折りには『白い牛』が現れたため、牛は祝福吉報として大切にされた。更には、道真が大宰府へ左遷された時は、牛が夜泣きをして刺殺から身を守ってくれたため、道真は一層牛を大切にした。それゆえ『守り牛』として道真と牛とは切っても切れない関係にある。境内の右手には瓦屋根の蔵(お御輿が収納されていた)、拝殿風の建物などが合計三棟あった。ここに昔、能楽堂があり、歌人の大町圭月が大正13年に来島したおり、この村の有志によりここで歓迎の宴が開かれたという。宴たけなわの頃、有志の一人が、白扇を差し出し、「ここに一句したためて欲しい」と依頼した。圭月はしばらく考えた後「鶯や十戸の村の能楽堂」と詠んだ。十戸の村とは十戸くらいしか家がない小さな集落という漢語調の誇張した表現であった。その圭月の句碑が昭和45年に能楽堂の脇に建立された。圭月がこの有名な一句をしたためた能楽堂は既に無くなっているが、この句の能楽堂は後に能舞台と改作されて後世に伝わった。
本殿
http://www.digibook.net/d/c045e9b7915a2a7861aa3710bc30f71a/?viewerMode=fullWindow
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/a4/56d2100e091ba750018525d5f1f2b0b7.jpg)
本館と花御殿やフォレストロッジとは一階の通路でそれぞれ繋がっている。筆者は、この通路を通り、西洋館を経て、花御殿の地下まで行ってみた。画像は本館のサンルームである
この階段を降りる
羽衣と言う絵画
これは野馬追
温水プール
その真向かいに男女別の大浴場がある
本館方向
クラシックチャペルとリラキゼーションルーム
本館ロビーへ至る階段
西洋館の二階にある階段
西洋館から見たサンテラス
本館2階から見たロビー
本館二階の応接セット
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/fc/c00c6995e7392423f340883dc7733696.jpg)
雨に煙る花御殿
部屋の欄間に見つけた鯉の彫刻
こういう所が富士屋らしい
かなり芸の細かい彫刻
居間から見た寝室
i8とランボルギーニが雨に打たれていた
エクシブ箱根離宮
お部屋にあった、富士屋ホテルの歴史を紹介する小冊子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ff/991e7ab8f96c1f569871e51096588d68.jpg)
2016年5月4日の午前0時頃、筆者はベッドの枕元から聞こえて来る妙なリズミカルな物音で目を覚ました。最初は隣室の住人が騒いでいるのかなと思ったが、夜中に騒ぐような非常識な人が宿泊するグレードの部屋ではないので、明らかに機械音だと悟った。温泉水を汲み上げるモーター音のような気がしたが、数分で止まったので、あえてフロントに問い合わせたりせずに再びうとうとまどろんだ。ところが、今度は激しい雷雨の音で午前2時頃に目が覚めてしまった。横風が吹き殴り、凄まじいまでの雨がまるで滝のように降って来た。洪水になる恐れはなかったが、雨に打たれるi8が心配で、夜明けと同時にカーテンを開けて外の様子を伺った。見ると、車体の上にかなりの量の木の葉が降り積もっていた。午前中には雨が止むとの予報だったので、雨が止んだら車体のお掃除をしようと思い、モーニングコーヒーを飲んだ。
LANケーブルは引き出しの中にあった
デスク
テラス側の窓
昨日はこのスニーカーでよく歩いた
雨の予報だったので傘を持ち込んでいた
最初は空気清浄機と思っていたが、加湿器であった
CDplayer
それのリモコン
富士屋オリジナルのコーヒー
カナナシリーズのリュックサックは本当に機能的で小旅行には最適!
なかなか本格的なコーヒーだった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/07/35ff19820048e4ec793f29611aa89a7a.jpg)
前菜は、「グリーンアスパラのタルトに海の幸トリュフ風味のヴイネグレットソース」。海の幸は海老と帆立で、アスパラにはオランデーズソースがかけてあった。パイ生地の上に海の幸が乗せられ、それにソースがかけてあったが、別にトリュフ風味はさほどしなかった。スープにはコンソメスープを選んだ。チキンヴイヨンのスープで濃厚な味がした。メインの魚料理は「鰆のポアレと筍、青海苔入りのブールブランソース」である。筍を魚でサンドイッチ状に挟んであり、ミルフイーユ仕立てであった。お肉料理は「牛フイレ肉のステーキにモリーユ茸のクリームソースかけ」(トップ画像)であった。お肉は柔らかくて美味しかった。デザートは、苺のシブーストにシャーベット添えである。シブーストとはスポンジケーキやパイ生地の上に、カスタードとメレンゲを合わせたクリームをのせ、表面を焦がしたカラメルで覆った洋菓子の事である。最後に紅茶を頂いて当夜の楽しいデイナーは終了した。かなりのボリュームでお腹一杯になった。Ⅰ万円相当のデイナーではないかと思われた。
前菜
それを縦アングルで写した
パン
バター
スープ
魚料理
その拡大写真
メインのお肉料理
さやいんげんと白アスパラ
デザート
紅茶
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/98/7a987d02ed42fbd1d92fbec77fcd9578.jpg)
赤泊港から東に向かうと「多田」という地区が見えてくる。ここは海洋深層水を作成する大きな工場があるので有名だ。この多田地区に、「三助、お菊の像」がある。三助、お菊には農耕にまつわる伝説がある。設置された看板の案内書きによれば、土佐国(高知県)の永楽又兵衛という農夫の倅三助が継母にいじめられて佐渡へ流されたという。何故いじめられたくらいで佐渡へ流されなきゃならないのか?そもそもこの辺から無理を生じ始めている。三助の実母は悲しんだという。実母がいて継母がいるという事は、おやじが離婚後三助を連れ子にして再婚したのだろう。実母は、佐渡へ行く三助に籾(もみ)三升に鍬(すき)・鎌を持たせたという。そして佐渡に着いた三助は、能登の国から流されたお菊(この女もいじめで流されたのか?)という女性に多田の浜でめぐり逢い、二人は夫婦となり三助のもってきた籾をまいて稲を育てた。これが佐渡の稲作の始まりとこじつけている。つまり、多田の地は佐渡農耕文化発祥の地だったと言うのだ。
この地の地名は、二人が巡り逢った場所ゆえ、逢田となり、中古には大田と変わり、更に現在では多田と変遷した。多田の西北方に男神山、女神山という二つの山が仲良く並んでいるが三助、お菊をそれぞれ祀った山とされており、丁度紅葉山公園からよく見える位置にある。この像の近くには、佐渡七弁天崎の一つである多田の弁天崎があり、三助・お菊が真夏に語り涼んだいこいの地だそうだ。
多田の近くで見つけたツツジの群落
三助・お菊の像
三助・お菊の像の由来
稲作発祥の地の碑
この辺に銅像がある
多田観音方向
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/7b/2f1432a96435814f4a1c4e493b1ab5de.jpg)
筆者は予約時に、当日の夕食はフレンチで、翌日の朝食は和食でとお願いしておいた。5月3日のデイナーは、午後5時45分から二階にあるメインダイニング「フジヤ」で開始となった。開始時間と同時に出掛けたら既に行列が出来ており、店内はほどなくして満席状態となった。やはり黄金週間の富士屋のフレンチレストランである、さもありなんと思った。
ウエイトレスのおねーさんから飲み物を何にするか聞かれたので、「ブルゴーニュ ピノノワールの2012年の赤」をお願いした。ほどよく酸味の効いた美味しいワインだった。
アミューズは鮪のタルトであった。ふと足元を見たら、柱に人の顔が彫刻されているのに気付いた。この彫刻は、社長の山口正造の顔だそうで、従業員が真面目に働くようにと社長が常に睨みをきかせているのだそうだ。
午後5時45分にフジヤダイニングに出掛けた
ボンボリ
本館とダイニングの繋ぎ廊下から見た窓外の噴水
ワインセラー
御簾
窓外の景色
メニュー
ワインをグラスに注いで貰った
注ぎ終わった瞬間を撮影した
このワインは一杯2343円
先代の社長山口正造が睨みを効かせている
アミューズ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/f2/6963c93a6c4d9159016279fd42a9df9c.jpg)
富士屋ホテルの本館ロビー階には、その内装を手掛けた人々の巧みな意匠が随所に散りばめられている。その一つ一つを順に紹介していこう。
本館回転ドア:このドアの上には羽を広げた白い鳳凰の姿があり、その上には優しい顔をした天使がいる。訪れる人を慈しみ祝福する古祥の意匠。
猿と蛇:サンパーラーの隅に、まるで手招きしているような愛嬌のある猿の彫刻がある。
その下の柱の側面には猿を狙う蛇の彫刻がある。
本館階段:本館中央の階段に取り付けられた木製の勾欄は、一本の木を少しずつ湾曲させて作る、曲げ木と呼ばれる技法で作られている。湿度に寄って変化する天然木をずれないように組み合わせるのは至難の業である。
尾長鶏の彫刻:ヘレンケラー女史が来館した際、ホテルで飼育していた尾長鶏をたいそう可愛がったと言う。再訪した際にはこの尾長鶏が亡くなっていたため、彼女のために彫刻を施し、愛でられるようにしたそうである。
19th Hole:仙石ゴルフコースの18ホールを終えた後にパーテイーを楽しんだ場所。カスケードルームに上がる階段前のテーブル付近が19番ホールの場所ではないかと言われている。
温水ヒーター:水をボイラーで温めて熱を生み出す。他の暖房器具に比べ空気を汚さず、肌や喉にも負担がかからない。優しいぬくもりを与える富士屋ホテルの懐かしいアイテム
初代フロントカウンター:明治24年に完成した本館のフロントカウンター。昭和5年に現在の主食堂が完成し、それに伴いフロントが移動するまで使用された。
マジックルーム:建設当時は6部屋の客室として使用されていた。西洋館増築により寛ぐスペースが必要になりロビーへと改装された。中国からマジシャンを呼んでカードマジックなどが行われたためこの呼び名になった。
マジクルームの照明:マジックルームに取り付けられた三灯式の照明器具はアンテイークとしても価値がある。木枠には花型のくり抜きが施され、鉄鎖にも時代を経た独特の風情が漂っている。
暖炉:ロビーに改装された後も暖炉は残っている。ここには縁起を担いだ鶴亀や松竹梅が描かれたタイルが貼られている。
暖炉の裏
達磨:「不撓不屈」の象徴であり、何度倒されても起き上がる達磨は、三代目社長・山口正造氏の座右の銘である。
ロビー階の天井シャンデリア
テラス前の花壇
ルームキーの
裏面は箱根寄木細工になっている
館内の柱の彫刻にも歴史を感じる
二階ロビーにある応接セット
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/07/be59a93ea606427433d19d4256ee3f00.jpg)
両津欄干橋は、両津の湊と夷を結ぶ、加茂湖の上にかかる橋の一つである。欄干という名称は木造の橋の頃に付けられた。加茂湖と両津湾の境にあると言う意味で別名は境橋である。加茂湖にかかる橋は3本ある。西側から歩行者専用の「加茂湖橋」(ホテル東宝のすぐ近くにある)、次が両津甚句にも歌われた「両津橋(両津欄干橋)」、三本目が佐渡汽船両津港ターミナルに向かう時に必ず通過する両津大橋だ。両津欄干橋は、現在ではコンクリート製になっているため欄干橋という名称は消滅しており、橋のたもとには、右手に「一般国道350号線」、左手に「両津橋」と書かれているだけだ。頭の硬い木っ端役人の「欄干という名称はコンクリート製の橋の名称としては使用できぬ」という杓子定規な法解釈により、情緒もへったくれもない名称に無理やり変更させられたという歴史的な経緯があったそうだ。「欄干」とは、「人が落ちないように、あるいは装飾の目的で橋の外側に取り付けた柵状のもの」を意味するゆえ、別にそれがコンクリート製であっても、「両津欄干橋」と称しても何ら問題は無いように思える。しかるに、無粋な役人が無味乾燥な橋の名称をごり押したため旅情がどこかに吹っ飛んでしまった。湊方向からこの欄干橋を下ると右手に御番所の松、即ち村雨の松がある。
両津欄干橋の由来
加茂湖橋から見たホテル東宝
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/4a/6793e54581351defd771c47a623aa93a.jpg)
寝室から見た居間
空気清浄機がある
書院窓風である
こういう造りに歴史を感じる
ベッドサイドデスク
CDplayerが置かれたデスク
デスクの左隣にテレビがある
LANケーブルもあった
マットレスはエアウイーブを使用している
ジュニアスイートルームの部屋番号は50番
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/9e/1766dc0bea05a5b0beff3f12cc4758cc.jpg)
富士屋ホテルでは全室バスルームに温泉が引かれている。無論衛生上の観点から消毒済みの源泉を循環濾過して流しているが、かすかに温泉の匂いがする。シャワーの湯も勿論温泉である。お部屋で温泉を堪能出来るのだからからいちいち大浴場へ行く必要がない。それに富士屋の大浴場は狭いのでまず入る気は起こるまい。入浴アメニテイは全てロクシタン製で石鹸はいい香りがした。4本の猫足で支えるバスタブに温泉水を貯めてから湯船につかり一日の観光疲れを癒した。
猫足のバスタブ
蛇口
洗面台
アメニテイーグッヅ
ロクシタンの石鹸
タオル
寝室
ベッド