こちら黒金町の4階です。

静岡県労福協を身近に感じていただくために事務局員が交代で情報の発信しています。

 「何が嘘で何が真実なのか? お手本となる大人・教育の最高学府としての大学・そして東大卒の官僚たち、果ては大臣まで?」

2018-06-08 | 県労福協

◆ ナントも不可思議な状況が続いていると思いませんか?

森友・加計問題・・・・・ 政治家に対する「忖度」・・・・・ すでに決済済の文書までわざわざ書き換える・・・・・ それでも大阪地検特捜部の調べでは、誰にも罪は無いという事らしい。

◆ 当の政治家本人が、「忖度は無かったことが証明された」と力説していても、忖度するのは、周りの取り巻き達であって、本人がどうのこうの言っても意味は無い。

◆ いろいろな意味での縦系列社会構造の中で、上に立つ者(良くも悪くも権力者であり、支配者である)に対する「忖度」は程度の差こそあれ必ず存在する・・・・・。このこと自体を良い事だとか悪い事だとかの判断は意味を持たないと思う。

◆ そもそも「忖度」とは 大辞林 第三版の解説によれば、そんたく【忖度】( 名 ) スル によれば〔「忖」も「度」もはかる意〕         他人の気持ちをおしはかること。推察。 「相手の心中を-する」という事で、相手を思いやる心、また他人をいたわる気持ち、など日本人のDNAに刷り込まれていると言われるほど優しい気持ち・配慮の表れであります。

◆ 石田三成の三献茶のお話、十四歳頃、初めて秀吉と会った三成が、茶を所望する秀吉にまずぬるめの薄い茶を大きな茶碗に八分目ほど、次にはやや熱めで濃いめを茶碗に半分、三杯目には熱く濃い茶を小さな茶碗で出して秀吉の感心を買ったというのは、『武将感状記』中にある有名なエピソード。また「阿吽の呼吸」「一を聞いて十を知る」など、昔から類する言葉があります。

◆ 古くより日本では、いちいち全てを指図されなくとも部下たるものは上司の想いをそれとなく汲み取り、陰に陽に立ち回り手筈を整える事ができる者を、仕事ができる者という判断基準になっていたのではないでしょうか。

◆ 忖度する側と忖度される側では、天と地との差がある事を自覚しなければならない。どんな力であれ、権力を持つ者は、その事を深く自覚するべきではなかろうか。好むと好まざるにかかわらず、権力者は忖度される側に立っているのであるから、時にはストレートな提言や提案、意見などを聞く場を持ち度量の広さを示す事が、本来の「忖度」に見合う「信頼」に繋がっていくのではないだろうか。

だから日本には「真摯」とか「謙虚」という言葉があると思うのです。

◆ 「忖度により成り立つ社会」を全て否定するものではないが、問題なのは、それぞれの立ち位置とその目的が何であるのか?という事ではなかろうか。結果として今の時代に表れている事は、危険極まる反則プレーであり、嘘か真か不明であるが発せられた言葉に合わせて文書をわざわざ書き替えるという事、目的達成のためなら嘘の報告書を作り県や市に提出する事、国会の場でも平気で嘘をつき続けていく事、こうした事を行う人の心情はどうなのだろうか? 

◆ 政府はこれから青少年に対する「道徳教育」を強化していく方針だと言います。

◆ 誰のために、何をやっているのか? それが貴方の正義ですか?

 やはり本当の事を聞きたい・・・知りたい、と思うのは私だけでしょうか。           

                                         (M)

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