ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

頭の整理

2010-10-17 12:10:25 | Weblog
今朝はたいへん静かな朝だった。
ここのところ近所の学校の運動会が続いていたからだと思うけど、
鳥のさえずりだけで過ごす午前中は格別だった。

さて、ようやく笠井潔氏の『例外社会』を読了した。
全部が理解できたわけではないけど、自分のあたまの中にある雑多なことを、
いくつも「言葉」として整理することができた。
そして、こんなことを考えた。

私が1993年に中国へ行った時、どうしても理解できなかった中国人の言葉があった。
「日本が繁栄しているのは、中国からすべて盗んでいったからだ。
だから、中国は日本から取り返して当然だし、私はあなたであってもいいはずだ。
あなたの持っているものを持ち去るのは、盗みではなく、自分の権利を行使しているだけだ」と。
ほぼ同じ内容のことを、数人の人から言われた。
大学の寮で、服務員のおばさんが私の部屋に入り込み、
棚を物色していたところを注意しても、同じことを言われた。舌打ちとともに。

中国は、おそらく共産党による文革と大躍進をとおして、
日本のぬるい社会よりも先に、使い捨てされる自分をもっとリアルに見ていた。
日本がそれに直面するのは、バブルがはじけた後で、
主に私の世代から始まった就職氷河期によって、正規雇用が非常に厳しくなってから、
とくに非正規雇用になってしまった人たちが先に自覚した感覚だった。
いまは、私の世代なら誰もが感じていることだろう。
私であって、あなたでも、彼でもありうる。そこに差はない。

少し目上の人と話すと、たまに羨ましくなる。
その人と私は同じナルシストであるはずなのに、
目上の人にとって自分は濃く、私にとっての自分は薄いような気がする。
これは、年齢とともに培った自信とは少し違って、
根本的なところで、自分というものの捉え方が違うような気がする。
私は「信じる」ことができない。
私はどこまでも代替可能だし、私が死んでも世の中は困らない。

女性がこの希薄な自分から逃れる方法は、母親になることかもしれない。
でも、夫の収入が減ったことによって外で働かざるをえなくなった女性は、
親としての役割も分担され薄められ、代替可能になりつつあるのではないだろうか。
子どもを虐待する母親のニュースを見るたびに、私はすごく自分とシンクロする。
私でもやりかねない、と思ってしまう。
根源的なところで、自分としてのかたまりの自信がないのに、
身体は空腹や苦痛を訴えてくる。
たまにこれが、わずらわしい。

ただし、私の不安が「言葉」になったので、
この亡霊に悩まされることは少し免除されたような気がする。
これが評論を読むよさだ。

秋の花と読書

2010-10-16 16:18:26 | Weblog
うちの前は、いまとても美しいことになっている。
隣の家のおじさんが、猛暑にも負けず育てた花たちだ。
 

うちのほったらかしの萩もようやく咲き始めた。


雑草も咲いている。
 

あとは、桜の木たちがちゃんと紅葉してくれるといいんだけど、
この暑さだからどうだろうか。


さて、今日の午後は、比較的集中力があるときでないと読めない本なので、
笠井潔さんの『例外社会』を読んでいる。
読み始めて、いったい何ヶ月かかっているのだ、というところ。

いま「第七章 千年王国主義と再帰的動物」を読んでいる。

「神話は神を語る=騙る。「神」が蜂起する民衆それ自体、革命的暴力それ自体であるとすれば、労働者階級の使命を階級よりも熟知していると称し、暴力を行使しても階級を善導すべきだと主張するボリシェヴィズムとは、まさに「神」を語る=騙る神話にすぎないだろう。」

こういう中途半端で脈略がわからない引用は、
すごく著作物に対して失礼だと思うのだけど、あえて。

20歳で中国に留学してからあと、
私にとっての一番の悪口は、「神にでもなったつもりか」だった。

もう少し読み進めて、また考える。

今朝見た夢

2010-10-16 06:59:20 | Weblog
昨晩22時に寝たら、今朝6時に目が覚めた。

明け方に見ていた夢では、どこかを旅しているらしかった。
中央アジアのオアシスで、大きくゆるやかな川があって、
その両側に葉っぱのある木が生えていた。

川には木の橋が架かっていて、その上に日本人の友人が立ち、
水面をじっとながめていた。
私は見えない鳥で、でも水面には影がうつるから、
友人の前をすっと横切り、そのまま川の上を飛んでいった。

すごく美しい景色で、
少し肌の色が濃い土地の人が洗濯をしたり、水浴びをしていた。
その人たちの着ている服が、
砂漠の色をうつした水面と、木立の緑によく映えた。
白いサギのような鳥と、たまに水面まで浮かんでくる魚、
とても豊かな光景だった。

もう少し下って行くと、急にさわがしくなった。
新しい木の小屋が建てられていて、その上に大勢の人が座っている。
軒下には、先ほど見た白い鳥がつかまっていて、羽が散乱していた。
どうやら、とても大勢の中国人たちが宴会をしているらしかった。

大きな音でカラオケをかけ、
大声で話し、ものすごく大量の料理を食卓に並べている。
もちろんお皿の上には、白い鳥だったものや、
川でとれたのであろう魚が豪勢に並んでいる。

「ああ、ここも」そう思って、飛び去った。

対岸におりたち、人の姿に戻って、足で歩いて宿まで戻った。
私が泊まっていた宿は、おそらく100年くらい前に西洋人が建てたもので、
造型は瀟酒だけど、あちこちヒビが入り、水回りもよくなかった。
それでも大切に使われていた。

そこの土地には、もう少し滞在しようと思っていたけれど、
一眠りして次の土地に向けて出発することにした。
大地のにおいが、かすかに残るベッドで仮眠をし、
2時間くらいして目が覚めた。
左の手首に数珠のようなものを巻いて、荷造りをした。
不安も高揚感もなく、とても落ち着いた気分だった。

目が覚めて、今日は資源ゴミの日だったことを思い出し、
段ボールをしばって、外に出した。
今日はなるにまかせよう。

母の顔

2010-10-15 19:26:48 | Weblog
ここのところ、少し無防備だった。
仕事のストレスから解放されて、読書の時間も増えて、
発想も自由になってきて・・・、つまりリラックスしたら体調をくずした。
というより、元の体調に戻った。

これまで約5年、いろいろと正常じゃなかった。
いまも正常ではないかもしれないけど、なじみ深い感覚が戻ってきたので、
まあ、よし、とする。

元の体調に戻ると言うことは、
胃腸があまり丈夫ではなく、気管支は言うことをきかず、
精神状態も乱高下するということだ。
それでもむかしは若かったから無理がきいたけど、いまはもうダメだ。
寝込むしかない。

久しぶりに、体力・精神力ともに落ちたら、
母の命日だったのに、ろくすっぽ母と向き合っていなかったことに気がついた。

むかし、母と話をしていたころ、よく代わってあげたいと思った。
母が欲しかったものもチャンスも、私にはあるように思えた。
着るものも食べるものも、文房具も、私のほうが豊かだった。
でも、母には、欲しいものや、やりたいことがたくさんあって、
私には、それがあまりなかった。

母がいまの私の年齢のころ、やりたい、と言っていたことがたくさんあった。
いま、私にはそれがない。
やりたいことがないのに、ただ漫然と生活しているのが申し訳ないと、
小さいころから、いつも思っている。

少し前には、自分がやりたいことよりも、
他人が私に求めてくる役割に徹した方が、
居場所も見つけられるし、みんなも幸せになる、
そして自分も幸せになれると、無理に信じようとしたときもあった。

でも、母と一緒に自己分析していたころの自分の方が、
やはり、どうしようもなく「私」に近い。
他人と話をするのは苦手だし、家に閉じこもっているほうが好きだ。
会社勤めできるとは思えないし、興味の対象は、家族とほんの少しの親友だけ。
基本的に、家の中で無駄な時間を過ごす。
そしてたまに、ぶらっと1人で旅に出る。

ふと、何のために生きているのかなあ、と思った。
高校時代、このセリフを私が言うと、母はいつも悲しそうな顔をした。
その顔を思い出した。

あこがれ

2010-10-14 15:25:37 | Weblog
以前、女性の作家さんの文章は、どうも相性が悪いと書いたことがある。
最近、とてもあこがれる文章を書く人にめぐりあった。

仕事でお知り合いになった作家さんで、その後、著書を2冊送っていただいた。
エッセイと小説が1冊ずつだった。

エッセイは、ご自身の身の回りに起こることを、
小説は、大きな一つのテーマについての小品を集めたものだった。
どちらもすばらしくて、こんな文章が書けたらいいな、と憧れた。

その作家さんは、きっと、もともとはどちらかというとネクラな人なんだと思う。
世の中に起こることや、他人の感性に触れることが辛くて、
すごく自分にコンプレックスがあった人なんだと思う。
でも言葉にしているうちに、あるとき、ふと、
自分をふくめ世の中のことと一歩距離をおくことを知って、
いまはすべてを静かなユーモアで包んでいるような雰囲気だった。

そして、もう大きいお子さんがいらっしゃるようなのだけど、
子育ても、その作家さんにとって、とてもよかったのだと思う。
似ているところもあるけれど、まったく違う感性、
予想外のことをやらかすことは大人になってからも同じで、
違う時間軸で生きている家族。
きっと、子どもを叱りながらも、
「私にこの子を叱る資格なんてあるのかしら。何て言ったらいいのかしら」と、
自問していたのではないかと思う。

もし、お子さんたちとお話をする機会があったら、
きっといろんな面白いエピソードを聞けるだろう。
進路相談の三者面談なのに、お母さんはぜんぜん違う空想の世界に行ってた、とか、
お湯が沸騰しているのも忘れて本を読みつづけてたことがあったから、
お母さんが台所にいるときは、なるべく近くにいてあげるようにしてた、
本人は気づいてないようだけど、など・・・。
それを想像するだけでも楽しい。

他人は、自分が思っている以上に、自分のことを受け入れてくれている。
そして、自分も自分のことを。

発熱

2010-10-13 23:58:59 | Weblog
帰り道、ラフマニノフのヴォカリーズを聞きたかったのに、
電車で、前に立った女性の声が大きくて、まったく聞こえず。
しょうがないので、朝起きてから頭の中をまわっていた
マイケル・ジャクソンのスリラーを聞きながら帰った。

さて、何年かぶりに、昨晩少し熱を出した。
平熱が35度5分くらいなので、37度をこえると、ちゃんと自覚症状がある。
とにかく暑い。

今朝、36度5分まで下がっていたので、それでも少し高めだけど、会社に行くことにした。
家で寝てても、昼過ぎには上の家の子どもが帰ってきて大騒ぎを始める。
電話して注意するのも億劫だから、会社で単純作業をするほうが、よほど休まる。
ちょうど単純作業がたまっていたし。

で、会社についたら、どんどん体調がよくなった。
ふだんより身体が温かくて、いつも凝ってる肩胛骨のあいだあたりも、血行がいい。
老廃物も、どんどん流れていってる気がする。
たまには発熱すべきだ。

とはいえ、念のため体温をはかってみようと、体温計を持っていった。
昼前に、体温計をもってトイレにこもった。

会社のトイレにはセンサーがついていて、人が入ると、パッと電気がつく。
体温計を取り出し、万事つつがなく個室にこもっていたら、いきなり電気が消えた。
どうやら、生物反応なし、というか、動くものなし、ということで、省エネされてしまった。

体温をはかっているときは、じっとしているべきだ。
体温計を口にくわえながら、このままにしておこうかと一瞬思ったけど、
誰かが電気が消えてるから無人だと思って入ってきて、個室が1つ使用中だとギョッとするだろう。
しょうがないから、右手を挙げて、センサーに反応してもらった。

機械にまで自己主張しなきゃならないのか。私は。

確かに省エネはいいけど、機械に頼っているうちに、
もったいない、という気持ちをもつことすら忘れそうだ。
進歩しているのか、退化しているのかわからなくなる。

ドライ

2010-10-12 20:37:27 | Weblog
10月なのに、暑い。
今日は電車の中が、朝も帰りも、もわーっとしていて不快だった。
そのせいだろうか、ホームでうずくまっているスーツ姿の人を何人も見かけた。
日本人は、何世代もかけて、日本の気候に適応してきたのだから、
温暖化した日本に適応できるようになるには、また何世代もかかるだろう。

そして、近代化、都市化したとはいえ、
やはり日本人の心の中には、まだまだ村社会が残っていると思う。
おそらく、平均よりも私はドライなのだろう。
周囲の人のプライベートに、ほとんど興味がない。
趣味が同じなら、その趣味で付き合えばいいし、仕事は仕事で付き合えばいい。
別に、家庭のことを話す必要も、趣味や好みを語る必要もない。
そう思っているから、相手が話してくれても、聞いてすぐに忘れる。

私は、親がどんな人か、結婚相手はどんな人か、ということよりも、
私と一緒に何かをしたときに、どんな反応をしたかが気になるし印象に残る。
その上で、徐々に親しくなって、プライベートを話すならわかるけど、
なぜ知り合って「親しくなるために」プライベートを話さなければならないのかが、
まったくわからない。

ということで、私にとっての一番の苦痛は、
自分のことをあれこれ語り、相手のことをいろいろ聞くことだ。
結局は、自分の生活圏に、その相手を入れるべきかどうかを、
篩にかけて、吟味しているようにしか思えない。

だから、付き合っていく必要がある相手に対しては、
私も努力して、相手に伝わるように自分のことを話すようにするけど、
言葉によって、自分が自分とは別人になっていく。
それに面白さを感じると同時に、そう思ったとたん語ることに飽きてしまう。
相手が安心するなら語ることにも意味があるけれど、私自身はその会話に興味がもてない。

私は、かなり直感で好き嫌いの感情をもつけれど、
たとえイヤな人でも、先回りして、
イヤな面が、私に対しては出ないようにしていけばいい、と思う。

いま、昼休みに読書をしていると話しかけてくる人がいる。
私はその人が苦手だ。
本を読んでいるんだから、放っておいてほしい。
でもまあ、話しかけられるというのは、いいことだよな。

話は変わって、『中国 歴史偽造帝国』を読み終わった。
中国共産党は、ずっとずっとずーっとむかしからチベットは中国の一部だったと主張し、
その根拠として史料を挙げた。
それに対するチベット亡命政府の反論なんだけど、
あまりにも中共の言い草が、お話にならなくて・・・、もういい、という気分。

でも、占領されてしまったチベットの人たちは、本当に悲劇だよな。

引っ越したい

2010-10-11 18:39:36 | Weblog
団地に住んでいるのだが、上の階の子どもの足音がうるさくて、本当に困っている。
どうやら、お母さんと男の子2人で暮らしているようなのだけど、
都会らしく近所づきあいをしないので、よくわからない。
とはいえ、耐えかねてこれまでに何度か苦情の手紙&電話はした。

今日は、ほとほと参ったので、引っ越したいと思う。
でも、こんなうるさい家だと、売るのも大変だと思う。

で、しょうがないから、
上の家の人は、足音すら聞こえなくてとても静かだけど、全員が幽霊だったという怪談と、
このうるさい現状のどちらがいいかを考えてみた。
幽霊のほうがいいな、とすら思う。お化け怖くないし。
あとは、大きな音を立てる怪物が住んでいる、という怪談もありえる。
その場合は、たいてい人間が食べられていて・・・、うん、やっぱり怖くない。
あんまり文句を言って、男の子に恨まれるほうが、この先ずっと怖い。

おそらく、いま上の家では、兄弟によるプロレスかなにかが繰り広げられている。
子どもの叫び声も聞こえてきている。
こんな環境のなか、読める本は限られてくる。

『中国低層訪談録―インタビューどん底の世界』

10年くらい前のインタビューが多いので、いまは、また少し違ってきているだろうと
思うこともある。
あと、インタビューの対象が四川省の人たちなので、
沿岸部の出稼ぎ労働者など、日本人に比較的なじみが深い人たちへのインタビューは載っていない。

それでも、中国に興味があるのなら、読んでみると面白いと思う本だった。
私が一番面白かったのは、インタビュアーである著者の相づちだ。
日本語として読むと、かなり違和感のある相づちでも、
そのもとの中国語の表現を想像すると、テンポがよくてうまい!と思うことがあった。
中国語と日本語は、話の展開方法がまったく違う。
日本語だと失礼に思えるようなことが度々ある。
でも、そんな相づちが入ったあと、
インタビューは一気に加速し、核心へと迫って行く。

官僚の腐敗、文革と大躍進の結果の貧困、宗教の弾圧、
いろいろな実状が、この本によってあぶり出される。
よくよく考えると、中国は100年前、まだ皇帝がいて、
清という征服王朝に漢民族は統治されていたんだ。
そして、共産党を皇帝と同じように考えている人が、まだまだたくさんいる。
そして、文革によって、知識層が守ってきた多くの知恵が失われた。
奥が深い国だ。

引っ越すこともままならない日本の低層の生活。
私なりに爆発寸前ながらも、もう少し耐えてみる。
ああ、引っ越したい。

休日のお父さん

2010-10-10 19:29:12 | Weblog
今朝、モスで読書をしていたら、隣の席に男性が慌ただしく座った。
せわしない雰囲気で、持っていた書類を投げるようにテーブルに置いた。
書類はA4サイズで、何枚か綴じられていた。

4人掛けの机を、1人で占領し、書類を読み始める。
紅茶が運ばれてきた。大きなズズーという音を立て、飲み始めた。
熱いのだろう、ズズ、ズズ、ズズーッとせわしない。
あまりにも小刻みなので、気になる。

休日なのに、なんとも慌ただしい。
ジャージのような服だけど、読んでいるのは仕事の資料なのだろう。

何かから逃避するように仕事をして、
そしてもっと居場所がなくなってしまったような、
一生懸命であるために、一生懸命であるような、
そんな雰囲気が伝わってきた。

せわしくなくカバンのチャックを開け、
シャーペンをカチカチカチッと鳴らし、
何かを少し書き込んで、思考に入った。
いや、居眠りに入ったのだった。

休日でもなく、仕事でもない時間。
休日出勤をしないのは、午後から家族サービスをするためか、
それとも会社から休日出勤を止められているのか。

すぐに起きて、また、ズズーッと紅茶を飲み、書類をめくった。
そしてすぐにまた居眠りを始めた。
どう見ても、効率が悪い。
授業を聴いているフリをしている高校生のようだ。

家で、ちゃんと寝ればいいのに。
子どもが遊んでいて眠れないのだろうか。

私が小さかった頃は、喫茶店が少なくて、空き地が多かった。
お父さんが寝ているとき、仕事をしているとき、お客さんが来ているときは、
子どもが外に出された。「夕方まで、外で遊んでらっしゃい」と。
いまは逆だ。
子どもが家の中で遊び、お父さんが外に居眠りに出掛ける。

なぜ、仕事をしているから静かにしろ、寝ているんだから静かにしろ、
それができないなら、少し外へ行ってろ、と、
お父さんは言えなくなってしまったんだろう。

そんなことを考えていたら、
その隣人は、鼻から大きく息をはいて、出て行った。

気を取り直して、少し散歩だ。
建物のあいだに、ひっそりとお社があった。


立ち寄った公園に、ほおずきがあった。


お稲荷さんは、なんだか力をもっていた。

プチトマト 色づく

2010-10-09 16:30:36 | Weblog
ベランダで諦め半分で育てていたプチトマトが、どうやら食べられそうだ。


ちょっと斜めに実がついてて、とんがっている「やんちゃ」なのもいる。


そろそろ鳥が狙い始めたような気がするので、ネットを張った。
あともう数日、待ちたいから。

昨日、劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞した後、各国の首脳や要人がコメントを発表していた。
日本の首相は、あたりさわりのないコメントをしていた。

欧米の場合、経済の会議の場では、中国を立てることがあっても、
社会の成熟や、人権に対する考え方については、
いまでも世界をリードしている自負があるだろうし、
おそらく「アジアなんて」という気持ちがあって、
意見を堂々と言える精神的な余裕があるように思う。

その点、日本の場合は、
ある程度、経済では胸を張っているかもしれないけど、
社会のあり方や哲学の部分については、どうやら自信がないようなので、
こういったときに、発言するだけの勇気は持てないだろうと思う。

これは、日本の首相の人格の問題ではなくて、
日本社会全体の問題なのではないかな、と思う。

昨日、サッカーの新しい監督を見ながら、ふと思った。
日独伊三国同盟だったのに、なんだかイタリアは、もうゆるされているというか、
過去の清算なんて関係ないところにいるように見える。

イタリアでも自国民に対しては、もちろんいろいろな弾圧があったのだろうけど、
ドイツのホロコーストや、日本のアジア侵略のような話を、私は聞いたことがない。

そして、それでもドイツではノーベル平和賞に対して、しっかりと意見が言え、
日本ではそれを慮るような雰囲気があるのは、
戦後の過ごし方の違いと、やはり人種の違いなのだろうか、と思った。