ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

母の顔

2010-10-15 19:26:48 | Weblog
ここのところ、少し無防備だった。
仕事のストレスから解放されて、読書の時間も増えて、
発想も自由になってきて・・・、つまりリラックスしたら体調をくずした。
というより、元の体調に戻った。

これまで約5年、いろいろと正常じゃなかった。
いまも正常ではないかもしれないけど、なじみ深い感覚が戻ってきたので、
まあ、よし、とする。

元の体調に戻ると言うことは、
胃腸があまり丈夫ではなく、気管支は言うことをきかず、
精神状態も乱高下するということだ。
それでもむかしは若かったから無理がきいたけど、いまはもうダメだ。
寝込むしかない。

久しぶりに、体力・精神力ともに落ちたら、
母の命日だったのに、ろくすっぽ母と向き合っていなかったことに気がついた。

むかし、母と話をしていたころ、よく代わってあげたいと思った。
母が欲しかったものもチャンスも、私にはあるように思えた。
着るものも食べるものも、文房具も、私のほうが豊かだった。
でも、母には、欲しいものや、やりたいことがたくさんあって、
私には、それがあまりなかった。

母がいまの私の年齢のころ、やりたい、と言っていたことがたくさんあった。
いま、私にはそれがない。
やりたいことがないのに、ただ漫然と生活しているのが申し訳ないと、
小さいころから、いつも思っている。

少し前には、自分がやりたいことよりも、
他人が私に求めてくる役割に徹した方が、
居場所も見つけられるし、みんなも幸せになる、
そして自分も幸せになれると、無理に信じようとしたときもあった。

でも、母と一緒に自己分析していたころの自分の方が、
やはり、どうしようもなく「私」に近い。
他人と話をするのは苦手だし、家に閉じこもっているほうが好きだ。
会社勤めできるとは思えないし、興味の対象は、家族とほんの少しの親友だけ。
基本的に、家の中で無駄な時間を過ごす。
そしてたまに、ぶらっと1人で旅に出る。

ふと、何のために生きているのかなあ、と思った。
高校時代、このセリフを私が言うと、母はいつも悲しそうな顔をした。
その顔を思い出した。