ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

大審問官

2010-10-22 23:30:20 | Weblog
大審問官―自由なき楽園の支配者
ドストエフスキー著、秋津太郎訳、文遊社

やはり、ドストエフスキーはずば抜けて面白い。
いろいろと作品を読んだけれど、私にとって一番印象深いのは『カラマーゾフの兄弟』。
もし、この作品を読んで、ん?と思って、立ち止まったなら、
『大審問官』は読むべきだと思う。

『カラマーゾフの兄弟』を読み、私が一番気持ち悪かったのは、アリョーシャだった。
そして、その気持ち悪かったことの、その真髄を抉るような話が、
この『大審問官』に凝縮されている。
改めて、ドストエフスキーの作品を、ぜんぶ読み直したいと思った。

実は、ここ数日、浄土経典や親鸞の入門書を読み、少しむずむずしていた。

たとえば、ある広い景色が見渡せるところで、
雲の合間から、太陽の光が行く筋も射し込んでいるのを見ると、
特にそれが夕陽だったりすると、
ああ、あそこに阿弥陀様がいらっしゃる、と無条件に思うことはある。

でも、法(ダルマ)へのアプローチとして、
私には、阿弥陀信仰はどうしても、しっくりこない。
一心不乱に念仏をとなえる、というシンプルさも、
悪人こそが救われる、というすべてをさらけだす帰依も、
すでに私は、精神力として持ち合わせていないと思うし、
「いや、違うんじゃないの」と、疑問をもちつつ、
ああでもない、こうでもないと、いろんなアプローチを試みるのが私らしい、と自分で思う。
だから、当分は、回り道しようと思っている。

逆説は、宗教や哲学につきものだと思うけど、
ドストエフスキーのいう「逆説」に、
阿弥陀信仰よりも親近感を覚えるのは、なぜだろう。