ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

楽しい仕事

2010-10-27 19:55:21 | Weblog
今日は、調べものをしながら原稿をまとめていく、ということをした。
文章のテーマはそんなに興味がある分野ではなかったけれど、
この仕事は、これがまた、すごく楽しかった。

電話やメールの本数が多いと、楽しいというゾーンに入る前に、イライラしてしまう。
ましてや調べながら少し脱線する、なんて余裕は持てない。
いろいろなことをしていると、
まず、「集中すること」に努力することになるが、結局ブツ切れではかどらず、ドッと疲れる。
今日は、むかしむかしに味わった向き合うことの楽しさを思い出して、すごく嬉しかった。

言語センスにはいろいろある。
詩的なセンスもあれば、論理構成力もある。
今日、私に求められたのは、
素人の「私」が読んだときに、
その文章が可能な限り正しく、そしてストレスなく伝わるか、という点を考えながらまとめる、
ということだった。

もっと若かったころには、私にも見栄があって、
文章を読むときに、校閲するような気持ちになったものだ。
でもいまは、そんな不要な見栄がとれてきて、
文章に対して、正直に向き合えるようになってきた。
それに、いまは便利なもので、
「ん?」と思ったことは、インターネットで調べることができる。
インターネットの情報がすべてではないけれど、ある程度、整理する役に立ってくれる。
ありがたい。

だからこそ、文章を読んでいて「ん?」と思えるかどうかが、ますます肝心になってきたと思う。
ある程度の知識がないと「ん?」と思うこともないかもしれないけど、
ひっかかるところには、文章の流れの中で、何らかの「ほつれ」があるわけだから、
それに気づけるかどうかは、知識量よりも言葉に対するセンスが重要になってくると思う。

あいまいな言葉に出会って、立ち止まって考える。
修正することもあれば、あいまいなまま残すこともある。
その決断までのあいだに、
人の人生や、自然科学、政治や経済など、いろいろな世界を縦横無尽に旅する。

「ほつれ」には、その文章を書いた人の心や、社会や歴史など、なんらかの背景がある。
ましてや、文章の上手・下手、頭のいい悪い、とは、まったく関係ない。
なにかがひそんでいる。
それを見つめるときに必要なのは、私の心にひそむ嫉妬や偏見といった、
眼をくもらせる私自身の心の乱れだ。

落ち着いてそっと眼を開け、心を開いて読む。
私はそんな仕事が大好きなんだと思った。