あまりにも痛ましい事件が起こりました。
19名もの身障者の方々の尊い命が奪われました。
お亡くなりになった方々の冥福を祈らずにはいられません。
テレビニュース等でさんざん報道されておりますので、この記事にて詳細を書くことは致しませんが、特徴的なのは、この犯人が、重度の身体障碍者の人権を、全く考慮していないことです。
生まれつき、身体に障害を持って生まれてくる方がいらっしゃいます。
彼らは、意味があって生まれてくるのです。
その意味とは何か。
それは彼らがいないと、「五体満足で生まれ育ち生きることが、ありがたいことなんだ」ということが、人間にはわからなくなるからなんです。
そうではありませんか?
皆さん、心に問いかけてみてください。思い返せば、そうではなかったですか?
そうなのです。
不自由な身体を持った人生を、彼らは敢えて選択し、生まれてきてくださっているのです。
「五体満足な人生というのは、ありがたいことなのだ」ということを教えるために。
人生は一回きりではなく、何度も何度も生まれ変わっておりますから、おそらく皆、順番にそういう境遇を選択するはずです。
そうして出会った方々との、様々な個性や心の傾向性などの違いを見て学びあっているのが、人生修行なのです。
誰しも同じ境遇の人生などありません。
誰しもが個性的な人生を経験し、誰しもが個々人の努力に応じた魂の糧を得ます。それは貴重な貴重な宝です。
神は、人間にその人固有に人生をお許しになっているのです。神は、人間一人ひとりを、深く愛しているからです。
だから、人の人生を奪うことは、決して許されてはいないのです。
人の命は、神の命なのです。
医者は生死を判定できます。しかし、命そのものを見ているわけではありません。生体反応を示す様々な計器を判定できるだけです。
命そのものは、神の領域です。
それを、宗教は教えてきたのです。
一日も早くすべての人々が、神の愛に目覚め、人生の意味を再び思いだしていただきたい。
新たな誓いとさせていただきます。
(ばく)
信仰と人間 ―大川隆法総裁 心の指針131―
非難に耐えてこそ ―大川隆法総裁 心の指針134―