最近では、すっかり幸福の科学の、代名詞となった感のある「霊言」。
幸福の科学の発足も、霊言集の出版からでした。
幸福の科学の出版第1号は「日蓮の霊言」 画像は、「空海の霊言」
その霊言が盛んになったのは2010年からで、現在出版されているだけで、もう500冊以上に及ぶようです。
それらは霊界の証明であると同時に、唯物論打開と宗教問題の解決を目指すものです。
幸福の科学の霊言が一般的になれば、共産主義国らの覇権主義的軍事拡張の動きを封じ、同時に、世界の宗教戦争の根源を絶てるはずです。
キリスト教やイスラム教などの世界の大宗教が、同一の神から分かれてきたことが証明できれば、神の名の下での紛争行為は行えないからです。
今は、信仰心のある方同士が戦っています。
神の子同士が戦い合うなんて哀れです。
神様も、きっと嘆いているはずです。
しかし、宗教の根源が示せれば、信仰心がありさえすれば、もう争い合うことができなくなるのです。
その数多い霊言の中で、最も多く人手に渡ったのが、我が郷土の英雄、坂本龍馬先生の新霊言「龍馬降臨」です。
幸福の科学の霊言は、公開霊言であり、支部や精舎に配信され、同時中継で見ることができます。
映像が公開され、しかも記録されておりますから、この書籍「龍馬降臨」が、編集されたり、ゴーストライターが書いたり、また編集で加筆されたりしたものでないことは、私だけでなく多くの生き証人がいます。
私が初めて観た公開霊言も、この「坂本龍馬の新霊言」
後に、書籍として出版された「龍馬降臨」です。
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=100
正直、びっくりしました。
徹頭徹尾メッチャ明るく、早口で情熱的、ちょっとHな発言もありつつ(爆笑)、破天荒でありながら、しかしまったく先が読めません。
やはり龍馬先生は、論の太刀筋が読めないのです。
達人です。
質問者から、「龍馬先生は、薩長同盟を創造し、大政奉還を創造し、新婚旅行まで創造しました。」と言われれば、龍馬先生霊、瞬時に曰く。
「最後のは、ちょっと違う。実践しただけだ。」(会場爆笑)という感じです。
ときに会場を笑わせ、ときに世間や政権やマスコミや、はたまた西洋列強の歴史を叱りつけ、そして先見性となれば、超一級の見識を示す。
スケールの大きさは、まさに、「日本の龍馬ここにあり」でございました。
痛快です。
「霊」といっても、気味悪さとかは、まったく皆無ですよ。(爆笑)
そしてすごいのは、その個性が一貫してぶれず、ほぼ2時間に渡って続くことです。
ただ、龍馬先生の霊が関西弁で話すのは、高知県人としては違和感はありました。(笑)
しかし大川隆法総裁は、関西文化圏の徳島県出身。
「私に降りてくだされば」とも思いましたが(爆笑)、所詮、私に降りたとて、普通の高知県民の会話しか出せないでありましょう。(さらに爆笑)
まあ、どのような神霊とて、たとえばイエス・キリストが高知県人の私に降りれば土佐弁でしょうし、青森のイタコに降りれば津軽弁意外で発言できないでしょうし、沖縄のユタに降りれば、沖縄弁でお話なさるでしょうね。(笑)
要は、内容なのです。
これだけの内容ならば、「坂本龍馬の霊言」と冠を付けずとも、「大川隆法の言葉」として発表した方が、自身にとっては格が上がると思われる内容だと思うのですね。
普通は、そうする方が得だろうと思うのです。
幸福の科学の霊言は、そういう内容なのですね。
また、幸福の科学の霊言の大きな特徴として、「ご本人しか知らない内容」があるのです。
まるで、刑事捜査の犯人特定・・・みたいで恐縮ですが。(爆笑)
様々な歴史的事実の中で、動機などのところなどは、歴史人物学的に、かなり付加価値の高いものがあると思います。
たとえば、兵法家でもあった吉田松陰先生が長州藩役人に、「当時の老中暗殺計画をするから、藩の武器を貸せ!」などと言ったのか?
不思議ですよね。
そんなの、処刑されるに決まっていますよ。
そういう、偉人たちの”動機”にまで踏み込んだミステリーに、吉田松陰先生はじめ、多くの霊人たちが答えています。
そう、幸福の科学の霊言では、歴史のミステリーである、偉人たちの行動原理、つまり”動機”がわかるのです。
坂本龍馬先生の霊も、最大のミステリー、「ご自身の暗殺について」、極めて詳細に語っています。
まずは、日本の歴史最大のミステリーを、ご本人自らが語った場面に焦点を当て、ピックアップしてご紹介します。
あのなあ、あんた、暗殺されて、相手、犯人が誰かって特定できるか? そんな暇、あれへん。
一瞬で斬られとるからの。脳をやられとる。そらあ、一撃だ。
酒くらって、刀を持っとらんかったから、千葉道場で師範代しとったって、そらあ、防げん。
一撃目は横斬りで来た。だから、わしの額、横に斬られたんだ。
ああ、この一撃で、最初、ちょっと機動力を失ったな。
そのあと、床の間に走って刀を取りに言ったんだけど、抜く前に、次、縦に斬ってきよったからな。
この二撃目がなあ、脳のなかにズバッと入りよってな、この二撃目で、わしゃあ、動けんようになってしもうたんじゃ。
まあ、風邪引いとったでなあ。調子も悪かったのもあるが、わしの誕生日が、わしの命日になるとは思わんかった。
ちょっと無防備ではあったかもしらん。
もう一つの敗因は、向こうが小太刀で来るとは思わんかったことじゃ。これが敗因だった。
入ってきたときに長剣で来たら、瞬時に机を蹴り上げてでも守りに入ったんだが、長剣じゃなかったんだよ。向こうは小太刀だった。
小太刀だけ持ってくる場合には、武士にとっては、「戦わない」 という意味だからな。計略に引っ掛かったんだ、実は。
それで、ちょっと、一瞬、「話に来たのかな」 と思った。維新の浪士が、いっぱい、わしを訪ねてきとったからな。
勝先生みたいに、わしも人には会ってやっとったが、相手は小太刀しか持っておらんかったので、それで、ちょっと、一瞬、気を許した。
それもだなあ、小太刀も、普通は、こう、左から右に抜くだろ? だけど、右手で持ってきたんじゃ、小太刀をな。
だから、これ、普通は 「抜けない」 と思うだろ? ところが、左利きやったんじゃ、相手が。
左手で小太刀を抜いたんじゃ。これで一撃目をくらったために、俊敏な動きができんかった。
普通だったら、わしは、そら、二、三秒あれば、何らかの対応はしたんだがな。
(中略)
やるべきことはやれたし、明治維新を見届けられなかったのは、ちょっと残念じゃが、ま、天上界で見ることはできたな。
もっと知りたい方は、ぜひ「龍馬降臨」を手にとってみてくださいませ。
既成概念が、ガラガラと崩壊していくこと間違いなしです。
本日は経典『正義の法』(幸福の科学出版)より、「一粒の麦」について語った一節をご紹介します。
「一粒の麦」とはイエス・キリストの言葉ですが、麦がまかれ、たわわに実ることを、「我が命惜しからず」また「わが身を投げだしてこそ、この地が豊かになる」という神の子の生き方を示した言葉です。
坂本龍馬先生も、日本にとって、いや世界史の分岐点においての、大きな大きな「一粒の麦」だったのです。
(ばく)
あたご劇場ホームページ http://neconote.jp/atago/
書籍「龍馬降臨」CM (坂本龍馬の新霊言)
【MV】千眼美子(清水富美加)「眠れぬ夜を超えて」(Short ver.)
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1591
私は、あなたがたに、あえて申し上げましょう。
最初は、ただの一粒の麦にしかすぎないのです。
私自身もそうでした。一粒の麦であり、私自身に降りてきた天上界の啓示から、この宗教も始まったのです。
私がそれを悟ったということ、真理を学んだということ、習得したということを、人々に伝え、その内容を信じた人たちが、さらに自分の周りの人たちに伝えていきました。そして、現在まで幸福の科学は大きくなってきたのです。
一粒の麦が、机の上に置かれたままであるならば、何年たっても一粒のままです。
その一粒の麦が、外でまかれても、岩の上にまかれたものは、すぐに枯れてしまうでしょう。
また、痩せた土地にまかれたものは、多くの実りをつけることはないでしょう。
しかしながら、あるものは肥沃な土地に落ちて、百倍、二百倍、三百倍の実りをつけることになるでしょう。
これが伝道の本質です。
伝道とは、そういう「真理の種子」を宿したと思う人が、自分の身を投げ捨てて、その場で、たわわな実りをつけようと努力することです。(中略)
一生懸命に根を下ろそうと頑張っても、やがて根も枯れ、実りを得ないこともあるかもしれません。
しかし、あなたがたのなかに、百人に、二百人に、三百人にと、その真理の種を広げていける人は必ずいると、私は信じています。
『正義の法』(幸福の科学出版)P38~40
大河ドラマ「龍馬伝」OPテーマ(佐藤直紀)〜大河ドラマ名曲選〜