幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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幸福実現党の評判と「政教分離」について思うこと。

2017-10-13 02:02:19 | 幸福実現党の願い

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まとめブログで、幸福実現党への声が載っていました。 

先にご紹介します。 

【総選挙2017】「投票先がない」そんな中、”幸福実現党”がウケている件。

https://matome.naver.jp/odai/2150777642490376801?&page=1

投票したい政党がまったくないな。いよいよ幸福実現党の出番か?!

幸福実現党って既存政党の中で一番まともなこといってるよ)

幸福実現党のビラ内容がくっそまともで震えてるこいつら与党入りしろよ

幸福実現党。よく考えられた政策なんだから、後は現実に票が取れるようにもっていってよ。投票したいと思っている人は少なくないと思うよ。

幸福実現党は意外と政策はまとも的な評価に甘んじてないで真面目に議席取りにいけ

幸福実現党に投票検討してます!!

希望の党より幸福実現党の公約の方が現実的でまともなのは何故なんだw

自分の理想と近いのは幸福実現党なんだが、規模が小さすぎて・・・でも理念すらまともに書けない他の党より遥かにマシ。

2017年衆院選で幸福実現党が初の議席獲とくになるんじゃない?幸福実現党が国会で何を言うのか不思議だが。

幸福実現党が消費税減税を訴えてる。なんてまともなんだろう

もしくはこんな茶番を見せつけられるくらいなら幸福実現党にでも投票したろか?  (他)

まあここ(幸福実現党)は、2009年立党時から政策が一貫していますし、ぶれないので、他の既存の政党さんのように、「公示直前まで、選挙公約や政策がわからない」ということがありません。

地方に合わせて、地方の問題点などを加える以外、ほとんど「不変」であり「普遍」ですので、だんだんと政策の中身は浸透して言っているのを感じます。

昨年の参院選あたりから、「政策なら、ダントツで幸福だよね。」というご意見を、いただくことも多くなりました。

後は、「政教分離」なのかなぁと。

政教分離は誤解されていますが、政教分離って要するに、「国家による、宗教への介入を防ぐもの」であって、「宗教が政治をしてはいけないではない」です。

要するに、「信教の自由の保護」が目的なんです。

もし「宗教が政治をしてはいけない」なら、「信仰心のある方や宗教者には、被選挙権がない」ということになりますので、重大な基本的人権の制限となります。

これは由々しきことですよね。

世界中で戦争をやっている要因として、歴史的にキリスト教国で戦争が多いのは、キリスト教国が政教分離だからです。

キリスト教の経典の新約聖書中の、生前のイエス・キリストの言行録を読むと、「右のほほをうたれたら、左のほほを差し出せ。」とか、どう見ても、戦いができる教えではないです。

どうやら、イエスが語った、「カエサルの物はカエサルに、神のものは神に」という御言葉が、その後、政教分離思想につながったらしい。

キリスト教が祭政一致主義だったら、世界から戦争はほとんどなかっただろうし、植民地主義の侵略の歴史もなかったでしょうね。

日本の歴史は、有史以来祭政一致ですが、近年の日本の歴史を見ると、自分たちより弱い国とは、一度も戦ったことがないのがわかります。

これは、日本神道的価値観が、そういう価値観だったからかも知れません。

また共産主義は、カール・マルクスが唱えたものですが、これは体系化された無神論・唯物論経済思想です。

中華人民共和国や北朝鮮は、共産主義国家ですが、ここらの国には基本的人権はないし、思想信条の自由もないのは有名な話。

ロシアの前身、ソビエト連邦にも、基本的人権はなく、亡命者があとを絶たなかった。

そしてたった100年ほどの歴史しかない共産主義国家では、政治犯として、最低で、1億人が殺められていますが、宗教が起こしていると言われる戦争では、数千年の歴史で、1000万人も死んでいないとも言われます。

要するに、「戦争をする宗教の方が、粛清をする無神論より、はるかにまし」ということです。

それは、「神も仏もあるものか」と信じてしまえば、人は生き残るためには、どんなひどいこともしてしまうことです。

それに人って、結局、「何かを信じている」と思う。

「神も仏もあるものか」と思っている人は、「神も仏もないと信じている」ということだし、「私は何も信じていない」という人は「何も信じられるものなどないと信じている」ということ。

「その根拠は?」と問われて、普遍の真理を踏まえて、万人が納得する根拠を語れる方などいないと思う。

第一、「神も仏も存在しない」ということは、証明不可能です。

そう、全ては「信仰論」だということですね。

だとすれば、「何をどう信じれば、人は幸福になれるのか」という「幸福論」で考えれば良いのではないかと私は思っています。

ということで、経典『教育の法』(幸福の科学出版)の一節を。

「比例は幸福!」よろしくお願いいたします。

      (ばく)

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【テレビでも放送!】幸福実現党釈量子党首に聞く「政教分離」【ザ・ファクト】

御法話「日本の進む道」外部会場開催のご案内。

【日時】10月13日(金)19時~20時15分

*高知市中央公民館(かるぽーと)9F 第1学習室

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=49

私は、「今の学校教育は、やはり、知識的なものの習得で止まっていて、その奥にある、本当に大事なところまで届いていない」という気持ちを強く持っています。

有名校への進学という実績を、自分個人の立身出世あるいは単なる利得のためだけに利用することは、人間として恥ずかしいことです。私はそう思います。

立派な学校を卒業した人であればあるほど、より多くの人の力や援助を受けているはずです。

独力で成し遂げたと思っているかもしれないけれども、本当はそうではないのです。

数多くの人のお陰を受けて、そうしたエリート・コースを歩んでいるのであり、独力に見えても、本当は独力ではありません。

数多くの人の力が加わっていることに気がついていないだけなのです。

自己中心的なエリートを数多くつくっても、この国はよくなりません。

やはり、国家のエリートと言われるような人たちは、基本的に、「世のため、人のため、国家のため、そして、世界のために尽くす」ということを、尊い使命として感じる人材でなければいけないと思います。

日本という国は、ある程度のところまで発展はしましたが、高貴なる義務を感じる人材の養成については、成功しているとは言えません。

「自分さえ、よければよい」「家族や自分の周りの人たちが、よければよい」というあたりで止まっていて、「世界のことについては、他の有力国や国連に任せればよい」と考えるような人が多く、どうしても主体性がありません。

やはり、「自分たちで、この国をよくし、世界をよくしていく」という、強い決意を持たねばならないと思います。

そのためには、高貴なる義務、ノーブレス・オブリージ(高い地位や身分に伴う義務)を感じる人を育てなければいけません。

そして、そのバックボーンには、やはり、宗教的なるものがなければいけないのです。

ところが、日本国憲法は、宗教というものを、善いものとして完全に認めているとは思えません。

国家と宗教を分離させようとする政教分離規定がありますが、それは、「国家権力と結び付いたら、宗教は暴走し、悪いことをする可能性が高いと見ている」ということでもあります。

そのように読めなくもないのです。

しかし、本来、宗教が、神仏の教えから出ているものであるならば、悪いものであるはずがありません。

偽物は別ですが、本来、神、仏から出ているものであるならば、宗教は善いものでなければいけないのです。

したがって、「宗教がバックボーンとなっている学校教育や、宗教教育を受けた人たちが、この国の政治や経済を担っていく」ということは、素晴らしいことでなければいけません。

同時に、そういう教育を受けた人たちは、「この国を超え、他の国の人たちをも助けていこう」という高い志を持たなければいけないと思います。

私は、そうした、高い志と強い情熱を持った子供たちを育てていきたいのです。
『教育の法』(幸福の科学出版)P227~230


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