怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

夫のケーキ夕食

2019年05月01日 | ケーキ(Kuchen Torte)
義父が数ヶ月前から計画していたこと。
新しいルーターに交換。その品は12月下旬に購入、実際の交換は4月下旬となった。
義父は張り切って、ネットでその詳細を調べて、私に報告したものだ。
面倒だった。要するに「私はこんなに知っている」というのを披露したがっているだけと感じたんだ。

私が話し相手にならないと悟った義父は、やがて私にルーター交換について何も言わなくなった。
家賃としてできるだけ義両親の話を聴いてやる、という課題を自ら課しているのだが、今回も失敗した。
いやー、人生は失敗の連続さー、と開き直るしかない。
その交換当日、夫は仕事を休んでまで義父の作業に付き合った。
「上手く行かなかったら週末はネット接続無しです」と言われていたので覚悟を決めていた。

夫はその日、6時間くらい義父とコンピューター作業をしていただろうか。
6時間を過ぎた頃、イライラした様子で私に近づいてきた。「どうしましたか」
私が尋ねると、要するに、私が日頃感じている義父に対するイライラ感でいっぱいのようだった。

人は高齢になると、どうして人の話を聴かなくなるのだろうか。
「老いては子に従え」
という言葉は、決して高齢者をないがしろにするものでははく、大事にされるためのテクニックのようなものだと思う。
ましてやインターネットやコンピューターなどの事柄は、どうにもこうにも高齢者は付いていけない部分がある。
義父が言うことに対して「私はわかりません」と答えると義父は「お前のような馬鹿にはわからない」というような反応をして立ち去っていく。義父のわかっていなさを指摘するのがちょいと哀れなのでそう答えておいたのにねぇ。
あまりこのようなことが繰り返されると、話題によってはまったく相手にしたくなくなるものだ。

大事にされる高齢者になるには若年者を信頼するような態度を取ってみることも必要だと思うんだ。
もしかしたら、義両親たちも若いときはそう思ったかもしれない。いざ、高齢者になってみると、どうにもこうにもそんなことバカらしくてやってられない、あるいは悔しいのでできない、のかもしれない。
私はすでに20歳代の頃から、自分より年下の意見をきちんと聞くように鍛えてきている。高齢者になっても、孫のような年代の人々の意見に耳を傾けることができるだろう!!

いやいや・・・
私にとって、義両親は大屋だ。
大屋のご機嫌取りは家賃だ。もう、彼らが好き勝手に私を馬鹿にするのは家賃の一部だ。
「老いては子に従え」は義両親には必要ない・・・・

さて、夫にも義両親たちのご機嫌取りは家賃である。
あまり食べたくないが、ケーキ夕食を食べるのも家賃だ。

いや、夫には慣れ親しんでいるケーキ夕食。
それほど辛い労働ではない。
ああ、うらやましいさ、ケーキ夕食で育った夫!




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