林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

霞む絵画展

2006-11-22 | お節介

また、小川町の吉田家住宅(国指定重要文化財)に行った。
庭の手入の応援だ。

なにやら場違いの見物客が10数人。
県内某市からの視察なんだそうである。
皆さん真面目そう。頭、固そう。

直ぐ作業を始めるつもりだった。
しかし人手が足りず、植木職人が串団子焼きを手伝うことになってしまった。
職人、焼餅は時々妬くが、団子焼くのは始めての仕事。
何から始めてどうするのか、しばしお手上げでした。
憎まれ口ばかり達者で、およそ生活能力が無いな、と猛省した。

それでも当主夫人のご指導で旨そうに焼けた。
お役人様たち、文句も言わず食べてたから、団子屋にもなれるぞ。

 

二つある座敷では、絵画展が行われていた。
絵は近くの住民の作品。どれも楽しそうに描いているのがいい。
水彩画、油彩画、水墨画となんでもある。

何時もは開け放しだが、絵を飾る壁面を作るために、雨戸や障子で締め切っている。
二つの囲炉裏で火を焚くから、家の中は煙が籠もって、煙の薄絹の向こうに絵が見える不思議な光景になっていた。
文化庁のお役人が聞いたら、重要文化財が焼けないように、と消火器持って怒鳴り込むだろう。
竹工芸家の人、吉田さんちの天井には煤竹が沢山あるよ。
釣竿屋さん、材料預けたら如何ですか。

そのうち、出品者やその知人たちがやって来て、団子を焼いてくれることになった。
皆さん何度も来ているから、団子を焼くのが上手い。

 

今日の作業は、いっぱしの植木屋作業だった。
つつじ(躑躅)、くちなし(梔子)、きゃら(伽羅)などを丸く刈り、あおき(青木)、ざくろ(石榴)、さんしょう(山椒)、松などの枝透かしをした。
実生のなんてん(南天)を伐採し、枯草を毟り取ったら、大分庭らしくなってきた。
本当は落葉をきれいに掃けばいいのだが、まだ落ちるから後回しにした。

気分が乗ってきて、暗くなるまで作業をした。
ここまでくると、凝り性森男は止められなくなる。
明日は雨予報。雨だと作業をしないのはボランティアの勝手なところ。
また近い内に行こう。

吉田さんからお土産に、大根を頂いた。

 □小型の写真は吉田家特製絵葉書から。
 □5枚組400円。


なんきんはぜ

2006-11-21 | お節介

 土手のさえないなんきんはぜ

なんきんはぜ(南京櫨)の苗木が紅葉している。
発芽して4年目の秋である。

森林公園で種子を拾って鉢に撒いたものだ。
10本発芽したが、あちこち流浪して、初夏、ここに落ち着いた。
生き残ったのは2本だ。
後の1本は枯れ死寸前に鉢上して、庭先で療養中である。

この辺りの木々は黄色や褐色になる葉ばかりで、赤くなる木が欲しかった。
葉は小さく薄いから、葉が落ちても自然に無くなり掃除が楽だ。
この辺には無い珍しい木だ。

南京櫨は大木になる。
しかし周りは高木が多く、若木にとっては不利な場所だ。
すぐ下にはこぶし(辛夷)らしい実生がある。
南京櫨の邪魔になるし、生まれ育ちがはっきりしない。
いずれ伐採しなくてはなるまい。

庭には辛夷のポット植えの苗が8本もある。
昨年秋、横瀬の県民の森に行った。
「辛夷の道」があって、赤い実が沢山付いていた。
背伸びして種子を採取したものだ。

今から、どこに地植えするか、楽しくも悩ましいことである。

      紅葉し、実がついた立派ななんきんはぜ


美味しいすみや電気

2006-11-20 | 高麗便り

[すみや電気]は美味しい。
商売が旨い。
飯能が本店だが、日高支店の方がいい味だ。

飯能本店とは異なり、店内にしっかり商品が陳列されている。
冷やかしの客でも、お茶か珈琲を出してくれる。

中元歳暮商戦の頃になると、ダイレクトメールを持って行くだけで、洋菓子をくれる。
店の隣の[シャトレーゼ]という結構な洋菓子店も経営しているので、その宣伝も兼ねているようだ。
3,000円以上の買物をすると、更に洋菓子を追加してくれて、その上抽選で賞品までくれる。



森男はこれが楽しみで、いつも利用している。
すごくトクをした気分になれる。
いい気分になって、[シャトレーゼ]で余計な買物をしてしまう。
それで、暫くお菓子責めになる。

すみや電気の営業マンは勉強家である。
煩い森男の質問にも、明確に回答してくれる。
蛍光灯の交換までやってくれて、親切だ。
営業マンはいつも町内を走り回っていて、呼べば直ぐ来てくれる。
高齢化社会を先取りする営業をしている。
洗濯機の調子が悪いので、買い替えようとしたら、製造年を調べて、その場で直してくれたことがある。
その時は買わないで済んだが、このことを覚えているから、その後洗濯機はここで買った。
他の買物でも、なるべくこの店を利用するようにしている。



パソコンのインクは馬鹿高い。あんなもの、4~500円でいいはずだ。
インクはお菓子が欲しいから[すみや電気]でまとめ買いをする。
おまけのお菓子がつけば、実質的に安くなる。

知り合いにも、この店を紹介している。
頑張れ「すみや電気」。
シャトレーゼ」もね。


雨・・・

2006-11-19 | 歌の翼に

昨日は真冬のような寒さだった。
今日もまた雨・・・。

家に垂れ込めて、中島みゆきを聴く。
こういう日は「雨・・・」がぴったりくる。
陰々滅々になって、精神衛生に良くないことは分かっているが、風邪で頭も身体も重い時にはこういう歌がいい。

 そうよ だましたのは私 心こわれたのは貴方
 どうせあなたも嘘つきな旅人と思ってたのよ

 裏切られた思い出にいつか覚えた氷芝居
 さみしがり屋の貴方にはそれが一番の仕打ちだった
 冷たい雨、雨、雨、雨、いまさら
 貴方がこんなに いとしい
 冷たい雨、雨、雨、雨、私を
 あの頃に連れて戻って

 生まれてはじめて会う人が貴方ならよかったけれど
 裏切られすぎて私は今さら素顔になれない

 こわれた心をかかえて貴方は優しい女に出逢う
 幸せになってゆくならなんにも言えやしないけど

この歌の伴奏にはシンセサイザーが使われている。
シンセサイザーは冨田勲が使うと厚みがあって素晴らしが、大抵の場合、人件費を節約したな、と思わせてしまう。
中島みゆきは大物歌手。贅沢な伴奏にしてもらいたいものである。

庭の嵯峨菊が雨に打たれて、倒れかかっている。


愛国心?

2006-11-19 | 床屋放談

「差異」という語句を読めず、意味が分からない若者がいた。
お蔭で、若者の職場の工場は不良品を発見出来ず、200万円近い損害を出した。
若者は、TV画面で見る限り、話し方も含めて「好青年」だ。

「整理整頓」という標語が読めず、意味が分からない工員が多いそうだ。
会社では、読み書き試験を定期的に行い、給料や昇進に反映するそうだ。
大学生の漢字の読解力は中学生並みだそうだ。

原因はパソコンやケータイの使い過ぎの由。
頷ける。

若者がキレる理由は、語彙不足が原因と言う人がいる。
森男のパソコン生活に即して考えると、全くその通りだ。
不平不満不可解不思議を相手に伝えられず、ヘルプを読んでもでも意味不明。
キレるしかない。

安倍さんはカタカナ英語が大好き。
カタカナ名前の会議が乱立している。

 アジアゲートウェイ戦略会議
 イノベーション25戦略会議
 新健康フロンティア戦略賢人会議
 再チャレンジ推進会議

なにやら、怪しげだ。
安倍さんも日本語をあまり知らないんじゃないか。
家庭教師がついて、「しっかり」お勉強したはずなのに。

それなら、英語が達者か?
森男の体験では、英語が本当に使いこなせる人は、普段は英語を使わない。
安倍さんの母国語は日本語。日本語で聞き、読み、考えて、分かり、話すはずだ。

だが、日本語をあまり知らないんでは、考えている事も大雑把のはず。
事態がこんがらかってきたら、森男のパソコン操作の時のように、キレるのではないか。
その損害は、日本語を知らない工員どころじゃない。

何よりも優先したい「教育基本法」の改正も、安倍さんが言うと怪しくなる。
「やらせ」の「タウンミーティング」は小泉時代の安倍さんも係わっていたんだから。

数学者で大道芸人、5ヶ国語を駆使出来る、ハンガリー出身のピーター・フランクルさんは、こう言う。

 「日本人が英語が苦手なのは、日本語が下手だからです」。

NHKのニュースも酷い。
上がる・下がる・止まる・揉める・不具合・介護・海岸・劇場・お菓子・果物・速度・地図・・・。
基本的な日本語が、カタカナ英語になった。

若者の語彙不足は、パソコン・ケータイだけでなく、マスコミの所為でもある。
民放は仕方が無いが、NHKには「放送命令」を出せばいい。

安倍さんは愛国心を掻き立てるのに熱心だ。
本気なんだろうか?
先ず、分かり易い日本語を習得して下さい。
愛国心はそれからだね。


秋の城西大学

2006-11-18 | 風に吹かれて

城西大学の坂戸キャンパスが美しい。
けやき(欅)の並木が、黄緑、黄、橙、茶に染まって、秋たけなわである。
学生祭りも終って、静かになった。

面白い立て看板を見つけた。

 創立者・水田三喜男 生誕百年記念 
 東京紀尾井町キャンパス 句碑
       寒椿 眼に沁む朝(あした) 予算成る

水田三喜男先生は、以前大蔵大臣だった由。
俳句が趣味だったらしいが、余程寡作だったのだろう。
この句を選んだ人のことを想像すると、愉快である。

坂戸キャンパスの学食はお奨めだ。
安くて、分量たっぷりで、旨い。
予算成る、だ。


純愛について

2006-11-18 | 重箱の隅

何故、いま純愛か?
城西大学公開講座の出席率が悪く、今年は終了証が貰えない恐れがあるからである。
後2講座残っているが、来週は分からない。
今日は朝から寒いし、風邪気味で調子が出ない。
それで、公開講座に出席した。

講師は城西短大長谷川啓教授。
どう見ても40代後半だが、ご本人によると65歳だそうだ。
元気のいいおばちゃん教授で、小柄なのに400人教室で拡声器を使わない。
後ろまで声を通す自信があるそうで、講義をしているうちに半袖になってしまった。

演題は「いま、なぜ純愛か?」だ。
ま、面白かった。

韓国映画「冬のソナタ」、日本の小説・映画「世界の中心で愛を叫ぶ」、日本の少女漫画「NANA」の詳しい筋を追いながら、日本の女性、特におばさんたちの、深層心理を解き明かして下さった。

        映画「冬のソナタ」から。

韓流、特に「冬ソナ」に始まる韓国俳優に対するおばさんたちの熱狂には、先生も始めのうちは呆れていたそうだ。
しかし、この社会現象を学問的に分析するために、韓流映画を次から次へと観ているうちに、完全に嵌ってしまった、と告白しておられる。

で、深層心理や社会的な背景についての学問的分析についてはどうだったか?
森男はどうでもいいのである。
何か、どっかで聞いたような話ばっかりだったのだ。

ただ、学者という種族は大袈裟な言い方で、素人衆を圧倒するものであるな、と感じ入りました。
例えば、配布した資料には以下のように書いてある。

(前略) 以上、韓流に関する最先端の見解をみてきたが、日本の現在の社会現象ともなっている冬ソナ・韓流ブームは、戦後初めての、もっといえば欧米型近代化の日本の出発期・明治以降初めての出来事といえよう。しかも、文化の担い手としてつねに周縁に追いやられてきた中高年の女性たちが起爆者になっていることを併せ考えると、これはやはり何かの地殻変動、もしかして根源的な問いかけ・願望の表徴ではないかと思えてくる。そしてもはや韓流ブームはすっかり定着し、日本文化と韓国文化の貴重な架け橋になりつつある。近代の開始以降日本は圧倒的な欧米文化の影響下にあったが、今、女性たちの手によって、アジアの発見、アジアの見直しという時代に入りつつあるといっても過言ではない。女性たちによる文化の改変が始まろうとしているといってもいいだろう。(後略)

どうだ! 恐れいりました。
これ以下、「世界の中心で愛を叫ぶ」、「NANA」とも、いやはや大変なモノであるな。
森男は、前者については新聞広告で分かったつもりでバカにしていた。
グーグル検索をしてみて、吃驚した。

        「NANA」から。

後者は、全く知らない漫画だった。電車の中では見るのも恥ずかしい露骨な性愛漫画でもあるそうだ。
講座出席者も、「愛を叫ぶ」くらいまではちらほら知っている人がいたが、NANAは全く知らなかった。
しかし、虚無感の揺曳、空虚な現代の縮図、アウトサイダーからの反撃、近代家族制度・学校制度から逸脱、定住民と遍歴民の中の芸能民、といった強烈な熟語による漫画の紹介には感心するばかりだった。
      
        映画「世界の中心....」から。

難しい配布資料を読んだってわけが分からない。
何はともあれ、「NANA」を本屋で立読みしてみよう。だが、物語はまだ終らずに既に16巻も出版されている。
森男は最後の純愛に憧れている。だが純愛は大変なのだ。

  上のキムチは楽天市場の金泉に注文しましょう。
     因みに、教授によれば、「冬ソナ」はキムチの匂いはしない由。

  教授のご本も買いましょう。
   「韓流 サブカルチュアと女性」  志文堂 2,500円
   「ジェンダーで読む<韓流>文化の現在」 現代書館 1,500円


吉田さんちは暖か

2006-11-17 | お節介

小川町の吉田家住宅へ行った。
見物ではなく、作業の手伝いだ。

吉田家住宅は1721年に建築された、実年代の分かる埼玉県最古の農家で、国の重要文化財だ。
全国に重要文化財の民家は数あるが、ここの特徴は生きて使われている事。
見学者は座敷や屋根裏部屋へ自由に上がれるし、囲炉裏にはいつも火が燃えている。
時々、展覧会や音楽会が開催される。
結婚披露宴が行われた事もあった。

今日は、小林三男先生の水墨画(先生は風墨画という)教室が開かれて賑わっていた。
19日からは小川町周辺の人たちの絵画展が行われる。

ここの作業で嬉しいことは、食事休憩の時間に、吉田夫妻や見学客と一緒に会話が楽しめることだ。
今日は絵画展準備の人たちと、囲炉裏で団子を焼きながら、話が弾んだ。
普段は接する事の無い人ばかりだから、面白くてためになる。
蕎麦屋の評判、見るべき県内古民家、巾着田の悪口、みつまた(三椏)の増やし方、教育委員会........等々何でもありだ。

森男の仕事は庭掃除。植木屋といきたいところだが、吉田夫妻は造り物がお嫌いで、植物は自然のままがお好きだから、掃除夫と化けるのだ。
但し以前から、家で育てた花木や山野草の苗の移植もしている。
それに、こっそり徒長枝を剪定したりする。
今日の作業は、夏から秋にかけて咲いた花の刈り取りや、徒長枝の剪定である。

何しろ広い敷地だから、相当な作業量になり、あと10日間くらいは通わなければ終らないだろう。曇り空の寒~い日だったが、身体が暖まって助かった。

吉田夫妻から助かると言われるが、体重は減るし暖房費は節約出来る。
小遣いの無駄遣いはしなくて済むし、助かるのは森男ですよ。

お奨め。
JR竹沢駅・東武竹沢駅→金勝山→吉田家→官の倉山→小川町駅(JR・東武)というハイキングはお奨めです。
低山ながら、眺望は抜群です。

お断り。
上の写真は「上勝呂倶楽部」のHPから。生きてる家だから、実際はもっとごたごたしています。
下の図面は「重要文化財 吉田家住宅」パンフから転写。


堂平山へ

2006-11-16 | 風に吹かれて


堂平山(875m)から(多分)大霧山(766m)を見る

朝、布団の中で堂平山に行こうと思った。
出発は10時。

九十九折の細い道をはらはらしながら上ったが、対向車は2~3台だった。
堂平山の眺望は素晴らしかった。
ここまで来ると、秋は盛りだ。


堂平山から麓の東秩父村を見る

頂上には元天文台がある。
関東平野が明るくなり過ぎて、天体観測が無理になり、撤退した。
真北に笠山がある。


堂平山から真北の笠山(837m) 

登ってみるか、と思ったが、「熊注意」の看板が多い。
それに、この辺の山は大きくて、準備不足を理由にして諦めた。

西方、秩父の先に、特異な山容の両神山が見えた。


長瀞の町の先に屏風のような両神山(1,723m)

白石峠、定峰峠を経由して、笠山山麓の萩平の集落を目指して、また狭い林道を上ったら、堂平山と笠山の鞍部に当る笠山峠に着いてしまった。
東に関東平野の大眺望が見事だったが、デジカメは電池切れの模様。

対向車が来ないことを祈りながら急な坂道を戻って、東秩父村役場から、萩平を目指した。
ここも細い林道の上、樹林帯を抜けるので、雪が積もったら大変な場所だ。

萩平は、高台の明るい山村だった。
初めて来たのに、懐かしい風景だ。
梅や桜の木が多く、春は桃源郷になるだろう。

[和紙の里]で蕎麦を食べた。店の人々は親切だが、蕎麦は水っぽい。
立派な施設だが、小さな村では維持するのが大変らしく、以前より隙間が目立ってきた。
もっと多くの人が利用するといい。



家に帰ったら4時だった。


九品仏から田園調布へ

2006-11-15 | 風に吹かれて

九品仏浄真寺は素晴らしい。
鄙びた侘しい寺院を予想したが、立派なのには驚いた。
先ず、参道が立派。
仁王門も立派。但し屋根が重過ぎて、いい山門とはいえない。
屋根のサイズをいいと言いはる所沢偏屈さんと、小さな論争になった。
茅葺屋根を銅板葺きにリホームする際に、ちょっと判断を誤ったのだろう。

平坦な境内に巨大な木造伽藍が四棟ある。
屋根は全て銅板葺きだが、こちらは成功している。
鐘楼が良かった。

本堂を除き、三伽藍に丈六の仏像が三体ずつ、計九体あるから九品仏。
門外漢にはどれも同じに見えるが、印の結び方に差があるらしい。

伽藍は何れも格子の曇りガラスの引き戸が付いて、僅かな透明ガラスから薄暗い堂内を覗くのでは、仏様がよく見えない。
減るものではないから、ケチケチせずに、よく拝ませて下さいな。

今年は紅葉前から落葉が始まって、広い境内は落ち葉の絨毯だ。
絨毯の上を、法事の最中らしく、締め切った本堂から吃驚するような音量で、読経が鳴り響いてくる。
お経は拡声器を通さず、地声で聞いたほうが有り難い。

入口の閻魔堂で由来書を買おうと、値段を聞いたら700円!
せいぜい200円が適当なパンフなのに、吃驚して止めた。

仏像の製作時期を尋ねたら、縁無き衆生と看做されて、「創建当時っ」とそっけない。
店番の蛸は極楽に行けないな。

参道入口脇の交番で、仁王立ちの警官に尋ねたら、奥に入って暫くして、「江戸時代始めだそうです」、と親切なお答えだ。
もっと詳しく知りたかったが、道順ならともかく、仏像に関する質問は筋違いだから、諦めて引き下がった。
田園調布への道順も、丁寧に教えて下さった。

タレントにとって、田園調布に家が建つかどうかが問題だった。
セレブの街、田園調布は東京で最も有名な高級住宅街だ。
確かに上野毛のような派手な家は少なく、敷地も広く、やんごとない雰囲気の街だ。



有名な田園調布駅に着いた。
何かヘンだ。
線路が地下に潜ってしまい、古い小さな駅舎だけが、門のように地上に残されているのだ。
駅は玩具のような古い駅舎の裏側の階段の下に、随分立派に生まれ変わっていた。
新駅の周りは、洒落た商店街。
駅広場の綺麗なパン屋の喫茶室で休憩した。
ここも気張った女性客で満席状態。
子供たちが学校から帰宅する時間なのに、自己実現に熱中している。
もしかすると可愛い子供が苛められてるなんて、夢にも思ってない幸せな人たちだ。
店の名前は、BOULANGERIE PATISSERIE MAISON KAYSER。
立派、立派。 


等々力渓谷と自由が丘

2006-11-15 | 風に吹かれて

夥しい車が轟々と疾走する環八から急坂を下りると、等々力渓谷だった。
今までの轟音が嘘のような、静かな別天地、というより渓谷だ。
紅葉前の木々は亭々と聳え、渓流の水は澄んでいる。

川底はコンクリで固めているようだが、古色を帯びて気にならない。
川岸は石で堤を築いているが、コンクリではないから、まずまずだ。
両側の高い崖下からは水が涌いている。

渓谷の細道は、どこもかしこも高嶺者だ。
名前の由来になった「轟く滝」は、二本の筧から水が落ちて、「轟く」も「滝」も大袈裟だな。



滝壷にあたるところに白衣の中年男女が水行中だった。
何か思い詰めた表情で、水に打たれていたが、衆人環視の中でよくやるよ。
この崖の上が[等々力不動尊]だった。
広くはないが、怪しげな雰囲気のある霊場らしい古寺だった。
境内は銀杏が一杯落ちて、菊花展の芳香を上回っていた。
寺には誰もいなかった。

上流に戻って、赤いゴルフ橋から日常生活に戻って、昼食にしようとしたが、雰囲気の良さそうな店は高嶺者で満席だ。
しかも、値段が1,000円を超えている。
等々力駅から、自由が丘へ行った。

お洒落な街自由が丘は、ごちゃごちゃと狭い路地の街だ。
それでも飯能の商店街よりずっとオシャレな感じだ。

深川偏屈さんが19年前に行った事のある蕎麦の[砂場]を探したが、栄枯盛衰は世の習い、見つからなかったのは、潰れてしまったのだろう。
宮本三郎記念美術館前まで、彷徨ったが見つからず、記念美術館を覗く元気も無く、踏切脇の明るく小洒落たベーグル屋にやむを得ずに入った。

偏屈三人組は明らかに場違いの闖入者だった。
華やかな女性客の中の鼠色3点。

流行のベークルを二つにカットし、生ハムとスライスオニオンとケチャップを挟み、レタスのサラダが付く定食の名前は忘れた。
不思議な味の黄色の濃いポータージュに、コーヒーゼリーが申し訳無さそうに皿に載って、ちまちまと鸚鵡の餌のような綺麗な定食だ。



腹が減って卒倒しそうな三人組にも、大変美味しく頂けました。
お勘定は995円。ドリンクのラテカフェを入れてだから、蕎麦より安いかも知れない。
消化が悪いらしく、腹持ちも良かった。

店の名前は、JUNOESQE BAGEL CAFE 自由が丘店。
読み方、意味を綺麗な店員さんに尋ねたが、電車が轟音を上げて通ったので、聞き漏らしてしまった。
難聴と思われたくないし、注文の際メニューの名前をしつこく聞き直していたのでね。
雰囲気壊して御免なさいよ。

電車の線路沿いに九品仏駅に向かった。


五島美術館・特別展

2006-11-14 | 色めがね

以前から行きたかった世田谷区上野毛の[五島美術館]へ行った。
特別展「鎌倉円覚寺の名宝展」の招待券を、母の法事の時に円覚寺から頂いたからだ。
いつもの偏屈三人組で出かけた。

鬱蒼とした森の中に寝殿造り風の立派な美術館があった。
特別展は、予想どおり大したことは無かった。
もともと円覚寺は禅宗の寺院である上、関東大震災で壊滅的な被害を受けたので、「名宝」があるわけないのだ。

重要文化財の「仏光国師坐像」を中心に、染織品や書が展示され、平べったい展覧会だ。
ま、よく見れば作られた当時はさぞかし綺麗なものだったろうが、720年を経て、滲みや汚れが目立ち、ぼろぼろになったものまであって、「名品」かねぇ。
国師坐像は小さいながらも、なかなか迫力はあった。

無料で入館したのだが、正規の1,000円は高い。
しかし、地味な展覧会にも拘らず、大型バスの団体客もおり、結構賑わっていたのは、美術館の魅力か総本山円覚寺の動員力か?

あまり手入はされていないが、段差を生かした庭園がよかった。
あちこちに石仏・石灯篭・道祖神が多い。多すぎるほどだ。
東急が各地を乱開発して、持って行き場が無かったものを、捨てるわけにもゆかず、庭園に設置したのだろう。

庭園内で偶然逢った裕福そうな老紳士が、たまたま東急OBだったので、鎌をかけてみたら、あっさり認めてくれた。
見晴らしのいい東屋で、戦後の混乱期や東急の発展過程を話しあって、暫くの間、楽しい時間を過ごした。
偏屈三人組は「よいしょ」も上手いから、ご老人をたらしこむのが得意だ。

美術館は入館済みなので、手持ちの[鎌倉文学館]の「芥川龍之介の鎌倉」展の招待券を差し上げた。
これも円覚寺から頂いたものだ。

美術館の周囲に、東急創業家一族の邸宅がある。
それぞれ大変立派な家屋だが、敷地は狭い。
周辺の旧地主と思える大邸宅に較べると、大したことはない。

だが、「強盗(五島)慶太」は美術館を遺し、ライバルだった西武の「ピストル堤」は、自分の巨大な墳墓を鎌倉に遺した。
五島家一族は、広くもない敷地に未だに立派な邸宅を維持している。
堤一族は会社名義の広大な家屋敷から追放され、株券の遺産相続係争中だ。

上野毛は豪邸が揃っていて、見物散歩にいい。
それぞれが派手に自己主張していて面白い。
三人で一軒ずつ批評しながら歩いた。
ここは成金の街ではないか。

そのまま歩いて、等々力渓谷へ向かった。


イパネマの爺さん婆さん

2006-11-13 | 歌の翼に



ボサノバの神様、ジョアン・ジルベルト(75歳)が来日している。

NHKによると、舞台で20分も凍り付いて、裏方の肝を冷やさせたり、開演に1時間も遅刻したりしてもなお、お客は大喜び。
「一流」の音楽家は我侭だからねぇ。

ジョアン・ジルベルトはボサノバを創り出した。
「イパネマに娘」?、という面白い記事が朝日に出ていた(11/11朝刊)。
神様ジルベルトさん、実は2年前こっそり、ファンに女の子を産ませたそうだ。
TVではよれよれだったが、お盛んで何よりです。

ボサノバの名曲はアントニオ・カルロス・ジョビン作曲の「イパネマの娘」だ。
多くの歌手が歌っている。
夫人のアストラッド・ジルベルトやラナ・レオンなど、ボサノバ歌手は投げやりな歌い方が気に入らない。
ヘレン・メリルは、声も雰囲気も悪くはないが、一寸理性的過ぎる。
一番は「歌う通訳」カテリーナ・バレンテだ。

この歌は、こっちへやって来るトッポイ娘を男が見つめている歌詞だが、女性歌手が歌う時は、娘がBOYに変わる。
カテリーナ・バレンテは、ティンティキティンポンポコピン、とスキャットを多用しながら、BOYについてウットリ歌った。

もう40年も昔になったが、あの頃の彼女は既に立派なオバサンだった。
そのオバサンがリオの海岸で、若い燕を物色してたら、いい男が来た!、といった感じで、

  Aah!.......。(日本語では、アハンで、カテリーナが一番です)。

色っぽくて、婀娜っぽくて、見事なもんでしたよ。

 Tall and tan and young and handsome
  The boy from Ipanema goes walking
  And when he passes, each girl he passes goes "Aah!"
  When he waiks he's like a samba
  That swings so cool and sways so gentle
  And when he passes, each girl he passes goes "Aah!"
  Oh, but I watched him so sadly
  How can I tell him I love him
  Yes, I would give my heart gladly
  But each day when he walks to sea
  He looks straight ahead, not at me.

 Tall and tan and young and handsome
  The boy from Ipanema goes walking
  And when he passes, I smile, but he dowsn't see. 

  Doesn't see, he doesn't see
  He doesn't see, he doesn't see.

でも、ダメだったみたいね。
シカトされちゃった。he doesn't see だよ。

森男ならジルベルト爺さんのようなことには絶対ならない。口惜しいっ。
だから、バレンテおばさんでも、see her して、ティンティキティンポンポコピンなのにね。

若い奴は他人の痛みが分からない。ブラジルと同じだ。
安倍さん、教育お願いしますよ。

カテリーナ婆さんは今、どうしてるだろうか?


▲左はカテリーナ・バレンテのボサノバ集
右はイパネマの娘の作曲家A・C・ジョビンの自作自演集▲


紅葉は秩父から

2006-11-12 | 高麗便り


             多峰主山から西方。奥多摩・秩父方面。右端は武甲山▲

昨日は一日中冷たい雨が降った。
今朝は、風が強いが快晴だ。天気が良ければ、毎日山歩きをする。

多峰主山のいつもの登山口は猪が耕してしまって泥濘になっている。
西武鉄道の操車場を抜けて、能仁寺から北尾根伝いの山道を、多峰主山を目指した。

西武が団地やゴルフ場や操車場を建設するために、山道が大分無くなってしまった。

    西武操車場。右日和田山、左高指山。

多峰主山の頂上は相変わらずの賑わいだ。
猛烈な北風で、木々の葉っぱが裏返しになっている。
西方の秩父や奥多摩の山岳地帯は、ようやく色づいてきた。

薄着の背中は汗。
手袋をしてない手は冷え切ってきた。
北方の上越の山岳地帯は雪かもしれない。

東方の関東平野の彼方に、筑波山の双耳峰が見えた。
この強風は凩1号だった。


                  多峰主山東方。関東平野の先に筑波山▲


アマゾンを泳ぐ

2006-11-12 | じゃじゃ馬馴らし

喧嘩腰のコメントを送ってしまった所為か、案外早くアマゾンから返事が来た。
やはり森男がアマゾンの仕組みを十分に研究しないままネット通販を利用したのがいけなかった。

同じものが2個届いたのは、森男が結果的に2回同じものを注文したからだ。
小さい枡の中に、色々入力するのが面倒で、「1-Clickで今すぐ買う」をクリックしたのがまずかった。

どこのネット通販も、注文すると直ちにメールで受注確認が送信されるが、この場合90分過ぎないと受注確認メールを出さないそうだ。
それを知らないから、直ぐまた「注文し直した」のだ。
このボタンの下に、「受注確認メールの送信は90分後になります」と明記すべきだろう。

番地が入らなかったのは、枡を変えなかったからのようだ。
始めの枡の中に住所が全部1行で入るが、番地は下の枡に入れなければいけないようだ。
だったら、「1.2.」ではなく、「1.市町村の名前」・「2.番地」と明記すべきだろう。

全体に、この業界の人たちは、自己中心的だと思う。
森男も自己中心的だが、お客だから当然だろう。
この業界はお客の都合や、行動心理に気配りしていない。会社の都合を優先している。
会社に「大人(おとな)」がいないのだ。

画面の日本語が不適切で、分かり難い。
「1-Clickで今すぐ買う」ではなくて、「いろいろまとめて買う」が正しいのではないか。
記入する枡も小さくて、「高嶺者」には向いていない。
「簡単・簡単」と言ってるが、複雑怪奇である。

全体にこの業界は、問合せや苦情を受け付けないように、高い障壁を築いている。
お客に問合せを分類整理させ、窓口を盥回しする。
アマゾンの場合は、社内・宅配業者・クレジット会社だけだからまだいいが、NTTでは参った。
NTTの本社・出先の営業所、似たような関連子会社、下請け会社を盥回しするから、わけが分からなくなる。
今使っているパソコンに買い換えた時に、富士通に問合せしたら盥回しされた。
すれっからしの窓口を諦めて、お公家さん集団の企画室や秘書室を探し出して、質問したら、営業に指示が行き、泡食って向こうから電話をかけて来たことがあった。

森男が営業をやっていた頃は、問合せや苦情を盥回しすることは厳禁されていた。
お客の怒りや不信感に火を注ぐからだ。
関連各部門を代表してお客に回答し、問題解決に当るのは大変な作業だったが、それで業務知識が着き、視野が広くなったつもりだ。

今回の2重注文は、「今回に限って全額返金する」そうだ。
何回も「今回限り」と強調している。
だが、森男にとって全額返金は当然のことだ。
あとは、カード引落、返金処理を見守ろう。

予想より早く回答が来たのは有り難い。
カード引落を前提に、電光石火の商品発送をするアマゾンだからかもしれない。
NTTより、何層倍も良いことだ。
今後の冒険を楽しみにまた1冊、書籍を注文したところだ。

不思議なことだが、「筆ぐるめVer.14」の「マニュアル本」だけを注文したら、自動的に「CD+DVD」も注文した事になっている。
ソフト本体を注文したら、大幅優待価格の書籍が組み合わされるなら理解出来ないでもない。
しかし、書籍を注文したら本体が自動的に組み合わされるのは行き過ぎだ。
本は1,050円なのに、合計金額がが5,000円を超えているので気付き、修正した。
危うく「筆ぐるめ」3個目の注文になってしまうところだった。
筆ぐるめがいくら美味くったって、ナンボなんでも食い過ぎだよな。
アマゾン河には油断ならぬ流れがある。

買物は楽しく安心してするものだと思っていた。
だが、ネット通販は暗黒街に覚醒剤を買いに行くようなものだ。
あちこちに危険な罠が待ち構えている。

少しは利口になった。
これからは大河アマゾンを上手く泳げるだろう。