「九月の言葉」 ....... 堀口大學
九月、明るい夏のをはり。九月、しとやかな秋のはじめ。
九月、美しい休暇のはて。九月、新しい学期のはじめ。
九月、季節の移り変り。九月、移り変りの季節。
九月、閉された別荘の窓。九月、色褪せた海水着の縞目。
九月、遊びすごした天使。九月、蹠(あなうら)を焼かない砂浜。
九月、もう一度ふりかへる地平線-今日は舟さへ出てゐない。
九月、はしりの秋風。九月、満ち足りた頼りなさ。
九月、のび過ぎた芝生。九月、動かないぶらんこ。
九月、潮風の肌じとり。九月、都心へのノスタルジー。
九月、避暑地の友情のをはり。九月、また一つの思ひ出の数。
九月、九月、九月、日焦の手足の後始末.......。
9月は堀口大學のこの詩がピッタリですね。
少し色っぽく、ちょっとけだるく、そして懐かしい。
この詩は、逗子・葉山海岸の情景を思い出させる。
逗子・葉山は、湿り気が多い鎌倉や、埃っぽい片瀬・鵠沼海岸とも違っていた。
高校生の頃、自転車で鎌倉・逗子・葉山を通り、城ヶ島まで日帰りしたことがあった。
あの頃はガリガリに痩せていた。
尾てい骨の辺りが擦り剥け、暫くの間、沁みたのが森生の「思ひ出」。
いま住むところは、関東平野の西の果て。ここから山地。
思えば遠くへ来たもんだ.......。
逗子葉山は店が増え便利になったらしいが、騒々しくなってしまっただろう。
だから「九月の言葉」で懐かしむだけでいい。
そして、堀口大學の決定版です▼
わたしの耳は貝の殻 海の響きをなつかしむ
絵は森生が描きました。
貝の殻の原詩はジャン・コクトーです。
よろしければ過去記事「セーラー服」もどうぞ。
070901
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます