雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

片山義美を偲ぶ会 で出会った人たち

2020-02-02 09:12:58 | M/Cレース

★ 昨日は『片山義美を偲ぶ会』が神戸のポートピアホテルで盛大に開催された。

   

 
日本の昭和のレース界を支えた方たちが170人も集まって大成功だった。
 沢山の写真を撮って頂いたのでご紹介しよう。

 
この会の発起人の方々、宇野順一郎さんの幕開けのご挨拶である。
小嶋松久・寺田陽次郎・山本隆・星野一義・坂口顕・吉村太一・村上力・清原明彦という錚々たる昭和のライダーたちである。

 


星野一義、大槻幸雄、吉田純一、山本隆、杉本五十洋さんなどカワサキ関係者と大久保力さんも、大久保さんはカワサキの創生期の頃、モータ―サイクリストのロードインプレッションによく明石にお越しになって、そんな頃からのお付き合いである




 会が始まる前に、あの北野元さんにお会いした。
 お話するのは初めてである。
 星野に紹介して頂いた。
 


片山義美を偲んで想い出話を披露されているのは、本橋明泰さん。
かって、カワサキの創生期、125B7の時代に三吉一行などと一緒に、カワサキのモトクロッサーに乗ったことがあるとか。
 当時の井出哲也さんのお名前が出たりして懐かしかった。

  



 大槻幸雄さん出席されていて、かってのカワサキのライダーたちと。



 北川圭一はFacebook ではしょっちゅうお会いしているのだが、久しぶりだった。
 真ん中はいまもカワサキの現役ぱりぱり・桐野英子さんである。
 


 星野がやってきて、大槻さんと長い間、話をしていた。
星野にとっては『カワサキ時代』が一番懐かしいのかも知れない。





 星野一義と山本隆。
 星野のカワサキ時代のお師匠さんが 山本隆なのである。



吉田純一さんとのスリーショット。
純ちゃん、今は超有名人だが、かってのカワサキ時代は神戸スーパースポーツの平井稔男さん門下で、バイクもレースもやっていたとか。




 星野と清原、お二人とも神戸木の実クラブのメンバーなのである。






 会場にはこんな写真や山本隆のロードレース入賞トロフィーなども飾られた。

 左は神戸木の実クラブの解散会の時、右はカワサキのレースライダーのOB会に片山義美が出席しているのである。





後列右から5人目が片山義美さんである。
髙橋鐵郎・田崎雅元・大槻幸雄・平井稔男さんなどかってのカワサキのレース関係者も・・・
2010年1月だったから、ちょうど10年前なのだが、何人かの方が逝かれてしまった。
 


写真は撮れていないけどいろんな有名人と再会してお話が出来た。

小嶋松久・吉村太一さんとはマウンテンライダース50周年記念パーテー以来かも知れない。
鈴木忠さんとは彼がまだ野口種晴さんのスポーツライダースの新人時代の時の話や、札幌の手稲の全日本の優勝の時の懐かしい話など、2番・3番が山本隆・星野一義だったのである。

 かっての城北ライダースの菅家安智さんもわざわざ私の席まで訪ねて頂いてお話が出来た。 久保和夫さんとは何故か親しくして頂いて、今でも甥っ子の久保 亨さんとはFacebook で繋がっているのだが、そんなお名前も出たりした。


この会の発起人代表の宇野順一郎さんとは、三木のモトクロス場でお会いして以来だったが、かってカワサキのヘリコプターに載せて貰ったことがあるなどと仰っていた。
当時のカワサキのレースチームはヘリコプタを持っていて、レース場にもヘリを持って行ったりしていた。 みんなびっくりされるが当時の中古の下取りのヘリコプターで簿価は200万円ぐらいだったから持てたのである。


★片山義美さんとは直接カワサキとは契約関係などはなかったのだが、神戸だったし『神戸木の実クラブ』の傘下のライダーたちがカワサキとの契約があった関係などもあって、非常に親しくお付き合いをさせて頂いたのである。

 この会の席上で当時はカワサキのGPマシンの開発に当たっておられた大槻幸雄さんが岐阜の飛行場で片山さんにカワサキのGPマシンに乗って貰ったというような話もなさっていたが、そんな時代もあったのである。

私も知らなかったが、片山義美さんは三木のご出身なのである。
そんなことで晩年は三木にお店を持たれていたし、今も息子さんの片山勝美さんが
Katayama Racing をそのまま引き継がれているようなのである。

片山さんのお蔭で昔の懐かしい方たちにお会いできて本当にいいひとときだった。
まずは、とりあえずご一報である。

 
 

 

 

コメント
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