「世界遺産航路」という恐れ多い名前だから、すっごい船が来るのかと思ったら、こんなちっちゃな船だった。海から河に入り、橋下などをくぐるからこのくらいの大きさの船じゃないといけないらしい。
一気に内海を横切り、あっという間に広島市内に入り、原爆ドーム横の桟橋に到着した。
広島平和記念資料館と慰霊碑
ヒロシマの事実は、やはり重かった。65年前のあの戦争は何のためだったんだろう。核保有国の保有数の地図を見ていると、子どもがブロックの取り合いをしている姿が重なった。ブロックの中には、種類のないものが数個あり、それを獲得しようとけんかが起こる。みんなが持っているものはいらないのだ。だけどそれを手に入れてもどうってことはない。手に入れるだけで満足し、傍らに置いて遊ぼうとしない。だから、取れなかった子が、また虎視眈々とそれを狙う。そして奪い取られると、またまたけんかが起こる。復讐の連鎖だね。「遊んでないならかしてあげてもいいでしょ」と言っても子どもは、「僕が先に使ってたんだもん、何々ちゃんがとったんだもん、だから僕は悪くないんだもん」と言い張る。原爆投下後のトルーマン大統領の言動もこれと似ている。
核の脅威のために、より強力な核を開発し持とうする。なんでやねん?単純に突っ込みたくなる。そして、絶対、使ってはいけないとわかってながら、“試しに”使ってみたくなる。みんなの言うこと聞かないから見せしめだという正統性な理由をつけて。世の中の政治たるものは、もっと高尚であるべきでしょ。人々の幸せを願うものでしょ。こんな幼児性が根底にあること自体信じられない。みんなで手離せばいいだけじゃん。戦争という狂気は簡単なことが見えなくなってしまう。その結果、一瞬のうちに炎に焼かれたヒロシマでは、“むごい別れ”が何十万とあり、長い苦しみが続いたのだ。遺品たちは無言で訴える。二度と、こういうことはあってはならないと。
資料館は、外国人観光客で混雑していた。外国の若者が、ヒロシマの事実を知ろうとしている。我々も、自国の歴史をもっと受け止めなきゃいけない。8月6日の8時15分に黙とうを捧げるだけじゃいけない。ヒロシマには世界に訴えるべき確固たる理由があった。
大阪に戻ったら、ちょうどドラマシティー前の映画館で「
キャタピラー」が上映されていた。戦争で負傷して帰還し、“軍神様”と奉られた夫は、四肢がなく、食欲と性欲だけが旺盛な肉の塊なっていた…。怒りの持って行き場がない妻は、“軍神”の妻として人々からあがめられることでどうにかバランスを保とうとする。全てお国のためという名目のもとに。でも、実際は、こんな体で戻ってきてほしくはなかった。体の自由が利かず、自分の意志で行動できない夫も、やがて殺戮やレイプの経験がフラッシュバックし精神が錯乱していく。
この映画も反戦映画だった。ヒロシマ以外でもむごい現実が日本全国にあったのだと。
東京大空襲 死者10万人
広島原爆投下 死者14万人
長崎原爆投下 死者7万人
字幕にはじめちとせの“わすれんなよ~”という歌声がかぶる。
暑い夏、65年前の“戦争”に触れた旅。次世代にこの事実を伝え、考えていかなきゃいけない…。