くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

梅田の夜

2010年09月13日 | 旅行
♪ 大阪には上手いもんがいっぱりあるんやで~
  たこやき、ぎょうざ、お好み焼き
  ぶたまん ♪

子どもとやる手遊びにこんなのがある。やっぱり、お好み焼きは食べなくっちゃ~。



MBS前の通り、夏でもイルミネーションがつくのね、きれいだった。
しかし、暑い。大阪の街は、新宿と銀座が一緒になっているみたい。駅に向かって歩きながらお好み焼き屋さんを探す。ネギ焼きが売りのお店は若者で行列している。並ぶ意欲はないから、さらに歩いて、なんとか横町みたいなところに入ったら、もう一軒あった。あいていたから迷わず入った。おすすめをきくとやっぱりネギ焼きということで素直に注文。



う~ん、これは、ビールが進んじゃう~。おいしかったけど、大きさの割には、なかなかいいお値段でした~。
さて、ホテルに戻って、割引券があったから、バーに行っちゃった。



柿のカクテル、上手い!実は、この年になって、バー初体験。イケメンのバーテンダーさんがシャカシャカとシェイカーを振っている。お隣の仕事帰りという美容師さんのマダムに声をかけてもらった。この方、バーマニア?らしく、お酒にも詳しそう。カクテルはグラスに表面張力の限界までなみなみ~と継いでもらって、それをこぼさずに飲むのがだいご味だとか。なんだか、素敵!私も、オリジナルカクテルを作ってもらって、なみなみ~とついでもらっちゃった。行きつけのバーがあるってかっこいい。だけど、私の通勤範囲には、あんまりないんだよなあ。今度探してみようっと。

疲れた~

2010年09月13日 | 旅行
宮島、平和公園を経て、大阪に戻ったからどっと疲れた。一日目は、広島泊にすれば良かったのにね。どうも、詰めが甘い私。
あくる日は梅田界隈をうろうろしロフトで癒しグッズを買った。



入浴剤とパックとハーブティー♪
クーラーが効いたお部屋で、ゆ~っくり疲れを癒しましたわ~。

怒涛の広島路~その2~

2010年09月13日 | 旅行
「世界遺産航路」という恐れ多い名前だから、すっごい船が来るのかと思ったら、こんなちっちゃな船だった。海から河に入り、橋下などをくぐるからこのくらいの大きさの船じゃないといけないらしい。

   

一気に内海を横切り、あっという間に広島市内に入り、原爆ドーム横の桟橋に到着した。

 

広島平和記念資料館と慰霊碑

ヒロシマの事実は、やはり重かった。65年前のあの戦争は何のためだったんだろう。核保有国の保有数の地図を見ていると、子どもがブロックの取り合いをしている姿が重なった。ブロックの中には、種類のないものが数個あり、それを獲得しようとけんかが起こる。みんなが持っているものはいらないのだ。だけどそれを手に入れてもどうってことはない。手に入れるだけで満足し、傍らに置いて遊ぼうとしない。だから、取れなかった子が、また虎視眈々とそれを狙う。そして奪い取られると、またまたけんかが起こる。復讐の連鎖だね。「遊んでないならかしてあげてもいいでしょ」と言っても子どもは、「僕が先に使ってたんだもん、何々ちゃんがとったんだもん、だから僕は悪くないんだもん」と言い張る。原爆投下後のトルーマン大統領の言動もこれと似ている。

核の脅威のために、より強力な核を開発し持とうする。なんでやねん?単純に突っ込みたくなる。そして、絶対、使ってはいけないとわかってながら、“試しに”使ってみたくなる。みんなの言うこと聞かないから見せしめだという正統性な理由をつけて。世の中の政治たるものは、もっと高尚であるべきでしょ。人々の幸せを願うものでしょ。こんな幼児性が根底にあること自体信じられない。みんなで手離せばいいだけじゃん。戦争という狂気は簡単なことが見えなくなってしまう。その結果、一瞬のうちに炎に焼かれたヒロシマでは、“むごい別れ”が何十万とあり、長い苦しみが続いたのだ。遺品たちは無言で訴える。二度と、こういうことはあってはならないと。

資料館は、外国人観光客で混雑していた。外国の若者が、ヒロシマの事実を知ろうとしている。我々も、自国の歴史をもっと受け止めなきゃいけない。8月6日の8時15分に黙とうを捧げるだけじゃいけない。ヒロシマには世界に訴えるべき確固たる理由があった。

大阪に戻ったら、ちょうどドラマシティー前の映画館で「キャタピラー」が上映されていた。戦争で負傷して帰還し、“軍神様”と奉られた夫は、四肢がなく、食欲と性欲だけが旺盛な肉の塊なっていた…。怒りの持って行き場がない妻は、“軍神”の妻として人々からあがめられることでどうにかバランスを保とうとする。全てお国のためという名目のもとに。でも、実際は、こんな体で戻ってきてほしくはなかった。体の自由が利かず、自分の意志で行動できない夫も、やがて殺戮やレイプの経験がフラッシュバックし精神が錯乱していく。

この映画も反戦映画だった。ヒロシマ以外でもむごい現実が日本全国にあったのだと。

東京大空襲 死者10万人
広島原爆投下 死者14万人
長崎原爆投下 死者7万人

字幕にはじめちとせの“わすれんなよ~”という歌声がかぶる。

暑い夏、65年前の“戦争”に触れた旅。次世代にこの事実を伝え、考えていかなきゃいけない…。


怒涛の広島路~その1~

2010年09月13日 | 旅行
広島へ行きたいと、突如、思い立った。きっかけは井上ひさし作「父と暮らせば」というお芝居を観たことだ。原爆を扱った内容で、胸の奥が苦しくなった。そういえば、私は、未だ、ヒロシマを知らない。小学生の頃、先生から、原爆資料館は一度は観ておくべきだと言われた記憶を引きずりつつ、訪れるチャンスがなかった。今回、「黙阿弥オペラ」大阪公演に行く機会を捉え、広島にも行こうと思った。なんか、井上さんに呼ばれちゃった気がする。で、どうせ行くのだから、宮島にも足を延ばすことにした。貧乏性の欲張りツアーだね。早起きをして頑張った。

広島空港からリムジンバスで45分、広島駅で荷物を預け、タクシーで広島港へ向かう。「国道2号」の標識が目に入る。そうか、東海道五十三次の向こうだから2号になるのかあ。この路は、家の前の1号線からの続きなのかと思うとなんか嬉しかった。快晴の広島港、今日は大潮で満潮らしい。初めて見る瀬戸内の海は濃い青に輝いていた。

 

高速船に乗っていざ、出発!こんなに気持ちがいい海は、20代の時に行った小笠原やハワイ以来だ。わずか22分、お昼前に宮島桟橋に到着した。

  

島内には放し飼いの鹿さんがたくさん!修学旅行で行った奈良を思い出した。暑い日差しの中歩いて行くと…、海の中に大鳥居が出現した。

        

壮大だ、ひたすら壮大な景色。よくこんなところに、神社を建てたなあ。海水で木が腐ったりしないのかな。管理が大変そうだ~。
圧倒されながらシャッターを切りまくった。来て良かった~。

おみくじを引いたら凶が出てちょっとショック…。素直に戒めととって、丁重に結んできた。
さ、腹がすいては戦は出来ぬ、お昼御飯にしようっと。

 

お目当てのあなご飯~。旧家を改築したお店でゆっくり頂いた。程良い、焼き加減が美味~。
このお店、なぜか、バッハのピアノ曲が流れていて不思議な雰囲気だった。

島っていいなあ。もっとゆっくり来ればよかったと思いつつ、急ぎ足で、世界遺産航路に乗り、第一目的の平和公園を目指す。


富士山

2010年09月13日 | 旅行
♪頭を雲の上に出し
 四方の山を見下ろして
 雷様を下に聞き
 富士は日本一の山♪



そんな富士山を見下ろしているなんて、ちょっと恐れ多かった。

曇り空の羽田空港、離陸したら上空はまっ晴れで、夏の日射しが輝いている。
夏の富士山は、雪もなく濃い深緑。ひっくり返した御茶碗の様に、雲からひょっこり頭を出している。
広島まで小一時間、世界は狭くなったもんだ。

黙阿弥オペラ~大千秋楽~

2010年09月13日 | 藤原竜也

頭から力が入っていて、役者陣の集中力が感じられる。途中、おとらばあさんが暴走して笑いをとる。食い逃げをしようとる円八と、おせんの泣き声の間で右往左往するところで、何度も往復してへたりこむ。息を切らせているところに、新七が「大丈夫ですか?」とすかさずフォローするが、不思議と違和感がない。登場人物の関係がそのまま役者達の関係になっていて、いいチームワークだなあと改めて思った。

第二幕、五章「ピアノ」では、井上ひさしさんの言葉が丸ごと投げかけらる。新七の怒りが、鋼太郎さんの気迫がびんびんと伝わってきて、受け取るのがずしんと重たい程だった。この章には、心に屈託を抱える御見物衆、そんな御見物衆によって力が宿る桟敷、国民がいない政治、脳みそを使ってないこと、いい加減に始めたことは後から痛みがくること云々、演劇から政治まで今の世の中にもあてはまることがたくさん含まれていて、観るたびに頷かされてしまう。物語の主題がここに集約されている。しかし、今日の、鋼太郎さんは凄かった。

新七に比べると、五郎蔵はかなり複雑だ。妻に先立たれ、娘を殺され、挙句の果てに、無実の罪で島送りにもなるという波乱万丈さだ。きっと、幾度となく、涙にくれ死を考えたことだろう。だけど、へこたれず、国が変わろうとも、時流に乗り、振り落とされても立ち上がる。チャンスがくると後先考えずに乗って痛いしっぺ返しを食らうを繰り返す。何度も、「ちっきしょう!」と言いながらも、「いよっ、一別以来だねぇ」と明るく出てくる。悪を含みながらも、お調子者でどこか憎めない五郎蔵が、愚かだけど愛おしい。やっかいだけど放っておけないのだ。竜也くんの中に五郎蔵を見たという井上さんは、人間の本質を見抜く力があったんだね。五郎蔵によって、ある意味、素の“藤原竜也”が暴かれた感さえある。例のカテコの件だって五郎蔵そのものだものね。だから、“この役”は演じられるようにならなきゃいけないのかもよ。

新七の言葉を借りれば…
桟敷に宿る力、全ての拠り所になるような力、その力が全てをさばくんです、作者を、役者を座元を、そして、ひょっとしたら御見物衆そのものをもね。
裁かれているのよね、君も、そして私たちも。

で、大楽のカテコは、東京公演での教訓が生かされてか、とても気持がよいものになっていた。竜也くん、鋼太郎さんの指示に従って、井上ひさしさんの遺影を持ってきたり、高く掲げたり、有起哉くんが手を振れば、真似て手を振ったりと至って謙虚で、借りてきた猫の様。役者というのは、ある意味、危険でやんちゃな部分があるから面白いのかもしれないけど、世界を目指すのだったら、もっと人間性も豊かになって欲しい。渡辺謙さんだって、真田広之さんだって、とっても紳士でしょ。日頃、やんちゃしている、鋼太郎さんや唐沢さんだってしかりよ。

10年後の五郎蔵に会えることを願って…。