Reiko's Travel by Camping Car

2004年4月に退職して以来亭主と二人ヨーロッパの国々をキャンピングカーで旅行している、英国在住40年の主婦です。

東ヨーロッパの旅 59 デン・ハーグ

2011-08-29 07:47:39 | 旅行



オランダで一番行きたかったところがハーグ、ここのマウリッツハイス美術館のフェルメールの絵が目当てで他はおまけ。

キャンプサイトにフリーのWifiが在り何としても今までのブログを送りたいと思った。
Wifi はキャンプサイトのレストランと洗濯室の周りしか使えない。昨夜はキャンパーから150メータくらい離れた洗濯室の外のベンチでブログを送っていた。その間二度も激しい稲光と雷雨で、軒下の雨にはうたれないが、不気味な眺めだった。

今朝も突然のにわか雨で、天気は一向に落ち着かず、キャンプサイトから歩いて15分のバス停へと出かけた。キャンプサイトの入り口で、オランダ人夫妻がハーグに行くのなら乗りなさいと彼らの乗用車に誘ってくれ大喜びした。



ハーグの中央駅の近くから歩いてマウリッツハイス美術館へ向かう。またもやにわか雨。
美術館の前には私が一番見たいフェルメールの”真珠の耳飾の少女”(地球の歩き方では青いターバンの少女)が看板になっている。

ドイツの美術館は日曜日は只だし、フラッシュ無しの写真可でとってもうれしいが、ここオランダは美術館の値段は高い。それに65歳以上の割引もないし写真はどこもだめ、それでもここだけは一番来たかった。二人で21ユーロを払って入場、日本語の音声ガイドを借りて2時間あまり心行くまで楽しんだ。
ここにはルーベンス、レンブラントや15,6世紀からのオランダの画家の絵が目白押しだけれどフェルメールの絵が3枚もある。特に有名な”デルフトの眺望”と ”真珠の耳飾の少女”の絵は忘れがたい。

真珠の・・・のほうはアメリカ人の女性作家により絵をベースにしたフェルメールの生活を想像してストーリーにしたものでよく出来ていた。そのストーリーから映画が作られた。16-7世紀のデルフトの生活を描き画面は絵を見ているようにきれいだが、フェルメール自身の性格などがあまり知られていないせいか、モデルの少女が誰かわからないせいか、いまいちの感じだった。
やっぱり本物の絵は素晴らしい。おかげで今日一日を心豊かに過ごすことが出来た。





ここハーグで初めて運河の無い市街地を歩き回った。美術館の裏側は続きがビネンホフと呼ばれる国会議事堂や、総理府、外務省などがあり裏の池の反対から見る優雅な宮殿がお役所だとは思えない。







池の近くの公園では日曜骨董市が開かれていて、雨の合間に人々は楽しんでいる様子だった。高級ブッティックの並ぶノーデインデ・ストリートはベアトリック女王がショッピングをされるという。その通りにはノーデインデ宮殿があった。








宮殿の裏側のストリートに子供たちが遊ぶきれいな公園があり、雨上がりの緑が映る池で、鷺が一羽鋭い目つきで池の魚を狙っている。






日曜日の午後5時近くいうのに、どこからこれほど湧いて出てきたかと思うほどたくさんの人たちが通りにあふれ、そのほとんどの人たちが中近東の人たちみたいだった。
チャイナタウンのゲートまで来たが帰りのバスが心配で行けずじまい。





キャンプサイトの後ろがレースコースになっていて(この夕まで知らなかった)チャリオット・レースをやっていた。ゴールが遠くの方でアナウンサーが興奮した声で叫んでいるのが響いてきた。
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東ヨーロッパの旅 58 ライデン 

2011-08-29 07:35:29 | 旅行



このところ毎日雨が降って寒い。これというのも英国へ近づいたせいかと思う。天気予報を見ると英国の気温は10度近く、これがまだ8月だとはあんまりだ。

朝10時過ぎキャンプサイトを出てライデンの郊外のキャンプサイトへ向かった。オランダのキャンプサイトは海岸に集中していてあまり町の近辺には無い。このアムステルダムのサイトが電車の終点地の近くにあってこれはまれなことだ。バスに乗って中心地へ行けるところはまだありがたいくらいだ。





ライデンのサイトはバスもないような片田舎で、11時には着いたが連日の雨で、サイトがぬかるんでだめと断られた。
仕方が無いから、ライデンの町の中心地を目指し、ラッキーなことに大きな駐車場にキャンパーを停めることが出来た。








ライデンの町も、アムステルダムやハーレムの町と同じく、運河が縦横に走り巨大な風車と跳ね橋などオランダの風景そのもの。

この町の国立民族博物館(Rijksmuseum Voor Volkenkunde)にシーボルトが日本から持ち帰った江戸末期の民芸品や工芸品があるとのことで、ぜひこれらが見たかった。
街角にRijksmuseum のサインを見つけ土砂降りの雨の中を200メータほど歩いてたどり着き、すぐチケットを購入した。
ぬれた傘やバッグをロッカーに入れて、受付の女性に日本の展示場は何階かと聞くと、ここには日本のものはないという。地球の歩き方を見せるとここは国立古代博物館(Rijksmuseum Van Oudhaden)でエジプト、ローマ、ギリシャ、の古代の遺物を展示しているといわれて、がっかり。駐車時間も後一時間20分ほど。
近くにシーボルトハウスがあると聞き購入したチケットを返し返金してもらった。





運河をはさんだ向かいのシーボルトハウスは、4階建ての立派な一軒家で江戸末期、長崎の出島でオランダ政府から派遣されていたシーボルトが、帰国後この地に居を構え25,000点に上るコレクションを展示、又オランダ政府に売却したものである。

シーボルトはドイツ生まれの医者で、江戸時代の当時異国人は出島から出ることは許されなかったが、一週間に一度日本の若い医者たちに医療講義をしたり手術さえもしたという。日本での西洋医学の父といわれるゆえんである。













私が見たことも無いような動植物の見本や、剥製や高価なものから日用品までたくさんのコレクションに感動した。同時に、シーボルト事件といわれる禁制の日本の地図を持っていたことからおきた国外追放で、日本人妻の榎本瀧、娘おイネとの別れはどれほどの悲しみであったかと思う。

今まで知らなかったシーボルトのことなど垣間見ただけだけれども、行って良かったところの一つ。
この夜はデン・ハーグの郊外のキャンプサイトに落ち着いた。
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東ヨーロッパの旅 57 アムステルダム その2

2011-08-29 07:26:42 | 旅行


以前に娘から来たメールではアムステルダムへ行くことが書いてあったので、この夜電話してみた。すると明日金曜日の夕方にはアムステルダムへ来るという。久しぶりの再開、翌夜インドネシアレストランで夕食の約束をした。







金曜日の朝は雷が鳴り響き、激しい雨が叩きつけるように降っていたが、10時過ぎて小ぶりになったので、見残したアムステルダムをみて回ることにした。
まずは昨日聞いたハーミテージ美術館、一人15ユーロも払って入ってみたところが、ロシアの小さな宗教画アイコン(イコン)の展示会をしていて、どこがいいの?と疑いたくなる。昨日のおじいさんはよっぽど宗教画が好きか、キリスト教信者かなのだろう。

もともと亭主も私も宗教画にはあまり興味が無いから、30分で出て来てしまった。全くこれならゴッホミュージアムへ行けばよかった。











雨の中すぐトラムに乗って町の中心のパレス(王宮)へ入った。ここはもともと市庁舎として建てられたが、ナポレオンの弟ルイ・ボナパルトが王宮として摂取したため、アムステルダム返還後も市が王室に寄贈したもの。現在は迎賓館として使用されている。
雨は30分おきぐらいに激しくなり、それもあって多くの人たち(老若こぞって)が雨宿りもあり入場料を払って見物していた。
市民の間は大広間の大理石の床に世界地図が描かれていた。天井のシャンデリアも素晴らしく、豪華な客室や昔は死刑判決を言い渡した審判の間がある。







王宮のモデルが飾ってあったので写したが、それで無ければこの宮殿のサイズはわからないだろう。







又国立博物館へ行き写真の不可を聞いたが、Noの答えにやっぱり入るのをあきらめて、午後2時過ぎキャンプサイトへ戻ってきた。





夕方7時に又町の繁華街へ出かけ、久しぶりで会う娘と彼女のパートナーとともに楽しい夕食をした。インドネシアの料理など初めてだったがなかなか美味しかった。
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東ヨーロッパの旅 56 アムステルダム

2011-08-27 19:43:14 | 旅行


アムステルダムに来たのは今から39年前だった。町は昔と同じか変わってしまったのかは全然判らない。私自身が変わってしまったからだろう。それにしても何も覚えていないのが情けない。

ハーレムを朝出て、午前11時にはアムステルダムの郊外のサイトに着いた。テントの若者が多く、ちょうどキャンプサイトを出てゆく人たちで、受付はいっぱいの人だった。





昼食も待たずにトラムで町の南、国立博物館のある地域へ繰り出した。目指すはすぐ近くのゴッホミュージアム。トラムの中で、ベルギーからの年寄りグループと隣同士(これぞまさしくお尻合いの仲)になり”今ハーミテージ・ギャラリーから来たところ。素晴らしくて感激ものだよ”とおじいさんが言った。じゃ私たちも明日には行こう。





ゴッホ・ミュージアムの前は長い行列、久しぶりの晴天で、亭主は屋内はもったいないという。おまけに中では写真禁。写真が写せないなら数年前、ロンドンのロイヤルアカデミーでゴッホ展をじっくり見たからいいや・・・ということで、近くのダイヤモンドミュージアムへ入った。ダイヤモンドに関する面白い逸話から有名なダイヤと有名人のことなど、亭主はここのほうが美術館よりいいとご機嫌だった。




ゴッホの絵”星空”のコピーに埋め込まれたダイヤモンドが504個合計140カラットに上るという。

ミュージアムの前の広場でサンドイッチを食べ、今度はダイヤモンドの工場へ。2軒隣りの研磨場では中国人団体がぎっしり立ってガイドの説明を聞いている。砂粒より小さなダイヤを磨いたのもここで、ギネスレコードになってるそうだ。





町はいたるところが運河で、雑草を植えた浮きかごが、運河に自然を取り込む努力をしているようだ。どことも充てなく歩いていると、チェス広場に迷い込み、地面に書かれたチェスボードに大きなチェスこまを並べて対戦中のおじいさんと青年、周りの男たちの真剣な顔、亭主まで立ち止まって動かない。



電車通りのチーズのお店でサンプルを味見したらぜひ欲しくなり、娘が留守宅を時々見回ってくれるからお土産にと買うことにした。









運河や運河の周りの自転車など写真を写しながら歩いていると、フラワーマーケットにたどり着いた。かの有名なチューリップの球根が所狭しと並び、よくもこれだけ多種多色を集めたと思う。本当は巨大なアマリリスの球根が欲しかったが、この冬も自宅にじっとしていないのに花を栽培するのは無理とあきらめた。







夕方又にわか雨が降り出し、デパートの屋上のコーヒーショップから市街を写すことが出来た。






アンネ・フランクの家を探して歩いているうち教会の前のアンネ像に出会った。顔立ちもはっきりしない像で本当はアンネはかわいい女の子だったのにとちょっと残念。ところがもっと残念なのは彼女の家の前の長い行列、小雨の中行列はますます長くなり、閉館まで後一時間では絶対無理とあきらめた。

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東ヨーロッパの旅 55 ハーレム

2011-08-27 19:31:50 | 旅行


アムステルダムの西20kmにあるハーレムは切妻屋根のレンガ造りの家屋と石畳の続く古い町で、町の中心広場グローテ・マルクトに市庁舎、聖バフォ教会、旧肉市場などが集中している。

ニューヨークのハーレムは、この町の名前から採ったったものだとのこと。



やっと雨の上がった午後キャンプサイトからバスで町に出かけた。約30分ほどで街中のバス停に着き、広場を目指した。車禁止の道路は自転車が主で歩行者は道の両脇を遠慮しながら歩いている様子。どこもかしこも自転車だらけ、スエーデン以来こんなにたくさんの自転車が並んでいるのは久しぶりだった。









市庁舎も旧肉市場も古い建築物だが、それよりも堂々と聳え立つ聖バフォ教会の80メータの塔は素晴らしい。教会では8月26日から9月4日までフォッカー(Fokker)飛行機会社の百年記念祭を開催中で、入場料2.5ユーロを払って入ってみた。







とっても素晴らしいパイプオルガンと新旧入り混じったステンドグラスがなかなか良い。このオルガンは11歳のモーツアルトが弾いた有名なオルガンで、一年おきの7月にはハーレム国際パイプオルガン音楽祭が開催されるという。







教会の真ん中にトンボの親玉みたいな飛行機が鎮座していて本当にこんなものが飛んだんだろうかと思った。第一次世界大戦時の白黒フィルムを英語で見せていたが、相当数の人たちが興味深そうに見ていて、オランダ人は数ヶ国語を話せる人がほとんどだから、英語もドイツ語もフランス語でも問題ないのがうらやましい。








旧市街を取り囲むように運河がはしり、白い跳ね橋がかかっていた。絵になるようなきれいな町並みと運河はオランダの主要観光資源だ。



自転車がメイン移動手段のせいもあり、乳母車など見当たらないが、この自転車には感心した。
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東ヨーロッパの旅 54 大堤防

2011-08-27 19:23:30 | 旅行





朝から小雨が降る寒い日だった。高速道路を通ってオランダの南へ向かうのに何としても大堤防は見たかった。





北ホランド州とフリースランド州を結ぶ大堤防は32kmに渡り、北海の荒波と水害で苦しむ沿岸の地域の為に1932年に工事が行われた。

この世界最大の堤防はかってゾイデル湾であったアイセル湖と北海(ワッデン海)を仕切り、淡水化し水位を下げた湖の4箇所で大干拓地が造成された。







この堤防の内側は上下2車線づつの高速道路(E22 又はA7)が通っている。この32Kmの地に2箇所の大水門があり湖の水位の調節をしている。




途中に見晴台が設けられていて、もし晴天ならばオランダ人が自然に対抗して作った偉大な設備を見渡すことが出来るだろう。生憎このころには車を降りるのも嫌になるほどの悪天候だった。それにしてもオランダはオランダ人が造ったと感じ言ったこの道路・堤防だった。









午後1時ころにハーレムのキャンプサイトについた。サイトの後ろは運河で川淵の素敵な家や、運河につながれているボートなども裕福な環境を思わせるものばかりだった。
ドイツやオランダ、英国などの金持ちの国では、インターネットが有料で、それよりずっと劣るポーランド、バルテイック3国、ポルトガル、ギリシャなどが無料というのはどうしたことだろうか?
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東ヨーロッパの旅 53 ドイツからオランダへ

2011-08-27 14:51:26 | 旅行


リューゲン島からブレーメンまでの1週間どこのキャンプサイトにもインターネットが無くて、イーメールもブログもアクセスできなかった。
ブレーメンのキャンピングサイトを町から20kmも離れたところに選んだのも、そこにWifiがあるからだった。
日曜日の午後ブレーメンを一回りし、月曜日朝からインターネットをつないでこのブログを最近まで更新する予定だった。ところが月曜日の朝、意気込んでインターネットの24時間アクセス料3.5ユーロを払いに行ったら、昨日から具合が悪くて使えないと断られてしまった。
予定が全部狂ってしまい、もう一泊をキャンセルして、ドイツ北西のインターネットのあるところをと調べてついたところがここティメルという田舎町。私たちの地図にも載っていない。









ここはキャンピングプラッツで湖の一部に造られたボート・停泊場の側で安くおまけにインターネットは1.5ユーロ。キャンピングプラッツの管理人の夫妻が全然英語が出来ないけれど親切で居心地良い。この夜遅くまでブログを書きまくった。
湖には砂浜があり多くの家族ずれが楽しんでいた。さすがドイツと思ったのはこんな小さな湖でも安全のため監視人が目を光らせていたこと。



翌日オランダへ向かうことに決め、管理人のおばさんに、”ありがとう。さよなら”とドイツ語で言ったら(これだけしか知らない)Good byeと英語で返事が返ってきた。






オランダ最北部はフリースランド州と呼ばれ、ここには少数民族のフリージアンが多く住んでいるという。彼らはオランダ人よりデンマーク人に近い言語と文化を持っていて、誇り高くオランダ人に同化しようとしないという。










雨雲の立ち込めた高速道路を走っていて思うのは、本当にこの国は真平らだ、ここで津波など襲われたらオランダ全部が水没間違いない。





平野で水はけのためにも運河が網目のように走っているのが良くわかる。
グローニンゲンの北のWarfhuigenの村のキャンプサイトは川淵にあり、この数週間の悪天候で地面がやわらかく、タイヤが泥に埋まったら近くの農家のトラクターを借りてこなくてはならないと言われた。ここにもインターネットがあるから行ったのだけど
あっさりあきらめ、グルーテガストの町までまったいらの田舎道を走った。



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東ヨーロッパの旅 52 ブレーメン

2011-08-22 21:26:55 | 旅行



ハンブルグを出た朝は晴天だった。ハンブルグとブレーメン間はアウトバーンで結ばれていて88kmも高速で行けば一時間で行ける・・・はずだったが、途中で道路工事が4箇所もあり遅延した。こうしてメインテナンスを良くしているからドイツの道路は最高なのだろう。



キャンプサイトがブレーメンのてまえ20kmにあり、いったんサイトを見てブレーメンの地図をもらって旧市街へ向かった。
日曜日だからそんなに人はいないだろうと思ったのが大間違い。駐車場が見つからず街中をぐるぐる回り旧市街の川向こうの岸辺にやっと駐車できた。




ブレーメンは自由ハンザ都市で、ハンブルグと同じく州と同格の特別市。ヴェーザー河岸に位置するレンガ建築の美しい町だ。
市庁舎のあるスクエアにほとんどの観光施設が集まっており、したがって観光客もこのスクエアに集中している。
市庁舎は良くぞこれだけ飾り立てたと思うほど彫刻されて古びてくすんでいた。





この市庁舎の前にはブレーメンのシンボルであるローランドの巨像が立っている。しかし観光客に一番人気があるのは、市庁舎横のブレーメンの音楽隊のブロンズ像でとっても近寄れないくらいにたくさんの人が取り巻いていた。ロバの前足に触れて願い事をすると願いがかなうそうだ。残念近寄れなかった。
ラトヴィアのリガで同じ像(これより小さめ)を見て写真を撮ったが、リガは姉妹都市で似たような像がおいてあるとインターネットのウィキペディアで知った。





市庁舎の対面に金で装飾された建物は16世紀にブレーメンの金持ちの商人の為に造られ、1944年に焼失するまで何度も建築様式が変わったが、1947-1955年に再建された。










聖ペトリ大聖堂は1642年に建造された大時計の面が片隅に展示されているくらい歴史もある建築物だが、ステンドグラスがすべてモダンで、ここも戦災で破損されたものと思われる。アダムとイヴのモダンなデザイン。







このスクエアから河に向かって狭いレンガの横道の両側には高級ショップや面白いデザインのアートショップが並び、奥の一角に1時間毎にこのたくさんの鐘がメロディーを奏で同時にレンガの一部が周ってゼップリンや、リンドバーグなどの絵が現れた。きっとこの町に関係があるに違いない。何しろロビンソンクルーソの家というのがあり、説明書を読んでみると、ロビンソンクルーソを書いた作家のお父さんがこの町の出身だったらしい。





たったの半日この町を見て周ったが、日曜日午後のドイツの町は土産屋とレストラン以外は全部閉まりウインドーショッピングか博物館へ行く以外何も見るものが無い。
ドイツ人観光客は広場のあちこちで行われている素人パーフォーマンスを八重十重に取り巻いてやんやの喝采を送っていた。
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東ヨーロッパの旅 51 ハンブルグ

2011-08-22 21:15:22 | 旅行



ハンブルグはハンザ都市で、州と同格の特別市であり、ドイツ一番の港町でもある。ここは海岸よりも内陸に入ったエルベ河の河口港で、中世から商業で栄えた。

キャンピングプラッツは旧市街から2km離れた高架線の下で、毎日キャンパーが入りきれないくらい超満員、約80台が集まっていた。





歩いて旧市街へ行くとすぐ着くのはハンブルグ中央駅、時計台のタワーも持つ巨大な建物で人の行き来が激しい。







駅を通り過ぎると200メータさきにはアルスター湖が現れる。中央の高い噴水の水は風向きによって、霧雨のように降りかかってくる.向こうに市庁舎が見えるこの湖は小アルスター湖で、後ほど写したヨットが白いかもめのように見えるのが大アルスター湖。
この日は晴天で暑くたくさんの人たちが湖畔で日向ぼっこをしながら楽しんでいた。







市庁舎は19世紀に建てられたルネッサンス様式で、玄関内の広場も中庭から見る建物すべてが素晴らしい。




ハンブルグの町を歩くといたるところに運河があってまるで北のベニスみたい。でもきっとその名前はオランダや、ベルギーでもきっと使われているだろう。





聖ミヒャエリス教会の塔は10人乗りのエレベータがあり(日本人なら10人乗れるが、ドイツ人だと8人で重量オーバー)長蛇の列を作ってやっと塔の見晴台に着いた。エルベ河畔の港や倉庫群、入り組んだ町並みと、遠くに大アルスター湖が見える。
もう8月20日ドイツでは夏も終わりで、晴天といえども風は寒く、気温は20度に届かない。すっかり冷え切って長い階段を下りてきた。




中央駅まで繁華街を歩き、駅のすぐ隣の市立博物館へ行った。午前中行ったときは閉まっていたので再度訪問、ここの2階は広大なスペースを美術館に充て天井からの自然光で明るく写真がきれいに写る。そして素晴らしいのがなんといってもヨーロッパの印象派から現代の有名画家の絵がずらりと並んでいることだ。



これはレノアールのマダムハリオット1882年の作品。これは以前どこかで見たが覚えていない。



ゴッホのモーンフィールド 1889-1890年の作品 ゴッホの絵は何度見てもこの激しさと色合いの美しさに心打たれる。



ムンクのマドンナ 1893-1895年の作品。ロンドンのナショナルギャラリーに来たときに初めてお目にかかった。
次はオスロ美術館で見た。ムンクも同じような絵を何枚か描いているそうだからこれはその中の一枚かもしれない。



カンデンスキーのアラブの墓地 1909年の作品 彼の色彩には感動もの。この人の作品は一目でわかる。



ジョージ・ダンロップ・レスリー のナウシカ 1835年の作品でこんなきれいな絵を描いた英国人が居たんだと思わず写した作品、帰国したら調べてみよう。



ピカソやモネ、マネ、コロー、ミレー、ドガ、ロートレック、セザンヌ、ピッサロなどの素晴らしい絵がずらりと並んでいた。行った甲斐ありの博物館美術館だった。
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東ヨーロッパの旅 50 ヴィースマール その2

2011-08-22 18:40:58 | 旅行




翌日港を回って町の観光をもう一度。港の周囲には露天が並び、衣類や装飾品、みやげ物などを売っている。その中に岸壁につけた船の中で魚を売るお店が3軒(3艘?)あった。
お昼はここで食べようと決心、観光船のもやっている広い港を一回り歩いて15世紀後半に造られた門を通って旧市街に入った。







この門は当時城砦の入り口として作られた5つのうちのただ一つ残った門で19世紀に城砦は取り壊されて、この門が町で一番古い建築物といわれている。










ゴシック様式で有名なニコライ教会は、良くぞこれほど高い天井の建物を建てたものだとあきれるくらいだった。ここは幸い戦災をまぬがれ古い木造彩色聖人像が多く残っている。
この教会の入り口を探して外壁を一回りしているときにパイプオルガンの音が響いていたが、入ったときは終わっていて、それ以来演奏してくれなかった。

マルクト広場まで行き、亭主は好きなサンドイッチを買い、私は港でにしんの酢付けとサラダをはさんだサンドイッチを買ってベンチで昼食。このサンドイッチがドイツ人の好物らしくたくさんの人たちが大口を開けてかぶりついている。こんなに美味しいサンドイッチは久しぶりだった。

キャンパーへ帰る前にこの船で売っている魚の燻製一箱10ユーロを買おうと岸辺で立っていた。たくさんの人がいろいろな魚を買ってなかなか私の番が周ってこない。波で揺れる船内の魚を見ている内に船酔いしそうになった。

大きな鯖2匹、鮭の切り身ひときれ、にしんの開き2匹、大きなたらこ一切れ,茹で海老20匹ほど入って10ユーロは安いと思った。スーパーで買った燻製の魚は、塩辛くて敬遠するほうだがこれらの魚は新鮮なうちに処理してあって塩分が少なくよい買い物をした。






午後、観光はもうたくさんと旧市街とは反対の町を散歩に行き、見つけたバーガー公園へ入ってみた。その奥にティア・パークと書いてあり一人2ユーロずつ払って入ったところが子供たちの動物園だった。





ほとんど放し飼いの動物が多く一番おかしかったのがベトナム・ポットベリー・ピッグ、子豚が4匹お母さんの上に乗ろう、おっぱいを吸おう、と追いかけまわしていた。
このお母さんその名のとおりポットベリー(太鼓腹)で横になるのもたいへん、子豚を4匹も身ごもっていたときは一体どうしていたものかと気の毒そしておかしい。



普通サイズの馬とこのポーニーは種類の違う馬だけど、どうしたものか離れられない仲のようだった。







今日は子供に返ったったように二人で楽しんで一日を終わった。
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東ヨーロッパの旅 49 ヴィースマール ドイツ

2011-08-22 18:18:44 | 旅行



リューゲン島からメインランドのヴィースマールまで177km、ヨーロッパでは最高のアウトバーンにのったから12時にはキャンピングプラッツに着いた。

ヴィースマールは1229年に建市以来長い歴史を持つ港町で、中世には旧市街の周囲は運河に囲まれていて水の都といわれていた。この町も戦災で主な建物が破壊されたが、旧市街は中世の面影を宿し、ほとんど復旧された。



キャンピングプラッツから旧市街まで歩いて20分ほど、サイトに落ち着いた午後旧市街へ観光に出かけた。いかにもドイツの町、通りは整然とし清潔、カラフルな建物が並んでいる。











最初に覗いたヘイリゲン・ゲイスト教会は天井が彩色された木造で、中世の病院が併設された古い教会だった。ここにはこんなに小さなパイプオルガンがあった。






この町では一番高い塔は、セント・マリアン教会で、戦災で本堂は破壊されたため、現在ではこの高い塔しか残っていない。塔の中では30分ごとにこの教会の歴史を映像で見せている。塔の側のこの丸い構造物は中世に使われた、起重機で中に人が入って歩くことで大きな車輪を回す。








この塔のならびにあるセント・ジョージ教会も戦災で天井が焼け落ち、最近復旧されて今現在は内部の修復をしている。玄関に復旧前後の写真が大きく張り出されていた。
こんな巨大な建築物を修復する作業も建築と同じように大変だろうなとつくづく感じ入った。









記念保護指定を受けているマルクト広場は中世の建築物や、19世紀の市役所などがあり、多くの観光客であふれていた。
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東ヨーロッパの旅 48 リューゲン島 ハーゲンからギンスト へ 

2011-08-22 17:57:50 | 旅行




ハーゲンの小さな村の通りは多くのわら屋根の家屋が並んでいて、これらはほとんどが民宿になっている。大きな農家の建物もほとんどがわら屋根で、冬が長く寒いこの地方にはわら屋根が暖房に一役買っているに違いない。

このわら屋根はリューゲン島のいたるところで見られた。



ハーゲンから北のアルコナ岬へ行くのに細長い海岸線を通るがここもやっぱり両側を松林に囲まれていて、海は見えない。道端に駐車している車がこの松林の向こうに海のあることを証明している。



島は平坦で、道路の両側は麦畑が広がっている。プット・ガルテンはアルコナ岬にある小さな村で、車はここで行き止まり。村の入り口にある駐車場は長い行列で、別にキャンパー用の駐車場は20台ほどが隙間無く詰っていた。とうとうあきらめて島を一周してメインランドへ渡ろうかとの話になり、途中でフェリーに乗って対岸へ渡してもらった。



このフェリーは安くて7ユーロ、ここは旅行者には人気のある場所らしく、キャンパーや乗用車が長い行列を作っていた。



ギンストの道路わきにキャンプサイトを見つけ一泊することにした。ギンストの村まで1kmほど、麦畑のわき道を歩いて村にたどり着いた。麦はもう取入れを待っている状態で実った穂先が下がり、その中に遅咲きのコーンフラワー(矢車草)が群れて咲いていた。







村の入り口にわら屋根の小さな博物館があり庭に昔からの農機具が並べられていた。ここはスコットランドのスカイ島と全く同じような感じだ。





ギンスト教会の前の広場には小さなしゃれたお店が並んでいて、かわいい物をいろいろ売っていた。残念ながらこの辺りには観光客はあまり見えない。







教会の中は大して見るものとて無いが、この装飾されたパイプオルガンは気にいった。
たまたま今夜この教会でギターのリサイタルをする青年が、リハーサルの真っ最中だった。






この面白い大臼歯は普通の民家の窓に下げられていたが、ここは村の歯医者さんに違いない。玄関には看板がなかったけど。





帰りに矢車草や野の花を摘んできた。ミルクの空容器に入れて数日楽しむことにした。
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東ヨーロッパの旅 47 リューゲン島 ハーゲン ドイツ

2011-08-22 17:40:46 | 旅行


同じ島の北部のハーゲンは内陸の高台にわら屋根の村と、広大な駐車場兼キャンピングプラッツが共存する。



ちょうど12時を過ぎたばかりで、駐車したキャンピングプラッツの前からたくさんの人たちが歩いてゆく。何も知らないまま私たちも歩くことにした。
今日は曇り空で、一応雨具や傘の準備もして出かけた。この辺りはジャスムンド・自然公園、高いクヌギか楢の木が周囲を取り巻いていて緑滴るとはこのことだろう。






バルティック3国からポーランドまでの海岸線のような赤松林は見えない。緩やかなくだり道を行くと道端に大小の湖が現れる。この数週間の悪天候で出来た水溜りもあるのかもしれない。





大人も子供も皆楽しみながら歩いているから、今日は散歩の日。
2kmほど林を過ぎたところにレストランやファースト・フードのお店があった。もう2時近く、ここで昼食をとレストランに入り、英語のメニューをと聞いたが無いという。
やっぱりこの辺り英語圏の人たちはあまり来ないのだろう。

亭主はカレー味のソーセージとチップス(これはメニューのドイツ語が少し判ったから)で私は英語の出来ないウエイトレスに聞いても判らないので、適当に指差して注文した。
味付けのマッシュポテトに焼きソーセージが一本そして温かいサワークラウトがつけあわせだった。図らずも私の好きなものばかりで、うれしく美味しく食べた。ドイツではなんと言ってもソーセージが最高!!!







このレストランから100メーターも行った林の中が断崖絶壁になっていて、はるか眼下に白くにごった海と、白い崖、そして白鳥の群れる海岸線があった。
白鳥といえば湖か河のイメージだけどこれほど多くの白鳥が海辺で一体何を食べるのだろうかと疑問が湧いてきた。





この夕方、空は真っ青に晴れ渡り、夕日が木の間に沈む。何百台も駐車していた乗用車は全部消えてなくなり、今夜は丸い月がキャンパーを照らしている。
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東ヨーロッパの旅 46 リューゲン島 ビンズ

2011-08-22 17:27:40 | 旅行






リューゲン島は大小の島を橋でつないだドイツでも人気のあるリゾート地で、今から20年ほど前、ヨルダンで知り合ったドイツ人の若者からこの島のことを聞いた。
今回は普通のトラベルガイドには載っていない土地を周ろうとたどり着いたのがビンズ。






ここにはキャンパーだけが宿泊できるキャンピングプラッツがあり、車を停めた午後、町の探索に出かけた。この町もバルト海と葦に囲まれた湖に挟まれたきれいな町で、何も知らずに海岸へ向かって素敵な家の並ぶ通りを歩いていった。











海岸へ着いてびっくり、気温15度のこの寒い日に海岸はたくさんの人たちが楽しんでいる。砂浜と平行に遊歩道が伸びていて絵や装飾品などの小さな出店が開いている。





海岸へのメイン道路の突き当りには海に長く突き出た桟橋があり、冬装束の人たちが散歩している。あまりに寒くて、桟橋はあきらめ、町のメイン道路の左右を見て歩く。この通りはレストランやコーヒーショップ、それとお土産店からなっていて、海が寒いからこの通りで楽しむ人たちの多いこと。





海と反対の湖の周囲にも遊歩道と自転車道が作られていて、今年初めてのアジサイの花が咲いている遊歩道だった。この道は海風が当たらない分暖かい。だからこの辺りのコーヒーショップが大はやりだった。

後から聞いた話ではこのビンズの町はヒットラーが彼の夏の別荘を持っていたとの事。
やっぱり昔からここは有名だったのだ。
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東ヨーロッパの旅 45 グライスヴァルト ドイツ

2011-08-22 17:03:55 | 旅行



8月13日、ポーランドからドイツへ向かう。シェチチンのキャンプサイトはヨットハーバーの横にあり、安くて設備も整っていた。只問題は蚊が多いこと、トイレもシャワールームも何匹かの蚊が飛んでいて知らない間に腕やお尻まで刺されていた。
昔は蚊に対して免疫があったのかもしれない。今では一度さされるとその部分が腫れて三日はかゆみと腫れが引かない。あまりの痒さに,かこうものなら後が残って、一ヶ月でも残っている。

この日がポーランド最後だからスーパーマーケットのガレージでディーゼルを満タンにし、残った現金は食料を買い込んで全部使った。食料やディーゼルはポーランドのほうが安い。
スーパーの駐車場にドイツ車が多いのも、ここへショッピングに来ているドイツ人が多いのだろう。






シェチチンから国境までの20kmほどは、高速道路A6になっているが、国境のサインも無しにドイツへ入ると道路はそのままアウトバーンになる。道路はスムーズで ”やっぱりドイツの道路はヨーロッパ いちだねぇ”と亭主は感極まって言った。ラトビアの悪路が思い出される。





北ドイツのグライスヴァルト(Greiswald)は戦火にあわず、15世紀に創設された大学と大聖堂がある。
キャンプサイトのリストで行った所は、この町から15ー6Km離れた海辺の巨大なサイトだった。
もう2週間以上も続いた悪天候でサイトのいたるところは水浸し。指定の場所にキャンパーを入れた途端、タイヤが泥に埋まって空転。さすがここの用意のいいこと、すぐ小型のトラクターが来て引っ張りだしてくれた。やや水はけのよいところに駐車して午後は海岸を散歩してみた。
ウインドサーフィングやカイトサーフィングをしている若者が多く、キャンプサイトは彼らのテントがいたるところに張ってあった。
そしてなんとここも恐るべき蚊の群生、トイレやシャワールームの白いタイルに蚊が点々と模様のように止まってチャンスを狙っている。
トイレに行くのにレインコートを着ていったり、虫除けスプレーをシャツやスラックスにも振りかけての防戦。




14日北のリューゲン島へ行く前にグライスヴァルトの旧市街へ寄ってみた。日曜日だったから町は静かで市庁舎のあるマーケット・スクエア近くに駐車でき、急いで一回りしてきた。





町並みは中世そのままで色彩豊かな建物が並んでいる。セント・メアリー教会はちょうどミサが終わったところで、ぞろぞろと出てゆく人たちと入れ替わりに入ってみたが、あまりのシンプルなデコレーションにがっかり。

 






素晴らしい塔を持つ大聖堂は外見ほどではなく、パイプオルガンだけは立派だと思ったが、大して感激しない。シェチチンの教会のステンドグラスが余りにきれいだったから、すぐ比較してしまう。







もうお昼過ぎだったからスクエアの横のお菓子屋さんで、砂糖がしっかりついたデーニシュペーストリーを買おうと思った。これをと指差した菓子パンに大きな地蜂が砂糖に食いついている。店員のおばさんはそのパンを持ち上げ、蜂を落とそうと振り回していた。そんなパンを売るつもり?止めて!そちらにして!と身振りで伝えて替えてもらった。


元東ドイツのこの地方、英語が全然通じない。

ドイツ人は衛生観念が発達していると思ったのに・・・ショック。
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