Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

BBC の番組 Race across the World

2024-06-07 23:32:08 | BBC Race

我が家のボタンが満開、本文とは全然関係ない。

 

4月10日から9週間始まったこの番組 Race across the World は過去4回世界中に行っていて、今回は北海道を皮切りに50日間で日本、韓国、中国、(ここから先は判らない)が最終目的地はインドネシアのLombokという。

5組のペアーが決まったお金と時間を計画して目的地に一番早く到着するかがこの番組の面白いところ。

今回札幌に着いたのが

A 黒人の母61歳と娘25歳

B  20歳の男子2人友人

C 姉25歳と弟21歳

D 白人の母52歳と娘25歳

E  夫妻 夫62歳 妻65歳

まず最初札幌の神社で持っていた携帯と銀行のカードと現金を全部渡して、一人1390ポンド(約25万円)と地図、ナビゲーターをもらう。優勝カップルは2万ポンド(約360万円)の賞金があたる。

5組は札幌のテレビ塔の下から午後2時一斉にスタート、1回目の目的地は奈良の奈良ホテル。その間5日で奈良までの間、飛行機と新幹線には乗れない。

カップルAの娘がとっても賢い人で、間髪を入れず札幌の駅から苫小牧の港に直行、夜行フェリーで仙台へ着き、仙台駅から新潟へ、そして佐渡島で素晴らしい5重の塔を鑑賞満喫して、また新潟駅から金沢へ。

カップルBの若い男子2人はフェリーで八戸(はちのへ)、長距離バスで東京へ、あまりの人ごみに驚き、それでもベビー相撲を見ての感想が面白い。一番よく泣いた赤ちゃんが優勝ということだが、泣かすのに用いたお能の面にあれじゃ僕でも泣くよ。二人の目的は富士山を見ること、バスで富士山を見てテントで1泊、また東京に戻って、バスで京都へ

カップルCの姉弟はフェリーで八戸へそこから仙台、松島湾、高いお金を払って初めて食べる日本食に舌鼓をうって、東京へ。ここで人力車のクリーニングのアルバイトをして48ポンド(8640円)をもらいバスで大阪へ

カップルD の母娘は八戸から遠野へ、ここのお土産店で年寄りのおばあさん2人の売り子さんと仲良くなり、おばあさんが履いていた下駄を娘がお土産にもらった。履いていた下駄というのがいかにも田舎の人らしい。その後夜行バスで鳥羽へ行き、海辺のレストランでアルバイト、そこから奈良へ。

カップルE の夫妻は一番旅行を楽しんでいて、青森の温泉でゆっくりお湯につかり、長野のワサビ畑でアルバイト、農家の家族と親しくなってワサビをつけたバーべキュウの肉に舌鼓、松本駅まで送ってもらい奈良へ向かった。

5日目の夕暮れ、5組はあらゆる方面から奈良の奈良ホテルへ向かった。もちろん皆誰よりも早くと大きなリュックをしょったまま駆け足。

A 組が一番、2分遅れてB 組、1時間26分遅れてC組、2時間31分遅れてE組、5番目は4時間41分遅れてD組 だった。

来週水曜日はここ奈良ホテルから到着順、時間差も到着時間によって最終のD組は4時間41分後に出発する。次は奈良からたぶん九州まで、いろいろなところを廻っていくのだろうがとっても面白くて待ちどうしい。 

 

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BBC の番組 Race across the world 2週目

2024-06-07 06:35:53 | BBC Race

此の番組は一応各国の見どころ(観光地ではない)を廻って行く様子、だから京都や大阪、姫路城などは出てこない。

7日目

カップルAは此の日の最終目的地、韓国のSOKCHO (そくちょ)の指示を受けてすぐ広島へむかった。 広島の原爆記念塔でお参りした後、広島名物お好み焼き屋でアルバイト、皿洗いで12ポンド分の日本円を貰って、バスで博多へ向かった。

カップルB は大阪、神戸へ行き、神戸牛が食べたいと小さなレストランへ入るも、あまりに高いと2人で1皿をオーダーして今迄で最高の味と言ったが、支払いの2000円(12ポンド)をお店の人がタダにしてあげると言われて、喜びのあまりウエイターに抱き着いた。彼らは初めての経験とこの夜カプセルホテルに泊まり、翌日博多に着き12時半のフェリーで韓国のBusan (ブサン)へ向かった。このフェリーにはカップルA も乗っていた。

カップルC は神戸から小豆島を通り四国の田舎でアルバイト、もみじの葉を料理の飾りに使うための紅葉取り。そこから岡山へ出て電車で博多へ向かった。

カップルD は奈良から岡山へ向かい、岡山の漁村で瀬戸内海の漁船でのアルバイト、漁師の御主人と親しくなって岡山駅へ送ってもらい電車で博多へ向かった。

カップルE はいったん山陰地方へ行き、ひなびた日本家屋の旅館で楽しむ。翌日雨のため藁屋根の手伝いはできないと断られ、神社の床掃除のアルバイト、バスで広島へ行き、電車で博多へ行った。

カップル C+D+E はこの日の12時半のフェリーに間に合わず、翌日の12時半まで博多で待たなければならなかった。

さてブサンに着いたカップルA+B だがA はブサンの魚市場でアルバイト、二人で125.44ポンドのお金を手に入れ、翌日直通のバスでSokcho(ソクチョ)へ向かった。

カップルBはすぐ直通のバスでソクチョへ行くつもりが、売り切れで東海岸をSamcheok(サムチェオック)に着いた。この町は一応観光客の町らしいがいたるところに大小のペニスの像があって、この若者二人あまり楽しくないようだった。

翌日12時半にフェリーに乗った3組は

カップルC はSeoul(ソウル)へ ちょうどビール祭りが開かれていて姉弟は大いに楽しんだ。

カップルE はJeonju(ジェオンジュ)でレストランの皿洗いのアルバイト。この年上の奥さんは3度目の結婚で、人生の伴侶に巡り合ったと述懐。(こんな事を画面に入れているから先が見えなくなって…)

カっプルDはブサンとソウルの中間点のDeajoen(ディジョエン)で栗拾いのアルバイト、出稼ぎに来ている人たちと親しくなった。

直通のバスで目的地ソクチョへ着いたカップルAの後4時間後にカップルBが着き、翌日カップルC 次にカップルE がたどり着いたところでこの週の番組は終わった。

ナンとなく不満の残るエンディングだった。

 

 

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BBC Race across World 3週目

2024-06-06 03:11:15 | BBC Race

St James Park で見た珍しい花 シーラペルビアナ  本文とは関係なし。

今日は復習で出場者の顔ぶれを

A  黒人の母と娘     0時間

B  20歳の男子友人   4時間28分

C 姉と弟        18時間32分

D  白人の母と娘     30時間23分

E 60代の夫婦      25時間51分

3週目の初めのシーンはDの親子が30時間23分遅れで韓国のSocho にたどり着いたところからはじまった。先着の4組は此の最後のカップルDが来るまで、韓国文化を楽しんでいた。

Day 13

中国大陸を縦断できなくて先着A と B は飛行機でハノイ(ベトナム)に着き、カップルAが受け取った指示はDay 18日でカンボジアのプノンペンへ着くというもの。

このカップルAはいつも目的地到着が早いのは、タクシーを使って早く着くからでそれなりに決められた手持ちのお金が早くなくなる。それでハノイから南郊外のNinh Dinhの町でバイクを清掃するアルバイト、ベトナム人の店主夫妻が喜んで彼女たちに食事を勧めたが、娘のほうがヴェジタリアンで肉が食べられないという。こんな時は言葉が通じないのは不便、ベトナムの一般人にはヴェジタリアンなどと言うのが判らないから。

4時間遅れでカップルBは出発、ハノイから電車でHoian へ ここは昔はベトナムの首都だったところで川での灯篭流しで一息つく。一人の男の子は5歳で母親に死に別れ、灯篭を水に浮かべて母親を思い涙していた。Hoian からホーチミン迄悪名高いスローの電車ででかけた。

C 、D 、E は次の飛行機でハノイ入り、カップルCは18時間32分あとに出発、ハノイからバスで15時間ヴェトナム中央部のDa Nangへ行った。ここでカップルA と出会うも、2組が別のバスでカンボジアのPleikuへむかった。Da Nangでは激しい雨で2組は12時間バス停に閉じ込められた。この2組はカンボジアのプノンペン北550KM地点へ着いたものの交通機関がなく、おまけにカップルC はここでアルバイトするつもりが大雨のため働けず、それでもこの農家の人たちは彼らに食事と宿泊も許した。

カップルDは36時間後電車でホーチミンをめざす。ホーチミンの水上マーケットで親子は果物の積み下ろしのアルバイト。

カップルBはホーチミンのナイトクラブでウエイターのアルバイト、カンボジアの国境までバスで行き、国境めがけて歩いているときに載せてもらった車が、プノンペンへ行くことを知って大感激。それでプノンペンの目的ホテルには初めて1番乗りをした。

カップルA は交通機関がないためタクシーに乗ってプノンペンへ、ホテルには1時間32分後に到着。

カップルCもタクシーを利用して8時間43分後にホテル着。

カップルEは夜行バスでホーチミン入りをしたが、此の62歳の男性は割と厚かましいところがあり、夜行バスの中で英語が話せますかと書いたプラカードを作って、各自のカーテン内に押し込む。

一人だけ話せる若い人がいて、その人にホーチミンから国境へ行くバスを予約してもらった。そしてプノンペンへは水上タクシーで到着、ホテルに着いたのは17時間34分後。

カップルDは出発から遅れていたのに、ホーチミンの水上マーケットでアルバイトしていたため、遅くなりとうとうこの日で失格した。

 

 

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BBC Race across World 4週目

2024-06-05 04:22:30 | BBC Race

4組のカップルは出発前プノンペンの寺院で先祖の供養に各自が寄進し、亡くなった人たちをしのんだ。

Day 20 カップルB の男子2人が出発、5日間でタイの北西、Sharn HighlandのMae Sariangが目的地。

ここはタイの観光都市チェンマイから近い町。ミャンマーの国境に近い町でもある。

彼らはタイとカンボジアの国境の町Poipetまでバスで出発、

1時間32分後カップルA がボートで水上都市のKinpong Luong を目指し、ここでアルバイトのつもり。魚採りをしようとするがまるでダメと分かり、小魚の仕分けや料理の手伝い。お金にならない。

カップルCは夜出発、夜店で夕食を食べてバスに乗ろうとしたところで腰のマネーバッグを忘れたことを思い出し走って戻り、バッグは戻ってきたものの26ポンド分のカンボジアの現金を盗まれていることを知った。20歳の弟は半べそ、まだ旅の半分しか来ていなくて、持ってるお金は38パーセントしかない。この夜バスでアンコールワットのあるシアム・リアップへ向かった。

Day 21 カップルE は翌朝バスでカンボジアとタイの国境Poipet Battang へむかった。カンボジア側のBattambang は岸壁に巨大な仏像や、涅槃像があり、洞窟から6百万匹の蝙蝠が夕空へ出て行くのを目にする。観光案内のカンボジア人は彼らにポルポットが10万人の人を殺したことを告げ、カップルはショックを受けた。

Day 22 カップルB は降りたバスが何処だか判らず、Pakchong のナショナルパークへ行きたいという。このパークでナイトサファリをして、夜行性の動物をいろいろ見て楽しむ。Day 23にKao Yai Parkの滝を見た後、電車の予約をするもすべて満員で翌日の午後2時まで電車に乗れない。

カップルA はこの日、海上都市を去りバスでSaraburi へ Day 23 にはLopburi に着いた。

Day 23 カップルEは12時間バスに揺られてLampang に着いた。ここは目的地まで300KMの地点。この地で馬車の小屋での清掃アルバイト、61歳の此の夫君、汚い仕事を極端に嫌がって文句が多かった。それでも手持ちのお金は48%もっていた。

お金を盗まれた姉弟のカップルCはPoietのジャスミンライス農場でアルバイトをして19.94ポンド分のタイのお金をもらい手持ちは34%。

Day 24 カップルA はPhitSanulokから260KMのLampang へここからチェンマイへは電車にのった。

カップルEもアルバイト先からLampang へチェンマイへ電車で着いた。 カップルAE はほとんど同時にチェンマイに着き、そこからタクシーを飛ばす。目的のホテルにはカップルE が初めて先着、カップルAは2分遅れ、カップルCはShan Highlandを北上し、ホテルには3着だったが手持ちのお金は31%しか残っていない。

ところでカップルB だがDay 23には電車の予約できず、あきらめて川下りのアドベンチャーで1日をつぶした。

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私は以前バックパックで、タイもカンボジアもヴェトナムへも旅行しているが、彼らのような地方の町を廻ったり、あまり有名でない観光地は行ってなかったから、これらを見て、もう一度行きたいところがたくさんある。素晴らしい旅行案内テレビガイドであることか。

 

 

 

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BBC Race Across World 5週目

2024-06-04 18:55:56 | BBC Race

27日目 

早朝先着のカップルE が出発。5日間でタイを縦断して目的地はピーピー島。このカップル手持ちの予算はグループの中では一番持っているが、出費を厳しく制限し、この朝ヒッチハイクでチェンマイへ向かった。そして電車で13時間のバンコックへ。

2分後出発のカップルAは宿泊したMae Sariangからバスで南下しMae Satへ向かった。この親子毎日24時間一緒にいると口論が絶えず、お互いイライラしていた。そこでバスを乗り継いで、翌日28日目にはタイで有名な滝のあるMae Satへ。ここの滝壺にはドクターフィッシュと呼ばれる人の足の皮(垢)を食べてくれる大きな魚がうようよしていて、25歳の娘は怖がってキャーキャー逃げ回っていた。翌日バスでバンコックへ向かいタイマッサージを経験してリラックス。

3時間47分後に出発したカップルC はバスでチェンマイへ向かい、バンコックへのバスが夕方6時までないと知るとチェンマイを楽しもうと、まずはタイボクシングを見に行った。姉の方は楽しめないようだが弟が興奮して大喜び。次にチェンマイ一番の観光地、大寺院を回って姉のほうが大いに楽しむ。手持ちの予算は31%。

11時間27分後、最後に出発のカップルBはこの夜はチェンマイへ行き、28日目、バンコックへの夕方のバスを予約して、ホテルでアルバイト、夕方から11時間の夜行バスでバンコックへ。

28日目 バンコック近くのRangsit へついたカップルE はダックファームでアルバイト、8000羽のアヒルを水田に放して、自然農法を行うもの。私は以前このファームのことをNHKで見たことがあり、殺虫剤を使わず、人口肥料もいらず、農家にとっても最高の自然農法、おまけに8000羽のアヒルの卵が素晴らしい収入になっている。大量のアヒルが右往左往するのが見ていても楽しい。

バンコックからバスでKhanai へ、ここでの海でピンクドルフィンがあちこち泳いでいるのを見る。このカップルの奥さんは昔ダイビングで頭をぶつけて緊急帰国の上、脳溢血でやっと回復したものの、海がトラウマになっていたという。30日夕Krabi に着いたがフェリーは翌日朝までなかった、

29日朝バンコックへついたカップルB はタイ南海岸のクラビーへのバスを予約して、バンコックの寺院を見て回り、30日クラビー(Krabi)でアルバイトガーリック、チリ、小エビでチリペーストを作る。バイト先のおばさんがクラビーの港へ二人を送ってくれた。フェリーは翌日31日2時間でピーピー島へつく。

30日バンコックからプケット(Puket)へ着いたカップルCは31日朝スピードボートでピーピー島へ向かいこの日初めて1番着も彼らの予算は最低の23%

31日目

ピーピー島にはカップルCが初めて1位到着したが、カップルBとカップルEはクラビーの桟橋で出会い、お互い再開を喜び合うも、競争心丸出し。島に到着後も目的のホテルまで小さなボートを借りていかなければならず、すごい競争、二組はカップルCの14分後に到着。

カップルAはバンコックで競争心をなくし、ピーピー島の目的のホテルに着いたのが1時間56分後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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BBC Race Across the World- 6 週目

2024-06-03 07:38:31 | BBC Race

タイのPiPi 島は昔レオナルド・デ・カプリオが2000年映画ビーチで有名になった島で、この番組の4組の人たちも、一日はゆっくり楽しんだ。

若者は一緒にボートで海に出て泳いだり、潜ったり、年長者のE カップルと A の母親も3人は海辺で語りあう。 

Day 34、 

初めて1番に到着したカップルC はタイからインドネシア・Bukittinggi まで5日の行程、すぐフェリーでマレーシアのLipe島へ行き、そこのダイビングスクーナでアルバイト、此の島を出た時には手持ちのお金は17%に減っていた。

カップルE は同じくマレーシアのLipe 島へ着くとアルバイトに海岸で憩うお客のサービスなどをして二日過ごす。

カップルB はLipe島を通ってすぐマレイシア本土のランカウイに着き、ローカルボランティアにジョインし、マングローブ保護のため新しく苗を植えたり、海岸に流れ着いているごみ集めなどの仕事に精を出す。

カップルA は2時間9分の最後に出発、このカップルだけフェリーでタイのクラビーへ戻り、バスでマレーシアへ向かった。Kampong Pulau Belantikの百姓家でアルバイト、田植えの終わった稲田で草取りをする。この娘のほう虫が嫌いで夜蚊帳に停まったトンボに悲鳴を上げた。

Day 35、

カップルB  はバスで440Km 南のクアラルンパーへやってきて、クアラルンパ―に非常に感銘を受けまたここへ来たいと言っていた。そしてペトロ二アス・タワーの観光の後首都から150km南西のメラカ(Melaka)へ夜行バスで行き、翌朝9時のフェリーでインドネシアのデュマイ(Dumai)へ向かった。

カップルはランカウイからタクシーでペナン(Penang)のジョージタウンへ観光、夜の街を楽しむ。

カップルはバスでイポウ(Ipou)のポメロ農家でアルバイト、イポウからメラカ(Melaka)へバスで向かう。 

カップルはイポウから海辺のBaganSangai Burong の漁船にアルバイトを見つけたが、今回は姉娘のほうがバスの中にパスポートの入ったバッグを忘れ、漁船の仕事も心配のあまり落ち込んでいた。地元の人たちに世話になり翌日バス会社からの連絡でやっとバッグが戻って一安心、バスでメラカへ向かった。

Day 38

カップル は夜行バスでデュマイから西に370kmのブキティンギ(Bukittinggi)に着き、インターネットの指示で、町中から田舎の田の細道を通って指定のホテルに一番乗り。

カップルはメラカのフェリーポートで出会い同時行動をすることになり、デュマイのバス停から乗ったバスが目的地の半分ぺカンバル(Pekanbaru)止まりでどこにも行けず、此のDay 38は陽が暮れた。

カップルC はメラカから2番目のフェリーでインドネシアへ向かい、目的地のブキティンギへの夜行直通バスで向かっている。

ここで6週目の番組は終わってしまった。目的地に着いたのは一組だけで、あとは明日水曜日夜の番組迄お預け。

しかしインドネシアの景色が素晴らしい。

 

 

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BBC Race Across the World-7週目

2024-06-02 05:10:56 | BBC Race

スマトラ島に着いた順

カップルB  0

カップルE   23時間27分

カップルA 23時間28分

カップルC 24時間29分

Day 40  

この日はカップルB  だけが出発、最終目的はインドネシアの首都ジャカルタへ。この日はバスでパダング(Padang)へ。ここで漁船に乗ってアルバイト、翌日(Day 42)11時15分のバスで18時間かけて ベンクール(Bengkulu)へ、Day 43-ここはスマトラの西海岸のボートショップでサーフボートのクリーニングのアルバイト、そしてサーフィンを楽しむ。

Day 41

カップルAEはほとんど同時に出発するも、カップルEのオーダーしたタクシーをカップルA が横取りしてバス停へ向かった。彼女たちはハーマスラヤ(Dharmasraya)までバスで行きたいが、バスが10時まで出ないと分かるとタクシーを使ってこの地に到着し、ホームステイとアルバイトを兼ねてバティックを作る家でお手伝い。翌日(Day 42)バスでパレムバング(Palembang)へ向かった。

カップルE と1時間後に出発したカップルCは同じバスに乗り合わせて、メインバス停から カップルE は西スマトラが気に入りサンガイ・パグ(Sungai Pagu)でホームステイ、

(写真はコンピューターの画面からスマホで写したもので、非常に見にくく申し訳ないが、このような建築物があるなど信じられなかった。)

翌日(Day 42)121㎞南西のサンガイ・ペヌー(Sungai Penuh)へ、Day 43 この地のシナモン農家でアルバイト、シナモンの木は直径20-30センチの木でこの皮をはいで細かく切って乾燥したものが商品として売られている。彼らは一日ここで働き泊まったホームステイがトイレに電気もなく穴があるだけにショックを受けた。

カップルCは乗ったバスが反対方向のソロック(Solok)へ着き、翌日までムアラ・エニム(Muara Enim)へのバスがないと言われる。ついに乗ったバスが途中でタイヤがパンクし21時間かけてムアラ・エニムに到着、ここのファミリーレストランで働く。25歳の姉は16歳の時に子宮と腎臓の1個がないと診断され、初めて弟と話し合った。これにショックを受けてナイーヴな弟が泣いた。

Day 43-44

カップルB は朝サーフィンを楽しみ、午後のバスで600km南のバンダー・ラムピング(Bander Lamping)へ ここでバスでバカウヘ二(Bakauheni)の港へ、フェリーでジャカルタへ向かった。フェリーポートからタクシーで (Day44の夜)  ジャカルタのホテル着、23時間も早く出発したから誰も追いついては来ないと思っていた。

カップルA はパレンバングのフィシュケーキの店でアルバイトをして手持ちの予算19%、タクシーでバンダー・ラムピングへ向かった。ジャカルタへのフェリーの中で、トラックの運転手に掛け合い、ジャカルタまで載せてもらった。彼女たちがホテルに着いたのがカップルB の12分後だった。

カップルCE はまだスマトラ島の中を移動している最中に番組は終わってしまった。

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BBC Race Across the World-最終回

2024-06-01 23:33:06 | BBC Race

5月29日夜7週続いていた旅の番組が終わった。トータルで51日、ほとんど毎日バスや電車やフェリーで移動し、いろいろな国でアルバイトをして旅費を稼いだ5組のイギリス人たちが最終目的地インドネシアの首都ジャカルタから1400km東のバングサル(Bangsal)の島のまた小島ジリメノ(Gili Meno)で勝敗は?

Day 46  

カップルB が出発、彼らの残金は11% 二人でお金をセーブするため歩いて電車の駅へ向かう。

カップルAは12分後に出発、この親子はあちこちでアルバイトをしていたため、まだ15%の手持ちのお金を持っていた。それでホテルからバスで駅へ向かい、カップルが歩いて駅へ向かっているところも見てこのレースに勝つと確信する。

カップル は駅でカップルが電車でジャカルタから450Km離れたセメラング(Semerang)へ行くのを知って、800km離れたジャーバの港町スラバヤ(Surabaya)へ向かった。これで彼らの手持ちのお金は10%、まだフェリーを2回とタクシーやバスに乗らねばならぬ。

Day 47

25時間後に出発したカップルは手持ちのお金が6% 最終まで行けないと分かっているからジャカルタから220㎞のシリボンの郊外19KMにある塩田でアルバイト、炎天下で海水を蒸発させた塩を集め、袋詰め、かまどで塩を煮て精製する激しい仕事に従事した。それでやっと手持ちが4%

カップルはすっかり競争心をなくしてしまい、32時間後に出発。彼らは手持ちのお金は20%ももっていて、うまく使えばタクシーでカップル や を追いかけられただろうが、こんな時こそ年齢が邪魔する。競争よりも観光を主にしてタンクバン ペラク(Tangkuban Peraku)の火山地帯で、珍しい火口や途中の町のお祭りを見たりして、のんびり最終目的地へ向かった。

Day 48 

カップルB はジャーバからバスでメラング(Melang)へ、近くの町ジョディパン(Jodipan)で町のペンキ塗りのアルバイト、この町は350年間オランダの植民地だったが、独立後、スラム化していたのを、アーティストたちが町の家々をあらゆる色彩のペンキで塗ってレインボータウンに変えた。素晴らしい色彩豊かな街になった。

此の町でカップルはカップルが働いているところを見て、からかっていた。

Day49

カップル はケタパング(Ketapang)の港からフェリーでバリ島へ向かいすぐタクシーでパダングベイ(Padangbai)へ。

カップルA  も4時間後バリ島へ向かい同じくタクシーでパダングベイの港へ。

カップルBはフェリーで4時間のレムバック(Lembak)へそこからタクシーで50Km北の海岸バングサル(Bangsal)へむかった。ついたところはまだ夜中で最終のジリ(Gili Meno )の小島へ行くボートがない。

Day 50 

カップルA もタクシーで4時間後にバングサルへやってきたがまだ夜明け前、ボートショップが開いていない。

早朝ボートショップが開くと同時に2組はそれぞれのボートで競争。カップルB が先着し桟橋を走り、途中で重いリュックを置いて走りに走った。若い二人は海岸の波打ち際に設置されたテーブルのノートを開いて、一番だったことを知り抱き合って大喜び。

8分後にカップルAがやってきた。

カップルは24時間34分後に到着し、この時彼らの持ち金は1ポンド48ペンス トータルの残金では0.05%だった。

カップル は30時間20分後に到着し、残金100ポンド以上も持っていた。

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この番組が終わった1時間後、6か月後の5組のリーユニオン(再会)の番組があった。優勝したカップルB は賞金2万ポンド(4百万円)は 二人とも旅行に使うという。

特に20歳のアルフィは此の6か月で北欧から南米迄多くの国を旅をしてきて、今後はゆっくりタイとヴェトナムへ行きたいと言っている。

21歳のオーエンはマレーシアが気に入ってぜひ行きたいと言った。

カップルEは60代、イギリス人の年寄りは珍しい食べ物に拒否反応を示す。この62歳の男性はご飯と麺類には本当に飽きたと言っていた。

私の亡くなったポールもマレーシアやヴェトナムで同じことを言ってたのを覚えている。

此の5組のカップルは7か国でいろいろなアルバイトをし、いろいろな人たちと交流して、一般の人たちでは経験できないことを経験した。彼らにとっては必ずいい思い出とこれからの人生に役立つに違いない。

私が驚いたのは5組のカップルにそれぞれカメラマンと音響の二人づつが付いて51日間を録画していたこと。大変な苦労だっただろうと思う。特にこの人たち夜行バスや電車で20-30時間も旅していた。5組のカップルが目の前に目的ホテルが見えてくると重いリュックを被いたまま走り出す。カメラマンもやっぱりカメラを被いて一緒に走らなければならない。本当にたいへんな仕事だ。

私も昔はヒッチハイクやバックパックの旅で安いホテルや、ホステルを泊まり歩いたこともあったが、バスや電車で8時間以上の旅をしたことがない。

だからバスで30時間も揺られているなど、とっても体がもたないと思う。

韓国とインドネシアはまだ行ったことがない。この番組でインドネシアが素晴らしく良さそうなので一度行ってみたい。この番組が終わっていつか次が始まるまで楽しみが無くなった。

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