Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

2015年のヨーロッパ旅行-スペインからフランスへ その2

2016-04-30 11:38:32 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

スペインのサン・セバスチャンから高速道路を走って、国境までの料金が2.35ユーロだった。距離にして約30km。高速道路と平行して国道も走っているがこの道100メーター毎にラウンドアバウトがあり本当にいらいらさせられる。

フランスの国境からボードー(Bordeaux)まで過去2-3回は通っているが高速道路は国境から約50kmほど北へ行ったBayonneまでしかなかった。はっきり覚えていないが最後にここを通った時にボードーまでの道路を高速道路に変えようと工事中だった。 そして手元の2014年の地図によれば高速道路(E5E70)は20kmくらい北に延びている。

フランス西部には山が無くどこまで行ってもほとんど平らで、問題ある我がキャンパーのエンジンには高速道路でなくても構わない。ところがまっすぐボードまで行こうと欲を出して高速を北に進むと20-30kmごとに料金徴収所があった。4回も払っていったいこの道路は全部高速道路になったのかといぶかったところで、カーナヴィをセットして高速道路を抜けたところがボードから100km南の田舎道だった。

 

 

フランスやスペインの広大な農地では散水機の規模が大きく長さにして100メーターはある。

田舎道も高速道路の料金支払いを逃れるために多くのキャンパーを見かけた。彼らはこれからスペインあたりへホリデーに行くのだろう。

 

 

ボルドーの町に着いたのは午後の4時ころ、カーナヴィの案内でキャンパーはまっすぐ一番忙しい街中へ入り込み、バス停や電車駅には帰宅の学生や主婦であふれかえっていた。そしてとうとうラッシュアワーの車に巻き込まれ、ボードーの町を出たのは2時間も経っていた。

 

 

 

キャンプサイトはボードーの北30kmくらいの田舎にあり、あいにく降り出した雨の中、サイトの指定場所に停車したときは本当にほっとした。この日は一日10時間もポールが運転していた。

ラッキーだったのはキャンパーの中からでもインターネットにアクセスできる無料のサーヴィスがあり、三日後のカレー・ドーバー間のフェリーを予約できたことだった。

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2015年のヨーロッパ旅行-スペインからフランスへ

2016-04-28 21:14:02 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

朝まで降っていた雨がやっと上がり、今日は有料の高速道路を通ってフランスへ向かう。朝8時に出発、ほとんどのキャンパーはまだ寝ているらしく静まり返っていた。

高速道路はバーゴスからビルバオへつながっているが私たちはヴィットリア(Vitoria)へ行きそこからまた別の有料の高速道路を通るつもりだった。ヴィットリアにはバーゴスからの高速は通っていない。この地方は山が多くて普通道路ではどれほどスピードが出るかわからなかった。 

 

 

 カーナヴィをヴィットリアにセットして高速道路を下りるとすぐ道路は田舎道に入った。地図で見れば立派な国道が通じているはずなのにどうしたことか。はじめは平地の田舎道を走っていたから良かったものの、坂道の田舎の村へさしかかった。

 

 

 

 車の窓から見える異様な風景に我を忘れて写真を撮りまくった。先を急ぐ亭主は停まってくれないし、おまけに狭い道に観光客や観光バスが停まっていて後ろからくる車に追われるようにこの村を通り抜けた。

 

 

 

 途中の狭い山道でも巨大な観光バス2台とすれ違ったし、あの村は何かあるらしい。

 

 

帰国してから下の道路標識Convent of San Juan de Acre (エーカーのサン・ホアン 尼寺)からここが12世紀から有名な塩水の吹き上がる土地で20世紀半ばまで塩の生産地として非常に潤ったという。

Vallo Salado (塩の谷)は廃墟になったのを現在観光資源として再生しユネスコ世界遺産になっているとのことで、改めて驚いた。こんな山道に連れてこられてとカーナヴィのマダムを恨んだりもした。

 

 

 

 

 あたりは山桜が満開のきれいな山道でジグザグの道路を登ったり下りたり、やっとヴィットリア近くの国道が見えてきた時にはカーナヴィを消してしまい道路標識と地図を頼りにフランスへ向かった。

 

 

スペインの国境近くから有料の高速道度を走ってすぐ料金徴収所に着き、たぶん1km以上もトラックが長い列を作っているのをしり目に乗用車やキャンパーはすぐフランスの高速道路へ入っていった。

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2015年ヨーロッパ旅行ースペイン2日目

2016-04-27 21:23:01 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

翌朝は8時過ぎにキャンプサイトを出発。素晴らしい青空だったが風は冷たい。サイトのすぐ近くから高速道路への入り口があり快調に飛ばしたかったのに、エンジンはなんと昨日よりもっと悪い。昨日の3時間と60ユーロが全く無駄だった。昨夜修理工場からキャンプサイトへ行く前にタンクを満杯にしたのが何か影響があったのかもしれない。

カセーレスからサラマンカまでの196kmは坂道が多く平坦な道路が殆ど無い。坂道を上る時の時速20マイルに頭にきた亭主はどこでもいいからまた修理工場へ行ってフィルターを取り換えてもらおうと言う。

 

 

道路標識に給油と修理のサインを見つけて行ってみたが、たった一人で何台かの車を修理しているおじいさんは、ポールの頼みにケンもホロロ。 本当にこんな片田舎では替えるフィルターもないかもしれない。

素晴らしい景色とラヴェンダーの花に大喜びで写真を撮っていた私もがっかりして、もっと大きな町までのろのろ運転で行くことに賛成した。

 

 道路わきには白のエニシダ(ブルーム)が咲いているがこれはタヴィラでは3月初めに咲き終わっている。これだけ北上しただけで花の咲く時期が一ヶ月も遅い。黄色のブルームはほとんど同じ時期なのに。

 

 

 プレサンシアは以前ハゲタカを見に2回も来たことのあるところだが、町へやってきたのは初めて。町の入り口で巨大な教会の建物が見え、こんな街中へ入ってもどこに修理工場があるか判らない。

工場地帯の標識を見つけて、行ってみたところで修理工場がすぐに見つかった。そこでフィルターを取り換えてもらい45ユーロを払ったが工員はフィルターは特に汚れていないと言う。

早朝よりもややスピードが上がって40-50マイルでサラマンカへ向かった。

 

 

 プレサンシアから北西に向かう国道110は今の時期桜ん坊の花であたりが白っぽい。このサラマンカへ向かう道路わきにも遠く近くに白っぽい桜の花で満開の様子。

サラマンカは平野の町で環状線で町を遠くに見ることができるが大聖堂の尖塔が特に大きく天を突いている。サラマンカを過ぎた平野の右手(国道110の方角)に雪山が見えてきた。

 

 

 

サラマンカからバーゴス(Burgos)までの240kmは平野の中を走る高速道路でやっと快調に飛ばしだした。と言っても60-70マイルで坂道を下りその反動で緩やかな坂道を上るを繰り返して夕方6時ころバーゴスのキャンプサイトに到着。

 

 

到着前から降り出した雨はたどり着いた時には激しく降っていて、サイトの受付ではキャンプ場がぬかるんで車が泥に埋まってしまうから、前輪は道路のコンクリートに載せておくよう指示された。そしてこのシーズンオフに多くのキャンパーが停車していて驚いた。もしかしてこのキャンパーはビルバオやサンタンデルからのフェリー待ちなのかもしれない。

私たちもキャンパーがこの調子ではどうなることか分からないと、ビルバオからフェリーで帰国することを話し合って、インターネットで探してみたが五日後しか英国ポーツマスへ向かうフェリーが無くて諦めた。

この夜のサイトのシャワーはぬるくてあまりの寒さに震えあがった。そして今日一日の走行距離は275マイル(440km)だった。

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2015年 ヨーロッパ旅行ースペイン初日

2016-04-26 23:05:37 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

キャンピングカーの保険が4月20日で切れる。キャンピングブックがいつ来るかが分からなくて、帰国してからの更新では間に合わないかもしれないと焦って保険会社にメールを送ったが、インターネットでは受け付けないと言われてやっとスカイプの電話で更新できた。

今年の8月で85歳になる我が亭主ポールはキャンパーの保険が84歳までと書いてあるのでやたらと心配したが、来年4月まで更新できて大喜びだった。この歳でもヨーロッパ中を運転し山道を歩き回り元気いっぱいだけれど、保険会社は85歳ではキャンパーの運転は無理とでも思っているのだろう。こうなるとあと1年しかキャンパーを楽しめない。

 

4月13日朝9時前にキャンプサイトを出発した。親しくしていたイギリス人もスエーデン人もオランダ人もみんな帰国してしまい、あとフランス人のキャンパーが2台残っているだけ。昨年から同じ場所でキャンプしているひげのフランス人のおじいさん(名前も知らない)が手をふって見送ってくれた。

いつも行くスーパーで最後のショッピングにオリーヴ油の大びんや、オレンジを大量に買い込んだ。4月になると大きなオレンジは味が落ちそれに反比例して値段が上がっていく。小粒のオレンジはまだ味が落ちていないし今から出荷するオレンジ農家も多いのだろう。

約1時間でスペインの国境に着きセビリアまでの高速道路はほとんど平らだけれどキャンパーのエンジンに馬力が無いと亭主は嘆く。2年前グラナダへ行く前の道路際で入れたディーゼルが汚れていたため毎回馬力のなさに悩まされている。まるで輸血によってエイズを感染した患者のようにどんなに手入れをしても良くならない。

セビリアから北のカセーレスまでの道路も無料の高速道路だけれど坂道が多くて、下り坂ではアクセルを踏み続けてスピードも50-60マイルが出るけれども上り坂がいけない。20-30マイルののろのろ運転で大きなトラックがずんずん追い越していく。

 

 

昨年見かけた大きな城壁のある町へ下りて給油したが、お城を見たいなどとはとっても言えない。何しろこんな調子では今日の予定がどこまで行けるかわからない。給油後エンジンの調子がやや良くなり、平地で50マイルくらいは出るようになった。それでもすべての乗用車やトラックに追い越されていく。

運転している亭主には気の毒だが、私のほうは道路際の景色が面白く写真を撮って楽しんでいた。何度も黒豚の放し飼いを見かけ、ポルトガルの豚肉が一番安いのはこのようなブタかもしれないと思う。平地はブドウ畑とオリーヴ畑が広がり、岡や山は殆どコルクの林が続いている。

 

                                                                             

確か昨年も見かけたこのピンクの花が道端を明るく彩る。ポルトガルやスペインのこの地方では桜を見かけることが無い。

 

 

 

ポルトガル南部の丘と変わらない乾燥地帯のこの地方は道端にシスタスの白やゴースの黄色そしてラヴェンダーの紫色が彩る。

ポルトガルからカセーレスまで290マイル(460km)をほとんど休みもなしに走って午後3時に町に到着。カーナヴィを町外れの修理工場にセットしておいたから、すぐ工場の前に駐車した。昨年秋にも行ったので修理工が顔を覚えていてくれ3人の人たちがエンジンを触りああだこうだと手を入れて結局は全然治っていなかった。3時間の時間のロスと60ユーロを支払い、彼らにも原因が分からなかった。

この夜は昨年4泊もしたカセーレスのキャンプサイトで泊まった。

 

 

 

 

 

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2015年ヨーロッパ旅行ー帰国準備

2016-04-25 14:12:35 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

3月末になると今まで親しんだ英国人もオランダ人もほとんど帰国してしまいキャンプ場の4分の3を占めるフランス人も半数以上は帰国してしまった。そして3月末の気候は英国の夏に当たるくらい暑くなってくる。

通りの庭に冬じゅう屋外で栽培しているランの花が見事な花を咲かせた。そして4月はじめ今まで見たことのないきれいな紫色の花がキャンプサイトの木々に咲きだした。オフィスのポルトガル人に名前を聞いてもだれも知らない。大体若い人たちは興味が無いからほとんど見たこともない人が多い。

 

 

町へ出かけていくとこんなかわいい風景に出会うこともある。キャンパー内は気温30度にもなり暑さにも寒さにも弱くなってしまった私にはキャンパー横のバンガローのベランダが昼寝にはもってこいの場所で、太陽が真上にある間の日陰でのんびり昼寝をしていた。

2月初旬にオランダの出版社にオーダーしたキャンピングブックとメンバーシップカードはシーズンオフの間キャンプ場料金がずいぶん安くなる。2月中に本が届いたらしいが、オフィスの誰かが無くしてしまったという。すったもんだの末出版社から再送付したとのメールがイースターフライディ(3月25日)だった。ポルトガルの郵便事情は悪く英国からの普通郵便で10日はかかる。日本への郵便だって早くて5日遅くても1週間で着くのにこの国は徹底的に遅れている。

この本が来ない間は出発できないから初めの1週間は諦めていたが2週目の終わりごろはいらいらして毎日オフィスへ行って郵便の有無を確かめていた。本が着いたのが4月12日、オランダから送付して2週間と4日かかった。

 

   

 4月に入って暑くなってくると今まで遠くの塩田で餌をあさっていたフラミンゴがメイン道路に近いフットボールグラウンドの後ろの塩田に集まってきた。臆病な鳥だからあまり近寄れないので望遠をフルに活用。

 

 昨年行ったカメラオブスキュアに日本人女性が働いていたとの情報を聞いて、今まで読み終わった日本語の本15冊をショッピングトローリーに入れて持って行った、が彼女が働いていたのは3年前と言われてがっかり。図書館へ持っていったらと言われて、また町の反対側まで坂道を歩く。図書館が喜んでもらってくれたので午後また10冊持って行った。タヴィラにあまり日本人が来るとは思わないが、ここに25冊の本が貸し出される。

このサボテンはカメラオブスキュアの近くのフラットで見つけたもの。

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キャンプサイトの近くのメイン道路のラウンドアバウト。また道路標識が倒されていて、今年で何回目だろうか。

本が届いた翌朝キャンプサイトを出発したが、本が届いた12日には、すぐ魚市場へ行ってお土産に海塩を大量に買った。またサバや鰹モンコイカ、木の葉カレイなど洗って切って冷凍庫いっぱいに持って帰る。

 

 

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2015年ヨーロッパ旅行ー名前

2016-04-20 22:19:13 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

今年のキャンプサイトでは新しい友達が沢山できて、名前を覚えるのが大変、

2月半ばから私のラジオ体操にジョインしたイギリス人男性2人、アランと奥さんのエプリルは65歳になっていないと言うが、初めて会った時は私より年上だと信じて疑わなかった。奥さんのエプリルはもちろん名前の通り4月生まれ、ラジオ体操に1日来ただけで翌朝から英国へ2週間の一時帰国。アランは結婚3回目というおなかが大きく足がアンバランスに細い人で、ユーモアとウイットに富んでいる。

マイクは元学校の先生だった背の高い痩せた人で今年70歳になる。ラジオ体操が終わるといろいろおしゃべりが楽しみで、ある日の話題に日本の楢山ブシ考の話になった、昔の貧しい田舎の農村では70歳になると山中に捨てられたと言ったら  ”えー、僕今年70歳だよー〝 と震え上がったので歳が分かった。

亭主と二人で散歩中に自転車で走ってきたマイクと奥さんに会った。我が亭主にマイクを紹介したら、どういう風に聞こえたかわからないが昔の隣人エリックと同じ名前だと覚え込んでしまった。それでマイクの名前にたどり着くにはエリックって誰?と聞くと ”んーんマイク ” と返事が返ってくる。 マイクの奥さんはシオナという。なんとなく日本人の名前のようだと言ったら、スコットランドの名前だとのこと。 日本語なら塩菜になるとマイクに言ったら結構面白がっていた。

アランに我が亭主ポールがマイクとエリックを混同してと言ったら, えっ!ポールというのか。僕はピーターと呼んでいた。皆名前が混同している。ポールが俺をピーターと呼んでいたとは知らなかったと言ったら、アランいわく マー気にすんなよ、フレッド。 

フランス人の女性で英語は全然話せないが3年前からの知り合いで毎朝犬2匹と散歩している人はジョセフィンという。私は彼女の名前が一度で出てきたことが無い 。以前テレビのコマーシャルでジョセフィンがナポレオンをベッドへ誘うシーンで Not tonight Josephine(今夜はだめだよジョセフィン)というのがあった。それ以来このセリフが出てこないとジョセフィンの名前が思い浮かばない。

ずいぶん昔のことだけれど、当時50歳くらいの日本人の女性が英語の勉強がしたいと半年ほど滞在していた。彼女いわく日本人の若い女性で自分の御主人をチャン付で呼ぶのよ、。へーご主人は何て名前と聞いたらセバスチャン。大いに笑わせてもらった。

こんなことがあったから孫が生まれる前、チャンやサンの付く名前、例えばクリスチャン、セバスチャン、ジョナサンなどの名前は避けるようにと伝えたら大丈夫とつけた名前が両方のおじいさんの名前だった。

キャンプサイトに落ち着いたときに隣人にスエーデン人の夫妻が大きなキャンパーで住んでいた。彼らは夫妻とも英語を話し、出会った時にいつも挨拶したりおしゃべりしたりしていたが、6ヶ月以上もほどんど毎日会っていて名前を知らなかった。あと2日で彼らが帰国すると言うときに、思い切って名前を聞いた。(これってすごく勇気のいる事ですよ)彼らも私たちの名前を知らないから、お互いに自己紹介しあって、来年もこのサイトでお会いしましょうと約束した。昨年も彼らは近くに居たそうなのに、一度も話してなくて名前を知らなかったから全然記憶にない。 もちろんすぐに忘れないようにノートに名前を書いた。

 

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