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Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ヨーロッパキャンプ旅行ードイツ Ludwigsburg

2025-06-30 21:04:41 | 旅行

ワインフェスティバルでにぎわうキャンプサイトで一泊した後ライン河をよこぎって東へ向かう。最終目的のギリシャ以外の観光案内書を持ってこなかったので、ドイツの何処が見所なのか判らない。キャンプサイトを探してStuttgartへ行く途中Ludwigsburg へ寄ってみた。


小さい町だったらしく初めに見つけた駐車場にキャンパーを停め、町の中心に向かって5分も歩くとタウンスクェアーに着いた。
土曜日のマーケットが開かれていて新鮮な野菜や果物があふれて居る。あせりの亭主と一緒だとゆっくり見て買い物をする時間がない。

見つけた観光案内所で聞くとすぐ近くにLudwigsburg宮殿があるというので行って見た。宮殿の中庭でフォルクスワーゲンの自動車ショーを開いていて珍しいスポーツカーや例のカブトムシ型がずらっと並んでいた。

 

 

団体行動を嫌う亭主は一時間のガイド案内を嫌がり私一人で見てこいというので、英語圏から来た観光客20人くらいとぞろぞろ歩き回り写真をとりまくった。

 

 

この宮殿は18世紀の貴族の館で18棟に452室を容するという。300年前のこの辺りは深い森に囲まれ,この近く2つの狩猟のための別荘と併せ持ってドイツの中流貴族が出入りしていたとのことだった。王族でなくても貴族でこのような豪華絢爛、搾取されたであろうその当時の平民農民の生活はいかがであったろうと思ってしまう。

フランスの宮殿だと言われても信じるくらい豪華絢爛。

その反面このような富の集中がなければ現在のような芸術、文化は生まれなかったであろうとも考えた。上の写真は色石を集めて作ったテーブルトップ。下の芸術作品のような裏庭も感嘆に値する。


ドイツの9月といえばオクトーバーフェスト(10月祭)の始まりで,町の通りのデコレーションや宮殿の庭の飾りも,かぼちゃやスコッシュをつかった珍しいもの。

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行

2025-06-30 18:14:28 | 旅行

秋晴れの良い天気、たった一晩泊まったベルギーのキャンプサイトを早々に出発し、河に沿ってDinan まで行きまた高速道路でルクセンブルグの環状線からドイツに向かった。
ドイツの高速道路アウトバーンはいつ行っても素晴らしい。もちろん英国と同じでここも無料、この日は地図とキャンピングBook をにらめっこでライン川の西Bad Durkheim へ行くことにした。

 

高速から田舎道にはいっていくつかの町を通った。どの町も通りの上はぶどうのつたが這っていてワインを売っているお店が多い。郊外はきれいに並んだぶどう畑でそれ以外の作物は見かけられない。

探しに探して行ったキャンプサイトはブドウ畑の真ん中にあり料金も30.4ユーロとびっくりするくらい高い。聞けばこの週はここ地域一帯のワインフェスティバルだと言う。キャンプサイトも今まで見たことのないくらいの広大さ、サイトの真ん中を走る2車線道路の両側にはぶどうのつるが這っていてグリーンと紫のぶどうが熟れている。

トイレやシャワーの設備が完備してよごれも見えない清潔さ、こんなブロックが4箇所もあり千人位のキャンピング収容人員も大丈夫なようすだった。
キャンプ場の周りを散歩してみたがブドウ畑ばかりで町へ歩いてゆくには遠く、キャンプサイト入り口に飾ってある巨大なワインの樽が一番印象深い。

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行

2025-06-30 16:47:02 | 旅行

2009年3ヶ月のヨーロッパキャンプ旅行に行き、ブログはこれと違って新しくreikoh1944で書き送った。今回此のブログがクローズするにあたって新しく編集し直して次のブログ(はてな/アメーバ)へ移行できることを願っている。此の旅行では ベルギー・ドイツ・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・ギリシャ・イタリア・フランスの各地田舎を回ってきた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

9月9日午後慌しく我が家を出発した。インターネットや東ヨーロッパの観光案内所で情報を集めた結果、ほとんどのキャンプ場は9月末で閉まるところが多いと判り、あせってしまった。
我が家からドーバーまでは73マイル、明朝9時のフェリーに間に合わせるためにこの夜はフォークストンのキャンプサイトで一泊し、翌朝6時過ぎに起床、7時半には港でフェリーに乗るために行列を作っていた。

 

ドーバー・カレー間はフェリーで1時間半、そして英国・フランス間には1時間の時差があるため、カレーからベルギーへの高速道路に乗ったときは12時になっていた。

 

ベルギーの高速道路は無料でオステンド、ブルージュ、ゲンツ等をスムーズに通り過ぎ、ブラッセルで環状線に乗るべきがどうしたことか町の真ん中に入り込んでしまった。ブラッセル大聖堂の周囲の緑の多い公園から左に折れて数人の人に聞いて走り回った挙句、1時間半後にはまた同じ大聖堂の後ろに広がる公園にたどり着いてしまった。あせりの亭主はない髪をかきむしる勢いで怒っている。

やっと元のところから環状線を見つけてブラッセルを抜けNamur まで60Km、そこでも迷っておまけにキャシュマシーンが見つからず、親切な女性に車で先導してもらった。キャンプサイトも迷ってあちこち聞いて周り、やっとたどり着いたときはポールは疲れ切っていた。(ポール78歳)

上の写真はDinan 城とRiver Meuse (ムース川)でまるでライン川を見ているよう、ここからルクセンブルグへ向かった。

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6月のロンドン

2025-06-25 05:15:43 | 日記

今まで毎月ディスプレイされていたポストボックスギャラリーが5月6月と何もでていなくて、日本の従姉妹からいったいどうしたのかと問い合わせもあり、心配していたところ、やっと23日の月曜日、こんな楽しい夏の風物詩的なディスプレイがでた。

 

こんな楽しい海の魚に貝や浜辺のサンド・カースルにカモメまでどれも全部編み物でよくできていると感心するばかり。当分これを見て夏の海辺を想像しようか。

今日ルーシャムのマーケットへショッピングにとバスに乗って病院の前の大通りで素晴らしい街路樹の花を見かけた。

帰りにこの近くのバス停で降りてしっかりお花の鑑賞。

今まで毎年この時期もバスで通り過ぎていたのに、見かけなかった此の花、もしかして最近の陽気で花が咲きだしたのかもしれない。ウイキペディアによればカタルパ(Catalpa)はアメリカ南東原産、アラバマ,フロリダ、ジョージア、ミシシッピーではありふれた街路樹だとのこと。

日本にもありますか?日本ではなんと呼ばれていますか?

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ペンジ(Penge) のSpray Exhibition 20

2025-06-23 05:02:00 | 日記

最近英国でも猛暑が続いている。ロンドンで30度を越すと、猛暑とよばれる。というのも英国には暖房装置は有るが冷房装置はお店か電車くらいのもの、一般家庭には最近扇風機が出回ってきていると言う。

昨夜も相変わらず暑くて窓を開けカーテンも開けて風が通るようにして寝たら明け方寒さで目が覚めた。窓もカーテンもドアも閉めてやっともう一眠り。ロンドンには今まで蚊がいなかったから(最近いるらしい)窓を開けて寝ても平気。

昨日娘から彼女の住んでいる街の隣街ペンジで例年のグラフィティのイクスビションが有ると言う。朝10時から無料のストリートツアーがあるというので、ぜひ行こうと考えていた。

今朝9時半バックにカメラと水のボトルを入れて駅へ行く途中、バックから水が滴り落ちてきて、見ればボトルはほとんど空、中に入っていた大きなカメラが水浸し。完全に駄目になってしまった。

それでも10時には所定の場所に集まって20-30人くらいの男女が案内人ケヴィンに連れられて、あちこちのストリートの絵を見に行った。

随分手の込んだパッチワークのような牛、レンガの壁に描かれている。

牛の横壁の犬と猿、素晴らしいと思う。これはもう落書きでは無く本当のアート

広大な建物の壁に描かれたフェニックス。素敵な色合い。

どうやったらこんな巨大な絵がかけるのだろうか?この人物画もとってもうまい。

案内人のケヴィンの一番好きな絵だと言う。これまでの絵はスプレーペイントで描かれたもの。

これは女性の画家で、筆で描いたもので相当の日にちを費やしたらしい。 この画家も英国人ではなくて、外国から来たとのこと。

ビール会社の工場のドアの絵、

これもビール会社の工場の壁の絵、すばらしい。

最近こんな白黒の絵が多い。

ルイヴィトンのバックの中に住んでるこの子。

普通の住宅の横の壁に描かれた象さん。

小さなインド系のお店のシャターに描かれたこの素晴らしい絵。お店の人も大事にしているらしい。

上の絵は案内人ケヴィンがいて絵の大きさが分かるだろう。

この会のオルガナイザーの一人、彼女の父親で今から10年前くらいに亡くなった方だと言う。なくなるまでカメラを持ち歩いて誰でも写していたとのことで、彼女は父親の写真集を作っていた。

傷ついた鳩? 鉄橋の下のレンガ塀に描かれた。

修理店のシャターの猫

どれもこれもプロの絵。

ケヴィンの説明によれば、この画家は特別な試みで描いたものだと言う。確かに今まででは見られない絵の描き方。

英国に1枚しかない絵で、ケヴィンはとってもProud だと言った。

これは漫画か。

ここで携帯のバッテリーが切れてしまい、娘宅へ行って充電しながら昼食を食べ、その後に昨年も行った屋上の駐車場、Rooftop Gallary へいった。

天井の低いこの階でこんな怖い絵を夜見たらたまらない。

漫画。

昨年大きな男性の顔が半分日陰で素晴らしかった。それが消えてこんな絵に変わっていた・

 

素晴らしく巨大な画、でもこれだけではサイズが分からない。

この人と見比べてみてほしい。 どうやってこんな素晴らしい絵がかけるのだろうか?

これは逆に最小の絵 10cmくらいの絵

昨年このRooftop Gallery で感激した巨大な黒人男性の顔の絵が消えていた。このグラフィティ・アーティストは 写真に取れても実物を紙のように持ち運びできない。上塗りをしてしまえば永遠に消えてしまうアート。

 

 

 

 

 

 

 

 

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サマセット・ハウスのC ギャラリーその2

2025-06-17 07:54:22 | 日記

Courtauld のThird Floor (日本で言う4階)は 印象派の絵画が目白押し。もう10年ほど前に来た頃よりも展示品が多いと感じた。会場も大きな2部屋になって明るくゆったりと鑑賞することができる。

Edgar Degas ( 1834-1917)ドガはバレリーナーに多大の興味を持ち多くの作品を描いた。この絵は多分ドレスリハーサルだったのであろう。

Pierre-Auguste Renoir ( 1841-1919)このシアターボックスと言うタイトルの絵はプロのモデルとレノアーの弟がモデルで、彼のスタジオで描かれた。

Edouard Manet (1832-1883)草原でのランチというこの 絵は1863年に展示されたときには大きなスキャンダルになった。 この絵はスケッチでオリジナルの絵はパリのオルセー美術館に有る。

Pierre-Auguste Renoir (1841-1919) 春と城というタイトルのこの絵はレノアールの淡い色彩と形のない草はらや、左奥の水色からそこにお城が有ることがうかがえるという。ここはパリから西の小さな川縁の街で、パリジャンの人気の場所だった。

Paul Cezanne (1839-1906) セザンヌはカミールピッサロの住むパリ北部の小さな村Osny へ訪れ、このダイナミックなパッチワークのような絵を描いた。

Paul Gauguin (1848-1903)ゴーギャンはこの田舎の飼葉づくりを見るためにフランスの西側に位置するブリタニーへ数回訪れ、ローカルの生活や風景を記録した。当時のローカルの女性の服装など、オランダの女性のそれに似ている。

Amedeo Modigliani(1884-1920)1916-1917にかけこの画家は同じモデルを使って数枚のヌードを描いた。1917この絵が展示されたとき世間は陰毛にショックで、警察が展覧会を閉鎖した。

Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) タイトルのジェーン・アヴィルがムーランルージュの入口へ。この女性はムーランジュールのスター踊り子でロートレックは何枚も彼女の絵を描いた。ロートレックはムーランジュールのポスターを描いた。

 

 

Edouard Manet (1832-1883) これはマネの最後の絵で、パリジャンの人気のミュージックバー Folies-Bergere 。 モデルのバーメイドSuzonはマネのスタジオに通って絵を完成した。彼女の後ろには金の額縁の鏡が斜めに置かれホールの中を映し出している。 

Edouard Manet (1832-1883) マネはモネの住むArgenteuil を訪れモネの妻子をモデルにしてセーヌ川のほとりを描いた。

Claude Monet (1840-1926)1880年初めモネはこの野生の花ゼニアオイの絵を描き始めたが途中で放棄し、40年後に再び描き始めたもので古い絵の具が乾いて干からびているのがわかるそうだ。

 

Vincent Van Gogh (1853-1890)1889年春ゴッホはアーレスで満開の桃畑を見て弟に手紙を送った。日本の版画に心酔し、桃畑が日本の桜並木と富士山を連想させると書いた。

Vincent Van Gogh (1853-1890)ゴッホの自画像で左耳を切って退院したすぐ後の1889年鏡を見て描いたもの、後ろの壁に日本の絵が見える。

Georges Seurat (1859-1891)スラーは点描画をマスターしてすぐパリ郊外のセーヌ川のほとりを描いた。対岸の街は急速に工業化されていった。

Georges Seurat (1859-1891)スラーのただ一枚のポートレートで彼の若い婦人をえがいたもの、題名は化粧をする若い女性。よくぞこれだけ対局の色彩を使ってと感心する。この人31歳で死亡と本当に短命。

Paul Cezanne (1839-1906)このギャラリーのオーナーサミュエル・コートウルドはセザンヌの絵を好み、英国一のコレクターして、ここに5枚の絵を載せる。

Paul Cezanne Montagne Sainte-Victoire with Large Pine.

Paul Gauguin (1848-1903)タイトルーNevemore (二度と再び)という題名だがどうして?なぜ?か分からない。このモデルはゴーギャンのタヒチの15歳の妻。

Paul Gauguin (1848-1903)Te Rerioa(The dream) ゴーギャンがタヒチに落ち着いて数年後にえがいたこの絵は題名が夢または悪夢であるという。

それもまたわからない。

Claude Monet (1840-1926)彼が住んでいたパリ郊外のArgenteuilのセーヌ川のほとり秋の風景。

Claude Monet (1840-1926)モネは1888年、数ヶ月地中海沿岸のAntibesへ旅し、光と地中海の雰囲気をパレットに収めた。

このギャラリーはナショナル・ギャラリーとは比べ物にならないほど小さいが、そのコレクションには感激するほど、すばらしい。 飾られている絵画は常駐のもので、日本のように押し合いへし合いすることもなくゆっくりと鑑賞できる。

昔日本から来た従姉妹がここで誰もいないギャラリーで名画が見られることに感激していたのを思い出す。

 

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サマセットハウスのコウトウルド・ギャラリー(Courtauld)

2025-06-13 22:28:19 | 日記

サマセット・ハウスはロンドンストランドの南部に位置する18世紀チューダ朝時代の宮殿で、元は官公庁、科学協会、官軍省が入っていた。最近4800万ポンドの投資で美術館、レストラン、王立文学協会の本部など修理改装された。

ここ コートウルド美術館には以前は何回か来ていたが、もう10年近く訪れていなかった。

First Floor (日本で言う2階)は中世の宗教画

Second Floor (日本で言う3階)はルネッサンスの絵画 特に多いのがルーベンスの絵

Third Floor (日本で言う4階) は印象派の絵と20世紀絵画

今日はSecond floor の絵画をここに載せる。

英国の画家ジョシュア・レイノルズ(1723-1792) マリア・マロー・ギデオンと弟ウイリアムのポートレイト (1786-87)

この人の絵は先週行ったケンウッド・ハウスに多数有った。当時の英国1のポートレート画家であった。

スペインのポートレート画家ゴヤ(1746-1828)のフランシスコ・デ・サーベドラの肖像画( 1798)サーベドラはスペインの財務大臣だった。

ジョシュア・レイノルズの サイコとキューピッド(Psyche & Cupid)

レイノルズはロイヤル・アカデミーの会長として1789年展覧会に出展した。

ルーカス・クラナッㇵ (The Elder) (1472-1553)の アダムとイヴ (1526)

 

ピータ・ポール・ルーベンス(1577-1640)

セント・ポールの改宗 (1608)キリストが現れたときにローマの兵士であったポールが落馬し、同時にクリスチアンに改宗した。

アンソニー・ヴァン・ダイク(1599-1641) の ECCE HOMO (ラテン語でこの人を見よ)( 茨の冠をかぶったキリスト)

ローマ人のオフィサーがラテン語で この人を見よ と言った。

処刑される前の茨の冠をかぶったキリストだが、まるでジムで鍛えたような筋肉質のキリスト、ちょっと眉唾物。

ルーベンス(1577-1640) の The Wrath of Achilles ( アキレスの憤怒)

ルーベンスの The Entombment of Christ (1615-1616)(キリストの埋葬)

 

ルーベンスのキリストの降架 アントワープ大聖堂の絵の習作

アントワープの大聖堂にキリストの昇架と降架の巨大な画が飾られてある。この絵はキリストの降架を描いたもの。

ルーベンスの The Death of Achilles  (アキレスの死)1630-35

この絵はタペストリーのために描かれたもの。

ルーベンスの Moses and the Brazen Serpent (1609-10)旧約聖書の中のストリーで神をうやまないイスラエルの民にモーゼが神から与えられた金属の大蛇で彼らに罰を与えているところ。

ピエトロ・ダ・コルトナ(1596-1669) Faith, Hope, Charity (1640)

キリスト教の精神を3人の女性に擬人化したもの。 赤の服で子供たちに囲まれているのがチャリティ、ブルーの服は信仰、錨をもった女性は希望である。

ルーベンスの Portrait of Baldassare Castiglione (1630)

ルーベンスが1514年作のラファエルの 絵のコピーをしたもの。オリジナルの絵はルーブル美術館に有る。

ルーベンスの The Family of Jan Brueghel the Elder 

ブリューゲル(父親)の家族のポートレート(1613-15)ブリューゲルと子供たち2人は1625年のコレラ大流行で感染して死去。

ルーベンスの Landscape by Moonlight (1635-40) ルーベンスの晩年宗教画から変わって風景画を楽しんだ。

18世紀、この絵はジョシュア・レイノルズが所有していた。

ルーベンスの Cain Slaying Abel (1608-09)ケインとアベルはアダムとイヴの息子で、ケインの自己犠牲が拒否されたことで嫉妬と怒りでアベルを殺す。この絵はルーベンスの初期の絵で古代の彫刻とミケランジェロの影響を受け筋肉質の体を描いた。

トーマス・ゲインスバラ (1727-1788)中世の英国画家

The harvest Wagon (1767)二人の娘は自分の娘を描いたがその他はルーベンスの絵をコピーしたものだと言う。

ジョゼフ・マロード・ウイリアム・ターナー(Joseph Mallord Wolliam Turner) (1775-1851)

The sun setting though Vapour (1809)平和そうな夕暮れ風景だが、舟はトラファルガー沖の海戦で修理が必要、後ろは捕虜を乗せた帆船で、ターナーは17世紀のオランダ絵画に心酔していた。

ルーベンス の A Landscape Near Het Steen (1635-40)

1635年ルーベンスはアントワープ郊外のHet Steenのお城を購入し、死に至るまでの5年間を風景画を楽しんだ。

アンリ・デ・トウルース-ロートレック( Henri De Toulouse-Lautrec).(864-1901)A woman seated in a Garden (1890)

1890年頃ロートレックは戸外での絵を好み、この赤毛のモデルを使って数枚の絵を描いているが、モデルは分からない。

クロード・モネ(1840-1926) The Church at Verengeville (1882)

モネは1日中の光の変化に興味を持ち、同時に数枚のキャンバスをおいて光の変化を映し出した。これはその中の1枚。

エリザベス・ヴィギー・レ・ブルン(Elizabeth Vigee le Brun) (1755-1842)

Portrait of Countess Golovina (1800)

マリー・アントワネットの肖像画を得意としていたエリザベスはフランス革命時にロシアに逃れ1790年代ゴロヴィナ伯爵夫人と知り合う。エリザベスは彼女のチャームとインテリジェントに魅了されこのポートレートを描いた。

 

 

 

 

 

 

 

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ウオレス・コレクション(Wallace Collection)のグレイソン・ぺリー

2025-06-09 04:48:59 | 日記

ロンドンの都心オックスフォードストリートの大デパートメントストアー セルフリッジの後ろ歩いて5分ほどにあるこのお屋敷ハートフォード・ハウスはウオレス・コレクションと呼ばれる。

ここは元サーとレディ ウオレスのお屋敷で彼らが集めた美術品が展示されている。

そして6月6日金曜日、日本人の友達2人と一緒に特別展グレイソン・ペリーを見にやってきた。

この人、今年65歳の芸術家、奥さんも子供もいるがトランスベスタイ(服装倒錯者)で今は中年女性の服装をしているが、20年ほど前にテートブリテンで受賞したころは、かわいい女の子のフリルを付けたドレスなど着ていた。

10時半には集まっていたからすぐ入ろうとしたらチケットはオンラインでなければ入れないというので、外のベンチでやっとアクセスして11時15分に入場。会場は地下の3室。

 

変なバッジやボタンなどが張り付いてこれがアート? この人コメディアンの要素十分。

 

 

深刻で気取った胸像、しかしうぬぼれの強い人よりもユーモアのある方が良いと説明書き。

 

マンガみたいなポット、この人女装する時は、自分をシャーリー・スミスと言う名前

シャーリー・スミス

 

子供時代のクマさんアラン・ミーズルと子供時代の私シャーリースミスがサーとレディウオーレスに会っているところ。 戦争時代の爆弾で空は火事の様子。

シャーリースミスは家系図に特別興味を持っている。精神病も血統のせいだろうか?

木の幹に描かれている顔が自分(グレイソン・ペリー)。

 

グレイソンが実際来ていたドレス 男性のサイズだから巨大

幅3メーター高さ2.5メーター(およそ)の タペストリー

タイトルが The Story of my life 

 

リバティと共同して作った壁紙

 

精神病院へ入ったシャーリー・スミス

ウールのカーペットでタイトルが天国の門  気絶したシャーリーの周りにはあらゆる凶器が散らばっている。

 

木綿と刺繍とアップリケのベッドカバー タイトルが  I Know who I am (私は自分がだれか知っている)

    偉大な妄想      本当に最初から最後まで分からなかった。

これがモダンアート?

 

 

 

 

 

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雨の日は美術館へ

2025-06-07 05:21:02 | 日記

今年4月、5月は晴れの日が多かった。つい最近まで水源地が乾いてきて、この夏は水不足になると騒いでいたが、最近聞かれなくなった。

毎週火曜日と木曜日は近くの青空マーケットが開かれる。昨日6月5日の木曜日は朝からしっかりと雨が降った。

こんな日は久しぶりに美術館へ行って見ようと、傘をさして駅へ向かった。

ロンドンブリッジから、テームズ川の南川渕をあるいて10分、昔の発電所を改造した巨大なテートモダーンの美術館がある。

 

雨の日は無料でのんびりできる美術館へは私だけではないらしい。こんなに入館に行列を作っていたのは初めてだった。

それと言うのも今まで一度もなかった、手持ちバッグの検査をやっていた。

入ったところのターバインホールは何十メーターあるのか天井まで吹き抜け。

長いエレベーターで2階、3階の常設絵画や作品を見て歩く。

韓国生まれのリーウファン(Lee Ufan)1936年

タイトル・・・From Line 1978年 

 

パシタ アバド(Pasita Abad)のキルテッド・キャンバス

パシタはフィリッピン生まれ、法律を学び渡米後アートに転向してアジア、アフリカ,ラテンアメリカを旅し、この強烈な色彩と布地の作品を展示する。インドネシアのバティック、韓国のブラシによるペインティング、マクラメ(Macrame)と呼ぶパプアニューギニーのKnotted Textile、フィリピンの縫物の技術などから作られた作品。

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso) 1881-1973

シミーズで座る女 ピカソの妻でバレーダンサーだったOlga Khokhlova (1891-1955)を描いたもので彼がモダンアートだけでなく多彩な手法で作品を描いたものと言われる。

  

エドガー・デガー(Edgar Degas)1880-1922 14歳の小さな踊り子

この像はブロンズ+モスリン+シルクから成る。ブロンズは何体でも作られる。

 

ナタリア・ゴンチャロヴァ(Nataria Goncharova) 1881-1962

ロシア生まれ、ロシア、スペイン、スイス、フランスで活躍。

絵のタイトル・・・リネン  男性のシャツのカフスや襟、女性のレースなどの洗濯もの。

アバス アカヴァン(Abbas Akhavan) Studay   for Monument

チグリス+ユーフラテスの植物をワックスワークからブロンズにしたもの。

多色の糸を下げて素晴らしいデコレーションにしたもの。

この反対側の一部屋でアメリカのビキニ島での原爆の実験フィルムを見せていて余りのショックで、この部屋のきれいな飾りのようなアートが誰の作品かも見ないで出てきてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Please Help

2025-06-01 04:34:27 | 独り言

もう2週間前からはてなブログへ移そうとトライしているが最初のわたしのIDで躓いている。

このGooブログを始めたのは今から17-8年前、友達のおすすめとヘルプで立ち上げたが、電話番号を英国の0044を入れず、我が家の固定電話の番号にしたため、日本からのパスコードなど来るはずもなく、誰に連絡して良いものかわからない。

どこに連絡したらヘルプが得られるものか、どなたか教えていただけますか???

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