Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

再び西洋菩提樹(ライムツリー)

2024-06-26 05:22:27 | 日記

我が家のある通りは1930年代に新興住宅地として作られた。したがってこの通りの入り口にある巨大な西洋菩提樹はまだ90年くらいしか経っていない。

それでこのサイズ。ということはバス通りの42本もまだ90-100年ほどしか経っていないのだろう。

我が家の前から急な坂道でこの坂を登ったところは、ベッケンナム・プレース・パークという広大な公園がある。1900年初めまで、此の公園は大変なお金持ちの庭であり私たちのストリートは此の金持ちの広大なる地所だった。それからあちこち土地の切り売りをして公園の周りに住宅地ができ、町が出現。

このロンドン郊外の町は今から90年から100年代に出来上がった。

ライムツリーは英国の街路樹としては一番ポピュラ―な木で、夏の道路の照り返しの暑さにも冬の寒さにも強く、どこでも見かける木なのだ。

昨年9月から我が娘宅に滞在しているユクレイナ(Ukraine)のおばあさんと孫のマックスはもうすっかり慣れて、私をナナ(おばあちゃん)と呼ぶ。彼のおばあちゃんはロシア語で呼ぶから混同しない。

此のユクレイナのおばあさんがこのライムの花をいっぱいとってきて、鍋で煮出してハーブティにした。色はコーヒーのように濃い茶色だが味は全然しない。中に蜂蜜などを入れて飲むそうで、咳と解熱に効くそうな。

国が違うといろいろ変わったことも知って面白い。

先週末 訪ねた友だち夫妻が連れて行ってくれた、カペルマナーの大庭園にとっても変わった木があった。

 

触るとやや硬いような木の実がいっぱい下がっている。グーグルで調べてみたら、コーカシアン・ウイングナッツ(Caucasian Wingnut)というそうだ。

やっと暖かくなってきたこの2-3日、昨夜は蒸し暑くてとうとう窓を全開(英国には蚊がいないから窓を開けても心配ない。)して寝たら夜中の1時にあまりの寒さに目が覚めた。日中もTシャツ一枚で外出できるが、日陰に入るとス―と涼しくうすら寒い。これだから英国の一般家庭には冷房装置がない。

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西洋菩提樹(ライムツリー)

2024-06-22 05:58:17 | 日記

つい2-3日前までロンドンは寒かった。ほとんど毎日雨が降った。一日中雨ふりという日は余りなくて、暗くてどんよりそしてにわか雨、または朝日が出て良い天気になるかと思うと午後は雨が激しかったりする。

おかげで今年はナメクジが大繁殖してその被害も相当なもの。何より2か月前に植えたトマトの芽は出たのにそれ以来本葉が出なくて、もうすぐ7月もまじかというのにまだ5センチに満たない。これでは今年のトマトは育たないだろう。エンドウ豆も4月に植えたのが芽が出ず、また5月の末に植えたのがこの数日の晴天でやっと芽が出だした。

日本はもう暑いというのにロンドンでは20度まで上がると嬉しい。毎年この時期思うには、今年は夏が来るのだろうか?

それで今の時期一番目立つのが巨大な街路樹の西洋菩提樹(ライムツリー)の花。この花が咲いていなければいったい何の木か判らないし特に気に掛けることもない。

私の家から一番近いバス道路には42本の西洋菩提樹が生えていて、どの木も花盛り。

例年ならこの花が咲いているときはミツバチが大喜びして飛び回っているのに今年は一匹も見かけない。

この木の下へ行くと甘い香りがしたものなのに今年はしない。私の鼻が馬鹿になったのかと思う。

とにかくバスや電車に乗って外を見ているとこんなにたくさんのライムの木があったのかと驚かされる。

これは栗の木、此の木も今が花盛り。メインロードの老人ホームの庭に植わっている巨大な栗の木で、実った栗は見たことがない。

私が一番好きな木がこのコーカシアン・エルムツリー、この木はまるで制服を着たように全く同じ形になるからどこで見かけてもすぐ判る。

そして不思議なことに一本だけ植わっていることは無く、必ず数本が並んでいるからよく目につく。ほとんどが公園に植えられていて、道端で見かけるのはまれ。

上の3本の木は道端でまだ若木に見えるが、私が一番気に入っている公園の木は巨大で樹齢200年は経っているだろうと思われる。全く左右対称、ジャイアンツが使う箒のようだ。

 

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今季最後のオペラをROHのライブで見た

2024-06-16 01:37:07 | 日記

オペラやバレーの季節は9月から翌年の6月まで公演される。それで6月11日のオペラがオンラインで映画館で上映された、これが今季では最後になる。

オペラはアンドレア・シェニエ イタリア人ジョルダーノによるフランス革命の物語。

私には初めて見るオペラで、出かける前にもちろんストーリーを読んで行った。

舞台は18世紀のフランスで、衣装も当時を再現してあり、シャンデリアがたくさん下がっている伯爵家の部屋。たくさんのシャンデリアが当時はキャンドルだったから部屋でキャンドルに火をつけそれが一斉に上に上がっていったところはよくできていた。最後は主人公2人が断頭台に消えていく前の牢獄を手を取り合って出て行くところで終わった。

それでこのオペラの主人公・詩人のアンドレア・シェニエになったのが今一番有名なテナーのョナス・カウフマン この人が見たくて行ったのだけれど、以前見たころよりずっと老けて太ってがっかりした。(自分が老けていることは忘れて、彼には昔のハンサムスマートでいて欲しかった。)もう10年ほど前、大英博物館で知り合った日本人夫妻はドイツに移住して50年、カウフマンの追っかけでわざわざドイツからオペラを見に来たと言っていた。

おまけに相手役のソプラノの女性がアメリカ人の55歳の人。舞台で見る分には遠くからだと年も表情も判らないからいいが、映画でクローズアップになるとやっぱり歳は隠せない。中年男女の恋物語になってしまう。

映画では舞台裏も出演者の練習風景も見せてくれるのがいいような悪いような・・・というのは第3番目に重要な役割を演じる下僕カーロ・ジェラルドになる男性がモンゴル人のバリトンで太ってあまりに醜男、この人数年前にウエールズのカーデフ・オペラ・コンパチションで賞をもらったそうで、声は素晴らしい。

だから舞台裏でこの人を見たくなかった。舞台では衣装やかつらなどであまり顔は気にならなかったから。

今から20年ほど前、まだカウフマンが若くて油の乗っていたころ、当時は若くてきれいなソプラノの女性が多かった。アンジェラ・ギョギユやアナ・ネトロブコなど彼女たちはどうしたことか第一線から脱落してしまったのだろうか。

それならまだ若くて上手なソプラノ歌手もいっぱい出てきそうなものなのに、今回は映画では見たくないオペラだった。

数日前ルーシャムのマーケットへ行ったところ、此の大きなパパイアが1ポンド(200円)で売っていた。実は熟れていて柔らかく帰ってきてすぐ切って半分食べた。甘くてそれでも甘さはくどくなくておいしかった。

以前読んだブロ友さんのブログに、メイドの土産に(一度食べてみたい)というところで、お手伝いさん(メイド)にどうして?奥さんもいるのにと思って、やっとメイドが冥途であることに気が付き、それ以来パパイアを見るたび、メイドを思い出す。

一昨年道端で咲いていたこの花、野生の ぜにあおい より花も大きく色も濃いがタチアオイよりずっと小さい。

裏庭にただ一本だけ咲いた八重のポピー

これもただ一本だけ咲いた春菊の花。

 

 

 

 

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郵便ポスト上の飾りとお花

2024-06-11 19:33:39 | 日記

1月からジムに行き初めて、その近くの郵便ポストに面白い飾りを見つけた。ジムの横の図書館で毎週水曜日の午後から、編み物の好きな人達が集まっていろいろ編んでいるという。

 

以前にイースター前のポスト上の飾りをこのブログに載せたことがあったが、最近変わった素敵な飾りが目についた。

イースター前の水曜日の午後一度行ってみた。10人のイギリス人女性の集まりで中年の女性も3人ほどいるがあとは高齢者ばかり、中年の中の一人がリーダーでこの時、今年はパリオリンピックにちなんで世界中の人形を作って手をつなぐと言って作って見せてくれた。人形一つに10分ほどでできるという。

感心したのは真ん中に飾られている地球で、編み物でこれを作るのはよほど上手でなければこんなに丸くはできないと思う。

昨年10月末のハロウイーンとクリスマスのデコレーションは飾って1週間もしないうちに盗まれてしまったという。皆が丹精込めて作ったものだろうに心無い人がいるものだ。それで今ではこの旗の下に鎖と鍵で盗まれないようにしているという。

ポストの横の街路樹に此の張り紙がしてあった。イースターの後から私もジョインしようと思って約束したが、水曜日は孫のお迎えの日、午前中はそこのジムで汗を流しかえってブランチを食べて一休みするとお迎えの時間、また電車とウオーキングで学校まで行くので時間がない。約束しなければよかったといつも疚しくおもっている。

2-3年前に撒いたポピーの種から1本だけこの花が咲いた。種を採って来年はいっぱい花を咲かせよう。ちなみにこのポピーは麻薬のポピーだけれど、英国では禁止されていない。

今年のチェルシーフラワーショウに初めてこの色のポピーが出た。この花より大きく八重の花だったがあちこちの庭の飾りになっていて、今年の流行色見たい。

 

まだ咲き始めの裏庭のアジサイ、

隣の庭から侵入して大きな枝になり今が一番の花盛り、英語ではファウンテン・ブッシュという。

街路樹の根元に咲いていたこの花、ブルーウィードというからやっぱり雑草に違いない。

 

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ロイヤルバレーと我が庭の花

2024-06-08 19:22:11 | 日記

先週末オペラハウスへロイヤルバレーのウインターテール(冬物語)を見に行った。

此のバレーは新作バレー(と言ってももう2-30年前の新作)で過去2回映画館でライブパフォーマンスを見ていてストーリーは全部知っている。

今回はまじかに見るバレーだったが、新鮮味に欠け2幕目など飽きて早く終わらないかと思ってしまった。

ストーリーは子供のころ親友だった2国の王子が大人になって再開し、シシリーの王は喜びのあまり長期滞在を許して、自分の王妃が出産まじかになって、急に疑惑と嫉妬にさいなまれ、親友を追い出し王妃を幽閉し、生まれた娘プリンセスを捨てさせる。

このプリンセスが羊飼いに助けられ、成長して村のお祭りで出会った若者と恋に陥る。この若者はこの国ボヘミアの王子で、羊飼いの娘と思っている父親の王は怒って二人の仲を裂こうとする。

恋人2人と羊飼いの親子は船で逃げて、シシリーにたどり着き、王に助けを乞う。ボヘミアの王は王子を追いかけてきたが、昔のシシリーの王と再会。プリンセスがつけていた首飾りでシシリーの王は我が子と知って大喜び、二人の結婚を許して和解する。

とってもきれいなバレーで初めて見た時は、バレーで嫉妬や疑惑の表現をするのに非常に感銘を受けた。2度目に見た時のシシリーの王が日本人のバレーダンサー平野りょういち という人で、映画館で見るから表情もよく見えてとってもうまいと思った。

今回は若いダンサーで特別何も感じなかったが、プリンセスになったバレリーナーが前田さえという若くて細いかわいい子だった。

最近のロイヤルバレーには日本人がたくさん勉強しているという。それにしたら、日本人のオペラ歌手はまだ一人しか見ていない。韓国やモンゴールからの若い人たちがオペラでは頑張っている。

 

前庭に昨年秋種をまいたポピーがたくさん芽をだしこの2-3日どんどん花が咲きだした。

ボタンかシャクヤクを思わせる八重の芥子。

くまんバチがたくさん飛び回っている。

前庭のしゃくやく、雑草の中に埋もれている。こうしてみるとけしとシャクヤクの違いが判るだろう。

スパラキス・トゥリカラー

毎年咲くサボテンの花

先週末ブーツセールで買ったレースのカーテン地で作ったリス除け袋。今年はだいぶ食べられるかも‥期待!!!

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今年初のカーブーツセール

2024-06-08 06:47:41 | 日記

いつもならイースターが終わるころから私の地区の大農場でブーツセールが始まるのだが、今年は雨が多くて農場の草地はぬかるみとなり、タイヤのわだちがあまりにひどい。

それで4,5月の2週間おきに開かれるブーツセールはキャンセルされて、今日初めて開かれた。いつもなら日曜日の朝は寝坊していくのが9時過ぎなのに今日は8時に農場の入り口までたどり着いた。

すると農場の入場料を払うまでにこの長い行列。過去20年以上も行っていたがこんなことは無かった。入場料は50ペンス(100円)

農場内の無料の駐車場も満杯で、もう一つある広大な草地を開けて駐車していた。

此の農場は30年ほど前までは牛馬の放牧と野菜畑だった。ところがブーツセールで買い物客から50ペンス、車で売りに来る人は乗用車12ポンド(2400円)大型ヴァン15ポンド(3000円)をチャージすると農業するよりずっと儲かることが判って広大な農地を駐車場と売り場にしてしまった。

 

自分のお店を持たない業者と、自宅でいらないものをまとめて売りに出す個人とで、広大な草地は人と車と雑貨でいっぱい。

一番多く売りに出されているのが子供の服や靴、おもちゃ、本、大人のものでは女性の服が一番多く、昨年、もう30年ほど前に買ったワンピースを着ていたらパトリックのお母さんが、素敵ね、どこで買ったの? なんてブーツセールで買ったと言えなくて困ったことがあった。

今日はトマトの苗とレースのカーテン地を買った。古いレースのカーテンを切って我が家の裏のイチジクの枝にかぶせて、リスからの被害を守ろうと思う。

何しろまだ親指の先ほどの実がなり始めで、2匹の夫婦者がせっせととって食べている。それで昨年は5つほどしか食べられなかった。

今一番誰もが要らないのがDVDで3枚から5枚で1ポンドで売っている。もう誰もDVD など見ないでネットフリックスとTVがあればいい。

それにしても今日は今年初めての晴天、3時間半大いに楽しんできた。

 

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BBC の番組 Race across the World

2024-06-07 23:32:08 | BBC Race

我が家のボタンが満開、本文とは全然関係ない。

 

4月10日から9週間始まったこの番組 Race across the World は過去4回世界中に行っていて、今回は北海道を皮切りに50日間で日本、韓国、中国、(ここから先は判らない)が最終目的地はインドネシアのLombokという。

5組のペアーが決まったお金と時間を計画して目的地に一番早く到着するかがこの番組の面白いところ。

今回札幌に着いたのが

A 黒人の母61歳と娘25歳

B  20歳の男子2人友人

C 姉25歳と弟21歳

D 白人の母52歳と娘25歳

E  夫妻 夫62歳 妻65歳

まず最初札幌の神社で持っていた携帯と銀行のカードと現金を全部渡して、一人1390ポンド(約25万円)と地図、ナビゲーターをもらう。優勝カップルは2万ポンド(約360万円)の賞金があたる。

5組は札幌のテレビ塔の下から午後2時一斉にスタート、1回目の目的地は奈良の奈良ホテル。その間5日で奈良までの間、飛行機と新幹線には乗れない。

カップルAの娘がとっても賢い人で、間髪を入れず札幌の駅から苫小牧の港に直行、夜行フェリーで仙台へ着き、仙台駅から新潟へ、そして佐渡島で素晴らしい5重の塔を鑑賞満喫して、また新潟駅から金沢へ。

カップルBの若い男子2人はフェリーで八戸(はちのへ)、長距離バスで東京へ、あまりの人ごみに驚き、それでもベビー相撲を見ての感想が面白い。一番よく泣いた赤ちゃんが優勝ということだが、泣かすのに用いたお能の面にあれじゃ僕でも泣くよ。二人の目的は富士山を見ること、バスで富士山を見てテントで1泊、また東京に戻って、バスで京都へ

カップルCの姉弟はフェリーで八戸へそこから仙台、松島湾、高いお金を払って初めて食べる日本食に舌鼓をうって、東京へ。ここで人力車のクリーニングのアルバイトをして48ポンド(8640円)をもらいバスで大阪へ

カップルD の母娘は八戸から遠野へ、ここのお土産店で年寄りのおばあさん2人の売り子さんと仲良くなり、おばあさんが履いていた下駄を娘がお土産にもらった。履いていた下駄というのがいかにも田舎の人らしい。その後夜行バスで鳥羽へ行き、海辺のレストランでアルバイト、そこから奈良へ。

カップルE の夫妻は一番旅行を楽しんでいて、青森の温泉でゆっくりお湯につかり、長野のワサビ畑でアルバイト、農家の家族と親しくなってワサビをつけたバーべキュウの肉に舌鼓、松本駅まで送ってもらい奈良へ向かった。

5日目の夕暮れ、5組はあらゆる方面から奈良の奈良ホテルへ向かった。もちろん皆誰よりも早くと大きなリュックをしょったまま駆け足。

A 組が一番、2分遅れてB 組、1時間26分遅れてC組、2時間31分遅れてE組、5番目は4時間41分遅れてD組 だった。

来週水曜日はここ奈良ホテルから到着順、時間差も到着時間によって最終のD組は4時間41分後に出発する。次は奈良からたぶん九州まで、いろいろなところを廻っていくのだろうがとっても面白くて待ちどうしい。 

 

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BBC の番組 Race across the world 2週目

2024-06-07 06:35:53 | BBC Race

此の番組は一応各国の見どころ(観光地ではない)を廻って行く様子、だから京都や大阪、姫路城などは出てこない。

7日目

カップルAは此の日の最終目的地、韓国のSOKCHO (そくちょ)の指示を受けてすぐ広島へむかった。 広島の原爆記念塔でお参りした後、広島名物お好み焼き屋でアルバイト、皿洗いで12ポンド分の日本円を貰って、バスで博多へ向かった。

カップルB は大阪、神戸へ行き、神戸牛が食べたいと小さなレストランへ入るも、あまりに高いと2人で1皿をオーダーして今迄で最高の味と言ったが、支払いの2000円(12ポンド)をお店の人がタダにしてあげると言われて、喜びのあまりウエイターに抱き着いた。彼らは初めての経験とこの夜カプセルホテルに泊まり、翌日博多に着き12時半のフェリーで韓国のBusan (ブサン)へ向かった。このフェリーにはカップルA も乗っていた。

カップルC は神戸から小豆島を通り四国の田舎でアルバイト、もみじの葉を料理の飾りに使うための紅葉取り。そこから岡山へ出て電車で博多へ向かった。

カップルD は奈良から岡山へ向かい、岡山の漁村で瀬戸内海の漁船でのアルバイト、漁師の御主人と親しくなって岡山駅へ送ってもらい電車で博多へ向かった。

カップルE はいったん山陰地方へ行き、ひなびた日本家屋の旅館で楽しむ。翌日雨のため藁屋根の手伝いはできないと断られ、神社の床掃除のアルバイト、バスで広島へ行き、電車で博多へ行った。

カップル C+D+E はこの日の12時半のフェリーに間に合わず、翌日の12時半まで博多で待たなければならなかった。

さてブサンに着いたカップルA+B だがA はブサンの魚市場でアルバイト、二人で125.44ポンドのお金を手に入れ、翌日直通のバスでSokcho(ソクチョ)へ向かった。

カップルBはすぐ直通のバスでソクチョへ行くつもりが、売り切れで東海岸をSamcheok(サムチェオック)に着いた。この町は一応観光客の町らしいがいたるところに大小のペニスの像があって、この若者二人あまり楽しくないようだった。

翌日12時半にフェリーに乗った3組は

カップルC はSeoul(ソウル)へ ちょうどビール祭りが開かれていて姉弟は大いに楽しんだ。

カップルE はJeonju(ジェオンジュ)でレストランの皿洗いのアルバイト。この年上の奥さんは3度目の結婚で、人生の伴侶に巡り合ったと述懐。(こんな事を画面に入れているから先が見えなくなって…)

カっプルDはブサンとソウルの中間点のDeajoen(ディジョエン)で栗拾いのアルバイト、出稼ぎに来ている人たちと親しくなった。

直通のバスで目的地ソクチョへ着いたカップルAの後4時間後にカップルBが着き、翌日カップルC 次にカップルE がたどり着いたところでこの週の番組は終わった。

ナンとなく不満の残るエンディングだった。

 

 

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BBC Race across World 3週目

2024-06-06 03:11:15 | BBC Race

St James Park で見た珍しい花 シーラペルビアナ  本文とは関係なし。

今日は復習で出場者の顔ぶれを

A  黒人の母と娘     0時間

B  20歳の男子友人   4時間28分

C 姉と弟        18時間32分

D  白人の母と娘     30時間23分

E 60代の夫婦      25時間51分

3週目の初めのシーンはDの親子が30時間23分遅れで韓国のSocho にたどり着いたところからはじまった。先着の4組は此の最後のカップルDが来るまで、韓国文化を楽しんでいた。

Day 13

中国大陸を縦断できなくて先着A と B は飛行機でハノイ(ベトナム)に着き、カップルAが受け取った指示はDay 18日でカンボジアのプノンペンへ着くというもの。

このカップルAはいつも目的地到着が早いのは、タクシーを使って早く着くからでそれなりに決められた手持ちのお金が早くなくなる。それでハノイから南郊外のNinh Dinhの町でバイクを清掃するアルバイト、ベトナム人の店主夫妻が喜んで彼女たちに食事を勧めたが、娘のほうがヴェジタリアンで肉が食べられないという。こんな時は言葉が通じないのは不便、ベトナムの一般人にはヴェジタリアンなどと言うのが判らないから。

4時間遅れでカップルBは出発、ハノイから電車でHoian へ ここは昔はベトナムの首都だったところで川での灯篭流しで一息つく。一人の男の子は5歳で母親に死に別れ、灯篭を水に浮かべて母親を思い涙していた。Hoian からホーチミン迄悪名高いスローの電車ででかけた。

C 、D 、E は次の飛行機でハノイ入り、カップルCは18時間32分あとに出発、ハノイからバスで15時間ヴェトナム中央部のDa Nangへ行った。ここでカップルA と出会うも、2組が別のバスでカンボジアのPleikuへむかった。Da Nangでは激しい雨で2組は12時間バス停に閉じ込められた。この2組はカンボジアのプノンペン北550KM地点へ着いたものの交通機関がなく、おまけにカップルC はここでアルバイトするつもりが大雨のため働けず、それでもこの農家の人たちは彼らに食事と宿泊も許した。

カップルDは36時間後電車でホーチミンをめざす。ホーチミンの水上マーケットで親子は果物の積み下ろしのアルバイト。

カップルBはホーチミンのナイトクラブでウエイターのアルバイト、カンボジアの国境までバスで行き、国境めがけて歩いているときに載せてもらった車が、プノンペンへ行くことを知って大感激。それでプノンペンの目的ホテルには初めて1番乗りをした。

カップルA は交通機関がないためタクシーに乗ってプノンペンへ、ホテルには1時間32分後に到着。

カップルCもタクシーを利用して8時間43分後にホテル着。

カップルEは夜行バスでホーチミン入りをしたが、此の62歳の男性は割と厚かましいところがあり、夜行バスの中で英語が話せますかと書いたプラカードを作って、各自のカーテン内に押し込む。

一人だけ話せる若い人がいて、その人にホーチミンから国境へ行くバスを予約してもらった。そしてプノンペンへは水上タクシーで到着、ホテルに着いたのは17時間34分後。

カップルDは出発から遅れていたのに、ホーチミンの水上マーケットでアルバイトしていたため、遅くなりとうとうこの日で失格した。

 

 

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BBC Race across World 4週目

2024-06-05 04:22:30 | BBC Race

4組のカップルは出発前プノンペンの寺院で先祖の供養に各自が寄進し、亡くなった人たちをしのんだ。

Day 20 カップルB の男子2人が出発、5日間でタイの北西、Sharn HighlandのMae Sariangが目的地。

ここはタイの観光都市チェンマイから近い町。ミャンマーの国境に近い町でもある。

彼らはタイとカンボジアの国境の町Poipetまでバスで出発、

1時間32分後カップルA がボートで水上都市のKinpong Luong を目指し、ここでアルバイトのつもり。魚採りをしようとするがまるでダメと分かり、小魚の仕分けや料理の手伝い。お金にならない。

カップルCは夜出発、夜店で夕食を食べてバスに乗ろうとしたところで腰のマネーバッグを忘れたことを思い出し走って戻り、バッグは戻ってきたものの26ポンド分のカンボジアの現金を盗まれていることを知った。20歳の弟は半べそ、まだ旅の半分しか来ていなくて、持ってるお金は38パーセントしかない。この夜バスでアンコールワットのあるシアム・リアップへ向かった。

Day 21 カップルE は翌朝バスでカンボジアとタイの国境Poipet Battang へむかった。カンボジア側のBattambang は岸壁に巨大な仏像や、涅槃像があり、洞窟から6百万匹の蝙蝠が夕空へ出て行くのを目にする。観光案内のカンボジア人は彼らにポルポットが10万人の人を殺したことを告げ、カップルはショックを受けた。

Day 22 カップルB は降りたバスが何処だか判らず、Pakchong のナショナルパークへ行きたいという。このパークでナイトサファリをして、夜行性の動物をいろいろ見て楽しむ。Day 23にKao Yai Parkの滝を見た後、電車の予約をするもすべて満員で翌日の午後2時まで電車に乗れない。

カップルA はこの日、海上都市を去りバスでSaraburi へ Day 23 にはLopburi に着いた。

Day 23 カップルEは12時間バスに揺られてLampang に着いた。ここは目的地まで300KMの地点。この地で馬車の小屋での清掃アルバイト、61歳の此の夫君、汚い仕事を極端に嫌がって文句が多かった。それでも手持ちのお金は48%もっていた。

お金を盗まれた姉弟のカップルCはPoietのジャスミンライス農場でアルバイトをして19.94ポンド分のタイのお金をもらい手持ちは34%。

Day 24 カップルA はPhitSanulokから260KMのLampang へここからチェンマイへは電車にのった。

カップルEもアルバイト先からLampang へチェンマイへ電車で着いた。 カップルAE はほとんど同時にチェンマイに着き、そこからタクシーを飛ばす。目的のホテルにはカップルE が初めて先着、カップルAは2分遅れ、カップルCはShan Highlandを北上し、ホテルには3着だったが手持ちのお金は31%しか残っていない。

ところでカップルB だがDay 23には電車の予約できず、あきらめて川下りのアドベンチャーで1日をつぶした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は以前バックパックで、タイもカンボジアもヴェトナムへも旅行しているが、彼らのような地方の町を廻ったり、あまり有名でない観光地は行ってなかったから、これらを見て、もう一度行きたいところがたくさんある。素晴らしい旅行案内テレビガイドであることか。

 

 

 

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BBC Race Across World 5週目

2024-06-04 18:55:56 | BBC Race

27日目 

早朝先着のカップルE が出発。5日間でタイを縦断して目的地はピーピー島。このカップル手持ちの予算はグループの中では一番持っているが、出費を厳しく制限し、この朝ヒッチハイクでチェンマイへ向かった。そして電車で13時間のバンコックへ。

2分後出発のカップルAは宿泊したMae Sariangからバスで南下しMae Satへ向かった。この親子毎日24時間一緒にいると口論が絶えず、お互いイライラしていた。そこでバスを乗り継いで、翌日28日目にはタイで有名な滝のあるMae Satへ。ここの滝壺にはドクターフィッシュと呼ばれる人の足の皮(垢)を食べてくれる大きな魚がうようよしていて、25歳の娘は怖がってキャーキャー逃げ回っていた。翌日バスでバンコックへ向かいタイマッサージを経験してリラックス。

3時間47分後に出発したカップルC はバスでチェンマイへ向かい、バンコックへのバスが夕方6時までないと知るとチェンマイを楽しもうと、まずはタイボクシングを見に行った。姉の方は楽しめないようだが弟が興奮して大喜び。次にチェンマイ一番の観光地、大寺院を回って姉のほうが大いに楽しむ。手持ちの予算は31%。

11時間27分後、最後に出発のカップルBはこの夜はチェンマイへ行き、28日目、バンコックへの夕方のバスを予約して、ホテルでアルバイト、夕方から11時間の夜行バスでバンコックへ。

28日目 バンコック近くのRangsit へついたカップルE はダックファームでアルバイト、8000羽のアヒルを水田に放して、自然農法を行うもの。私は以前このファームのことをNHKで見たことがあり、殺虫剤を使わず、人口肥料もいらず、農家にとっても最高の自然農法、おまけに8000羽のアヒルの卵が素晴らしい収入になっている。大量のアヒルが右往左往するのが見ていても楽しい。

バンコックからバスでKhanai へ、ここでの海でピンクドルフィンがあちこち泳いでいるのを見る。このカップルの奥さんは昔ダイビングで頭をぶつけて緊急帰国の上、脳溢血でやっと回復したものの、海がトラウマになっていたという。30日夕Krabi に着いたがフェリーは翌日朝までなかった、

29日朝バンコックへついたカップルB はタイ南海岸のクラビーへのバスを予約して、バンコックの寺院を見て回り、30日クラビー(Krabi)でアルバイトガーリック、チリ、小エビでチリペーストを作る。バイト先のおばさんがクラビーの港へ二人を送ってくれた。フェリーは翌日31日2時間でピーピー島へつく。

30日バンコックからプケット(Puket)へ着いたカップルCは31日朝スピードボートでピーピー島へ向かいこの日初めて1番着も彼らの予算は最低の23%

31日目

ピーピー島にはカップルCが初めて1位到着したが、カップルBとカップルEはクラビーの桟橋で出会い、お互い再開を喜び合うも、競争心丸出し。島に到着後も目的のホテルまで小さなボートを借りていかなければならず、すごい競争、二組はカップルCの14分後に到着。

カップルAはバンコックで競争心をなくし、ピーピー島の目的のホテルに着いたのが1時間56分後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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BBC Race Across the World- 6 週目

2024-06-03 07:38:31 | BBC Race

タイのPiPi 島は昔レオナルド・デ・カプリオが2000年映画ビーチで有名になった島で、この番組の4組の人たちも、一日はゆっくり楽しんだ。

若者は一緒にボートで海に出て泳いだり、潜ったり、年長者のE カップルと A の母親も3人は海辺で語りあう。 

Day 34、 

初めて1番に到着したカップルC はタイからインドネシア・Bukittinggi まで5日の行程、すぐフェリーでマレーシアのLipe島へ行き、そこのダイビングスクーナでアルバイト、此の島を出た時には手持ちのお金は17%に減っていた。

カップルE は同じくマレーシアのLipe 島へ着くとアルバイトに海岸で憩うお客のサービスなどをして二日過ごす。

カップルB はLipe島を通ってすぐマレイシア本土のランカウイに着き、ローカルボランティアにジョインし、マングローブ保護のため新しく苗を植えたり、海岸に流れ着いているごみ集めなどの仕事に精を出す。

カップルA は2時間9分の最後に出発、このカップルだけフェリーでタイのクラビーへ戻り、バスでマレーシアへ向かった。Kampong Pulau Belantikの百姓家でアルバイト、田植えの終わった稲田で草取りをする。この娘のほう虫が嫌いで夜蚊帳に停まったトンボに悲鳴を上げた。

Day 35、

カップルB  はバスで440Km 南のクアラルンパーへやってきて、クアラルンパ―に非常に感銘を受けまたここへ来たいと言っていた。そしてペトロ二アス・タワーの観光の後首都から150km南西のメラカ(Melaka)へ夜行バスで行き、翌朝9時のフェリーでインドネシアのデュマイ(Dumai)へ向かった。

カップルはランカウイからタクシーでペナン(Penang)のジョージタウンへ観光、夜の街を楽しむ。

カップルはバスでイポウ(Ipou)のポメロ農家でアルバイト、イポウからメラカ(Melaka)へバスで向かう。 

カップルはイポウから海辺のBaganSangai Burong の漁船にアルバイトを見つけたが、今回は姉娘のほうがバスの中にパスポートの入ったバッグを忘れ、漁船の仕事も心配のあまり落ち込んでいた。地元の人たちに世話になり翌日バス会社からの連絡でやっとバッグが戻って一安心、バスでメラカへ向かった。

Day 38

カップル は夜行バスでデュマイから西に370kmのブキティンギ(Bukittinggi)に着き、インターネットの指示で、町中から田舎の田の細道を通って指定のホテルに一番乗り。

カップルはメラカのフェリーポートで出会い同時行動をすることになり、デュマイのバス停から乗ったバスが目的地の半分ぺカンバル(Pekanbaru)止まりでどこにも行けず、此のDay 38は陽が暮れた。

カップルC はメラカから2番目のフェリーでインドネシアへ向かい、目的地のブキティンギへの夜行直通バスで向かっている。

ここで6週目の番組は終わってしまった。目的地に着いたのは一組だけで、あとは明日水曜日夜の番組迄お預け。

しかしインドネシアの景色が素晴らしい。

 

 

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BBC Race Across the World-7週目

2024-06-02 05:10:56 | BBC Race

スマトラ島に着いた順

カップルB  0

カップルE   23時間27分

カップルA 23時間28分

カップルC 24時間29分

Day 40  

この日はカップルB  だけが出発、最終目的はインドネシアの首都ジャカルタへ。この日はバスでパダング(Padang)へ。ここで漁船に乗ってアルバイト、翌日(Day 42)11時15分のバスで18時間かけて ベンクール(Bengkulu)へ、Day 43-ここはスマトラの西海岸のボートショップでサーフボートのクリーニングのアルバイト、そしてサーフィンを楽しむ。

Day 41

カップルAEはほとんど同時に出発するも、カップルEのオーダーしたタクシーをカップルA が横取りしてバス停へ向かった。彼女たちはハーマスラヤ(Dharmasraya)までバスで行きたいが、バスが10時まで出ないと分かるとタクシーを使ってこの地に到着し、ホームステイとアルバイトを兼ねてバティックを作る家でお手伝い。翌日(Day 42)バスでパレムバング(Palembang)へ向かった。

カップルE と1時間後に出発したカップルCは同じバスに乗り合わせて、メインバス停から カップルE は西スマトラが気に入りサンガイ・パグ(Sungai Pagu)でホームステイ、

(写真はコンピューターの画面からスマホで写したもので、非常に見にくく申し訳ないが、このような建築物があるなど信じられなかった。)

翌日(Day 42)121㎞南西のサンガイ・ペヌー(Sungai Penuh)へ、Day 43 この地のシナモン農家でアルバイト、シナモンの木は直径20-30センチの木でこの皮をはいで細かく切って乾燥したものが商品として売られている。彼らは一日ここで働き泊まったホームステイがトイレに電気もなく穴があるだけにショックを受けた。

カップルCは乗ったバスが反対方向のソロック(Solok)へ着き、翌日までムアラ・エニム(Muara Enim)へのバスがないと言われる。ついに乗ったバスが途中でタイヤがパンクし21時間かけてムアラ・エニムに到着、ここのファミリーレストランで働く。25歳の姉は16歳の時に子宮と腎臓の1個がないと診断され、初めて弟と話し合った。これにショックを受けてナイーヴな弟が泣いた。

Day 43-44

カップルB は朝サーフィンを楽しみ、午後のバスで600km南のバンダー・ラムピング(Bander Lamping)へ ここでバスでバカウヘ二(Bakauheni)の港へ、フェリーでジャカルタへ向かった。フェリーポートからタクシーで (Day44の夜)  ジャカルタのホテル着、23時間も早く出発したから誰も追いついては来ないと思っていた。

カップルA はパレンバングのフィシュケーキの店でアルバイトをして手持ちの予算19%、タクシーでバンダー・ラムピングへ向かった。ジャカルタへのフェリーの中で、トラックの運転手に掛け合い、ジャカルタまで載せてもらった。彼女たちがホテルに着いたのがカップルB の12分後だった。

カップルCE はまだスマトラ島の中を移動している最中に番組は終わってしまった。

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BBC Race Across the World-最終回

2024-06-01 23:33:06 | BBC Race

5月29日夜7週続いていた旅の番組が終わった。トータルで51日、ほとんど毎日バスや電車やフェリーで移動し、いろいろな国でアルバイトをして旅費を稼いだ5組のイギリス人たちが最終目的地インドネシアの首都ジャカルタから1400km東のバングサル(Bangsal)の島のまた小島ジリメノ(Gili Meno)で勝敗は?

Day 46  

カップルB が出発、彼らの残金は11% 二人でお金をセーブするため歩いて電車の駅へ向かう。

カップルAは12分後に出発、この親子はあちこちでアルバイトをしていたため、まだ15%の手持ちのお金を持っていた。それでホテルからバスで駅へ向かい、カップルが歩いて駅へ向かっているところも見てこのレースに勝つと確信する。

カップル は駅でカップルが電車でジャカルタから450Km離れたセメラング(Semerang)へ行くのを知って、800km離れたジャーバの港町スラバヤ(Surabaya)へ向かった。これで彼らの手持ちのお金は10%、まだフェリーを2回とタクシーやバスに乗らねばならぬ。

Day 47

25時間後に出発したカップルは手持ちのお金が6% 最終まで行けないと分かっているからジャカルタから220㎞のシリボンの郊外19KMにある塩田でアルバイト、炎天下で海水を蒸発させた塩を集め、袋詰め、かまどで塩を煮て精製する激しい仕事に従事した。それでやっと手持ちが4%

カップルはすっかり競争心をなくしてしまい、32時間後に出発。彼らは手持ちのお金は20%ももっていて、うまく使えばタクシーでカップル や を追いかけられただろうが、こんな時こそ年齢が邪魔する。競争よりも観光を主にしてタンクバン ペラク(Tangkuban Peraku)の火山地帯で、珍しい火口や途中の町のお祭りを見たりして、のんびり最終目的地へ向かった。

Day 48 

カップルB はジャーバからバスでメラング(Melang)へ、近くの町ジョディパン(Jodipan)で町のペンキ塗りのアルバイト、この町は350年間オランダの植民地だったが、独立後、スラム化していたのを、アーティストたちが町の家々をあらゆる色彩のペンキで塗ってレインボータウンに変えた。素晴らしい色彩豊かな街になった。

此の町でカップルはカップルが働いているところを見て、からかっていた。

Day49

カップル はケタパング(Ketapang)の港からフェリーでバリ島へ向かいすぐタクシーでパダングベイ(Padangbai)へ。

カップルA  も4時間後バリ島へ向かい同じくタクシーでパダングベイの港へ。

カップルBはフェリーで4時間のレムバック(Lembak)へそこからタクシーで50Km北の海岸バングサル(Bangsal)へむかった。ついたところはまだ夜中で最終のジリ(Gili Meno )の小島へ行くボートがない。

Day 50 

カップルA もタクシーで4時間後にバングサルへやってきたがまだ夜明け前、ボートショップが開いていない。

早朝ボートショップが開くと同時に2組はそれぞれのボートで競争。カップルB が先着し桟橋を走り、途中で重いリュックを置いて走りに走った。若い二人は海岸の波打ち際に設置されたテーブルのノートを開いて、一番だったことを知り抱き合って大喜び。

8分後にカップルAがやってきた。

カップルは24時間34分後に到着し、この時彼らの持ち金は1ポンド48ペンス トータルの残金では0.05%だった。

カップル は30時間20分後に到着し、残金100ポンド以上も持っていた。

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この番組が終わった1時間後、6か月後の5組のリーユニオン(再会)の番組があった。優勝したカップルB は賞金2万ポンド(4百万円)は 二人とも旅行に使うという。

特に20歳のアルフィは此の6か月で北欧から南米迄多くの国を旅をしてきて、今後はゆっくりタイとヴェトナムへ行きたいと言っている。

21歳のオーエンはマレーシアが気に入ってぜひ行きたいと言った。

カップルEは60代、イギリス人の年寄りは珍しい食べ物に拒否反応を示す。この62歳の男性はご飯と麺類には本当に飽きたと言っていた。

私の亡くなったポールもマレーシアやヴェトナムで同じことを言ってたのを覚えている。

此の5組のカップルは7か国でいろいろなアルバイトをし、いろいろな人たちと交流して、一般の人たちでは経験できないことを経験した。彼らにとっては必ずいい思い出とこれからの人生に役立つに違いない。

私が驚いたのは5組のカップルにそれぞれカメラマンと音響の二人づつが付いて51日間を録画していたこと。大変な苦労だっただろうと思う。特にこの人たち夜行バスや電車で20-30時間も旅していた。5組のカップルが目の前に目的ホテルが見えてくると重いリュックを被いたまま走り出す。カメラマンもやっぱりカメラを被いて一緒に走らなければならない。本当にたいへんな仕事だ。

私も昔はヒッチハイクやバックパックの旅で安いホテルや、ホステルを泊まり歩いたこともあったが、バスや電車で8時間以上の旅をしたことがない。

だからバスで30時間も揺られているなど、とっても体がもたないと思う。

韓国とインドネシアはまだ行ったことがない。この番組でインドネシアが素晴らしく良さそうなので一度行ってみたい。この番組が終わっていつか次が始まるまで楽しみが無くなった。

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