Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ヨーク(York)の町

2022-02-20 23:53:50 | 英国内旅行

珍しく雨の降らなかった火曜日の朝、ドンカスターから北東70Km 近くのヨークを目指した。

ヨークの町には過去2回訪れたことがあって、巨大な大聖堂とこれまた巨大なパイプオルガンの修理中だったのにドキモを抜かれたことしか、記憶にない。

駐車場が市街を取り囲む城壁の外側にあり、ここから歩いて市内に向かう。

 

 

この門を通ってもすぐ町の中心地へは行かない。

 

 

門の中には城壁を歩ける階段があるが、町の中心地は大きな川を渡った旧市街でここにも大聖堂を囲む城壁がある。

 

 

旧市街は全く中世の街並みで、狭い道に観光客が詰めかけていた。 昼食はポーランドのレストランで、餃子に似た厚い皮で包んだ肉料理、ボリュームがあってお腹いっぱい。

街並みよりひときわ高いヨーク大聖堂が見えてきた。

さすが巨大な建物、威風堂々とはこのこと。

この正面右に有ったのがローマ皇帝 コンスタンチン The Greatの像、彼は西暦306年この地で西洋初めてのクリスチャンの基礎を作った。

 

孫や娘は大聖堂には興味も持たず、二人でチョコレート工場の訪問へ行ってしまい、パトリックは車に充電するため駐車場へ向かった。

 

大聖堂の裏庭にはクロッカスの花が咲いていたが、風は非常に冷たかった。

 

 

大聖堂を囲む城壁の上を歩く。たくさんの人たちがのんびり歩いていて、こちらが気がせくからサッサと通り越してゆく。

 

城壁を降りて17世紀の旅籠屋兼パブなど見て歩き、娘と落ちあって、この日最後のバイキングの博物館へ。北欧から南下してきたバイキングはこのヨーク市に落ち着き、ローカルの人々共に勢力を誇ったという。

 

1時間ほど見て回って出てみればもう夕闇迫る5時過ぎ。

 

近所の教会のタワーに明かりがついた。

 

 

 

 

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ブロッズワース ホール(Brodsworth Hall)

2022-02-19 23:07:31 | 英国内旅行

2月14日月曜日、この日もほとんど雨で寒い。娘婿のパトリックはこの日はインターネットで働くそうで、私達3人で出かけた。

孫のジュードが行っている学校の宿題が、ビクトリア時代に関する物事を書きなさいとのことで、このブロッズワースホールがちょうどよかった。冬の間は閉まるというこのマンションも、スノードロップが咲いているときは一階のビクトリアキッチンと庭が開いている。

ドンカスターから北西5マイルにあるヴィクトリアン・カウントリー・ハウスは1791年、奴隷貿易で財を成したピーターテルッソン(Thellusson)がジョージアンスタイルの家を建てたが、1861年彼のひ孫にあたるチャールス・テルッソンが現在の屋敷を建立。

1990年この建物と広大な庭はEnglish Heritage に買われ現在に至っている。

上の写真の右側一階は召使、使用人住居になっており、この部分しか開いていなかった。

 

ビクトリア時代のオーブンとクッカー手前の楕円形の蓋つき容器は、馬車の中で足を温めるのに使用された。

お客接待用の巨大オーブンと右奥の縦長のはパンを焼くためのオーブンだった。

ミスターベルによって発明された初期電話。

敷地内の教会、周囲には墓石がたくさん建てられている。

 

 

 

English Heritage が購入した当時は荒れ果てた庭園だったが、専門の庭師の努力で、素晴らしい庭に再現された。

 

ここはアーチェリーを競技する一角でその距離約200メーター、奥の建物に目印を置いて競技したとの説明、女性も200メーターの目標を撃っていた。

 

この地が奴隷貿易で財を成したことを忘れないため、最近飾られたこのモニュメントは、西インド諸島でお茶栽培に使役した奴隷を表している。

過去2年ほどアメリカで発生したBlack liveMatter ( 人種差別反対)運動で英国でも奴隷売買で財を成した人たちが標的になっている。その一つに英国西方のブリスタルでは奴隷売買で財を成したエドワード・コルストン(Edward Colston)は国会議員にもなりその財産を慈善事業に寄付し、大学を作りと善行したため彼の死後1895年に町の中心地に像が建てられた。ところがBLMの運動が盛んになった2020年4人の白人大学生によってこの像は引き倒されて、海に投げ込まれた。ブリスタル市では器物破損罪で4人を起訴したが、無罪判決になり、これが黒人学生だったら無罪だっただろうかと議論されている。

こんな富裕層の人たちが善行を施して、その名前が通りの名前や建物の名前になっていたのが、抹消された。どんなことをしても歴史は変えられないのに。

 

 

 

 

 

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コッツウオルド2日目

2020-10-29 07:15:03 | 英国内旅行

コッテージは2ベッドルーム、1室にシングルベッドが2つで、狭いベッドルームはいっぱい。

ジュードは寝言は言うし寝返りしては壁を蹴るし、朝は7時ごろから目覚めて寝かせてくれない。

今日も一日ジュードの遊び相手・・・・全く疲れ切った。

 

朝から予約したところが巨大な農家で、4人で30ポンド近くを払い、動物の餌代もお金を取る。

ここの動物、人間とみれば餌と心得ているから、にこにこしながら?すぐに寄ってくる。本当にこの豚笑っているように見えない?

オーチャード(果樹園)の奥には子供の遊び場があり、

私もパトリックも子供に帰って遊んだ。

 

軽業師ジュードの後ろを追って、私もこの小さな川を綱渡り

子供の想像力はすごい。ジュードの遊び相手でトラクタの後ろの荷車には馬糞を載せたり、麦わらを載せたり降ろしたり、トラクターの巨大な車についた(想像の)馬糞を手で掃除しなければならぬ。

 

午後2時、パブの庭で昨日のパトリックの友達夫婦と落ちあい、昼食を食べた。彼らは10歳になる胴長の犬(ダックスフントではない)2匹を連れてきて、この犬たち人間ならばもうずいぶんの年寄りとのこと。

 

 

昼食後田舎道を散歩に行ったが私の万歩計で7㎞を歩いた。

 

 

 

 

さすが田舎の散歩道は素晴らしい。可愛い子牛もおとなしい。ジュードはパトリックに2-3回肩車をしてもらったが7㎞のうちのほとんどを歩いた。

Pablic foot path と呼ばれる散歩道は教会の中の墓地の中を通っていく。

道端の草むらの中にワイルドシクラメンの群れ。

 

 

英国の田舎でいつも感心する石を積み上げた塀、よくこれほどに多様な石を集めてきたものだと感心したり・・・・・。

これは巨大なお屋敷の門番の家らしい。このあたり大きな家が多いことに驚かされる。

この夜コッテージで夕食を食べベッドへ行くまでの数時間、コッテージに備え付けの農家の雑誌を見ていたら面白い記事を見つけた。

英国にもワラビが多いが、日本人の様にワラビを食べることがない。ところがこのワラビが大きく葉を茂らせた7月にグリーンの葉を刈り取って、羊の毛も洗っていないのはラノリンがしっかりのっていて、ワラビの葉と混ぜて積み上げ、温度も70度になるという。これは上等のコンポストになるとのことで農家の副業で多大な収入になるという。ただただ感心した。

 

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コッツウオルド

2020-10-29 06:11:41 | 英国内旅行

最近の英国のコロナの感染者はますます増えて、一日の感染者は2万人を超え、多い時には3万人近くになっている。、死者も急に増えて昨日の火曜日など367人、今まで外出しなかった老人が若者の感染者から感染したのかもしれない。

ウエールズはロックダウンになり、出入国できなくなった。私たちまだ英国内は出かけることができるので、娘夫婦が二泊三日の小旅行に私を誘ってくれた。、コッツウオルドに小さなコッテージを借りることにして木曜日の朝遅く出発。

コッツウオルドは静かできれいな村があちこち存在することで知られるが、あまり観光旅行には向かない。特に5歳半の孫を連れての旅はどうしても孫が中心になる。

コッテージに入れるのは2時以降と聞いていたので旅を急ぐでもなく、午後3時ころについた。

2ベッドルームの小さな二階家できれいなリビングルームと小さなキッチン、ガラス張りのダイニングルームがあった。コッテージの持ち主の中年夫人も私たちもマスクをして応対。キッチンに取れたての卵がいくつかそれにアヒルの卵も2個あった。孫のジュードはアヒルの卵から雛(ダックリン)が返ると聞いて抱いて離さない。

パトリックはウエールズ近くに住む友達とサイクリングに出掛け、私たちジュードの好きな子供の遊び場を探して、車で出かけた。

ついたところはこの地域の大きな公園でプレイグラウンドにあらゆる設備が整っていて、小さな子供から大人まで楽しむことができる。

 

 

 

 

初めは怖がって無難な機械や馬に乗ったりして楽しんでいたジュードもだんだん冒険心が出てきたの

 

 

まるでサーカスの軽業師みたいに、手の届かないところを綱渡りしたりくぐりぬけたり、、だんだん勇気が出てきて、二回りも高い綱渡りをしてしまった。

 

これも上の綱を握って体を左右に揺らして下の板を動かすもので、はじめは怖がっていたのにすっかり気に入って、大喜びしていた。

もう日が傾くまで遊んでいて、コッテージに帰って近くのパブへ夕食に出掛ける時はあたりは真っ暗。パトリックが強力な電池を持って行ったので助かった。

村のあちこちにかかしが置いてあって、暗闇の中から出てくるかかしはあまり気持ちよくない。

初日はジュードの相手をして終わってしまった。昨日までひどい雨ふりだったが、この日の夕方は晴天でそれだけが来た甲斐ありというもの。

 

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イフサン・モート(Ighthan Mote)

2018-07-29 22:01:47 | 英国内旅行

 

娘の仕事の休みの日、孫のジュードを連れて出かけたのがセブンオークの近くにあるイフサンモートだった。

 

 

 

ここは14世紀のマ―ナーハウスで1985年このハウスの住人だったチャールス・ヘンリー・ロビンソン氏がナショナルトラストに寄付したもの。

中世の騎士やヘンリー8世、ヴィクトリア時代のハイソサエティの所有を経て現在に至っている。

 

建物の3方はお堀に囲まれた静かな田舎のマーナ―ハウスだった。周囲は春にはブルーベルがカーペットのようになる林に囲まれた池や小さな子供たちの遊び場、鹿の子百合が満開のお花畑など数時間家族で楽しめる。

 

 

 

塀に囲まれた噴水のあるこじんまりとした庭。

 

 

 

巨大な犬小屋のある中庭にはウイークディにも関わらず観光客が多かった。

 

 

 

屋内は19-20世紀の装飾がされていて700年も経っているようには思えない。

 

 

建物の一角には小さなチャペル。

 

アメリカ人画家ジョン・シンガー・サージェント(1856年―1925年)お得意のロマンティックな女性肖像画。

 

同じくジョン・シンガー・サージェントによる上の絵はボールゲーム・イフサム・モート1889年の作品、この庭で遊んでいるヴィクトリア時代の人たちを描いたもの。

 

ボールゲームの絵はこの方向で描かれたと親切なこと。

もうすぐ87歳になる亭主と3歳の孫、娘は年取った父親への一番の親孝行をしたものだ。

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イーストボーン(Eastbourne) へのバス旅行。

2017-09-15 17:36:52 | 英国内旅行

 

 2004年に買ったキャンパーはもう13年も乗っていて、年々大小の故障が起き、英国にいる間に修理工場で手入れしてもらわなければならない。。ロンドン周辺に2-3か所あるキャンパーの修理工場は電話を入れても予約が満杯で6ヶ月くらいの待ち期間がある。やっと見つけたのがブライトンから東に数キロのピースヘヴンの修理工場だった。

6月初旬、早朝に我が家を出発してクロイドンから高速に乗り約1時間半でピースヘヴンに着いた。予約は11時、この日は英国の真夏らしい暑い日だった。

キャンパーを預けてしまうと修理が終わるまでの数時間、じっと待っているわけにはいかない。

ブライトンからイーストボーンまでの海岸線を2階建ての市バスがはしっている。そして私たちが60歳以上のフリーダムパスと呼ばれる無料のバスパスが、このバスにも使用可で無料であちこち行ける。

2階建てバスの2階前席に陣取り素晴らしい田舎の景色を堪能した。

 

ドーバーの白い壁はブライトンまで続いており、なだらかな丘から切り取ったような白壁が続く。

 

 途中の湿地帯を流れる蛇行した川。野生動物が多いとのことで散歩道を通って海岸まで歩いてバードウォッチングをする人たちがいる。

 

 道端に一軒だけ建っているこの辺りでは珍しい藁屋根の家。ブライトンはサセックス州だがドーセット州まで行くと藁屋根のコッテージが多い。

 

バスの2階から見えるニューヘーヴンの街並み、昔はここの港からフランスへのフェリーが出ていたが、今ではほとんど漁船のみが出入りしている。

 

 

丘の上から見るイーストボーンの町。ドーバーからブライトンの間ではブライトンに次ぐ大きな町。

 パブの看板でめずらしいもの。今は廃止されているキツネ狩りの貴族とそのハウンドの看板だった。この下のパブがまだ営業しているかは知らない。

 

 イーストボーンの町中は相当の人出で気温も20数度気持ちの良い日だった。

 

 

 

 イーストボーンの駅構内で傍らのサンドイッチショップでサンドイッチの昼食。

 

人慣れしたカモメが駅構内を歩き回りえさを探している。

 2階建ての赤バスはロンドン名物。ここではこの色やブルーのダブルデカーバスが走っている。

 

2階に座っているから見えるこの風景、郵便局の車がこんなにたくさん駐車していた。

 この看板は法曹界のもの、ロンドンのテンプル近くの法律関係のビルにこの看板が多い。

 

どこでも見かけられる英国の教会。宗教がすたれてきているとはいえ、回教徒にこの国を乗っ取られないよう頑張ってほしいものだ。

 

 雄大なサセックスの田園風景。

 

帰り着いたピースヘーヴンでキャンパーを引き取りロンドンへ向かう。

 

 

ピースヘーヴンからロンドンへの高速道路へ向かう田舎道は、なだらかな起伏の牧場や牧草地でフランス北部の風景によく似ている。

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ボーデヒル ガーデン(Borde Hill Garden)その3

2016-09-15 18:20:41 | 英国内旅行

 森から帰ってきた道の一画は Garden of Allah(アラーの庭)と呼ばれる地域。いろいろなオブジェがあちこちにあった。

 

 

 

木陰の草原に巨大な枯れ葉が落ちている、珍しいなと近寄ってみたらやっぱり誰かのオブジェだった。Autumn(秋)という題名。隣の写真のシャクナゲはつぼみは赤く花は薄黄色で私の大好きな花、以前高いお金を払って一鉢買ってみたが大事のあまり水のやりすぎで、溺死してしまった。それ以来シャクナゲはあきらめた。

 

 

 いろいろなアイデアがあるものだと感心するシカのオブジェ、笑いを誘う太ったおばちゃん。

 

 これらの女性像はケイ・シングラという女性の作品、とってもいい。

  

この庭のブローシャーの表紙になっているのがこのアンモナイト・スライス・インサイドで5900ポンドもする。さすが・・・・これが一番素敵だった。

 

 

 えーこれがボタン!!!と驚いたくらいの変わった色と高さ2-3メーターくらいの木になっている。

 

 

 

 

 

ボードヒルハウスの正面だけどそれほど魅力はないね。テレビドラマのダウントン・アビィの見過ぎだからね。

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イギリスの旅(1) Woolsthorpe Manor と Belton House

2009-07-30 19:53:58 | 英国内旅行

昨年の6月から7月にはスコットランドからアイスランド、フェロー諸島を旅していましたが、今年は6月18日やっと出発することが出来ました。

ロンドンの東側から高速道路M11で北上しケンブリッジの町を迂回、その日の昼ごろにはピーターバラー(Peterborough)の北グリーサム(Greetham)のキャンプサイトに着きました。そこから10マイル先にナショナル・トラストが管理運営しているウールスソープ・マーナーがあります。

この家はアイザック・ニュートンの生家であり17世紀の豪農のお屋敷です。
ニュートンといえば日本人で知らない人はいないほど、地球の引力を発見した科学者と知られていますが、英国民の中で果たして何10パーセントの人が知っていることか?彼がりんごの木の下に座っていて落ちてきたりんごで引力発見とのエピソード、ちょっと眉唾物ですが本当に何にでも興味を持つ頭の良い子だったようです。

1642年のクリスマスにこの家の跡取りむすことして生まれた彼は、未熟児で決して助からないと一族からあきらめられていたそうですが、84歳まで生きサーの称号をもらっています。17世紀の医学で未熟児が助かったのもひとえに彼の実家が豊かだったからでしょう。
でもうちの亭主ポールも今から78年前に1Kg くらいの未熟児でした。助かるとは思えなくてお葬式の準備をしていたとのこと、その頃の英国の医療は世界の最先端を行っていたのですね。お母さんはインキュベータに入っているポールに消毒ガウンを着て授乳に行っていたそうです・・・・と此れは余談でした。

ニュートンは体が弱くて農業にはむかなくて、彼の叔父さんが学校教育を勧めたことから、成長してケンブリッジ大学で学び世界的な数学者、科学者になったものです。
写真1は実家で中は写真禁のため一回り見てきましたが、石つくりの質実剛健な後何百年も持ちそうな2階建ての屋敷です。屋敷の周りは昔の納屋や家畜小屋だったのでしょうが、今ではニュートンが発明、発見した数々の科学の実験室になっています。

さて翌朝キャンプサイトを出て1時間もしないでたどり着いたのが写真3のベルトンハウスです。
この立派なお屋敷は17世紀の建築物で、ロンドンで成功を収め大金持ちになった法律家がこの土地を買い取り、このマンションを築いたものです。
BBCのテレビドラマのジェーン・エアーや高慢と偏見などはこの屋敷で撮影されたものだそうです。現在7代目のエドワード・ブロウンロウが1984年にナショナルトラストに寄付したものですが、このマンションの一角にはまだ彼の居室が残っているとのことです。

屋内見学は12時半からと2時間も待てなくて、素晴らしい庭や温室(写真6)を歩き回り、地下のメイドやバトラーのような使用人の部屋、や屋敷の台所などだけ見てきました。次に機会があれば是非屋内見物したいものだと思います。







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イギリスの旅 (2) Castle Howard

2009-07-29 01:11:20 | 英国内旅行

旅の4日目に訪れたところはヨーク市から約10マイル北東のハワード城です。
このハワード城は過去300年間伯爵の居城として栄え、敷地を増やしてきましたが、1940年火事で城の中心部ドームが焼け落ち貴重な芸術品を多数失ってしまいました。
戦争から戻ってきた先伯爵ジョージ・ハワードが過去の栄光を取り戻すべく努力を重ね、城内と庭を一般公開して城の再建を図っています。

したがってこの城はナショナル・トラストではありませんが、現在の城主サイモン・ハワードとその家族があらゆるメディアを通して宣伝しています。テレビでもドラマの背景に使われたり、再建模様をドキュメンタリーにしているので、是非行って見なくちゃと訪れました。



門から何キロも車で走ってたどり着いた駐車場は週末でも有ったためか、たくさんの車で埋まっていました。入場料一人10ポンドづつを払い雨の中を城までの長い道を歩きました。お城までおもちゃのように箱を連結した電車が往復しているのですが間に合わなかったのです。

城内は写真可ですから豪華な家具や芸術品などをカメラとビデオで取り捲りました。各部屋に大変物慣れた案内人がいて、ビデオでとっている間中説明の声を録音させてもらいました。



焼けたドームは修復されてきれいになっていましたが、所々にまだ焼け跡が残っている部屋がありました。もちろん何百もある部屋の一部しか公開していないでしょうから、どれだけ修復されたのかはわかりません。
各部屋のあちこちに現城主の家族の写真が飾ってあり、裏庭で雨の晴れ間にクリケットをしていた家族連れが彼らに相違ないとポールが言っていました。なんともオープンな家族でしょうか。

裏庭のアトラス(ギリシャ神話のなかで地球を背負って立っている神)の噴水がこのお城のシンボルです。

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イギリスの旅(3) Scarborough と Durham

2009-07-28 01:54:10 | 英国内旅行

映画”卒業”で歌われている素敵な曲”スカーボローフェアー” その名前に惹かれてやってきたのがハワード城からさらに北東海岸線のスカーボロー(Scarborough)。ここは映画とは全く関係の無い町ですが、ホリデータウンらしく何処も人がいっぱい。この町は国道から直接町の中心地駐車場に入った一帯は高台にあり、古い大きなホテル(写真3)がどっしりと構え観光バスがやってきて客を降ろしていました。海岸線(写真1,2)にも大きな道路と繁華街が連なり、遠浅の海に港の堤防が長く伸びています。遠くの丘の上には古城が見えます。
日曜日の朝で観光案内所も開いていないため、この町の見所など何も知らずに1時間町をぶらつきそのままダーラムを目指しました。

この日は時々雨雲の間から日がさすような薄ら寒い一日でしたが、濃い緑の牧草地帯や黄色のペンキをぶちまけたような菜の花畑の道中に時々真っ赤なケシ畑。途中でキャンパーを停めて貰って、500メーターも走り戻って写したのが写真4です。菜の花はマスタードをとったり菜種油をとったりと重要産物ですが、ケシの花は何のために植えられているのか?どなたか知っている方がいらっしゃたら連絡ください。

ダーラムのキャンプ場は高速道路のすぐ近くにあり、街まで3マイル、翌日、近くの住宅地で見つけたバスで町の中心地へ出かけました。ロンドンで60歳以上はフリーダムパスというバス、電車の無料チケットがありますが、このチケットがここでも有効でこのチケットを利用して一日乗りまわっていました。
ダーラムは小さな丘の上が旧市街で周囲を河が流れ町の中心地は巨大なダーラム大教会です。
教会内部は写真禁のため残念お見せできないのですが、英国の各地に散在する大教会と大して違いはありません。只この教会に2000年を記念してモダーンなステンドグラスが一箇所あり、それがとってもきれいで古い教会を明るくしています。

この教会の一番高い塔は有料ですが、何百段もの廻り階段で屋根にたどり着けます。ポールは初めから登るのを拒否したので私一人でチケットを購入しました。チケット売り場のおばさんが”荷物をあずかりましょうか”というので ”いやハズバンドがいるから持ってもらう”と言うとおばさん済ました顔で ”ウン ハズバンドはそのためにあるんだから”と即答しました。

この階段のつらかったこと、荷物を置いてきて正解でした。カメラだけもって、もう永久に階段が続くのじゃないかと思ったころにやっと汗だくでたどり着きました。ここからはダーラムの四方が見渡せ苦労した甲斐あり(写真5,6,7)四方をとりまくって降りるほうは駆け足で目がまわりそうになりました。大教会のすぐ近くのダーラム城(写真8,9)は大学として使われており学生があちこち青春を謳歌していました。







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イギリスの旅 (3の2)Darham Cathedral

2009-07-27 02:12:52 | 英国内旅行

今日の写真はダラム大教会のステンドグラスです。写真禁なので絵葉書を買って来ました。
昨日はスキャンがうまく行かなくてあきらめていたのですが、今日お送りできますので、是非見ていただきたい。

写真1が2000年を記念して造られたダラム在住の芸術家Joseph Nuttgensと言う人の作品です。ダラム周辺の産業、文化を表しています。跡1000年も経てばこれらも古い芸術作品として見られるのでしょうね。

写真2は1984年にダラムのスーパーマーケットの職員が寄付したという”Daily Bread"というステンドグラスです。Mark Angus という人の作品で最後の晩餐を表しているそうで、テーブルに置かれているパンと周りにキリストと12人の使徒が座っているところ・・・・だと説明を聞かなければ判らないのですが、とにかく素晴らしい色彩です。

このような古い由緒ある建物に新しいものを取り入れるその勇気に感激しています。窓にあった古いステンドグラスを取り外すのに抵抗が無いということは考えられませんから。

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イギリスの旅 (4) Banburgh と Holy Island

2009-07-26 02:23:01 | 英国内旅行

ダーラムを出発した日からお天気に恵まれて毎日暑い日が続きました。ニューカースルのバイパスを通ってニューサンバランド州をめざします。
途中の海岸線にナショナルトラストの古城のサインを見つけて行ったのが写真1のダンスタンバーグ城、此れだけ崩れてしまえばお金を取って見せるわけにも行かないわけで拝観料は只、ナショナルトラストはこのあたりの海岸線も整備して人々が訪れやすいように管理しているのです。
海岸の岩が持ち上がってまるでアイスランドの火山地帯を思わせました。太古にはこのあたり一帯が火の海だったのでしょう。

青空の海岸線を北上、素晴らしいバンバラー城(写真3,4,5)が見えてきました。バンバラーは昔、ノーサンバランド州の首都だったと看板がありました。キャンプ場に落ち着いてから、歩いて30分のバンバラー城の見物にと出かけましたが、城の見物は4時が最終で間に合いませんでした。外見が素晴らしいので雄大な城を眺めるだけでも結構楽しめます。写真4の黄色の花は菊科の花でフィールド一面が金色に波うっています。

翌日バンバラーの入り江の向かいにあるホーリーアイランドを訪れました。ここは満潮時には完全な島になりますが干潮時は橋ひとつで車で往復できます(写真6)。この島の只ひとつの小高い岩の上にあるお城リンデスファーンはナショナルトラストに属し、訪問者が後を絶ちません。
1570年に建てられたこの城はこの地域を守る砦として作られたものですが、近代になって多数の金持ちの手を経て、ホリデーホームに改装され、1944年ナショナルトラストに寄付されたのです。ベッドルームが3室、音楽室もある堅牢な建物ですが、冬はどんなに寒いだろうかと思わせる古くて陰気な雰囲気です。

写真9は近くにあるリンデスファーン小修道院の跡地です。687年この地に埋葬されたのが聖キャサバード(写真10)で後に遺体はダーラム大聖堂に移されました。ダーラム大聖堂は聖キャサバードを奉って建造されたものです。このリンデスファーンから入り江を挟んで遠くに見えるのがバンバラー城です。(写真11)









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イギリスの旅 (5) Farne Islands

2009-07-25 19:15:28 | 英国内旅行

バンバーグの沖合いに浮かぶ無数の小島はファーン諸島(Farne Islands)と呼ばれ英国屈指の野生動物の宝庫です。観光船がバンバーグより3マイルくらい南の港町シーハウス(Seahouse)から出ています。いくつかの船会社がいろいろなオプションで運行しており、私たちは朝9時には港に着いていたので、波止場の一番良い場所に駐車でき、朝一番の船10時に出航のチケットを購入しました(一人12ポンド)。

このファーン諸島で私たちが上陸できる島が2島(Inner Farne と Staple) あり、この2島はナショナルトラストが管理しています。これらの島々は陸から近く見えますが本土から2-3マイルの距離に散在しています。初めに小さな島々に寝そべって日向ぼっこをしているアザラシの群れやボートの周りに弾丸のごとくダイブする海鳥に歓声を上げ、高い崖のあらゆる出っ張りに鈴なりになって鳴きわめいている多種の海鳥に全く大感激、一時間くらい島々を回遊した後私たちはStaple の島に上陸しました。Staple にはウミガラス1万2千羽、パフィンが一万羽そのほか14種類の海鳥が生息しています。

5月から7月末はこれら多種の海鳥の繁殖期にあたり、写真3のGuillemot (ウミガラス)やKittiwake(三つ指かもめ)は岩場に造った巣で卵をかえします。パフィンPaffin(つのめどり)は土手にあけた横穴の巣で雛を育てます。昨年アイスランドとフェロー諸島でカメラの望遠を最大にしてぼけた写真に大喜びしていたのが恥ずかしくなるくらい、パフィンが目の前にいて人間を怖がらないのが嬉しくて一時間の上陸期間カメラ2台とビデオカメラで取り捲った次第です。

ここに乗せた11枚の写真は500枚以上にのぼる写真のちょっぴり一部、この鳥たちを見て、見飽きることが無いなーと感激にひたった一時間でした。最後2枚写真のパフィンは魚をどうやって一度に捕まえるのかと不思議でなりません。

又乗船して本土へ戻る途中で船の周りを数頭のイルカが泳ぎ戯れ、観光船3艘で30分以上も追い掛け回しました。ラッキーな一日でした。









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イギリスの旅 (6) Berwick -Upon- Tweed & Scotland

2009-07-24 06:44:04 | 英国内旅行

ノーサンバランド州の一番北の町、バーウィック・アポン・ツイードへやってきました。この町はスコットランドの国境に近く、昔から英国、スコットランドの狭間で変遷した町です。ツイード河の河口に面し城壁に囲まれた静かな町ですが、城壁外の駐車場の看板(写真3)を見れば、19世紀はこの地域の家畜のマーケットのあったこの地方の中心地だったのです。
壁の上の散歩道を歩き、スーパーで食料を買い込んで、真っ直ぐゆくはスコットランド、エジンバラの外周道路を通ってフォースロード橋(Forth Road Bridge )を渡りました。(写真4) 小雨と霧で橋の上部が見えません。エジンバラからスコットランドを北西に斜めにキャンパーを進めます。目指すはスカイ島です。

道路わきには古城を改造ホテルにした(写真5)処やナショナルトラストの管理する谷川などがあります。谷川はその昔この近くの戦場を逃れた兵士が潜んだとか、飛び込んだとか・・・・歴史を知らなければ全然面白くないところです。途中から青空が広がり気持ちの良いさわやかな6月、連合王国一番の高山ベンネビス(写真7)はまだ雪が残っています。

真っ青な空に丸く浮かんでいる雲はまるで宇宙船の様です。
この日は、スコットランドの東海岸ロック・トリドン(Loch Torridon) の道端で見つけたキャンプサイトの看板を頼りに行ったところ、農家が経営する小さなキャンプ場ながら、きれいなトイレ、シャワー、皿洗い場のある素敵なサイトでした(写真9)。キャンプ場の看板によれば家族連れは受け付けないとのこと、大人だけのサイトは実に静かなものです。
この日は夕暮れが11時、白夜には程遠いけれども北の地方の夏はとってもさわやかです。夕焼けが明日の晴天を約束してくれています。







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イギリスの旅 (7) Scotland to England

2009-07-23 19:45:28 | 英国内旅行

今日はスコットランドを去る日、西側の国境はいつも気がつかない内に通り過ぎてしまいます。高速道路M6がカーライルのバイパスからでていて、快調に飛ばしている間にヨークシャーへ行く国道A66への降り口を通り過ぎてしまいパニック。次の降り口でレイバーンのキャンプサイトに予約を入れ山道の2級国道を行くことにしました。
この道は計らずもキャンプサイトのマネージャーが”・・・・・だけは通るな”と電話で教えてくれた道だったのです。・・・・・のところがポールには聞き取れなくて、いい加減に返事をして居たのです。 私の道案内で来てしまった時速40マイルがせいぜいの狭い二級道路でポールのぼやくこと、でもこの道はヨークシャーデールの真ん中を通り、あたりの景色はスコットランドとは全く違う雄大さで私一人大いに喜び写真を撮るのに大忙しでした。

レイバーン(Layburn)のキャンプサイトは森の中に広がる大きなサイトですがこの旅では一番安い9.80ポンド、信じられない!!!
キャンパーを停めると最初に歓迎してくれたのがアヒルの親子です。ダックリン(子あひる)のチャームで餌をねだっているなんて、うまく人間をしつけたものだとポールの感心することしきりでした。夕方には野うさぎがあちこち草を食み人間を恐れませんが、人間に媚を売らない動物でもあるのです。アヒルの残したパンくずを狙って小鳥もやってきます。早朝キャンパーの周りでは朝食をねだっているアヒルの鳴き声で起こされました。

翌日、丘の上の村レイバーンのから谷間を越えた向かいに見下ろせる城下町ミドルハムへ向かいました。町の入り口にかかる橋がお城を真似ていて珍しいものです。ミドルハム城は15世紀の古城で廃墟です。城の近くにある広場では一年に2回市が立ったと書かれていました。









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