Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

2015年 ヨーロッパ旅行ーポルトガルへ向かう

2015-11-16 12:56:02 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

11月2日月曜日小雨の中をポルトガルへ向かった。今まで何度も行っている南ポルトガルへはバダホス(Badajos)から西へ向けてポルトガルへ入り南下する道をとっていたが、今回初めてセヴィリアまで無料の高速道路E803を通り、西に向けてポルトガルへ入国するコースをとった。

この行程は今までで一番長く遠回りだが、道路状態は大変良くて信号待ちや町や村を迂回しているので、一度も止まらなかった。

 

  

 

 

このスペインでも西の地方はエクストレマドラ(Extremadora)と呼ばれる州でスペインでは貧しい地方だと言われる。道路わきはオリーヴ畑とヴィンヤードそして林は皆コルク樫の木々から成りこの地方からポルトガル一帯までほとんどの植物系態は変わらない。

 

 

 今度は風力発電ならぬ太陽熱発電のパネルの森を見つけた。この地方も夏は40度を超え、今夏のセヴィリアでは気温48度になった。それだからシアスタが必要なのだろう。

 

 

道路標識がカーラ(Cala)と書かれてある道路の西側に素晴らしいお城が見えた。インターネットで調べても何も出てこない。来春帰国時に立寄ってみたいところだ。今回は雨の中でかすんでいて残念。横の写真はセヴィリア郊外で見かけた大聖堂、

 

 

 

 セヴィリアは大都市で、車で走ると良く分かる、長い環状線が町を巡っていて見えるのは新興住宅地と工場地帯ばかり。

 

ポルトガルとスペインを分断する川に架かる国境の橋。ここまでくるとあと一息、1時間くらいでキャンプサイトに到着する。

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2015年 ヨーロッパ旅行ーカセーレス(Caceres)

2015-11-15 10:30:30 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

カセーレスのキャンプサイトは町のはすれ環状線の近くにあり、キャンプサイトとスポーツグラウンドのほかにはどこも行くところがない。

2011年のキャンプ旅行ではこのサイトに1週間いて町の観光にも2日もかけた。この街はローマ人が作った町でローマの遺跡がいたるところおまけにムーア人(モーロ人)による統治が長かったためヨーロッパのキリスト文化とは違ったアラブの影響がいたるところに見られる。

旧市街には巨大な城塞が完璧な姿で建っている。この街の様子は2011年のヨーロッパ旅行で写真や説明を載せているから興味のある方はそちらを覗いてみてください。

今回このサイトへやってきたのはキャンパーに故障があったからで、もう11年もヨーロッパ中を走り回っていればあちこち故障が出てくるのもやむをえない。

ここはポルトガルから北スペインへ行く中間地点にあり、過去にも何度か一泊している。

2011年に長期滞在したのは水道のポンプが故障してしまったからで、この時キャンプサイトへ来てくれた若いエンジニアはすぐ新しいポンプに取り換えて料金も驚くほど安かった。

今回はシャワールームのパネルの後ろで水漏れがしていて、英国の我が家を出るときタンク一杯の水が、2日後には空になっていて、排水タンクがあふれていたことで初めて分かった。それで丸1か月間のドイツを皮切りにあちこち走っている間もいつも水の心配をしなければいけなかった。

この地のキャンパーサーヴィスがいいのを知っていたからここまでもたせたわけで、着いた翌日金曜日の朝レセプションで尋ねたところキャンパーサーヴィスの工場を教えてもらい、カーナヴィをつけて出発した。

この工場はキャンプサイトとは正反対の町外れにあり、たくさんの工場地帯の一軒で修理中のキャンパーや自動車が何台もあって忙しそう。もともと悲観論者の亭主は聞く前から悲観して、金曜日の今ではたぶん来週来てくれと言うだろうと嘆いている。

中年のスペイン人にしては大きな男性が、シャワールームのパネルをはがし水道の蛇口がだめになっているが、スペアーが無いという。

シャワールームは今までもほとんど使わず物置になっているから水を停めてもらうだけで蛇口は替えなくてもよいと話をつけて30分ですべてを終えた。料金も20ユーロ、あまりの安さに耳を疑った。300ユーロの準備をして行ったから。

あまりの嬉しさに大きなスーパーで食料特に魚を3種類も買い込んで昼、夕食全部魚で亭主に嫌がられた。

 

このキャンプサイトが特にいいのは指定されたキャンパー駐車地に一軒づつのシャワー・トイレが個別に付いていること、それにキャンパーの中からインターネットが使えそれがタダだから、滞在した4日間にこのブログを書きまくり、イーメイルやスカイプなど大いに楽しんだ。フランスでの1時間5ユーロのインターネットとは大違いだった。

本当は土曜日にポルトガルへ行くつもりだったが、天気予報ではポルトガルからスペインは嵐になるとのことで、滞在を引き延ばした。

日曜日はここは晴天だったがポルトガルのアルブフェーロでは大雨のため大洪水になった。

そして日曜日にこのサイトに無料のスパーがあることを発見して、レセプションに4時からのスパーを申し込んだ。二人で4時から1時間熱いお湯につかりジャクジーをつけたりして大いに楽しんだ。それで帰国時も絶対ここへ来ることを決心した。ここのお湯はたぶん40度近くあり湯のぼせを防ぐため隣の水のプールに交互に入った。ドイツの温泉とな何という違いか。

 

 

 

 

 

 

 

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2015年 ヨーロッパ旅行ースペイン-カセーレス(Caceres)へ

2015-11-12 15:02:25 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

アランフェズ(Aranjuez)のキャンプサイトはマドリッドの南42km、トレドへは40kmと便利な地にあり、観光にはここが一番かもしれない。このサイトへ来たのは初めてだったが、マドリッドへ行った数年前にはやっぱりマドリッド周辺のキャンプサイトに泊まった。

 

 

朝9時過ぎサイトを出発してすぐ道端でアヒルの大群に出会った。どこから来たものか判らないが、人影は見えず飼われていた飼育所からの大脱走?かもしれない。それにしてはアヒルものんびりしたもので道端の水たまりで水を飲んだり道草を食ったり。

この日行き先200マイル以上走行する亭主はアヒルの逃走結果を見届ける間もなく私が5-6枚の写真を撮ったところですぐ出発してしまった。

 

 

 

キャンプサイトのインフォメーションによればここにはアランフェズ宮殿や素晴らしい公園があるとのこと、来春帰国途中ではまた来てこの街を散策したいものだ。

 

 

 

碁盤の目のような通りをまっすぐに町外れまで行き、無料の高速道路でトレドの環状線を通り過ぎカセーラスまでの国道E90にのった。

 

 

 

 

 

中央スペインの郊外は林や森が一切見えず地平線まで牧場か荒地になっている。何しろ夏は気温40度を越える乾燥地帯、冬は氷点下10度を下回る厳しい土地だから。

 

 

 

 

時々立派なお城や屋敷が見えるがスペインも群雄割拠の歴史がある。世界中人間から戦争のない歴史を持つ国などないのではないか。 

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2015年 ヨーロッパ旅行ースペインーマドリッドへ

2015-11-11 12:21:04 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

ザラゴーザにあるはずのキャンピングプラッツは町を通り過ぎて10kmほど西、午後2時ごろに着いたけれどそれらしいものがどこにも見当たらず、カフェーで聞いたところ、その近くの村ではないかと言われ2周りもしたが見つからない。何しろ小さな村がシエスタに入っていて人影は見えず、まるで廃墟の静けさだった。

とうとう諦めてここから北へ50kmほど行った村ボーバ(Borja)にキャンプサイトを見つけた。

メイン道路を外れて小さな村ボーバを通り抜けたところにキャンプサイトはあった。レセプションにもレストランにも誰も居ず完全に閉まっている。それでもサイトのゲートは空いているから中に入りトイレ・シャワールームの近くにキャンパーを停めて電気をつないだ。私たちのすぐ後に英国キャンパーが一台やってきて、ここは夕方7時ころまで誰もいないんだという。このサイトはあたり一面真っ黒のオリーヴの実が熟れていて、いつでも収穫できそう。

夕方7時を過ぎてもだれも来ず、そのころには電気も切れてしまった。だからサイトは真っ暗闇・・・・とはならずこの夜は満月であたりは青白く見える。夜9時過ぎにまた電気が入りオフィスに誰か来たのかと思ったが誰も見えない。

  

 

翌朝8時に目覚めてみれば近くに停車した英国車はもう出かけていない。ということはキャンプ代を払わないで逃げたらしい。なんという英国人。朝食を終わり出かける準備が完了した9時過ぎ、支払いのためあちこちうろうろするもだれも居ず、亭主はキャンパーの警笛を派手に鳴らした。

それでも誰も現れずとうとう私たちもただ泊まりで逃げ出してしまったわけだ。

 

 

昨日村に入ってきた時とは違う道を行ったため、メイン道路に着くまでずいぶん遠回りになったと思うが、田舎道を走っている間に丘の上に古城をいただくトラスモス(Trasmos)という村の入り口を通った。こんな片田舎でも相当家屋が込み入っている。村の中は入らずなおも行ったところで深い谷間に入る手前の対岸にダムを見つけた。

 

 

谷間に下りていくと小さな村ロス・ファホス(Los Fayos)という部落が高い崖にへばりついたように並んでいた。あのダムが決壊したらどうなるのだろうと要らぬ心配をしながら通り過ぎる。ここでも一人も人影を見なかった。

やっとメイン道路に着き今日はプラサンティンまでの341マイルを予定して走り出したのに、キャンパーのエンジン具合がおかしい。まるで去年汚れたディーゼルで動かなくなった時と同じ症状を見せる。小さな上り坂は時速30マイルが精いっぱい。最高速度が50マイルほどしか出ず、普通車ならず大きなトラックにも追い越され続けて亭主は欲求不満の塊になってしまった。これではプレサンティンどころではないと予定を変更してソリア(Soria)から高速111でマドリッドの南へ向かった。

 

 

 

 

今夜のキャンプサイト・アランフェズ(Aranjuez)に100kmほど手前のグアダラハラ(Guadalajara)の町でディーゼルを満タンにして貰う。

するとキャンパーはまるで今までの機嫌を直したように時速70マイルで突き進むようになった。昨年にもこんなことが2度もあってガレージへ行ってフィルターや管をきれいにしてもらったのにまだどこかに汚れがあって時々気まぐれに詰まってしまうらしい。はじめの200kmに5時間半ほどかかり後の100kmは1時間ちょっとで着いてしまった。

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2015年 ヨーロッパ旅行ーザラゴーザへ(Zaragoza)

2015-11-10 12:00:13 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

 

アンドラからスペインへの道は小雨と霧であたりはまるで中国の水墨画みたい。この道ははじめてアンドラへ来た年に同じくザラゴーザへ行くのに通った道だがあの当時せっかく写したカメラのメモリーカードが壊れてしまって写真をダウンロードすることができなかった。今回はこの天気ではせっかくのスペインも大したことが無い。

 

 

 

ずーと山道が続いて現れる村も霧の中にかすんでいたが、やっと平地になってきて天気が良くなってきた。道路はこうして町や村の中を通るのはまれで、結局ザラゴーザの町までスーパーマーケットを一度も見かけなかった。

 

 

 

 

 

行く先々で丘の上の教会とそれを取り巻く小さな村を何度も見ることができる。耕作地は花の終わったばかりのひまわり畑や取入れが終わったトウモロコシ畑が平野につらなる。

 

 

 

 

リエダを過ぎザラゴーザへの道は県道か国道あたりで有料高速道路も並行して走っている。しかし村や町へ入るでもない道路では、ほとんど停滞しないから、キャンパーは快調にザラゴーザへ向かっている。

 

ザラゴーザへ入る20kmほど手前では工業地帯が現れ低い丘は風力発電の風車が並んでいる。スペインにはこのような風力、太陽熱での電力開発がすごく進んでいるがこれらが採算がとれているかは疑問だそうな。

 

 

 

 

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2015年 ヨーロッパ旅行ーアンドラ2日目

2015-11-09 11:58:55 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

2年前アンドラのキャンプサイトに着いて同日、亭主は血尿がひどくて即入院になった。

その時世話になったキャンプサイトの主人ホセは私たちのことを覚えていてくれ、ポルトガルからクリスマスカードを送ってくれたね。と言った。

今回は2泊だけ、着いたその日は洗濯やシャワーでゆっくりし翌日無税のショッピングセンターへ出かけた。

 

今年買ったパナソニックのカメラは今までのカメラとバッテリーサイズが違っているためスペアーを探していた。英国のパナソニック・ショップで聞いたところ一個60ポンドぐらいするが今在庫がないと言われた。アンドラのカメラショップ2軒目でもっと容量大のバッテリーが一個50ユーロだという。ポンドにすれば36ポンドぐらい。有り難いことだ。

どこのショーウインドーでも冬の衣服や日用品の安売りディスカウントの展示の中にこのクラッシクカーがデンと納まっていた。英国車のオーステン・マーティンだとのこと。

 

 

あとはアルコール2瓶買っただけで、2年前に毎日行って昼食を食べたレストランへ行き

今回もお皿山盛りのサラダ、20種類ほどの冷野菜と冷肉のてんこ盛りで3.5ユーロ、

亭主はチキンのモモ肉に野菜とご飯で満腹、小雨が降りだした街を川渕に沿ってキャンプサイトへ戻った。

 

 

キャンプサイトへあと500メートルの道端に狭い牧場があり牛と羊が放牧されている。この狭い川沿いの谷間では土地の値段がとっても高いと思われる。とうとうこの牧場を切り売りするのか半分が工事現場になっていた。

 

 

 

アンドラは10世紀前後スペインが回教徒に侵略、支配された200年の歴史の中でも最後まで抵抗をつづけたクリスチャンの末裔で、20世紀のスペインの独裁者フランコ打倒の闘士にはアンドラが一番の逃走経路だったという。

 

言語はカタロンというカタロニア語でスペイン語に似ているが、バルセローナ方面へ行くと道路標識がスペイン語とカタロニア語の2重書きになっている。

バルセローナを首都とするカタロニア地方が昨今スペインから独立したがっている。ユーロ圏内でヨーロッパを一つの経済圏にするのにスコットランドやカタロニア、バスク地方はそれぞれ小さな独立国を望んでいるとは皮肉な話だ。

 

アンドラ2泊の翌朝朝霧の中をスペインへ向かって南下坂道を下ってスペインとの国境近くでディーゼルを満杯にした。税金なしだとディーゼルの値段も英国のやや半値に近い。

 

スペイン入国に際し国境税関に止められ、たばこの有無を聞かれただけで,車内検査はなかった

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2015年 ヨーロッパ旅行ーアンドラ

2015-11-07 16:50:20 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

アンドラへ入国してまずはスキーリゾートのあるホテル群を通り抜け高台で一休み、まだ寒くはないからコートなしであたり一面の写真が撮れる。この辺りは今まで走ってきた道で長い上り坂になっている。

 

海抜2000メーターを超えただけでこの辺りの山には木が一本も生えていない。対岸に見えるとがった山にジグザグの道がついていていったいどこへ行くのか、どんな車で走れるのだろうかといぶかっている。

 

 

 

雪が降ってスキーシーズンが始まると大賑わいになるこの国も今は一番暇な時期、たぶんフランスから安い無税の酒タバコを買いに来る人たちだけが遊びに来ているのだろう。

 

 標高2400メーターを過ぎると道路は下りになり、キャンプサイトのある首都ラ・ヴェッラのあるところまでずーと下降線をたどる。

 

 

 

途中にもホテル群やショッピング街があり首都までの1時間は山々が黄葉し素晴らしい景色に恵まれる。

 

 

 

 首都のラ・ヴェッラは谷間がやや広がった中にまちの中央をきれいな川が流れ、両脇の山側を埋め尽くす建物で作られているのに、まだ小さな耕作地か牧場があるのには驚かされる。この地では生活に必要なものはすべてスペインかフランスから入ってくるから牛や羊を見るだけで驚いてしまう。

 

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2015年 ヨーロッパ旅行ーアンドラへ(To Andorra)

2015-11-06 12:20:53 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

 

カマージュを通って西へ向かった。カマージュは広大な平野で、国道、県道の周囲は農地と牧場から成っている。道路わきに大きな工場があり大きくRiz de Camarge (カマージの米)という看板があった。そう見れば周囲は刈り取った稲田だった。

ここでもお米がとれるのだ。今までこうして旅して歩くと地中海沿岸はどこでも稲作をしているのが分かった。

 

 

 

  

 カマージュの遠浅の海を駆ける野生の白馬やフラミンゴは国道や県道からは見えない。

モンペリエーまでナショナルロードを走り、ベジヤーまでの約70kmを高速で走ってスペインへ行くべく西の山中のキャンプサイトに着いた。

  

この夜地図を見ながら次のキャンプサイトを調べたが10月半ばを過ぎるとほとんどのキャンプサイトが閉まって停まれるところがない。

とうとう諦めて一昨年も行ったアンドラへ行くことに決めた。

 

 

 翌朝カーナビをフランス南部のキャンプサイトにセットして出発。ナショナルロードを走っていた途中の町でカーナビにまたしてやられた。田舎の細道に入り込みジグザグ急坂を走り回って約60Km の道に2時間以上もかっかって亭主は頭にきている。

 

 

やっとメインの道路が見えてきた時からカーナビは見たくもないとスイッチを切って棚の中に入れてしまった。

 

 

 

 

 

フランス南部のE09は無料の準高速道路で順調にアンドラへの道を進んでいった。あたりは秋の黄葉がきれいで過去2回来た時に一面の雪だった山々にはまだ雪は見えない。

 

 

 

 

 

途中から急坂ジグザグ道をどんどん登っていく。昨年グラナダへ行く前のガレージで汚れたディーゼルで汚染されたエンジンはどんなに手入れをしても完全ではない。坂道は時速2-30マイルのスピードでやっと登っていくから後ろに乗用車が数珠つなぎだった。

 

 

 

 

アンドラからフランスへ入国する税関では長い行列がついていた。

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2015年 ヨーロッパ旅行ーフランス 2日目

2015-11-05 12:41:07 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

 

今日はマルセイユの西側海岸線のキャンプサイトまで108マイル走る。数日前に亭主が腰を痛め、今日は特に痛いという。それでも運転するのは問題ないらしいが長距離は無理かもしれない。

 

イタリア以来天気は良くキャンパーの中は暑くて半袖、この地域もヴィンヤードがいたるところにあり、各自独特のラベルでワインを売っている。

 

 

 

 

大きなトラックが2台カラフルなキャンピングシャレーを積んで前方を走っている珍しい風景、道端ではポテトを売っているトラックが停まっていた。

 

町のはずれで今からサーカスが始まるらしく、テントの外2頭の象が熱い太陽を浴びて楽しんでいるのが見えた。

  

地図を見る限りでは道路は海岸線と平行に走っているが海が見え始めたのは、今夜のキャンプサイトへ向かって岬を目指している時で、長い橋を通ったからそのあたりは島なのかもしれない。

 

マルセイユは高速道路の環状線があり知らないうちに通り過ぎた。

カーナビが連れて行ってくれた先は狭い坂道で、たぶんキャンプサイトのコーディネートが間違っているらしい。急いでバックして坂道を下りてきたところで、キャンパーの前バンパーを傷つけてしまった。20メートルほど離れたところに見つけたキャンプサイトは夜5時半からしか開かない。

仕方ないからキャンピングブックで見つけたもう一軒のキャンピングサイトを探して行ったがここのほうが道路が狭くてキャンパーの両横を傷つけて散々。

  

諦めて先ほどのサイトに戻り時間待ちをしていたらオーナーが出てきてすぐ入れてくれた。

隣のキャンパーも英国人夫妻で、彼らのほうが私たちを覚えていた。彼らとはドイツのモーゼル川のほとり、トリヤーのキャンピングプラッツで出会った。ドイツ車ばかりでこの前後英国人に会ったのはこの日が初めてだった。

 

彼らもスペインからポルトガルへ徐々行くとのこと。このサイトには一週間いて、この日はバスでマルセイユへ行ってきたとのこと。私もマルセイユは行きたいけれど亭主の腰痛ではとっても無理であきらめざるを得なかった。

 

しばらくインターネットを使っていなかったから1時間5ユーロのインターネットで英国の娘と交信、同時に友達からのe-mailを見て返信した。

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2015年 ヨーロッパの旅 フランス入国

2015-11-03 13:07:03 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

 

フランスへの入国は今まで一度も管理されていたことが無く、自由に行き来できた。

今回初めて警察官が数人立っていて怪しげな(我がキャンパーも含む)車を止めて車内をみせてくれという。最近のシリア大量移民で無国籍入国者を探しているらしい。

 

車内を一目見ただけですぐ無罪放免になった。フランス最初の町はマントン(Menton)という。以前イタリアからスロベニアへ行くときのこの街のキャンプサイトで一泊したことがあった。キャンプサイトは山の上のオリーヴ畑の中だった。そしてこの街で食べたピッザがイタリアよりもおいしかった記憶がある。今回もピッザを食べたいと思ったもののキャンパーを停める場所がなくて通り過ぎてしまった。

  

 

 

 

 

 

マントンを過ぎてすぐメイン道路は山を登るようになって眼下に現れるのがモナコ公国、こんな小さな国が世界中の金持ちの憧れの的なんて。私たちのような旅行者や荷物を運ぶトラックなどこの国の海岸道路を走れない。山道の駐車禁止の立札の前でキャンパーを停め急いで数枚の写真を撮った。行く手にきれいな町が見えるのはここはモナコかフランスか?

 

 

 

 

長い山道を下りて来たら右手に広がるのがニース(Nice)この街は大きい。

カーナヴィがなかったら絶対ここから抜け出られないだろう。

 

 

あまり迷わず焦りの亭主がややテンションが上がったところで、町の反対側へ抜け出られた。あとは道路標示でカンヌの名前だけ見たけれど無料の高速道路でサン・ラファエル(St Raphael)のキャンプサイトに着いた。

 

このサイトは海岸に近いとのキャンプガイドだったのに片道3kmでバスもないという。

諦めて一晩だけ停まることにした。

 

 

 

キャンパーパークは入り口のほうだけで、奥へ行くと山小屋風別荘みたいな建物が連なる。

きっと個人が買っている別荘地でキャンプサイトが管理しているに違いない。これだと安心して必要な時に来てホリディを楽しめるだろう。

 

 

この夜明るい半月が真上に上り新しいカメラを試してみたら117倍の望遠で画面をはみ出してしまった。でも月のあばたがはっきりと見える。

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2015年 ヨーロッパ旅行ーイタリアからフランスへ向かう

2015-11-01 18:36:56 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

ガーダー湖畔のキャンプサイトで2日過ごした後、 ミラノ周辺かコモ湖畔のキャンプサイトを探したがどこにもない。こういう高級リゾート地にはキャンパーの停車する余地がないようだ。結局海岸線へ下りてフランスへ向かうことになった。

ガーダー湖畔からミラノ周辺は平野で遠くに雪山が輝き、近くでは大理石採掘場が見えた。全部掘り起こした後はいったいどうなるのだろうかと心配している。

 

 

 

農場地帯が続きよく見てみればなんと刈り入れ真近の稲田が広がっている。もう刈り入れてしまった田もあって、この稲は陸稲らしいと思った。水田の様子がなかった。スペインのヴァレンシアあたりでは水稲で、今頃は水田が水浸しだろう。 道路際でキノコを売っている人がいた。10月はキノコの季節。イタリア人やフランス人はキノコが大好き。

 

 

カーナヴィのセッティングが悪いからか、時々とてつもない山道を通らされたり、街中の狭い通りだったりで大変な目に合う。今回も平野の田舎道は問題なかったがジェノア(Genova)の西海岸へ下りてくるのにジグザグ道で急な坂道、神経をすり減らしてやっと海岸沿いの平地にたどり着きフランスにあと40kmくらいで見つけたキャンプサイトに一泊した。

 

 

 

翌朝9時にはサイトを出てフランスを目指す。サンレモの手前の道端には温室が広がり花や野菜の促成栽培をしている。

 

 

 

 

 海岸沿いの狭い斜面にびっしり家屋が立ち並び時々狭いメイン道路で立往生したりしてサンレモの近く、こんな有名なところはキャンパーやトラックが通らないよう環状線があるだろうと思ったが、残念。

 

 

 

 トンネルをくぐってすぐ西サンレモへ下りて行った。通りは沢山の人出、そしてこんなに多くのモーターバイクが停まっているのにも驚いた。

 

 町の出口で道路工事をしているため一方通行で長い待ち時間の末、バイクの一団がやってきてそのあとから車の列。こんなに多くのバイクを見たのはベトナム以来だと思う。

 

 一番先頭の私たちのキャンパーの周りがバイクで埋め尽くされGoのサインと同時にバイクの群れが飛び出していった。本当に良くも事故を起こさないものだと思う。

 

 海岸線の道路の上空は電線が張り巡らされている。これは電動バスが運行しているためで上で接続したラインから配電されている。

 

 

 殆ど町と町がくっつきあって住宅地がどんどん山頂にあがっていく。

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2015年 ヨーロッパ旅行ーイタリア・ガーダー湖畔

2015-11-01 13:06:40 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

ガーダー湖畔のキャンプサイトは過去11年間ヨーロッパ中をキャンプしてまわったなかでも最大級だった。それに清潔で整備され、ホリデーに必要なすべてがそろっていた。

なんでも売っている大きなスーパーマーケットや、フィッシュ・アンドチップスのテイクアウエイ、コーヒーショップ、美容院からレストランも数軒、なんでもそろっている子供の遊び場とプールそして数知れぬ大小のシャレー。キャンパーの停車地は湖の横の木々に囲まれている。夏場は日陰がないとキャンパーの中は蒸し風呂になる。これは私たちの古いキャンパーがそうであって新しいのはエアーコンがあるから問題ない。

   

 

湖のほとりは歩道がめぐっていてどこまでも歩いて行けそう。ドイツを出た今朝の寒さがいったいいつの事だったかと思わせるイタリアの秋だった。

 

 

 

 

 湖の対岸は教会の尖塔が見え家々がひしめいていたり遊園地のジェットコースターの骨組みが見え、新しいカメラで117倍の望遠がきくことを発見した。

 

 ずらっと設置されたシャレーはヨーロッパじゅうの旅行会社が契約しているのもあるらしい。

 

 キャンプ場にホテルまであるのは驚き。ホテルもサイトの中の一部だから、いろいろな設備が利用できる。

 

 

 

 子供連れのホリデーに最適。娘夫婦と今年生まれた孫の3人連れで来れるよう大いに勧めたい素晴らしいキャンプサイトだった。

 

 

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2015年 ヨーロッパ旅行ーイタリアへ

2015-11-01 11:08:31 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

 高速道路での国境越えは検問もなくてスムーズにイタリアに入った。天気は相変わらず悪くて急なにわか雨や、小雨が降り続いたりしている。これが晴天ならば周囲の山の紅葉や古城を愛でることができるだろうに。

 

 

 

 この辺り南アルプスになるのだろうか、山の急斜面がヴィンヤードになっていて、ブドウの葉も黄葉しだしてきている。

 

 

途中でドロマイトの表示有り、ここが世界遺産になっていると書かれていた。 ドロマイトは南アルプスの最も明光風靡な地方で山歩きや登山、キャンプ(テントによる)に最適とのこと。行ってみたいと思うけど人生後半に入っている私たちには無理かも。

 

 

 

 山頂から中腹の住居やヴィンヤード、古城と高速道路を通っているだけでも風景は素晴らしい。山の中腹に一般自動車道路が走っているのを見つけた。高速道路を通っていなければ急坂の2車線道路を上下していたのだろう。もう50年も前、亭主が弟と一年間ヨーロッパから北アフリカのキャンプ旅行に出たときこの山道を通ったという。だから海抜2000メーター級のブレナーパスが気になって仕方がなかったらしい。

 

 

 

 イタリアも山を緩やかに下りてくると天気も少しづつ良くなってきた。高速道路と平行に走っている線路に面白い貨車が殆ど同じスピードで走っていてしばらく同じ貨車を見ていることになった。

 

北イタリアの大きな湖ガーダー湖畔のサイトを目指したのにキャンプサイトを間違ったためガーダー湖の北方山中のキャンプサイトにたどり着いた。仕方ないからまた逆戻り、狭い村の道路を通って南下する。 

 

 

古代ではローマ・ギリシャなど暑い国が文化を発展させたものなのに、中世からはオーストリアのハブスバーグ、フランスの王室、英国、ドイツ、北欧の王室など冬は寒い国ほど発展してきた。北イタリアも例外でなくミラノを中心とする経済発展地になっている。

やっぱり夏が熱い国では国民の労働意欲がそがれるのかもしれない。そんなことを思うと山の上まで開墾しヴィンヤードを作って生活している人たちは大きく見れば北イタリアの経済の一端を担っているのだと思われる。

 

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