Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ロンドンのこの頃 その3 オリンピック準備中

2012-07-23 14:41:16 | ロンドン周辺

  

後数日でオリンピクが始まる。オリンピック開催委員会の人達の苦労は並大抵でなかっただろう。まずは4月から続いた悪天候。晴天の日があまりに少なくて毎日曇り空と激しいにわか雨が続いた。気温も20度を越えることがほとんど無くて、海外からの観光客が気の毒になったくらいの寒さだった。オリンピックも雨にたたられ流されるのじゃないかとの予想を覆して,20日土曜日から晴天になり、昨日今日など30度に迫る気温、太陽がぎらぎらであまりに長い間日の目を見ることが無かったから、スーパーマーケットで話していた黒人女性など暑くてやっていけないと嘆いていた。神様お願いだからオリンピックの間中良い天気にしてね!!とお祈りするのもかなわぬときの神頼みか???

  

この国の労働組合と言うのは国を挙げてのこんなイベントさえも奉仕の気持ちなど一切ないらしい。2-3週間前にロンドンのバス会社の従業員全部に600ポンド(税金支払い後)を支給しなければオリンピックの期間にストライキをすると脅迫してロンドン市がこれに屈した。すると先週は英国鉄道の運転手と空港などの入国管理所職員がボーナスをくれなきゃストをするとブラックメイル。本当にこの国がだんだん悪化していくのが判るような気がする。

  

オリンピックの開催国がそれをきっかけに経済成長したのは過去のこと、ギリシャもスペインもオリンピックの為に多額の借金をして、今では経済困難で苦しんでいる。英国もこのオリンピック後がどうなることかと心配でならない。それとテロリストがはびこるこの世では、このオリンピックが何事も無く終わるとの保障も無いし。
警備といえばオリンピック・スタジアムの周囲の高層アパートの屋上には迎撃ミサイルが設置された。東京オリンピックの頃には想像できない警戒振りだ。

晴天の日曜日、ロンドンブリッジ駅からタワーブリッジまでの川淵を歩き、タワーブリッジの上方に下がっている5輪のマークや一つ目小僧のオリンピック・マスコット等をカメラに収めてオリンピックスタジアムのあるストラトフォードまでドックランド・ライト・レールウエー(DLR)に乗った。20分ほどでストラトフォードの一つ前の駅でオリンピック・スタジアムの全景が見え、乗客全員が写真を撮っていた。

  

まだオリンピック・スタジアムは近くにも寄れないほど警戒厳重で、ウエストフィールドのショッピング・センターから眺めるくらいだった。先週開いた選手村も各国の国旗が翻り出入り口は厳重に警戒されている。ショッピング・センターの中には世界各国の選手や関係者がIDカードを首から提げグループごとに歩き回っていた。それに警備に狩出された陸軍の若い男女軍人がウインドーショッピングをしているのがいたるところで見られた。


  

  

 

22日月曜日は私たちの町にも聖火がリレーで通るとあって朝9時ごろから歩いて町のメイン道路へ出かけた。月曜のこの時間、ロンドンには働いている人が居ないのかと思うほどたくさんの人達が歩道に集まっていた。テレビでは聖火を持って走る人しか見せないが、聖火が来る前に警察官満載の車が3台も通り過ぎ、英国国旗を配ってゆく人が手渡してくれた国旗を振って次々行くバスやローラスケートで行進する男女などに声援を送り、やっと来た聖火をもった若い女性はあっという間に通り過ぎていった。

やっとオリンピックの雰囲気になりつつあるこの2日間だった。


  


  


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ロンドンのこの頃 その2 ブリン・タフェル

2012-07-06 12:10:58 | ロンドン周辺


6月30日、7月1日の土、日曜日と翌週週末の4日間に、ブリクストンの映画館でメトロポリタン・オペラ・ハウスのニーベルングの指輪が上映された。このオペラは昨年から今年にかけてメトロポリタン・オペラハウスで6ヶ月の間に上演されたものだが、そのたび各国、契約映画館で同時中継されたもので、今回は2週の4日間でトータル16時間を見るというもの。
土曜日の12時からはじまるので、前夜に巻き寿司をたくさん作り、友達と一緒にオペラと寿司に浸った日々だった。

このオペラは北欧神話とドイツの抒情詩を元にヴァーグナー作曲、現代の勧善懲悪やモラルなどと言うものが全く通じない。近親相姦あり、育ての親を殺したり、神様と言えどもラインの黄金を盗んだ小人をだましたり、自分たちの住む宮殿を巨人の兄弟に作らせ謝礼の代わりに妻(結婚の神)の妹(永遠の若さを保つりんごを育てる神)を渡す約束などする。神々の長であるヴォータンが女好きであちこちに子供を作って妻のフリッカがいつもやきもちを焼いている。まるでギリシャ神話の中のゼウスとよく似ている。

波乱万丈のとてつもないストーリーだが音楽がきれいで出てきた歌手が皆揃って素晴らしい。5時間もほとんど歌い詰めの歌手たちなどよく体力・気力・それにドイツ語での記憶力があるものだと心から感心・感激した。


  


この時のヴォータンになったのがウエールズ出身のブリン・タフェルで中年のバス・バリトン、彼を初めてみたのが今から10数年前でなんて素晴らしい歌手だろうとそれ以来のファンになってしまった。
7月4日と5日にブリン・タフェルとその友人達によるミュージカルとオペラのコンサートがロイヤル・フェスティバル・ホールで開かれた。ロイヤル・フェスティバル・ホールはテームズ河の南に面した劇場群の一つでここは100年前に開発され、コンサートホールが建てられた。当時はウルトラモダンな建築群として賛否カシマシかったらしい。

4日のミュージカルにはウエストエンドからのミュージカルシンガーが4人出演して、いろいろなミュージカルの有名な歌を歌ってくれ、大いに楽しんだ。翌夜のオペラもブリンさんの他に3人のオペラ歌手出演でこれも感激もの。

コンサートの終わった10時,テームズ河北岸の光を楽しみながら、ウオータールー橋に上がった。この夜ロンドンブリッジ駅近くの三角のガラスで覆われたシャードと呼ばれるビルがオープンした。

  


シャードはヨーロッパでは一番高い建物でオープニングにレーザー光線の光ショウがあると言う。
一番近くてシャードが見えるところはウオータールー橋で行ったところは物見高いロンドン子でいっぱい。レーザーショウはたいしたことが無かったけれど、ロンドンブリッジ駅の4番プラットホームからシャードがよく見えた。


  


  



7月7日土曜日の映画を見終わってすぐまたロイヤルフェスティバルホールへ急ぐ。この日はブリン・タフェルがホールのベランダでフリーのコンサートをやるとのことで、あせっていった。6時から始まる前に、ウエールズ・コンサートマスターに拠るウエールズ語のコーラス指導があり一緒に歌ってみたが、読めない。発音できない。・・・・ですっかりあきらめた。それにしてもブリンさんはやっぱり素敵、たったの4曲歌っただけだけど、ニコニコして家路に着いた。






下は歌いながら、観客を携帯電話で写しているブリン・タフェル。

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英国のこの頃

2012-07-02 22:23:39 | ロンドン周辺

  

3月末に5ヶ月ぶりの我が家に帰って、まず驚いたのが裏庭の畑のからし菜で狭い畑一面にふさふさ生えて食べきれない。前庭の花壇も昨年10月には雑草の根をふるいにかけて取り除いたから、どんなにきれいに花が咲いているかと思ったら、からし菜が一面に生えて菜の花畑になっていた。前庭のほうが朝日が当たるから植物の生育はずいぶん早い。裏庭のイチジクは4月まで葉も芽も見当たらず寒々としているが、今7月のはじめでは、大きな緑の実がいっぱい生っている。後一ヶ月ちょっとで食べごろになる。


  

今年は大変な異常気象で3月末までほとんど雨が降らず3月中は晴天が続いて暑かったらしい。それで貯水池の水位が下がって4月初旬から庭の水遣りや洗車などのホース使用禁止令が出た。すると今まで乾燥しきっていた英国中が毎日雨天続きであちこちで洪水の被害が出ている。それでも秋までホース使用禁止令は解除されない。(誰が庭に水遣りするものですか!!)
4月末から満開になった裏庭の梨の花も霜は下りるしあられは降る、毎日寒い雨の中では受粉も望めなかったらしい。昨年大豊作だった梨は今年はほとんど望み薄。
10数年前に植えたクレマチスは隣家との間の垣根に絡み付いて真っ白の花を咲かせるが、あまりに茂りすぎて手に負えなくなってきている。

  

ロンドンに狐がはびこって日本でも報道されたらしいが、狐と緑色の Cockatiel(おかめインコ)はこんな気候にかかわらずますます繁殖して、どこでも見られる。
5月のある日裏庭で気持ちよさそうに日向ぼっこしている狐を見つけて、ぞーとした。数年前庭の作業小屋の下に穴を掘って7匹の子狐が生まれた。子供はどんな動物でもかわいいものだ。庭の植木鉢の間を走り回ったり、母親のおっぱいに群がる子狐に感激して、毎晩餌を遣り時には犬の餌用缶詰まで買ってきて与えたものだが、あるとき急に全部が居なくなってしまった。そして私たちが庭に出るたびに体中に蚤がたかるようになって、如何して狐の親子が引っ越していったのかが判った。今でもあの蚤の被害は恐怖の思い出だ。だからそれ以来狐には餌は遣らない。小屋の周りの穴を全部埋め立て、網を張って住めないようにしてある。

我が家の前庭には先住人が植えた巨大なセコイアの木があった。それに巨大な八重桜と庭の中央に常緑樹など20年でどれもしっかり育ちすぎ、長さ20メータある車道が木の根でぼろぼろになってしまった。昨年3本の大木を切り、帰国してまずやらねばならないのは新しい車道の設置。4月から2箇所の工事請負会社と連絡を取ってやっと5月末の3日間で新装成った車道は、近所の人たちがわざわざ見に来るくらい広々明るくなった。


  

昨年までは裏庭に咲きこぼれていた芥子の種を昨年10月に前庭の花壇やあらゆる空き地に撒き散らした。それらがほとんど1メーター近くの高さになって見事な花を咲かせ毎朝花を見るのが楽しみだった。また種を取って今秋にもまかねばならぬ。友達からも種を所望されている。このけしも元はと言えば、隣の庭から飛んできたたった1つの芥子の種から育った芥子の花で、我が庭で増えに増えた。隣の奥さんは今から数年前に癌で亡くなり、それ以来、彼らの庭には華やかな花は一本もない。


  


  

6月には玄関の陽だまりにおいてあるサボテンの鉢に23個の花がいっぺんに咲いた。2-3日で花はしぼんでしまいあっけないが、このとげとげしいサボテンに可憐な色彩の花は毎年ほんのひと時を楽しませてくれる。もう30年以上も前、息子が幼稚園のバザーで小さなサボテンを一鉢買ってきた物だ。


  

私の住んでいる町には小さいながらきれいな公園がある。真ん中の大きな池には離れ島があって、春先は大きな鷺が大きな巣に雛を孵す。これらの子鷺はどう見てもかわいいとは思えない。すぐに大きくなって親鳥とほとんど同じくらいのサイズでまだ飛べないからギャー、ギャーとうるさく子鷺同士でけんかしている。
人懐こいリスがたくさん居て呼びかけると足元まで寄ってくる。日本から来た従姉妹はこのリスにいたく感激して大喜びしたものだが、なぜか年代の相違と言うのがあるかも知れない。と言うのはもう10数年前、日本から来た60代の女性二人は蚤や病気が移るからとか、ねずみと同じようなものとか言って気味悪そうに遠くから見ているだけだった。

この公園のベンチは無くなった人たちの墓標で、10年間家族がお金を払って金属の墓標を張って貰う。日本のような墓地に遺骨を入れなければならないということは無いから散骨とか墓地なしのお葬式だけと言うことも可能なわけだ。時々このベンチに花束が置かれてあったりするのは家族の慰霊の集まりがあったのだろう。

  

6月のある日、本当に久しぶりに朝から青空で心浮き立ってとっても家にじっとして居れない。亭主と二人でロンドンの運河のほとりを散歩することにした。ヴィクトリア時代には運河であらゆる物資の移動が行われたため、英国には運河が縦横に走っている。今では荷物や物資の移動は他の交通機関に拠るが、この運河で細長い船の中で生活している人たちが結構居る。観光船も運河を上り下りして岸辺を歩く私たちに手を振ってゆく。

このリージェント運河はリバプールまで302マイルも続いていて、ゆっくり国内を移動できる。私たちの歩いたところはキングスクロスの駅から運河までの2キロほどを歩いて川淵につくと、最近では観光地として人であふれているカムデンタウンのマーケットを通りロンドン動物園の空中に浮いているような大きな鳥の檻を過ぎ、リージェントパークへの入り口のひとつへ着く。そこからパークの中へ入ると、広い草地では子供たちが運動していたり、散歩している人たち、ヨガをしている男性、木下で憩う家族連れなど様々。
私が英国で2度目の秋田犬もここで出会った。くるっとカールした尻尾で密集した毛並み、一目で秋田犬とわかり、飼い主に秋田犬でしょと話しかけたらもう大喜び、ハッチー知ってるでしょ?日本の駅に像があるのよねと自慢。イギリス人はアキーターと発音する。  とにかく本当にいい日でした。


  

ロンドン中心部の中華街、今年はエリザベス女王の戴冠60周年とあっていろいろな催し物で賑わっている。中華街も英国国旗が飾られてどこも人であふれている。 


  

4月からもう数回オペラハウスへ出かけているが、6月末のグランドオペラ・トロイは今年最高のオペラだった。歌手も揃っていたが舞台装置もお金がかかっていて素晴らしいできばえ、聞けばこのオペラの企画に5年もかかったそうで、40年前に一度上演されたとか。また40年も待てない。  



 

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