Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

キャンプ旅行 出発 フランス

2012-05-19 09:13:51 | キャンプ旅行 2011-2012



十月中コンサートとオペラ鑑賞の合間に、今回の旅行の必要なものを考え,買い足し、キャンパーのメインテナンスもやってきた。

この冬もスペイン、ポルトガルの南国で4ヶ月以上も過ごすとなると,ポルトガルで買えないものをリストにあげた。
その1はポリッジ(アメリカではオートミール)、これは血圧とコレステロールを下げる働きがあると言うので、亭主はもう数年朝食にこれしか食べない。ポリッジは北欧から北ヨーロッパでは、どこにでもあるが、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルなどの南ヨーロッパではほとんど見かけない。ギリシャで2度ほど買ってみたが少量で英国の数倍の値だった。だから今回も4.5か月分6KGも持ってゆく。
その2がイギリスの紅茶、ヨーロッパでも売っているがほとんどリプトンのティーバックで薄く、イギリスの濃いミルクティーに慣れ親しんでいると買う気にもなれない。
そして最後は英国のソーセージ、日本のソーセージはほとんどドイツ様式でイギリスのやわらかいソーセージはあまり食指が沸かないけれど、これで育った亭主にはイギリスのソーセージが懐かしいらしい。ポルトガルの英国人経営のスーパーで冷凍のを買ったことがある。今回はしっかり買い込んで冷凍庫に入れてもってゆく。



11月7日どんより曇って薄暗い午後1時我が家を出発、一路ドーバーへ向かった。
今夜はドーバーの港から10kmほど内陸のキャンプサイトに予約してある。
このサイトへは、毎回ドーバー海峡を渡るとき前夜に一泊している。キャンパーの周りでは人なれして怖がらないたくさんの野うさぎが草を食み、夜のみならず、日中もとびはねて遊んでいる。



翌朝6時、まだ夜明けもやってこない。10月最後の週末に英国は冬時間に替わり、一時間時計を遅らせた。朝6時でもまだ夜中のように真っ暗で、薄ら寒く小雨模様のどんより空が続いている。
フェリーポートの駐車場で朝食、お茶を飲んでゆっくり時間を過ごす。フェリーは1時間半でフランスのカレーの港に着く。フェリーの中ではクッションとひざ掛けを持って行きソファーに寝転んで寝てゆくのが船酔い防止の秘訣。



フランス、英国間には時差1時間があり、ついた途端に時計を1時間前進させなければならない。これでポルトガルへ行くと又1時間後戻りさせる。
朝11時にはフランスの海岸沿いの高速道路を南へ向かった。途中から有料高速になり1区間で高速道路を降りた。フランスの国道や,県道なども整備されていて、おまけに町や村に入っても決して車の渋滞にあった事がない。週日の日中にほとんど人を見かけることがなかった。





ドーバーからパリの位置する緯度辺りまで広々とした耕作地のところどころに、積み上げられているのが、シュガービート(砂糖大根)で途中の田舎道で巨大な砂糖の加工所を見かけた。シュガービートを山積みにした大型トラックに何度も出会った。シュガービートはフランス以外で見たことがない。
砂糖を抽出した残りかすはどうしているのだろうか? 豚の餌にでもするのだろうか?豚でも糖尿病になるのだろうか?などといろいろ想像しながら行くのもおかしい。

このフランスの平野で遠くからも目に付くのが教会の尖塔と水をくみ上げるウオータータワーで一つの町や村に必ず一つはある。大きな河や湖のないこの平野ではどこから水を引いているものか判らないが、この地方が豊かなのは電気や上下水道が完備されているせいだろう。ボルドー近くに住むイギリス人の夫婦に拠ればフランスの電気代は非常に高いとのこと、最近は英国の電気ガス代もうなぎのぼり、ヨーロッパで一番住みにくいのが英国と言われている。



この日一日相変わらずの曇り空で、天気がよければ広大な畑地や黄葉の林など、どんなに素敵だろう。
初日はパリの北西Abbevilleの田舎のサイトに一泊した。午後4時半には夕暮れが迫ってきた。



二日目も天気は似たような雲が低く太陽の出ない日だったが夕方やっと青空が見え出した。
カレーから真っ直ぐ南下してきたが、周囲は広々とした平野であらゆる野菜や穀物の産地で、南へ行くに従って背の低い葡萄棚が目に付くようになった。食料を自給自足できるフランスは昔からそして将来も豊かな国なのだろう。





それととっても驚いたのはあちこちで放牧されている牛の群れにまだ生まれて一ヶ月になるかと思われる子牛が多いこと。英国やドイツなど厳寒の地方では、牛も羊も春にしか生まれない。
田舎の道を行くと途中にいろいろなお城(シャトー)を見かける。まだ子孫が住んでいるところもあるのだろうが、崩れてみすぼらしいものにも行き着いた。





もう葉の落ちた木々には多くのヤドリギ(ミッスルトウと呼ぶ)が寄生している。英国ではこのヤドリギをクリスマスの飾りに居間の真ん中につるし、その下に来た人にキスするという楽しい習慣がある。この習慣がフランスにもあるかは判らないが、これほど寄生されたら元の木もたまったものじゃないと思った。



三日目辺りは素晴らしく晴れてキャンパーの中では暑いくらい、無料の高速道路を150Kmくらいも走っていると気持ちよくなって寝てしまいそう。途中で停まってコーヒーなど飲んで気を引き締めなければいけない。



ボルドー辺りの緯度から南部フランスは今までの平野が無くなり、起伏の多い森や林、岡の上の牧場や谷間の湖など道路も上下が激しくなってきた。

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キャンプ旅行 アンドーラ国

2012-05-18 16:46:29 | キャンプ旅行 2011-2012





トウルースのキャンプサイトからアンドーラ国まで200Kmほど、小さな岡を越えると平野の向こうに雪をかむった山脈が見えだし、真っ青な青空に緑と雪山が輝いて気分は最高。





ピレニー山脈の麓から山襞に分け入って行く道は、乗用車の長い列と、山を降りてくるキャンパーの多さに驚いたり感心したり。キャンパーに乗っているとすれ違うキャンパーとは同属意識が働いて、お互いに手を振って笑顔で別れる。バイクの人たちも同様だと前を走るバイカーを見ていてそう思う。





アンドーラ国はフランスとスペインの間のピレニー山脈の山中に位置するヨーロッパでは6番目に小さな国で人口8万4千人,1278年の建国と言うから歴史も結構古い。
この国は関税無しのメリットがあり、景色の素晴らしさは無類と言われる。もちろん世界遺産に登録されていて、年間観光客が何百万人とか、特にスキーシーズンには、フランスやスイスよりもスキー場が格安とのことで、英国のスキーヤーには人気がある。



フランス側のジグザグ道を登ってゆくと標高2000メータ近くでアンドラ国の税関を通る。入国はチェック無しで停滞無しだが下山してゆく車は関税チェックで長い行列が出来ていた。









フランス側から入ったすぐのポート・デ・エンヴェリラは標高2407メーター、町の周辺はスキーリフトがいたるところに設置され、大変カラフルな建物が目白押しショッピングモールとホテル群らしい。道路以外は最近降ったばかりらしい雪でまばゆい。
山頂近くの駐車場で下車して写真を撮るに、下界とは気温も相当違い急いで冬装束に身を固める。





このポート・デ・エンヴェリラを過ぎると道はずんずん下りになり、途中にホテルが林立している町が2-3箇所、道は山間の谷川に沿って下ってゆき、標高1023メーターのアンドーラ・ラ・ヴェッラが首都でキャンプサイトもこの町にある。







アンドーラ・ラ・ヴェッラも谷合いにできた町で山の両側が段々畑のように開発され、ホテルやアパートが建っている。キャンプサイトも相当広い土地が段々畑のように開発され、キャンパーやキャラバンがすべて段違いに停車している。



夜になると谷間の向かいのビル群の明かりがまるで満天の星のように瞬いて、寒さが身にしみてきたのにいつまでもうろうろ写真をとりまくっていた。

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キャンプ旅行 アンドーラ・ラ・ヴェッラ

2012-05-17 22:44:42 | キャンプ旅行 2011-2012

アンドーラの首都アンドーラ・ラ・ヴェッラのキャンプサイトは夏の観光シーズンには一泊36ユーロー、スキーシーズンには26ユーロと高いが、まだスキーには早い11月は17ユーロと安く設備は素晴らしい。温水プールもあるしレストランもスーパーもある。中でも今まで多くのキャンプサイトへ行ったけれど、犬用のシャワーが設置されていたのはここが初めて。







町の真ん中には山から流れ出る雪解け水が川になり、透き通ってとっても冷たそう、でもこれほどきれいな水を見たのは久しぶりだった。





山の中腹までぎっしり建てられたアパートやホテル群で狭い土地を最大限に利用していることがわかる。キャンプサイトのオーナーがこんなに広大な土地を150台のキャンパー、キャラバンに充てているのが信じられない。







関税無しのこの国では日帰りでフランスやスペインから来る買い物客が多く、フランス側のポート・デ・エンヴァリラのガレージでは車が長い行列を作っていた。
ディーゼルが1リッターで97ペンスくらい(英国では1ポンド30ペンスから40ペンス)ガソリンのほうがやや高い。
この首都の街中には大きなデパートやショッピングセンターが数軒あり電気製品からタバコやアルコール類が山積みならべられている。町は買い物客で大賑わい。そういえば昨日は土曜日、だから長い車の行列がフランスからやってきたのだ。と言うことはこの辺りの買い物客はスペインからの日帰り客だろうか。



このウイスキーが2リッターで13ユーロ、信じられない!!!もうアルコールもタバコも興味の無くなった亭主は関税無しといっても、大して興味を示さず、スモークサーモンを買っただけ。



ショッピングセンターのセルフサーヴィスで昼食にしたが、このご馳走でトータル16ユーロは安い。パエリヤは私の大好物。

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キャンプ旅行 ザラゴーザへ(スペイン)

2012-05-16 16:25:03 | キャンプ旅行 2011-2012



アンドーラ国からスペインへ行く道は、この首都の町アンドーラ・ラ・ヴェッラのメイン・ロードを南下するだけ。役30分行ったところで、スペインの国境に着き、税関でタバコの有無だけ聞かれてそのまま通過した。スペイン・ナンバーの車は皆ブーツを開けて検査されていた。

私たちの持っているスペインの道路地図は2004年の道路ナンバー改正前の古いもので、アンドーラからリエイダへ行く道が田舎の細道、この道を通るかそれとも遠回りのバルセローナへ行く道を通るかで亭主は相当悩んだが、行ってみれば何と立派な道が開通していたことか。
リエイダ辺りにはキャンプサイトは無く田舎の一本道で手間取ったらとそればかり心配していたが、リエイダからザラゴーザまでは無料の高速道路に乗って快調に行けた。

アンドーラからピレニー山脈を降りてゆくスペインの山間は険しい岩山や、山頂の村、ポプラとプラタナスの黄葉がみごとで興奮して写真を取り捲った。山を降りて平地に出てしまうとまるで砂漠のように平坦で木もほとんどない荒野が続き、カメラを構える気にもならない。

アンドーラをでたときは山に雲が低く下りていたので寒く、しっかり着込んでいたものだが、高速道路にのってからは、平坦地に工場地帯や、オリーヴ畑、果樹園などを見ながら暑さに服を脱ぐ始末だった。

残念ながらこの日撮った写真がメモリーカードの不調でどうしてもダウンロードできなくて、ここに載せることが出来ない。どこかで英語の通じるところで何とかしてもらうまで今のところはおあずけ。

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キャンプ旅行 ザラゴーザ (Zalagoza)

2012-05-15 16:27:34 | キャンプ旅行 2011-2012



キャンプサイトからザラゴーザの町の中心まではバス一本で行ける。約30分ほどで町のバス停に降り立ったが地図も案内書も無くてスペイン語もあまりわからない。
二人でめくらめっぽう歩いたところで、アートギャラリーの前に着いた。亭主が受付で聞くと町の地図をくれて、観光案内所の場所を教えてくれた。







プエルタ・デル・カルメンがこの町の旧市街の門に当たる。そしてここが町の中心部らしい。この門から北へ20分ほど歩くとサンティアゴ教会についた。中ではお祈りの真っ最中。邪魔にならないようにそっと写真を撮り急いで出てきたが、ここの天井は、イタリアヤ、ポーランドのカソリックの教会と違って華やかな色彩は一切ないが、素晴らしい装飾だった。



あたり一面道路工事の真っ最中でその真ん中に巨大な市場の建物があった。この市場は1903年建築のセントラルマーケットで13世紀からこの地はマーケットがたっていたと言う。中は野菜や肉や、果物など食料品の小売店がずらっと並んで賑わっていた。
目に付いたのがこの柿、スペインでもKakiと書いてあったので驚いた。もしかして柿は外国からの名前だったのかも。





このマーケットの裏はローマ時代の遺跡が在って、ローマ皇帝オウガスタスの像が立っていた。オウガスタスはジュリアス・シーザーの甥に当たり、シーザーが殺されたあとの遺言で皇帝になったもの。まだ18歳だった当時幼名オクタビウスからオウガスタスに改名、彼は相当長生きし、彼の時代にローマは非常に栄えた。
BC14年、12月23日、オウガスタス帝の54歳の誕生日を祝ってこの町にシーザーオウガスタの名前が贈られたと言うからすごい。オウガスタスの像はヨーロッパの植民地(コロニアル)のいたるところで発見されているが、若い頃のハンサムな像しか発見されない。当時は写真や肖像画が無かったから、銅像を各地に送って皇帝を知らしめたものだと言う




ザラゴーザがこんなに華やかな歴史と遺跡を持っているなんて全然知らなかったし期待もしないで行ったので、旧市街の観光名所と言うべきバシリカ・デル・ピラー(ピラー大聖堂)のカラフルな屋根や尖塔や巨大な聖堂内部を見て全く驚きあきれ、大感激。内部は撮影禁止のため残念、あの素晴らしさを残しておけない。



この大聖堂の並びにゴヤの銅像がありやっぱりスペインで一番有名な画家なのかしら。それとも彼はこの地方の出身かしらとも思ったりした。






この広場の突き当たりの高い尖塔を持つラ・セオ・大聖堂は14世紀のゴシックスタイルでやっぱり内部は撮影禁止、2001年ユネスコに登録された。建物の外壁がムーアのデコレーションで、内部もアラブの影響があるかと思って入ったのだが、それは無くて、なんと奥の2,3階に展示されているタペストリーがすごい。
高さ2から4メーター、幅3から8メータ位の15,6世紀のタペストリーがずらっと飾られている。それも63枚も!!!この色彩と精巧さ、何十年もかかって仕上げたであろう一枚、一枚の芸術性も言葉に尽くせない。この地を訪れる機会があったらぜひお勧め。

 

この大聖堂の前にシーサーアウガスタ・フォーラム博物館があり、地下室がその名のとおりローマの遺跡群でここは町の中心広場だった。
1803年から1805年に直径38センチの銅管が26メータも発見され、これらはこの町へ水を引いていたために使われていたという。銅管に製作年が刻まれている。



ここから歩いて10分ほど行ったところに、あるのがローマンシアター(劇場)屋根でおおわれて保護されているが外から見える。ここは1972年に発見され、1998年から2002年で発掘、博物館が建設された。



バシリカの後ろはエブロ河が流れ、そこに立派なローマの橋がかかっている。案内書にはこの橋は非常に古いと書いてあるが、紀元は書かれていないので一体何年に建設されたか誰にもわかっていないのだろう。



ここから見るバシリカの夜景が写真になっていた。それにしてもどこにも絵葉書など売っていない。大体午後の2時を過ぎるとシアスタでお店が全部閉まってしまう。



ムーアの文化漂う塔

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キャンプ旅行 ザラゴーザ 2日目

2012-05-14 17:17:07 | キャンプ旅行 2011-2012


昨夜1時までかかってブログを書いていたが、もらってきたブローシャを見るにつけ、見残したところが多く一日でここを去るのは惜しい。それで今日もザラゴーザの町へ観光に行くことに決めた。



町の中心のバス停でアルファフェリア宮殿へ行くことにした。案内書では11世紀に建設されたイスラム宮殿で9世紀からのトロヴァドール・タワーはヴェルディのオペラ イル・トレヴァトーレの基になっているという。









この町は地図を頼りに歩いても判りにくいところで、通りの人に聞いてやっとたどり着いた。今日は朝から晴天、青空にいくつものタワーがそそり立つ白っぽい城壁は感嘆に値する。入場料も年金者は1ユーロづつと驚くほど安い。





内部は小規模なアルハンブラのようで、イスラムの建築様式にイスラムのデコレーションが興味をそそる。中庭にはレモンの木がきれいに刈り込まれて、手入れされている。
大きな城砦の中のほんの一部だけしか公開されていないが、もう一日来た甲斐ありというもの。



この宮殿から近くに現在も使われている立派な闘牛場があった。中を見たいと思いひと廻りしてみたが門はがっちりと閉まったままだった。

旧市街の方角を目指し狭い通りを歩く。どこも高層の住居でぎっしり詰っている。

途中のバルと呼ばれるバーのような店で、タパスを注文した。中皿にカウンターの出来上がりの食べ物を選んで温めてくれ、水のボトル2本とで16ユーロだった。
昨日は高級食べ放題の店で満腹したので、今日は控えめ。





このバルから通りを一つ入ったところが昨日来た古代劇場、今日は博物館を覗いてみようと入場したら、年金者は只だという。ここと古代大衆風呂の博物館のチケットをもらった。





この古代劇場もローマ人が砂利とセメントで作ったもので、大きな石を切り出したわけでないから、セメントの質も悪くてほとんどがぼろぼろになっている。このコンクリートの階段シートの上には大理石が張られていたと言う。模型を見て初めて相当大きな劇場だったことが判った。そしてここの劇場で約300年の間、人々は笑い、楽しみ、踊り、歌ったことだろう。張ってあった大理石の板はどうなったのだろうか?ローマ帝国の崩壊とともに劇場の崩壊も進みはがして盗まれたものらしい。



この劇場から200メータほど離れたところに古代浴場跡が博物館になっていた。1982年に発見され、紀元1世紀から4世紀のはじめまで使われていたものだという。ローマ人には上下水道施設の観念は有名で、ここの風呂の周囲には下水が完備している。



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キャンプ旅行 アルバラシン (Albaracin)

2012-05-12 17:28:48 | キャンプ旅行 2011-2012

ザラゴーザから南に200㎞ほど行った山中にアルバラシン(Albaracin)というアラブの城塞をいただいた村があった。

11月17日、秋も深まり途中の景色はすばらしい。

村への入り口で残念なのはここにはキャンプサイトがないこと。

狭い山間の崖にびっしり建てられたレンガ造りの高層住宅、と言ってもこの辺りは古い村で、観光バスが行くか自家用車でなければいけない辺鄙なところ。

まるで積み上げたような石造りの建物に狭い道路と階段でできた村。

山頂には崩れかけた城塞が王冠のように山を囲んでいる。

こんな田舎に住む人たちはアラブ系の末裔かしら?

こんな急傾斜の坂道があった。

城塞に近いところから見る村は素晴らしい。きっとここは隠れた観光地になっているのだろう。キャンプサイトがちかくにあれば1-2泊でもしたかったが、1時少し前にはキャンパーでまた100㎞も南のCamping Altomiraへついた。

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キャンプ旅行 セゴルベ(Segorbe)

2012-05-11 19:52:36 | キャンプ旅行 2011-2012



昨日たどり着いたナヴァハスの町のアルトミラ・キャンプサイトは一泊20ユーロ近くするが、1週間宿泊すると11ユーロに割引される。どうせ先を急ぐ旅でもないし、ここからバレンシアへ電車で行けるというから、1週間泊まることにした。

毎日出かけるのも疲れるから、今日はゆっくりショッピングだけにと決めたが、キャンプサイトのあるナヴァハスの町は小さくて、小さなスーパーがあるだけと、ここに長く滞在している英国人のおじいさんから聞いた。

隣町セゴルベは大きくて大きなスーパーがあるという。そしてその町へ行くのに川淵の散歩道は自然公園になっていると聞き、お昼近くになって出かけた。



水のきれいな川と奇岩の連なる散歩道にざくろや柿の木がたわわに身を実らせていたり、自然とは思えない噴水の設備があった。



高い崖の上から2箇所細い滝が流れ落ちて派手な水音をさせている。湧き水の流れ落ちるところでは車で乗り付けてきたスペイン人のおじさんがあらゆる容器に水を汲んでいた。亭主が聞くとこの水は飲料にとっても良いそうな。今度は水筒を持って来ようと思った。






滝を過ぎ川沿いの細道を30分も歩いた頃、辺りは果樹園が広がり、紅葉した柿ノ木、今まさに開花しだしたばかりのびわの大木、緑の葉の間にオレンジやレモンが実っている。特に大小のサイズの柿は一面に実っていて,買って帰りたいものだと思った。


 




果樹園から見るセゴルベの町は城壁に囲まれた古い町のように見え、またもやエキサイティング!!!



町の一角にひときわ高く城の廃墟があり、頂上から下方の町を見下ろすことが出来る。昨日のアルバラシンほどきれいな町ではないけれど、町を取り囲む果樹園の柿木が紅葉して素晴らしい。







スーパーでは大きな富有柿を1kg1.1ユーロで売っていた。今日はミルクとパンや朝食用の果物を買ったので,柿は次に来たときにしよう。帰りは自動車道を通ってきたから、意外と早くサイトに戻ってこれた。



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キャンプ旅行 ヴァレンシア (Valencia)

2012-05-10 13:44:02 | キャンプ旅行 2011-2012



ヴァレンシアの町は何と素敵な町だ。ここ数日毎日天気が悪くローカルのテレビニュースではあちこちの町で洪水が起こっている。火曜日は是が非にヴァレンシアへ行こうと決めていた。朝は太陽は出ないが雲の合間に切れ目が出てきたので、9時過ぎの電車でヴァレンシアの町へ出かけた。片道1時間15分、一面オレンジ畑が続いている。

  

ヴァレンシアの駅はロンドンのヴィクトリア駅や、ウオータールー駅のようにもう100年以上は経っていそうだ。建物に歴史を感じさせる。駅内部の部屋に素晴らしい天井画と壁画、これらは過去のこの国の栄華を思わせる。

  

そしてメインストリートの建築物がまさしく過去の栄華そのもの。英国ならばヴィクトリア時代の重厚剛健な建築物だが、ここではアートヌーヴォーの建築物やデコレーションが多い。まるでバルセローナの町からガウディの建築物を取り除いたらこの町と同じようになる。駅のすぐ横には闘牛場、この野蛮なエンターテインメントにはヨーロッパの人々は眉をひそめるが、いまだに続いているらしい。

  

通りの店のウインドーを見て歩くと、このような豪華な色彩と金銀を織り込んだ布地を売る店が多いことに気がついた。これらは日本の着物と同じようにスペインの民族衣装のドレス地らしい。繊細なレースとあわせた女性や子供の豪華ドレスが飾られていたりする。
このヴァレンシアで一番行きたかったところがここ陶器博物館で住所を頼りに行ってみると、素晴らしいデコレーションが一面の建物で(外観は改装中で起重機や機械に囲まれている。)入り口の守衛さんに聞くまでここが博物館だとは思われなかった。1947年寄付された16世紀の宮殿を改築改装したもので、世界中の陶器を集め展示している。



上のお皿はピカソの描いた皿で、もう十年以上も前私が陶芸に夢中だった頃、ロンドンのロイヤル・アカデミーでピカソの陶器展があった。彼の描いた陶器にすごいショックを受けた。やっぱり天才は何に描いても天才なんだと感じいったものだ。その陶器が5点この博物館に飾られていた。



博物館内には宮殿で使われた家具や、宝石の展示、それに豪華な数室を見せてくれ、ここは過去の舞踏室だとのこと。ウワーなんて感嘆の声を漏らすと監視人がにっこりし、途端に友好的になる。彼らも自分の仕事が自慢になるのだろう。


   

博物館を出たころから雨が降り出し、近くの観光案内所で中央市場や新市街の芸術と科学の町への行き方を聞く。急いで中央市場へ。
ここの建築物は世界遺産(ブローシャを読み間違え)だと思ったからで、大喜び写真を取り捲った。観光客も多く団体で歩き回り写真を写している。実際の世界遺産の建築物はこの市場の向かい側の15世紀のゴシック様式の建築物で残念ながら見なかった。

  

 

この日雨が降るとは思っていても傘の用意はしていなくて、サンドイッチだけ買い求め急いでバス停へ。激しい雨の中を新市街へ出かけた。今までの心落ち着く旧市街とは全く正反対の超モダーンな建築物が雨の中にかすんでいる。

  

この芸術と科学の町はスペイン1の巨大3Dスクリーンや科学博物館、そして巨大海洋館があって私たちの目的はこの海洋館。広大な敷地に紅海の水族館や、アザラシや白なます鯨の泳ぐ北極館、ペンギンの池,大ざめが辺りを睥睨するようにゆっくりと通り過ぎる水中トンネルなど各館には地下通路が無いため土砂降りの雨の中をあの館、この館と歩き回り、散々。

  

午後4時半から30分イルカのショウが始まり、多くの人たちが集まっていた。このドルフィナリアムだけが屋根つきスタジアムになっていて、元気なイルカが楽しそうに見せるさまざまな曲芸を、心置きなく楽しむことが出来た。


  




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キャンプ旅行 ヴィラゴード・デ・カブリエル

2012-05-09 14:17:42 | キャンプ旅行 2011-2012




久しぶりの晴天、アルトミーラのキャンプサイトで1週間があっという間に過ぎてしまった。今日はヴァレンシアを迂回して高速道路でマドリッドへ向かう途中のヴィラゴード・デ・カブリエルのキャンプサイトを目指した。

  

ヴァレンシアから西へ向かうとあたりは赤土のブドウ畑になり、色とりどりの紅葉した畑が広々とどこまでも続いていた。ブドウ畑は乾燥した岡の斜面が適切らしい。この辺りは十分な日光と乾燥した平野だ。

 

時々高速道路の脇に見える名も知らぬ町は晴天のせいもあり、テラコッタ色の屋根に白壁はどれも素敵に見える。

ヴァレンシアから60Kmくらい離れたリクエナの町で食料を買うため高速を降りたが、狭い町の通りを走り回ってもスーパーが見つからない。スペイン人のおばさんに聞いてやっとわかった。何とスーパーの前を通り過ぎていたのに看板が小さく軒も低いから判らなかった。
ここでは柿はパーシモンと表示してあり5個いりのパックが1.3ユーロ、あまりロンドンと変わらない。大体イギリスで買う柿やスイカやオレンジなどスペイン産がほとんどなのに産地も英国も値段が変わらないとはどうしたことか。



リクエナから50km、キャンプサイトがあるはずの村を通り抜け、岡の頂上を越えたとたんに二人とも歓声を上げた。

  

 


晴天の眼下に広がる湖と白亜の建物。本当に絵のようなとはこれだ。この白亜の建物がキャンプサイトでほかには村も一軒の家も見つからない。
一番近くの村で3km離れている。食料を買ってきて良かった。この広大なキャンプサイトは元僧院を改造して造られたものに違いない。


  


キャンプサイトにはもう一台英国ナンバーの車とキャラバンが停まっていて、元銀行家の老夫婦がいた。しばらくおしゃべりしたところ、10年ほど前、大阪・神戸で6年間働いていたと言う。日本大好きの英国人で片言の日本語を話し、車はマツダの小型キャンパーバンだった。日本から輸入されたものをすぐ買ったと自慢していた。このデヴィットとキャシーの夫婦は来年3月までヴァレンシア南の稲田のある地方で越冬とのこと。スペインに稲田があるというのが驚き、水田かと聞いたら、そうだというがこれは眉唾物,陸稲ではないかと思われる。

  

翌朝湖からの水蒸気であたりは霧に包まれ、サイトのタワーが朝日にぼんやり浮かんでいる。今日も晴天になりそう。

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キャンプ旅行 カスティラ・ラ・マンチャ (Castela la Mancha)

2012-05-08 15:01:07 | キャンプ旅行 2011-2012

  

カスティラ・ラ・マンチャはスペインのど真ん中の広大な州で山と谷間と平坦な岡の上の耕作地のある豊かな地方。岡の上はオリーヴとブドウ、それに広い面積を占める穀倉地帯で時々見かける農家は必ず巨大な土瓶が一つか二つは彼らの門や庭に飾られている。これらが水瓶なのかは判らない。


  

  

上の壷の下方にベンチが2基おいてあるが、それを見れば壷の大きさが判るであろう。この夜泊まったキャンプサイトのブローシャには、この地方の有名な4基の風車の写真が載っていたが、残念ながらスーパーの駐車場でこの一基を見かけただけ。

高速道路を降りて、地図では1本の赤い糸のような道、こんな田舎道が只ひたすら真っ直ぐ伸びて対向車はたまに1台来るだけ。この様な片田舎の広大な土地では人口密度も極端に少ないのだろう。平野を突ききって谷間に差し掛かり、湖のほとりの林の中に今夜のキャンプサイトがあった。

  

  

5星のこのサイトは一泊22ユーロと高く、1週間泊まっても25パーセント引きにしかならない。今夜は私たちだけかと思っていたら、金曜日の夕方、このサイトにキャラバンを停めてあるスペイン人の家族連れがわんさとやってきて、週末を彼らの別荘(キャラバン)で過ごすらしい。

まだ日の高いうちに湖のほとりを散歩に出かけた。谷間に段差のある湖が連なり1から2への湖にはこの低いがなかなか見栄えのする小さな滝が流れ落ちていた。湖に沿った道路を下流に向かってゆくと2から3への湖へは流れの速い河が水しぶきを上げている。葉の落ちたポプラの木が青い湖に映えて美しい。



  

3から4への湖は高さも50センチほどしか段差が無いため藪の中で水音だけが響いていた。ノルウエーやアイスランドの豪壮な滝を見てきたからこのちゃちな滝には全然感激しないけど、まー無いよりましか。ローカルの観光客はあちこちで写真を取り巻くっていた。ここは一応ローカルの観光地なのだ。

  

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キャンプ旅行 ラス・ヴィルエアカス (Las Villuercas)

2012-05-07 18:03:31 | キャンプ旅行 2011-2012



日中のキャンパーでは暑くてティーシャツで過ごしているが、朝夕の寒さは又格別。昨夜も降るような山間の星空で、今朝は霜が降りて冷たく、湖は朝日の中で水蒸気が上がって深い霧になってゆく。


 

谷間に長く伸びている湖も最終には谷川になって谷間を流れてゆく。湖沿いの田舎道は山や岡を迂回し,登り、くだりして西へと伸びている。今までの赤土のブドウ畑は見られなくなり、岡の上から平野一面オリーヴの林が広がってゆく。ところどころにオリーヴの木より大きく緑の深い木はコルク樫の木で西へ行けば行くほどコルクの林が増えてゆく。


    


   

今夜のキャンプサイトはラス・ヴィルエアカス山脈の山中の村で、私たちのキャンパー1台だけだった。先週まで雨でキャンプサイトが水浸しになり閉鎖していたのを私たちの為に開けてくれた。しかしトイレやシャワーのお湯も停めてしまってあるので、キャンパーへの送電料金として4ユーロだけいただくとの事。只一泊だけだから我慢できる。

  

午後散歩にでてすぐに谷間にかかる高い橋を見つけた。それが鉄橋なのか水道橋なのかと不思議で、谷の片側の高みに見える家を目指して、山道を登った。町に入るすぐ手前に巨大なコルク樫の木がある。見上げて驚いたのは枝近くまで皮がむかれ、腐食を防ぐために塗られた赤い塗料が生々しい。

  

町は相当大きく広がっていて、橋はトラックが通れるくらいのしっかりしたものだが、橋の向かいには町や村が見えない。キャンプサイトは谷間の200メータくらいの深みにあるが、ここの町は山の上に広がっていたのだった。残り少ないポプラの黄葉した木が夕日に照り映えていた。

今夜はキャンプサイトのレストラン兼バーで夕食を食べることにし、3コースの定食にワインが一本付いて二人で16ユーロ、グラス2杯で酔っ払って、早々に寝てしまった。

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キャンプ旅行 カセーレス(Caceres) への道

2012-05-06 13:33:10 | キャンプ旅行 2011-2012



ラス・ヴィルエアカスの山中のキャンプサイトからカセーレスまで約140kmの道のり。山脈の連なる田舎道だが道路状態はとっても良くて、2車線舗装道路を時速100kmまで出して西へ向かう。

  

時々こんなところに町があるなどと驚くが、整備された道端の街路樹がたわわに実ったオレンジの木。きっと誰も取って食べないで腐らせてしまうのだろうナー。モッタイナイ。

  

平野が広がってくるとオリーヴ畑がほとんどを占め、大地に面白い模様を描いている。道路わきに急に現れた白壁の建物は、よく見ればカソリックの墓地なのだ。死者のお家が生きている人たちが住んでいる家よりも素敵なことってあるだろうか?

  

平野の向こうに灰色の建築物が見え始めた。巨大な城壁がそびえるツルヒーロ(Torujillo)の町、ここは目的地カセーレスから50Kmほどしか離れていない。
平野の岡に突き出た町でこの町を後にしても形ははっきり見えていた。

  

カセーレスの町は岡の中腹に広がり、町の環状線に入って初めて旧市街の尖塔などが見えてきた。この歴史のある町を散策できるのが嬉しい。

まずは町から4kmはなれたキャンプサイトへ向かう。ここのサイトのユニークな点は、キャンパーの駐車地に個別のトイレ、シャワーが設置されていて、小屋の外側には水道、電気の設備も併設されている。一泊20ユーロと高いが、1週間で15ユーロに割引される。WiFiと洗濯機が只というのはとってもありがたい。1週間いてこの恩恵にあずかりたいと思っている。

  

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キャンプ旅行 カセーレス (Caseres)

2012-05-05 09:24:11 | キャンプ旅行 2011-2012

カセーレスは人口9万人の小都市、旧市街は1986年世界遺産に登録された。ローマ時代にここは植民地として村が築かれその名もノルベンシス・シザリナと呼ばれた。
スペインはローマ帝国の初期に征服され、植民地としてあらゆる町村がローマ人によって開発、発足している。このスペインからローマの皇帝が2人も出ているのを知れば、この国がローマと同化していたことがよく判る。ローマ人は征服した土地を隷属化せず、退役した軍人たちに土地を与え、地元の女性と婚姻させ帝国の拡大、平定を計った。

  



バスで町の中心地に着いたところが、アヴェダ・デ・エスパーナ、この素晴らしいメーンロードにはすっかり感服してしまった。一方通行の3車線道路が両脇に、その間にこの幅広の歩道が真ん中の公園(遊園地や、音楽台)をはさんでいて椰子の木や南国の木々が茂って、夏には涼しい環境を作っている。この晴天の今日は気温12度、木陰は寒くて早足で通り過ぎた。

  

ローマ帝国の崩壊で、数世紀の間捨て置かれた村はムーア人(モーロ人)の侵略台頭で現在にも残る城砦や塔が築かれ華やかな文化が花開いた。アルハンブラやコルドバのような観光地ではないが、昔をしのんで歩くには最適の町だ。
旧市街の入り口に当たるところのサン・ホアン教会は、玄関口に異様な三角帽子をかむった覆面の僧侶の像が立っていて特に目についた。中はお祈りの最中で、週日のお昼間でも教会で祈る人たちがいる。

  

メーヨー広場には観光案内所があり旧市街の地図をもらった。まずは階段を上った所にあるブヘコ・タワー、塔の内部にはこの町の歴史が書かれた一室があり、ローマからムーアそしてムーアがキリスト教徒によって滅ぼされ、中世の騎士の町になったことを記してある。塔の上から見る町は旧市街の連なる教会やタワーなど中世の建築物が目白押し、眼下には新市街のテラコッタの屋根が遠くの平野まで連なっている。

15,6世紀スペインの海外進出の盛んな頃に、アメリカや中南米からの金銀宝石などで潤った金持ち達はマンションや宮殿に住み、彼らの家紋は100以上を数えると言う。

  

カセーレス博物館はモスリム宮殿の水道(シスターンと呼ぶ)の上に建てられた16世紀の建物で、中にはローマの遺物から現代の地方の服装、生活用品まで展示してあり、その地下室で、シスターンを見ることが出来る。シスターンで一番印象深いのはイスタンブールのアヤソフィアの近くにあるもので、ローマ人建設のすごいものがある。イスタンブールに行く機会のある方にはそこは必見。

  

4月21-23日にはこの町の宗教祭展が開かれ、この異様な服装のグループがキリスト像を神輿のように担いでメーヨ広場を練り歩く。5月の3日間は世界の音楽祭が開かれる。

  

サンタ・マリア大聖堂は祭壇が15世紀の木製彫刻されたもので、イタリアやポーランド、フランスのカソリック大聖堂とは違って、華やかさきらびやかさが無いが落ち着いたよい雰囲気。床は古い墓石からなり、墓石の上を歩いていると思うとあまり気持ちよいものではないが、この様な感じ方をするのも宗教によって異なるだろう。  

  

見残したところが多いので又行かねばならぬと思いながらメーヨー広場に戻ってきたら、朝には覆いが被さっていた銅像たちが太陽の下に曝されていた。
これらはパリのロダン美術館からの借り出し物で、無料で展示されているが、周りに警備人が二人居た。。英国ならもっと厳重警備をしなきゃならない。と言うのはもう10年ほど前、ヘンリー・モアの製作した何トンかの銅像が盗まれた。溶かして売り払うらしい。銅が高騰しているとかで金のためなら、芸術作品を残すことを考えない人がいるのは嘆かわしい。
  
  

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キャンプ旅行 カセーレス 2日目

2012-05-04 16:58:34 | キャンプ旅行 2011-2012



スペイン通りで只一軒出ていたお土産やさん、アーモンドや栗、チーズ,干しいちぢくなどスペイン産のものばかり、本当の土・産。

  

狭い石畳の道を小型車が走る、時々ヴァンなどが通るとわき道に立って居れない。両壁いっぱいにぎりぎりで通ってゆく。

  

前に行ったカサーレス博物館、今回は外を一回りしてみたら、素敵な飾りと変わったガーゴイル、このガーゴイルは今まで見たことがない。


 

ロス・カセーレス・ハウスとサン・マテオ教会の狭い道に若いスペイン人の男性が大きな声で歌っていた。遠くから聞こえ、合唱団が歌っているのかと思って行ってみて驚いた。スペインのフラメンコか民謡らしい。やってきたスペイン人の団体が拍手したから彼はすごく嬉しそうだった。

狭い細道の小さなアラビア博物館。一回りしても10分もかからない。トルコで見たような飾りが5つの小部屋に飾られていた。


 

さてこの町の全景を見るには旧市街の反対にある岡をめざす。途中に写真を写す最適地・サン・マーキーノがあるが、折角ここまで来たからにはと2kmほど先の山頂のサナトリウムまで登った。相当傾斜の激しい道がつづいて、マラソンや自転車のトレーニングをしている人が多く、又健康志向のスペイン人に多く追い越された。       


    



  

こうして山頂から見ると旧市街は小さくて、その周りを取り巻く住宅地や工業地帯、新規開発のアパート群など相当大きな町に発展しているのが伺われる。

 

サナトリウムは改装工事中で、その横の高いキリスト像がカサーレス博物館の窓から見えた。メーヨー広場に戻り遅い昼食を食べてこの町を去る。

   

スペイン語は面白い。これはドン・キ・ホーテとよむ。お金もちの別荘の門についていた標識。確かにドン・キ・ホーテはスペインの物語だ。
 

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