Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

新年間近のブライトン Brighton

2023-12-31 23:44:23 | 日記

12月27日から30日までの3泊4日を娘がブライトン(Brighton)のユースホステルを予約して、彼女の家族との4人で行ってきた。天気予報は嵐で、此の4日ともすごい強風、それでも雨はほとんど降らなかったから、風を押して海辺で過ごした。この時期英国はハリケーンで屋根が飛び木々が倒れ、スコットランドは雪で交通マヒ。大変だった。

 

英国へ来た51年前、ユースホステルを利用して英国全土のヒッチハイクをした。その頃とはユースホステルも格段に良くなって、私の部屋にはダブルベッドにテレビとヒーターがついていて、シャワートイレ風呂がついてトータル110ポンド、安くて安全。

ゲームルームで4人でフットボールを楽しんだ。

ホステルのベッドルームの窓から荒れ狂う海岸とパレスピアがみえる。

このホステルはまさしくブライトンの1等地にあり、海にもピアにもショッピングにもそしてロイヤル・パビリオンにも歩いていける。

吹き飛ばされるような強風をものともせず、

孫のジュードは波と戯れ靴を濡らしても平気、私一人波に攫われたらどうしょうと気をもんでいた。

ブライトンにはパレスピアとウエストピアがあった。ピアというのは海に突き出て作った桟橋で、此のパレスピアの中ほどにはゲーム機が一面に並んで激しい音を立てているところから、ピアの突端は子供や大人が楽しむ巨大なファンフェアーになっている。

これらのピアが作られたのはヴィクトリア時代で、もう100年も前、世界に偉大な文化を誇ったこの国の遺跡?を私たちは今楽しんでいる。

ピアから見えるウエストサイドのブライトン。海岸線はホテル群でメインストリートも歩ける距離。この町は17-19世紀に発展した。

イーストサイドのブライトンは繁華街がない。

上の絵はブライトン博物館に飾られていた、ウエストピアから見たブライトンで、ヴィクトリア朝の女性たちが観光に来ている。当時もこの海岸線には高層アパートが連立していた。日本の江戸時代末期から明治期の日本と比べると西洋文化はこのころが頂点だったかと思う。ウエストピアは今から2-30年前に火災で崩壊した。

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今日はクリスマスイヴ

2023-12-24 21:39:13 | 日記

12月15日は我が娘の50歳の誕生日だった。彼女は16歳から非常に独立心旺盛で私たちと旅行も一緒に行かないし、クリスマスなど一家そろってお祝いするというのもまれだった。

それでこの50歳の誕生日、彼女はロンドン郊外のユースホステル1軒分を借り切り、2泊3日友達15人で大いに楽しんできた。

彼女の友達は20代の後半から30代にかけて結婚出産している人たちが多いから、子供たちも10代の終わりから20代の初めまで、それで子供たちやご主人の世話もなくて大いに2泊を楽しんだらしい。

私の時代とは本当に違うとちょっぴりうらやましい。

彼女の家には9月末にやってきたユクレイン( ウクライナ )の祖母と孫の二人が住んでいる。友達皆が彼らが来たことも知っているが、皆同じに、 えーまだ居るの!!! という。

戦争が終わるまで居るのだから、いつのことか分からない。7歳の男の子マックスは10月から近くの学校へ行きだしたから、英語もすぐ覚えるだろう。私より若いマックスのおばあさんはついこの間足首をひねって腫れがひどくてマツバ杖を突いて歩いていた。マックスのお母さんは癌で亡くなりお父さんはユクレイン(ウクライナ)で戦っている。

今年のクリスマスもたくさんの不幸な人たちがいる。戦争ほど無意味な不毛な世界はないのに。

つい数日前フランス在住の日本人の友達とNatural History Museum (自然博物館)へ行ってきた。この建物色違いの石を使って建てられた、英国一番美しい建築物だと思う。

中も同じようにベージュと青の石造り、天井にはクジラの骨が下がっている。もう学校のクリスマス休暇に入っているから、木曜日といえども家族連れで人々があふれていた。

この日行ったのは此の博物館で毎年行われる、Wild life Photographer of the year

野生世界の写真展で世界中のプロからアマチュアのカメラマンが出展していて、ここは有料だから子供連れの人たちは入らない。

もう10数年前初めてこの展覧会に来て、スノーフォックスが笑っているような写真に一目ぼれ。今でもこの写真(50X40cm)は我が家に飾ってある。2度目の時に日本人カメラマンの作品で満開の桜の中にニホンザルが座っている写真が気に入ったのに、けちな私ポスターも絵葉書も買わず、いまだに心残り。決して忘れられない写真だ。

今回は携帯で写している人たちが何人もいてたぶん悪いことだろうとは思ったが私もとっても好きな写真数枚写してきた。

この写真は深海のゴールデン・ホースシュウ・クラブでこの写真展で1位になったもの。フランス人カメラマンの写真で1メータX 1.5メータくらいに引き伸ばしてあったがそれでも少しのぼやけもなく、これぞプロの作品。古代からの生息動物で甲羅の模様が素晴らしい。

ここでとっても気に入ったのが、この氷の割れ目から覗いている水草の素晴らしい写真。

あと数枚あるが、やっぱり無断でここに挙げていると思うと気がとがめるからこれだけにしたい。

博物館の後ピカデリーサーカスへショッピング。サーカスと言うのは曲芸などのサーカスではなくて、周位から道路が集まってきていて十字路以上を指す。

トラファルガースクエアには今年もノルウエーから贈られた背の高いもみの木が飾られている。これは第2次世界大戦で英国がノルウエーを占領したドイツ軍と戦って勝利したことで、感謝からノルウエーはもう78年もみの木を送ってくる。

トラファルガー広場の毎年開かれるクリスマスフェアー、とっても素敵な飾り物などが多いけれど、断捨離したい私。何も買わないで眺めるだけ。

クリスマスイヴから明日のクリスマスは、娘の家で過ごす。クリスマスの朝皆でクリスマスツリーの下に置いてあるクリスマスプレゼントを開けるのが毎年の習慣、ジュードにマックスも楽しみにしているだろう。

 

 

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最近のエンターテインメント

2023-12-17 20:52:56 | 日記

チャリングクロス通りのイルミネーション。

コベントガーデンのイルミネーション。

まずは11月にオファーが来たスカララジオのクリスマス番組録音。

昨年も同じ時期オファーが来て、ロンドンの繁華街オックスフォード・ストリートのすぐ近く、パラディアム劇場へ行った。このスカララジオというのはクラッシクとポップの中間あたり、クラッシクミュージックの普通聞いたことのある部分を主にロンドン・フィルのオーケストラの演奏、それにオペラ歌手かミュージカル歌手などが歌うもの。

今回は司会にアルヒー・ボウが出て彼も2曲歌った。この人は昔オペラ歌手としてデビューして,以前メリーウィドーで出ていたのを見たことがあるが、世界的なオペラ歌手にはなれなかったらしく、ミュージカル的な歌手に転向して、時々テレビにも出ている。

そしてこの日のハイライトはラッセル・ワトソンで彼は10代の頃からパブやクラブでオペラのアーリアなど歌って有名になった人で、過去2度の脳腫瘍の手術後も英國やアメリカの一般庶民に人気がある。一度も音楽学校へ出ていなくてこれだけオペラのアリアが歌えるのはやっぱり才能があったというべきなのだろう。

コベントガーデンのクリスマスツリー

その翌日夜、オペラハウスでバレーのオファーがあって飛びついた。本当はオペラだと思って夜出かけたのだが、ダンテ・プロジェクトと言う聞いたことのない題名。モダンバレーに音楽もモダンな創作バレー、おまけにメガネを忘れて行って、散々。

主人公ダンテが平野亮一さんという今ロイヤルバレーでは一番のプリンシパル。相手役ヴィジルにトーマス・モックという人。何しろメガネがないと真っすぐ見える舞台で、色々な人が飛んだり跳ねたりしているがはっきり見えない。おまけにストーリーも勉強していかなかったから、諦めて1幕目で帰ってきた。

2週間後、今度はかの有名な劇場街ドゥルリーレーンでマイケル・ボールのトークショウがオファーされた。

この人1980年代まだ若くでハンサムな頃、ヨーロビジョン・ソング・コンテストで2位になったそう。今ではミュージカルで活躍していてテレビでは見ることがない。でも一度見た若い頃の歌いっぷりが素敵だから、行ってみた。

彼のファンと言う中高年の女性ばっかり詰めかけていて、1幕目本当におしゃべりだけ。司会の女性が彼女のアイパッドに送ってきたあらゆる質問を彼に聞く。それに対して彼が返答する男性的なこの人、返事の度に グワハハハ と笑う。私は歌を聞きに来たので1幕目は居眠りし、2幕目も最後に2曲歌ってくれて終わった。本当にがっかりしたこの夜だった。

そして昨日の土曜日、昔からのマレーシアの友達が電話してきて、この夜無料のチケットが手に入ったから、ロンドンへショウを見に行こうという。

待ち合わせた場所が、レスタースクエアの地下鉄前。ものすごい人の群れが前後左右で行きかっていた。メインロードを通るバスやタクシーや車は行き交う人々を避けるため警笛があたり一面こだまする。約束の時間から10分ほどして、携帯にメールが入り、人込みをかき分けてレスタースクエアのレゴショップの前まで来たが、どこへ行くかわからなくここでしばらく待ってやっと友達に会えた。

此のショウは中華街のカジノの地下にあって、着飾った男女が高い(市価のの2倍はする)飲み物をのんでいる。

ドタ靴にフリースで行った私全く場所から浮いていた。

客席を廻っておしゃべりするピクシー(いたずら妖精)に頼んで一緒に写真を、というのは8歳の孫ジュードはもうサンタや魔法使いなどは信じないが、なぜかピクシーだけはいると信じているらしい。

此のショウ、初めはみな歌って踊っているがだんだん服を脱いでティバックのパンツ一枚になって踊って回る。こんなショウ初めて見たので、気味悪くそれよりこんな風にしかお金を稼げない人たちが哀れに思えてきて、9時過ぎ二人で帰ってきた。

昨年娘からプレゼントされたアップルウオッチが2度も警告してきた。あまりの騒音で、此の環境に長時間いると耳が悪くなるという。

地下から1階へ上がってみるとあたり一面人々はカジノで楽しんでいる。初めてのこんな場所、写真だけ写して早々に帰ってきた。

そして日曜日の夕方、また友達のお誘いでロンドンのキャバレーへ行ってきた。

ここは舞台を客席が取り囲んでいて、エンターティンメントプロのようにあか抜けていた。

髪の束に鎖をつけて全身が下がり演技をする女性。

天井から下がったはしごで演技をする人、キャバレーでのアクロバット。

180センチ以上ある巨大な女性?男性?で歌もうまいし全体の司会も兼ねていた。

天井から下がったフラフープのような輪で演技をする女性。

ほかに4人組の女性が歌ったり、男性がストリップをしたり、観客が結構楽しんでいた。

10時近くお開きになり、寒風の中を駅へ向かう途中、見つけたお店の前の白熊の親子が心和ませてくれた。

 

 

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大英博物館ーミャンマー展

2023-12-09 20:09:52 | 独り言

2週間ほど前、友達に誘われて大英博物館で特別展のBurma to Myanmar(ビルマからミャンマーへ)展へ行ってきた。

今までの特別展の中ではこじんまりとした展示会で1時間半ほどで見終わった。

1907年当時は英国の植民地であったこの国で英国統治者の総督あての手紙がこの巨大な貝に書かれている。民衆の総意で、清水、交通機関の改良、バイリンガルの学校設立、病院 などの要請がかかれてある。

19世紀半ば中国人によって掘り出され、作られた大きなジェイドの容器。

インド、タイ、中国に囲まれたこの国は紀元700年から1100年にかけインドから伝わった仏教が広まった。

貝殻で作られた仏典、これが文字であるとは思えない。素晴らしい芸術作品見たい。

ビルマ王室で使われた壁掛けで、オリジナルはインドのストーリー(ラマヤマ)が東南アジアに伝わり、それを演じたタイの舞踏団を刺繍した華麗な壁掛け。インドネシアの影絵を思わせる。

鰐の楽器はミャンマーの南部に住むモン民族が隣接するタイ文化の影響を受け作られた弦楽器。

19世紀末、ブリティシュ、シャン民族、中国人により作られたシャン地図。当時ミャンマーはシャン民族、ナムマオ(ビルマ)民族、ナムカム、セラン,モングマオなどの民族が住んでいた。

織物は当時シャン民族の主産業で縦じまの織物は北部タイ、南西中国、ラオスなど一般的に作られた。

 

カッチン族のバッグで主に1800年末、英国―インドの軍隊にカッチン族軍人募集に使用された。

シルバー、ビーズ、ポンポン、リボンなどで飾られたバッグで実用向きではない。

英国とミャンマーは19世紀3回にわたり戦争をし(The Anglo-Burmese Wars)200点ものを戦利品として英国海軍が奪った。その中の一つがこの大きな仏像、大きな手が異様に思える。

この展示会では最高の出来栄えと思える象牙の椅子。ミャンマーの最後の王Thibou(1878-85)の椅子。

 

 

1830年―1900年の手工芸品(テキスタイル)は自然染色と草の実で装飾されている。

此の写真でははっきりと見えないが The Japanese Government とプリントしてあるお札は1942年から1945年日本軍がこの国を占領しこのようなお札を発行、経済を牛耳っていた。

 

 

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