Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

小春日和

2021-02-23 00:37:33 | 日記21

2月15日から1週間は学校のハーフターム(休暇)で子供ならずとも親もほっと一息。私も昼食後の一番眠い時に昼寝もできなかったことを思うと、孫から解放されただけでなく、のんびり自分の時間が持てることがうれしい。

 

1週間前の雪と氷の寒さが嘘みたいに暖かくなり、わが家の前庭の柿木の下にはクロッカスと菫の花が咲きだした。

 

 

雪の降る前から通りの歩道わきの草むらには色とりどりのクロッカスが咲いていたが、雪の下になり踏みにじられて皆つぶれてしまったと思っていた。小春日和に通りを歩くとあちこち可愛い花が咲いている。

 

住宅地の前庭に懐かしいミモザの花が満開だった。日本のいろいろな人のブログでも今の時期ミモザが満開になっている。南ポルトガルでは野生の巨大なミモザの木が2月から4月ごろまで一面満開になる。

3月末にポルトガルからスペインを通って帰国する時には高速道路の両脇がミモザの花で黄色になって見える。

春たけなわのミモザの花。

 

住宅地の垣根には色とりどりの椿の花。赤や白の八重の椿も見かけたが、あいにくカメラを持っていなかった。

どんな花でもやっぱり春はいいものだ。

 

 

 

 

相変わらずロックダウンの続く英国では日曜日に行くところがない。それで家族連れ、特に子供たちが小さい家族は一日中公園の遊園地で遊ぶことになる。

こんなに一か所に集まっていればコロナも感染しやすくなるだろうけれど、今では国民の50歳以上の90パーセントくらいがワクチンを受けたとのこと。毎日の感染者数も1万人を割ってきたそうで、やっとロックダウンの成果が表れてきたそうだ。

現在の死者トータルが12万人を超えた。死者が10万人に達した時、ボリス・ジョンソン首相はテレビで謝ったが、彼のせいではなかろう。コロナが風邪やインフルエンザと同じくらいと思っている人たちによってウイルスがばらまかれたのだから。

樹齢何百年経っているかしれないけれど、多分この公園ができる前からあったに違いない。素晴らしく大きな樫の木。

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雪の2月

2021-02-14 06:20:45 | 日記21

2月7日からロンドンは急激に寒波に見舞われ、朝から雪が降りだした。雪は小粒で積もるとは思えなかったけれど、一日中パラパラ降っていて、午後にはあたり一面が白くなった。

 

 

久しぶりの雪に孫のジュードは大喜び、午後には親子3人近くの公園へ雪見に行った。過去10年冬はポルトガルで過ごしていた私にはこの寒いのにと庭のジャクジーで暖まっていた。

月曜日の朝には裏庭に積もった雪でジュードは興奮して勉強どころではない。とうとう頭にきてさじを投げ、自宅に帰るといったものだから、娘夫婦が慌てふためいて、ジュードに言い聞かせている。

午後3時一応インターネットで送られてきた勉強の紙をクリアしてジュードと二人ケーターパークへそりを引っ張って行った。

この公園には丘とも呼べないような小さな草の丘があり緩やかなスロープが7-8メーターくらい広がっている。生まれて初めて一人でプラスチックのそりでこのスロープを降りたジュードは興奮のあまり This is the finestday of my life. (僕の人生で最高に良い日だ)彼の人生まだ5年しか経っていない。

そして 時速何マイルですべっただろうか? と聞いた。最近の子供の会話には笑わせられる。

昨年植えた庭の水仙が心配でじたくへ行ってみた。前庭は芝生の上だけ雪が積もっているが本当に大したことはない。裏庭は日影が多いので雪が解けず、しっかりと積もって草花はほとんど全滅。せっかくつぼみが膨らんでいた水仙の花を13本切って娘宅へ持ってきた。

昨年秋から工事を進めているクリスタルパレスのフットボールドームもまだ半分もできてないところで雪のために中止している。

2月12日金曜日は中国の新年、日本では昔旧正月と呼んでいた。孫の学校ではこの中国のお正月も教材の一つとして教えている。だから12支もインターネットでストリーを見させ聞かせていた。

 

土曜日の夕食は娘手料理の中華料理。彼女はヴィーガンだから肉も魚も卵もミルクもチーズも使わず、とってもおいしい中華料理を作ってくれた。土曜日の午後4時間も頑張ってくれた。こうして上げ膳据え膳、ジャクジーはあるし、床暖房があるし、ロックダウンが終わるまで文句なしでこの家で過ごすことにしている。

コメント (3)
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キャプテン・サー・トム・ムーア

2021-02-07 23:04:35 | 英国内のこの頃

キャプテン・トム・ムーアは昨年4月30日に100歳になった。彼は20代を英国陸軍キャプテンとして、ビルマ戦線で日本軍とたたかって、生き残った人。

戦後いろいろな職業についていたが、建築材料の会社を立ち上げ財をなした。若くして知り合った英国人女性とは20数年結婚していたが性生活が一切なく50代で離婚し、再婚した奥さんとは2人の娘さんに恵まれた。

娘さんが成人したのち退職後を夫婦二人でスペインで過ごしていたが、奥さんが記憶障害になり帰国してケアホームへ入れたものの先立たれてしまった。

その後娘さんの家族と同居して幸せに暮らしていたのに、99歳でキッチンの床で転んで骨盤骨折。一時は危篤状態になったそうだが奇跡的に持ち直し、自宅療養をしていた。

昨年1月家族の間ではトムを励ます意味で自宅の裏庭(幅が20-30メーターはありそう)でと、100歳になる4月30日までに歩行補助器で往復1000回を目標に歩いたら、1000ポンドのお金をNHSへ寄付するとの話がまとまった。

この話がインターネットで世界中に流れ、キャプテン・トムは一躍時の人になった。世界中から寄付が相次ぎ、彼の誕生日までに3千3百万ポンド(約4億7千8百万円)が送られ彼は一命をとりとめたNHSに対し感謝を込めて贈った。

彼の誕生日には英国空軍が戦時中に使用した古い戦闘機2機を彼の自宅上空を飛ばせ、エリザベス女王やボリス・ジョンソン首相のメッセージが届いた。世界各国からも数十万通の誕生カードが寄せられ、近くの学校の講堂一面に並べられた。

この寄付金は個人のチャリティーの金額としてはギネスブックレコードだった。

世論は彼の偉業に対して彼にサーのタイトルをと、昨年7月エリザベス女王からサーの称号が送られた。

このキャプテン・トムはやっぱり普通の人ではないと思う。英国のテレビ局ITV  の一時間のインタビューではユーモアに富んで観客を引き付ける素晴らしい人柄で、とっても100歳に見えない。

この100年間で数十人の首相が変わったけど誰が一番良かったかとインタビューの人が聞いたら、 もちろん今の首相だよ、彼が100歳のお祝いしてくれたもの、それまでの人は誰も僕がいることを知らなかったから。

貴方のバケツリスト(死ぬまでにしたいことのリスト)にはいったい何が書いてあるかとの質問に答えてアメリカへ行ってルート66で運転したい。と、まるで若者での様。

クリスマスにバケツリストの一つで家族でバーベードスヘホリデーに行って来た。

帰国して1月に肺炎で医者にかかった際、コロナに感染していると言われワクチンを受けることができなかった。

今年1月31日日曜日、キャプテン・サー・トムはコロナで入院が報ぜられた。しかしその時は重症でないと報道されたにも関わらず、2日後火曜日には亡くなった。

彼にとっては長く苦しまず、あっという間になくなってしまって家族もみなよかっただろう。でもこうしてみるとコロナは恐ろしいことがよくわかる。体の弱っている人には急激に悪化することがよくわかる。

新聞にもこの国の宝を亡くしたと報道されたが、本当に惜しい人だ。

ご冥福をお祈りします。

 

コメント (2)
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