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Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

夏休み 南ドイツのホリデー9日目 帰国

2025-08-15 05:30:51 | 旅行

今日夕方5時45分の飛行機でロンドンへ帰る。そして今日初めて一日中一滴も雨が降らなかった。朝起きたのは8時、娘たちはすでに起きてパッキングしたりしている。

私の準備はすぐ終わってゴミ出しをしたり、ベッドのシーツを剥いだりで聞けば10時には此のアパートメントを出なければいけないとのこと。全てが終わったのは10時半車でバード・ヴォリスホファ の街へ行き最後のビールを飲んでというので、パブへ。

此の朝の気温は10度半袖のジュードは寒いと言って娘のジャケットを借りて着ていた。12時には空港のあるマミンゲンへ向かった。

煙突の上にじっと動かないコウノトリを見つけて、あれは本物だろうかとしばらくみていた。

マミンゲンのタウンセンターはとってもきれいでゴミ一つ落ちていない。イギリスも少しは見習ってほしいものだ。

 

お花の飾りだけでなく建物の装飾が素晴らしい。

娘夫婦はヴェジタリアン、ヴィガンのレストランを探してあちこち歩き回る。

煙突の上でひなを育てているコウノトリの夫婦。

こんな木組みの建築物も見られる。

車禁止のタウンセンターは人々がのんびりくつろいでいる。

私達は此の一角のレストランでお昼を食べた。 

海が遠い此の国で面白い船の飾り。

ヴィーガンのお昼はパンの上に乗せたマシュルームのフライ。とサラダ。

私のオーダしたもの最後までソーセージ カレー味、野菜がついてなかったからジュードのピッザに入っていて食べないズッキーニと娘のサラダをいただいた。

パトリックのオーダーしたものは、ポークのフライ、これが此の南ドイツの一番人気のある料理なのだそうな。

 

食後また街の探索、我が家の庭に水やりしてもらっている近所の友だちにお礼にとすーパーによってチョコレートを買った。それがフランス産のメルシーと言う。

メミンゲンの空港は街から離れていて車で10分ほど。

スーツケースを預けて待つこと2時間、今日の飛行機もびっしり満席だった。

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夏休み 南ドイツのホリデー 8日目

2025-08-13 23:08:25 | 旅行

今朝は明け方近くに目覚めて2時間もコンピューターゲームなどやって、また寝てしまったので目覚めたのが9時だった。10時半過ぎスイスとの国境に近いWaldwelt Allgauへ向かった。朝から穏やかな天気で暑くも寒くもない気温は多分22-3度。

6万平方メータの此の山は典型的な子どもたちの冒険と遊び場で、入場料も家族は大人2人子ども2人の料金で、私を子どもの一人にしてくれた。

入場してすぐ、レストランで昼食、車の中でジュードはクロワッサンや揚げパン等を食べ続けていたのに、1人前の昼食にデザートまでオーダーしてほとんど残してしまった。こんなふうに食べ物を粗末にするのが非常に腹が立つ。

此のホリデーで初めて雨にも合わず寒さも気にならず大人も子供達も元気に楽しんでいる。

地上20メータくらいに設置された堅固な渡り廊下から見るスイスの国境は素晴らしい。

渡り廊下とほとんど同じ丈の針葉樹の花・実がいたるところに見える。

 

此の大型ゲームが一番面白かった。迷路に大きな丸い石が1個その石をボードの真ん中の穴にいれるべく子供たちだけでなく大人まで一緒になって右や左と走り回ってとうとう真ん中に石が落ちたときは皆が大歓声。手を叩いて喜びあった。

此の大きなブランコも子どもたちは大喜びだが、一度だけ乗ってみたら目が回る。

 

平和な楽しい一日だった。

娘夫婦も仲良く幸せ。

帰りの途がカーナビをみれば、こんなに曲がりくねった山道を降りてゆくのだ。

夕方6時ころアパートメントの有る街へ近づいてびっくり、相当激しい雨が降ったと思われる、あたり一面が沢山の水たまりに前を走る車の水ハネが激しかった。

 

 

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夏休み 南ドイツのホリデー 7日目

2025-08-13 01:05:18 | 旅行

朝から雨降りで午後2時過ぎまで小雨がやまなかった。10時頃からみんなでフッセンのお城の近くテゲルベルグ(Tegelberg)のケーブルカーで海抜1170メーターの展望台まで上がった。天気が悪いため景色もはっきり見えず

ノイシュバンシュタイン城もケーブルカーの頂上もこんなありさま。

雨がしつこくやまないので山頂のレストランでお昼を食べることにした。此のレストランにはヴェジタリアンやヴィガンの食べ物はなく娘とジュードはポテトチップスと飲み物だけ。私は朝食をしっかり食べてきたのでスープでいいと言ったら、ポテトスープの中にソーセージがたくさん入っていた。

このあたりの山は少し行くとオーストリアに入ってしまう。山岳地帯が国境線で、どこからなんてわからない。

ケーブルカーの中から険しい山のジグザグ道を登っている人が見えた。ご苦労なことだ。

平地では見られなかったトリカブトが咲いていた。日本以来久しぶりに見る花だった。

もうすぐ咲きそうなミヤマリンドウ? 考えてみれば、これも日本以来かもしれない。 

あちこちに此の背丈の低い松が生い茂っている。これぞハイマツに違いない。

 

狭くぬかるみの山道にキリスト像。 午後2時過ぎ雨がやんで遠くの平野が見渡せるようになった。

下山してすぐ近くにローマの遺跡があった。

ここは風呂の残骸。

雨上がりでも青空も見えていないから、写真のなんとなくはっきりしないが 望遠でお城の後ろの橋が見える。あんなに雨が降ったのにたくさんの観光客。

ケーブルカーの隣に あったサマートボガン(Summer Toboggan)と呼ぶ子どもの遊び場、パトリックとジュードは5回も乗って楽しんでいた。

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夏休み 南ドイツのホリデー 6日目

2025-08-12 06:03:41 | 旅行

今日も朝から雨だった。 昨日ほど激しい雨ではなく、小雨が降り続いて一向に止みそうもない。11時から車でスターンベルグ(Starnberg)へ行った。

着いたときは12時を過ぎていたから、お昼を食べようとパトリックがインターネットでレストランを探し、街を歩き回った。そしてとっても素敵なレストランに落ち着いた、

私がオーダーしたのがやっぱりソーセージとサワークラウト、ぐるぐる巻の焼いたソーセージにマッシュポテトと温かいサワークラウト、味も上品で今までのレストランでは一番美味しかった。

ヴェジタリアンのジュードは此の大きなヴェジバーガーにかぶり付いている。

立派なメニューの裏側の古い写真をよく見ると、確かに此のレストランが写っているが、なんとこれはナチスの集会場面ではないか。これを見て・・・と言ったらパトリックが ㇱー と言って話題を変えた。周り全部はドイツ人だもの。

食事が終わって外へ出たら食事中に激しい雨が降ったらしい。

こんな素敵なお家があった。また降り始めた雨の中を湖の縁まで行った。

ボートハウスの傑作な絵 笑いをさそう。

湖近くの小さな博物館、入場料も一人1ユーロ。

入口からかけてある絵がなんと日本的なことかと画家の経歴を見たら、Eva Roemer

という女性やっぱり日本画に傾倒していたそう。

 

2階は此の湖でロイヤルたちが遊び楽しんでいたとの船の模型や実物大の船も設置されていた。

短い廊下でつながった此の古い家も博物館の一部で

古い家具や、ベッド、農機具、拷問道具等色々取り揃えてあった。そしてわたしたちが此の博物館にいる間に此の日初めての太陽が顔をだしたが、またすぐ雲が張り出してきた。

今日の午後は此のスマートな観光船で湖を一廻りする。

ボートの中2階の真ん中で写真を取りながら楽しんでいたら、向こうの空が真っ黒になったと思ったら、ものすごい雨、急いでガラス張りの部屋に逃げ込んだ。それでも雨風が激しくて何も見えない。

しばらくして雨がやみ、雲が薄れてくると、湖の周辺はお金持ちの別荘やお城もみえる。

セーリング教室みたいで、あの激しい雨の中でも固まっていた。

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夏休み 南ドイツのホリデー 4日目

2025-08-10 08:34:25 | 旅行

今朝は明るく前庭で縄跳び1000回 お昼近くに皆でランズバーグ(Landsburg)へ行った。町外れの駐車場が小高い山の地下トンネルで、出口が塔の中のようにぐるぐる回った階段で上がっていく。今までジムで鍛えていたから娘には負けないで登ろうと思ったのに最後の2階の階段でバテた。登り着いてみると山の頂上に近いところに出口があった。

 

出てくるなり小雨が降り出し、写真上のタワーとビルのトンネルについたときは雷がなり雨が激しくなってきた。一番近い婦人服のお店で雨宿りをしていたら、豪雨と同時にあられが降ってきた。これが8月1日真夏の出来事だもの気候は完全に狂っている。

一緒に雨宿りしていた小さな子ども2人が、あられが珍しくて手に取ろうとしていた。

しばらくして小ぶりになり、娘1家はウインドーショッピング。私は近くにある巨大な教会の中が見たくてアレンジして別れた。

主祭壇は豪華絢爛、両脇のステンドグラスも素晴らしいが2体のピエタの像がすばらしい。

これは最新作か、像の表情がリアリアステック。

そしてこれこそダヴィンチのピエタ像を模倣したような像だ。実際のシステーナ寺院のピエタ像は巨大だが此の像は50センチくらいの大きさ。

此の日はにわか雨が何度もやってきてそれも激しい降りになる。お昼のレストランを探して雨の中を行ってみれば、満席で断られ やっと一軒の店に落ち着いた。

私がオーダーしたのがソーセージサラダ。直径4センチ位の輪切りのソーセージが大きなボウルに山盛りでその上にサラダが飾り程度。あまりの量にパトリックにも手伝ってもらってやっと完食。夕食は軽いものしか食べられなかった。

珍しいテラスドハウス。

レストランの近く大きな川が流れていて、毎日の雨で水量は豊富。

変わった通りのデコレーション。

小雨の間にショッピングストリートの端まで行き、お店の外に出ていたスポーツウエアーを見ていたら、いつの間にか娘一家が消えていない。私をおいてどこへ行ったのだろうと焦って街の入口まで戻り、必ずここで会えるからと待っていた。娘たちそのスポーツ店の中で見ていたそうで、私は全然気づかなかった。こんなことで年寄りは嫌われるのかもしれない。

 

ドイツの村や街角によくあるのが此のデコレーション。各家の紋章などがかざられてあるらしい。

 

 

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夏休み 南ドイツのホリデー 3日目

2025-08-09 23:54:05 | 旅行

日本は酷暑と言ってるのに此のドイツはどうだ。今日の気温は朝11度から最高気温が19度。 あたり一面の平野では、トウモロコシ畑と刈り入れ間近またはもう済んでしまった麦畑が遠くまで広がる。朝は薄くもりながら、日が僅かにさしていた。

今日はアパートメントから北にあるアウグスバーグ(Augsburg)へ行った。

街のスクエアーでは楽団と男性数人がビラを配っているが一体何かドイツ語は分からない。後でパトリックが言うには宗教団体らしい。

 

薄日もさして、此の街が工夫を凝らしているのがわかる。商店街の後ろには野菜果物のマーケットがひらいていた。

今まで見たこともない色のあじさいを売っていて、キャンパーだったら買って帰れるものをと思う。

庭の有る家には此のポインテッド・アナベルが咲いていた。

パトリックがインターネットで見つけたレストラン。ドイツ語だからRat が何を意味するのかわからないが、英語だとドブネズミ、KellerもちょっとまちがえばKiller(殺す)になる。

天井の高い立派なレストランで、私はドイツ、イコール、ソーセージとサワークラウトと決めていたから、好きなものが食べられてご機嫌。

食後みんなで街の散策、面白い街のデコレーション、

5階建てのビルがズラッと並ぶが建物自体が古い様式。

大通りを走るトラムの長い事、5両編成?

 

博物館で見た像が街のメインの像になっていた。

さて午後3時あたりは黒雲が張り出し、大粒の雨が降り出した。娘がどうしてもソーシャルハウジングへ行きたいと言う。雨の中を探していった。

此のソーシャルハウスの創始者ジェイコブ・フィガー(Jakob Hugger)(1459-1525)は貧しい人々のため150軒の住宅を建て、今現在も人々が住んでいる。雨が降りしきる此の夕、寒さに震えながら、モデルルームも見てきた。

1ベッドルームにリビングルーム、キッチン(洗濯機含む)トイレと風呂、人々が最低生活するのに必要なものが揃っている。此の街にはホームレスがいないのだろうか?500年も昔に此のようなシステムを考え作った人は偉大だと思う。

雨を一時しのぎに入った教会が素晴らしかった。天井がすばらしい。

 

 

 

 

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夏休み、南ドイツのホリデー 2日目

2025-08-09 05:14:59 | 旅行

ドイツの2日目、気温は16度から20度、にわか雨が多くレインコートを脱いだり着たり。

アパートメントから70km南のフッセンへ行った。フッセンは世界でも有名なノイシュヴァンシュタイン城のあるところ。ついたのがお昼近く、城内見学のチケットは売り切れていて今日は見られない。私は昔ポールと来て内外ゆっくりと見て回ったから、文句はないが娘たちが可愛そう。でもジュードは興味がないから見なくて正解かも。

御城へ登る坂道の初めのレストラン、壁に描かれた絵がユニーク。

御城までの坂道が相当ありジュードは此の馬車に乗りたがったが、ものすごい長い行列を見てすぐ諦めた。

お城が一番良く見える展望台から見渡すフッセン郊外。

目的のノイシュヴァンシュタイン城を見る手前に山の中腹から見下ろせるホーエンシュヴァンガゥ城は、城というより王宮で、少年時代を過ごしたことの有る王子ルードヴィヒは夢見た白鳥の城を実現させた。

お城に入れなかった人たちも、此の裏山の谷間にかかる橋の上が一番のフォットスポッツとて、ながーい行列を作って待っている。橋の上も此のような有り様。

奇しくも今年4月に姫路の太陽公園で此のお城の3分の2サイズのコピーの城を見たが、やっぱり本物はいい。

フッセンを去る午後、野原から眺めるお城の全景。

アパートメントへ帰る前に立ち寄ったのがネッセルワング(Nesselwang)のアルプスピッツ・コースターでジュードの喜ぶこと、4,5回乗って興奮していた。私も一廻りしてみたが、一度でいいとおもった。 

首に大きな鈴を付けている牛たちは動くたびにカランコロンと鐘の音が素晴らしい。

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夏休み、南ドイツのホリデー

2025-08-09 02:59:40 | 旅行

学校の夏休みは7月下旬から始まる。7月29日火曜日朝7時半に乗る飛行機のため、娘宅を車で出発したのは3時半だった。夜中とて道路は混んで居なかったから、ロンドン東のスタンステッド空港まで1時間で着いた。

長期駐車場に車をおいて空港に入ってあまりの人混みに驚いた。さすが我が家だけではないらしい。安い飛行機で海外へ出るのは英国人家庭の年中行事。

安い飛行機ライナエアーはやっぱり30分は遅れて8時近くに出発した。ドイツは1時間の時差が有るため10時過ぎに南ドイツの小さな空港マミンゲン(Mammingen )についた。

スーツケースを引っ張ってパトリックがレンタカーの交渉をしている間に激しい雨。これは歓迎の雨かなーなんて言ってるうちに雨はやんだ。

 

今日から泊まるレンタルアパートメントは3時からしか入れない。此の日は何度もにわか雨がふって、スーツケースの中に入った雨具が取り出せなくて、雨の中をお昼を食べるのに歩き回った。

道の真ん中にこうして並べられている像や置物、英国だったら翌日には消えて無くなっているだろう。

私達がこれから1週間を過ごす街はバッド・ウォレスホフン(Bad Worishofen)とい  う。Badは英語では悪いとなるがドイツでは温泉という。此の地には大きな温泉があって土曜日に行くことに決めていた。

雨の中をウロウロ歩いているときも此の街はなんてきれいな街だろうと思った。どこもかしこもお花が咲き乱れている。家やお店は整然として落書きなどはどこにも見当たらない。

街の至る所に面白い像やオブジェが立っている。あじさいは時期を過ぎているが此のアナベルだけは今が盛りらしい。でもピンクのアナベルは初めて見た。

 

 

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 フランス 最終回

2025-07-28 01:15:04 | 旅行

昨日書いたイタリアのキャンピング・プラッツにはフリー・インターネットがありフランスのカレーからイギリスのドーバーまでのフェリーを予約することができた。フランスを5日で縦断するしかない。
朝 雨の中を高速道路でニース(Nice)まで行く。フランスの高速道路のほうが高くて90Kmほどで21.3ユーロも払った。ニースからはナポレオン・ルートを北にたどる。

アルプスから遠ざかると平野が多くなってくる。雪山も遠のいて、ブドウ畑がどんどん広がり、冬の間にブドウの木の剪定で、切った木を焼く煙が一面に立っていた。時々現れるお城は城砦ではなくマンションかシャトーと呼ばれる宮殿のようなもの。日本のマンションとは意味がまったく違うから、マンション住まいの人は外国で自分はマンションに住んでいると言ったらずいぶん誤解される。

 

周囲の山やがけに同化したようなモノトーンの町はEntravax の城下町で、タイムスリップしたような中世の町だ。

 

まるでサウンド・オブ・ミュージックの舞台みたいにきれいな村や山が現れるが、ヨーロッパにはこんな素晴らしい景色がふんだんに見られるのがうれしい。

Troyes のキャンプサイトに飾ってあったブドウを搾る道具、フランスならではの道具でこれがギリシャになるとオリーブの搾り器になるだろうか?

フランスを北上する途中ですれ違ったトラックの荷物がすごい。 発電風車の一つのプロペラ。長さは10メーター近く? 立って回っているとそんなに大きくは見えない。。さすがフランスのローマンロードならこそ運べる・・・・か。

フランス北部の砂糖大根の取り入れしたもの。フランスは平野が多く此の国はヨーロッパ1の農業国。

フランスは3泊4日目にカレーについた。予定より一日早くついたので予約のフェリーを一日早くしてもらい、カレーのスーパマーケットでフランスの食料をごっそり仕入れ、安いディーセルも満杯にして、翌朝フェリーで帰国した。

今回の旅は全行程8010マイル(12、816Km)、3ヶ月と1日、今回も無事に帰国でき78歳の亭主には大いに感謝した次第です。

 

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2009年ヨーロッパキャンプ旅行 イタリア ポンペイからピサ

2025-07-27 23:24:42 | 旅行

 

ポンペイからローマの北のオルビエトまで320Km すぐ高速道路に乗り全行程を走った。トータル料金が19.9ユーロだった。
走り出してすぐ雨が降り出し何度も激しい雨で前が見えない。ローマ近辺では羊の群れが雨に打たれているが子羊があまりに小さいので驚いた。たぶん生まれて1ヶ月くらいしかたっていないであろう。英国やそれ以上北ならば羊は春しか出産しない。
ギリシャ、イタリア、南フランスで何処にでも見られる風景は柿の実った大きな木で、日本でもありふれているが、寒いイギリスでは見られない。こんなにたくさん柿が実っているがスーパーで買う柿は安くない。

 

素晴らしい景色を楽しみながらオルビエトにたどり着いた。ここは3年前に来て良く知っているが、キャンピングプラッツの横をローマとフローレンス間の高速電車がひっきりなしに走っているうるさい所だ。たった一晩だけだから我慢できる。
オーナーが英語が全然話せなくてフェステバルのイタリア語がわかりきっとこの地域のお祭りがあるのだろうと思っていた。その夜はキャンパーが5台停まっていたが翌朝は30台くらいに増えていた。

オルビエトからピサまでを田舎道をのんびり走る。途中で出会うのはキャンパーばかりで皆オルビエトへ向かっているようだ。何のお祭りかわからないので????でピサまで走る。

ピサのキャンプサイトは閉まっていてもう一軒あるはずのサイトがどうしても見つからない。大きなキャンパーで狭いピサの町を走り回ってとうとうあきらめた。町外れの大きなガレージの敷地で一泊して翌朝すぐピサの斜塔を見に行く。キャンパーを停めたところが学校の前で、壁タイルが素晴らしい。ピサはこれで3回目、見ても大して興奮するわけではないがデジタルカメラで聖堂内を写していないから、わざわざ一泊して行って見たのに、今回は写真禁止だった。がっかりして240Kmフランスに近いDiano Marinaまで高速道路を走った。

 

 

高速道路は海岸の無料道路と平行しているが、高い山が海岸に落ち込んでいるところが多く、山の中腹を貫いたトンネルばかりで一体どれほどトンネルを抜けたか判らなくなった。
高速道路料金も18.7ユーロ、でもこれは坂道を走り回る時間とディーゼル使用を考えてみれば安いかも知れない。

Diano Marina のキャンプサイトはすごい。今までこんなにたくさんのキャンパーを見たことが無い。キャンピングプラッツはキャンパーだけしか停まれないが、何処の国でもキャンパーは3メートル間隔以上で停まる規則がある。この場所では詰められるだけ詰めて、きっとできることなら上にも積み重ねたかったことだろうと思うほど、400台以上が停まって小さな町みたいだった。
サイトのオーナーにどうしてか聞いたところ、この週末数日はイタリア全土のクリスチャンの祭日なのだという。それにしてもどうしてこんなにたくさんのキャンパーが・・・絶句。

 

 

 

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 イタリア ポンペイ

2025-07-27 21:49:59 | 旅行

ポンペイの遺跡入場料も、ユーロ圏の65歳以上は無料だが日本のパスポートでは10ユーロ、それで英国の運転免許証を持っていった。年齢と国が証明できればよいので、もちろん無料になった。ポンペイは何度行っても感激する。
紀元後79年にヴェスィヴィアス火山が噴火するまでの一般市民の生活が良くわかる。今まで見てきたギリシャやローマの遺跡は巨大な寺院の崩れた跡か墓地位で人間が生活していたところが見えない。世界にただひとつこれだけはっきりと2000年前の人々の生きてきた様子を見られるすごい場所だ

 

 

何百も積み上げられた壷は、水がめや、酒壜であろうか。火山灰の下になりそのままの形で2000年を経た現在、肉体は滅びたものの火山灰が石化してできた空洞にプラスターを注入してできた2000年前の人々の姿が、あちこち展示されている。

 

石畳の道路にはわだちの跡がはっきり残り、道路は食堂街(タベルナ・通り)とサインが入っていた。店先に大理石のテーブルや火鉢があり、粉をひくための大きな碾き臼や、パンを焼いたであろう、大きなかまどなどが在る。そして碁盤の目のような通りも幅広く必ず歩道があるのがすごい。日本の田舎ではいまだに歩道の無いところもあるのに。

ポンペイの町からやや離れたところに在るVilla del Misteriはお金持ちのお屋敷だったらしく、各部屋にはフレスコの壁画が描かれ色あせずに残っている。床は細かなモザイクで屋根ごと埋もれてしまった数少ない遺跡である。

 

 

ポンペイには巨大な円形劇場と、小さなTheatro Grande が在る。Theatro Grande はただ今工事中で中には入れなかったが、外からかろうじて写真が写せた。
日本人団体客が3組も右往左往しており、もちろん世界中から多くの観光客が来ていて、この素晴らしい遺跡を楽しんでいた。

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 シシリーからポンペイへ

2025-07-27 20:23:52 | 旅行

今日12月2日はシシリーを去って英国へ向かうためにイタリアを北上するはじめの日だった。朝7時半にはキャンプサイトを出発、高速道路でメッシーナーの港まで行く途中、ちょうど通勤時間にかかり渋滞がひどく、あせりの亭主に悩まされた。やっと港に着きフェリーのチケットを買ってすぐフェリーは出発、なんと10分ぐらいで対岸の港に着いた。
そこはR.D.Carabriaより10Kmほど北のVila San Giovanni(聖ジオバンニ村)だった。9時過ぎだったから亭主の喜ぶこと。これから400Kmくらいを走るのだ。

南イタリアは高速道路の設備が悪いからポンペイ近くまで無料で、途中は何度も道路工事のために一車線でのろのろ運転を強いられた。それに何度も激しいにわか雨が襲ってきて前方がほとんど見えなくなるくらいだった。時々現れる高い山は雪を被って白く冬の訪れを告げている。山頂や中腹に広がる町や村は、今までにもたくさん見て、写真も取り捲ったのに決して飽きることが無かった。
ポンペイの近くにたどり着いたときは又青空が広がり、遠くにあのポンペイを火山灰で埋め尽くしたヴェスィーヴィアス山が悠然と横たわる。

 

ポンペイは10数年前に来て一日中歩き回ったことが有ったが、今回はキャンプサイトが遺跡のすぐ近くに3軒もあった。それで翌日は一日遺跡めぐりをすることにして、今日はポンペイの町の散策に行くことにした。キャンプサイトから町までは歩いても30分ほど、遺跡の壁に沿ってゆくから、遺跡の中も一辺の距離が歩いて30分以上もする。
こじんまりとした町は尖塔が素晴らしい教会と町の広場に建つ大聖堂が立派だった。ポンペイの遺跡に行く人は多いが町を見て歩く人はあまりいないと思う。

イタリアの若者たち



キャンプサイトには大きなオレンジがたくさん実っていた。手が届かないのが残念。

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 シシリー タオルミナ

2025-07-27 06:19:33 | 旅行

シシリーに着いた最初の日に停まったキャンピングプラッツで、シシリーの最後の2晩を過ごした。
キャンプサイトから見えるエトナ山はシシリーを一周した10日の間に雪で真っ白になってしまった。

タオルミナ(Taormina)はキャンプサイトからバスで行けるこの島一番の観光地で朝夕眺めた山の中腹の町だった。

 

バスはキャンプサイトの近くから発着していてナクソスの町を通ってすぐ、ジグザグの急坂を上ってゆく。周囲の景色はそれこそアーとオーの感嘆詞のみ。バスは中腹のバス停で停まりそこからは徒歩になる。それ以上大型車は通行できず、町の集塵車までが小型化されていた。このタオルミナの町は以前エトナ山へ行ったときここも訪れているそうだが、あの時は脳死状態だったから、全然覚えていない。通りにはオレンジが実り、お土産店がずらっと並んでいる。陶器類が多いがこのきれいなレースの日傘はとっても気に入った。

 

この町はローマ人によって作られ今に至っているから、ローマの円形劇場が今も保存されている。そしてこの円形劇場から見える周囲の景色の素晴らしさは、タオルミナがただ遺跡の観光地と言うだけではない。
観光客が行きかうメイン商店街はクリスマス・デコレーションを設置するのに忙しい。古い教会の在る広場で、20人くらいの日本人団体があちこち座ってスケッチをしていた。日本からシシリー10日間のスケッチ旅行だという。旅行社の日本人ガイドは、40代の男性でイギリスへも行きたいが天気が心配でと言っていた。お互いこの10日間の上天気を大いに喜びあい,別れたがこの日が最後の上天気だったことは記しておかねばなるまい。

 

 

 

この由緒の在る町では観光注意書きが立っていて、上半身裸で歩いてはいけないとか通りで飲み食いをしてはいけないと書かれていた。それで思い出したが数年前、イタリアのどこかの市長が、太った女性のトップレスを禁止する条例を出して話題になった。

 

 

昼食を町のトラトリーヤで食べ、往復のバス券を持っていたが山道を歩いて降り写真を取り捲った。途中の坂道端にローマの墓地跡が残っていた。

シシリーの最高の見どころといえば、やっぱりアグリジェントが一番そして次にノト、そして此のタオルミナだろう。本当はパルレモが最高とテレビなどでは見せているけれど、個人旅行では行くのが怖い。でも此の10日間、忘れがたい素晴らしいところを見て歩き経験した。

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 シシリー ミラッゾ

2025-07-26 06:37:23 | 旅行

ミラッゾのキャンプサイトは町から離れた岬へ向かう途中の崖下にあり、一泊12ユーロと安い。このサイトはアグリジェントで出会ったイタリア人夫妻のお勧めの場所だった。サイトはユーカリとオリーヴの木に囲まれて、きれいな海と野生の茎の長い黄色い花が咲き乱れていた。(此の花のちにスペインやポルトガルで至る所に咲いているオキザリス ポルトガルではバミューダ・バタカップと呼ばれていた。)

岬の突端は灯台とレストランそれに大きな駐車場があった。11月末のこの日は晴天ながらも風が強く、観光客はまばらだった。灯台へ行く道はサボテンの藪で巨大な根元は長い歳月を感じさせる。岬は丘になっていて、丘を降りてゆく途中に立派な城砦があった。砦の壁は一箇所の崩れも見当たらない強固なもので工事中立ち入り禁止のサインをイタリア語がわからない振りをして入ってみたらお城ではなくて比較的新しい聖堂が建っていた。この城砦の周りは一方通行の狭い道で、土産屋とレストランが軒並み並んでいたから夏には観光客の絶好の観光地になるのだろう。

 

日本では戦後に見かけた3輪車をシシリーではいたるところで見かけた。ほとんどが農産物を積んで運んでいるが、村などに八百屋として野菜を売りに行っている業者も多い。

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 シシリー ミラッゾ へ

2025-07-26 06:07:29 | 旅行

シシリーの首都パレルモはマフィアの本拠地でもあり、キャンプ場の警告書もあってあっさりあきらめた。翌日メッシーナまで戻るのに途中3箇所のキャンプサイトが開いているはず・・・・。何処でも開いていたなら停まることにして出発、パレルモからメッシーナまでの高速道路は有料で全行程を行けば相当の値段になる。途中で高速道路を降りてキャンプサイトを探すため、海岸道路を行くことにした。シシリーの北側は高い山がそそり立ち、高速道路は山から山へトンネルを縫って行く。海岸沿いの道はずいぶん遠回りの上、急坂も多いが素晴らしい景色を堪能できる。

 

高架の高速道路はまるで空を飛んでいるみたいだろう。残念ながらこのときは海岸線を走っていて高架道路を見上げていた。一箇所の小さな町を通ったが表通りは全部陶器の店になっていた。きっと有名な陶芸町・村に違いない。

 

 

ここら辺りでも山頂に群がる建築物には感激する。良くぞあれほど高いところに住もうと誰が考えたものか?水など大丈夫か?昔からあった村なら車の無い頃の交通はずいぶん不便だったろう。
海岸線を行く途中で急な坂道にかかり、キャンパーが上るのは無理かと思われた。亭主もやっと苦労の末山頂までローギアで上り詰めたが、今度は下りが急坂で狭くジグザク道を降りなければいけない。途中でどんな車であれすれ違うのは無理だ。下の写真で見るとあのときの恐怖は感じられないが、あれほど怖かったことも無い。やっと村にたどり着いたとき海岸線の道路が通行止めだったのがわかった。だから私たちの来た道は代わりの道路だったのだ。普通にあの道を往復していたなら事故が発生していても決しておかしくない。それ以来又高速道路を行くことに決めたが、今度は高速道路入り口が見つからなくて散々だった。

 

ミラッゾ近くでやっと高速道路にたどり着いたが、途中の山道で山頂に素晴らしい教会を見つけた。周囲に建物は見当たらず、教会だけが堂々と立っていた。ミラッゾの町からもこの教会は良く見えることだろう。たった一区間だけ高速道路を通ってミラッゾの町へ入ったが丘の上に城砦を抱く素晴らしい町だった。

 

 

コメント
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