Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

49年目の結婚記念日

2022-03-22 03:41:27 | 日記

今日3月21日は私の49年目の結婚記念日。毎日晴天の素晴らしい日が続いているが、今朝は霜が降りていた。それで太陽は出ていても風が冷たい。

 

家の前の歩道の桜は満開になり、結婚記念日を祝福してくれているよう。ところが

 

グリーンのインコが来て花を食い散らす。おまけに野鳩まで桜の花を食べに来るようになった。

昨日スーパーで見つけたこの椿の鉢植え、一目見るなり買ってしまった。レジで並んでいると前後の人たちが これはバラの花か ときいてくる。ラベルにはCamilia Japonica (日本の椿)と書いてある。まだツボミがたくさんついているから当分楽しめそうだ。

日曜日の午後娘の家族がケント州の田舎へ歩きに行くからと誘ってくれた。

お弁当持参で、着くなりお昼を食べてあと川渕から麦畑などを歩き回った。

 

これは電車の線路がかかっている鉄橋。

 

 

春霞の麦畑と遠い村の家並みが見える。

 

途中ローマの遺跡のある建物で娘がメンバーシップを持っているからと中を見物してきた。

 

このあたり1700年ほど前はローマ人が村を作り生活していた。その遺跡を大きな建築物で覆って、保護展示をしている。以前からここに遺跡があることは知っていたのに、入ってみたのはこれが初めてだった。相当数の四角の壁に公衆風呂の跡まであった。

 

 

道端のあちこちに咲いているひめりゅうきんか(姫立金花)キンポウゲの花によく似て花も葉もピカピカ光っているが、草丈は高くならない。

 

 

公園内のゴルフ場で、あちこちちらほらゴルファーの姿が見えた。

 

馬が引っ張る2輪車、ベンハーの映画を思い出した。でもあれは激しい競技だったけど、ここはのんびり走っていた。

この公園の周囲にはラヴェンダーフィールドが何か所かあるという。

まだラベンダーが咲きだすには2か月は早いだろう。

ポルトガルの山にはフレンチラヴェンダーが今頃真っ盛りのはず。昨年12月に行く予定だったポルトガルへの飛行機を延期したので、明日22日から2週間ポルトガル南部のファーロ空港へ行き、お天気の良い日、キャンプ場の友達やタヴィラの友達と山の花畑にポールの遺灰をまきに行くことにした。

コロナの規制も取れてやっと自由に旅ができるようになってきた。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月の花

2022-03-15 07:33:33 | ロンドン周辺

今年は例年より暖かい日が続いているように思う。

我が家の前庭に面した歩道に満開の桜の花が、道路一面に花首から落ちていた。不思議に思って見つけたのがまたグリーンのインコ。2羽も来て花をつついている。

桜の花にも蜜があるのだろうか?時たま蜂がたかっていることがあるからそうなのだろう。

真っ青に晴れた日に近くを散歩するといろいろな花に出会う。

木蓮の花も真っ盛り。

この椿の花は近場の前庭に咲いているがここ以外で見たことがない。

この大倫の白椿はオペラの ラ・トラヴィエータを思い起こさせるが、

花が終わっても落ちないからこんな大木も醜いこと。

ピンクの花は優しさを感じさせる。

 

紅白のボケの花。白いのは珍しい。

レンギョウも真っ盛り。

繁殖力旺盛なプリムローズ。私の裏庭にもどんどん増えてきている。

私の住む通りの角の庭に大きく育っている針葉樹、以前の持ち主が切りたがっていたが、ここのコーナーは毎年狂った運転手が突っ込んできて、柵や庭木をメチャメチャにしてしまう。この大木がなかったら、次にやられるのは彼らのリビングルームだろう。

2月に3回もやってきた嵐でこの木の枝が落ち、専門の庭師に来てもらって、木のてっぺんを切ってもらった。これでもう高くならないのだろう。

我が家の前庭にももう10年ほど前まで巨大なレッド・ウッド(アメリカ・ヨセミテ公園の有名大木)があった。根がはびこってきて水道管やガス管を壊すかもしれないというので、この人に来てもらって根元から切ってもらった。この人たち、さすがプロで彼ら自身のみならず、通りかかる人達の安全も完璧。私を覚えていてくれた。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュージカル・シンデレラ

2022-03-11 03:54:09 | ロンドン周辺

昨日ロンドン市内の劇場街のストリートでも一番有名なドルリーレーンで、ミュージカル・シンデレラを見に行ってきた。オペラファンの私は余りミュージカルに興味はなかったのだが、久しぶりの劇場に午後2時半からの公演と有って、期待しないで行った。

シンデレラと言えば女の子から女性ならみんな知っているストーリー、意地悪な継母と彼女の連れ子の意地悪な娘たちに小間使いのごとく扱われ、最後は王子様と結婚するというハッピーエンド。

ところがこの新しいラヴ・コメディのミュージカル、アンドリュ・ロイズ・ウエバーの最新音楽に合わせて動きの早い楽しいミュージカル、素敵な午後を過ごした。

舞台装置もきれいで素早く変化し、私が座った舞台から10番目あたりまでの座席が、お城でのダンスパーティの場面では舞台と共に回転して、円形舞台が劇場の真ん中に来るという最新装置に驚いた。

客席がすっかり空なのは、私がほとんど最初に入ったからで、始まるころには満席に近かった。

もちろん演技中には撮影できないが、最後の挨拶場面ではスマホでしっかり写した。

何しろ衣装が素晴らしい。音楽はもちろんのこと、歌手たちが皆そろっていて、一人一人素晴らしい声量、特に黒人4人を含む男性軍の演技や踊り、コーラスもすごかった。

苛め抜かれたはずのシンデレラも言いたいことははっきり言い、気の強い現代版の主人公。

一番冴えないマザコンの気の弱いプリンスチャーミングとは調度良い反対性格。

エンディングが普通のおとぎ話と違うから、これだけは種明かしをしないでおこう。

とにかく笑いが絶えない楽しいミュージカルだった。

昔1990年代、日本から友達が数日の旅行でやってきて、ミュージカル・キャッツの宣伝を見つけた。その時彼女が、あら、イギリスでもキャッツを上演するのね。ぉぉぉぉぉ・・・これには驚いた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポーランドへの支援物資のボランティア

2022-03-05 19:23:36 | ロンドン周辺

昨日金曜日3月4日、この地区の隣人コミュニティの長である隣の Mr J から、支援物資の箱詰めのヘルパーを募集しているメールが入った。

別に何も予定のない私、6時半に彼の車で連れて行ってくれる話が決まって、ぴったり6時半、迎えに来てくれた。

行ったところはルーシャムのポーリシュ・コミュニティ・センターでたくさんの人とものすごい量の物資に圧倒された。

センターの中の大広間に山積みにされた箱は大型トラックが2台来て,人海作戦、次々トラックに積み込まれて出発していった。

このセンターの前に広げたテントの中に積み上げられた人々からの善意の贈り物を、個別に箱詰めにして内容を箱の外に書き、税関への申請書を貼って、1箱上がり。

どれだけの数か判らないほどの赤ちゃんの紙おむつ、それにウエットティシュ、粉ミルク、歯磨きブラシと歯磨き粉、薬やプラスター、生理用品、シャンプーや石鹸、缶詰類の食料、スリーピングバッグ、何より思いもつかず驚いたのが、犬の食料。大きな20㎏入りの袋が3つそれに缶詰類ーこれが重くて持ち上げられない。

途中でポーランド人の主催者がヘルパー全員を中に呼んで、挨拶をしてくれた。

この日朝から箱詰めして、雨を避けるため前庭に張ったテントに入れていた物資は、近くの労働党支部の建物に移動させることになった。

隣りの MrJ の車からほか2台の乗用車がピストン運転で、全部運び、私たちが箱詰めにしたすべての物資も次第に運び出され、その労働党支部へ連れて行ってもらった。

このものすごい箱の山、これらは日曜日にトラックでポーランドへ運び込まれるという。

これらはこの1週間でもう30台以上のトラックがポーランドへ向かっていた。それもこのロンドンの南西地区だけで集まった救援物資。イギリス人の博愛人道精神にすごく感激した夜だった。

テレビでもあらゆる地方で救援物資を募っているのが映った。この日のルーシャム支部での報道はスカイニュースで映し出された。

 

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポーランドへの支援物資

2022-03-04 01:05:56 | ロンドン周辺

日曜日の夕方、我が家のある短いストリートとこの通りにT字型に交わる急坂の通りで作られているコミュニティの連絡網(インターネット)にポーランドへ避難しているユクレインの人たちを助けるべく、寝具やスリーピングバッグ、枕、オーバーコートなどそれに薬やプラスタ、生理用品などを寄付してくださいとのメールが入った。

もう50年近く家族も一時は6人にもなっていた我が家が、今では私一人、4ベッドルームにダブルベッド1つ、お客用にシングルベッド2つだけ。大きな押し入れ2か所にぎっしり詰まっている寝具をどうするかと思っていたので、これ幸い。

月曜日の朝起きるなり朝食も食べないで、押し入れの整理にかかった。

 

 

 

バックシートを倒してスリーピングバッグ4枚、これは昔から家族でキャンプに行っていた時のもの。

毛布6-7枚、枕8個 日本の布団に掛け布団など、そしてポールの着ていた冬用コート2枚と私のコート1枚を載せた。

これで車の後ろは満杯、わが家の近くから坂道を上った100-200メータくらいがメールの発信地。

若い女性メラニーがすべてを集めてルーシャムにあるポーランドの支援場所に持ってゆくという。

それで水曜日までにただ2つのストリートの人たちが持って行ったものすごい量の荷物で、とうとうポーリシュ支援部から大きなバンで取りに来たそうだ。

彼女のメールでの感謝状によれば、この数日で30台の大きなバンがポーランドへ向かっているそうだ。彼女が集めたすべてのものは水曜日の夜に英国を出るという。

早く行ってあげて少しでも苦しんでいるユクレインの人たちの助けになれば。

それに私の押し入れもどんなに片付いたことか。このコミュニティを教えてくれた隣のご主人に 死ぬ前にきれいに片づけておきたいから  と言ったら君より僕のほうが先に逝くよ。 と言われ、 私より先に死んではいけない、私にはあなたが必要なんだから   といって大笑い。彼はまだ50歳です。

 

今日3月3日はお雛様、桃の花を飾る日。 ここロンドンでは桃ノ木は見たことがないが、桃の花によく似たアーモンドの花が満開。

 

街路樹のこの花は花弁が零れ落ちてきている。

 

 

髭爺さんのお散歩日記で知ったウインタークレマティス。近くのは1月から咲いて街路樹にまで上っているが、写真の花は、今頃満開。

最後にこの花はわが家の近くの街路樹のプラムの花。毎年すごい数のおいしいプラムがなるが誰も食べないうちに落ちて道路を汚してしまう。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロンドンブリッジ から カナリーウォーフ へ

2022-03-02 21:50:10 | ロンドン周辺

このウィークエンドはまれに見る晴天で、昨日の土曜日よりももっと素晴らしい雲一つない青空だった。

30分に一本しかないウイークエンドの電車でロンドンブリッジの駅へ向かった。

 

駅へ行くまでの道路わき、ウインターチェリーが満開。

この日はロンドンブリッジ駅で友達と落ちあい、タワーブリッジを通って、ドックランドへ向かう計画を立てた。

ロンドンブリッジ駅はこの10年間で全く見違えるほど近代化して、日曜のお昼近く電車が来るたびに降りてくるお客以外はガラーンとしていた。友達の電車も直通の電車がなくて、1時間も待ってやっとお昼近くに会えた。

ロンドンブリッジ駅のグラウンドフロアーからテームス河淵に出るとすごい景観。

この地域も過去2-30年で完全に近代化して、私と同年代の友達がこんなに変わってしまったことを知らなかった。この前に斜めにかしいでいるような建物は、すでに3-40年前に作られて昨年までロンドン市庁舎だったが、借り賃が高いためどこかに引っ越ししたそうで今は空き家になっている。

タワーブリッジとロンドンブリッジの間に停泊しているのがHMSベルファストと呼ばれる巡洋艦で1933年に英国海軍によってつくられた。1963年に業務を終え1971年以来、海軍歴史博物館としてオープンしている。後方の高層建築物はシティ(City)のオフィス街。

世界一有名な橋と言えばタワーブリッジ、長さ244メーター、2つの塔の高さ65メーターのこの橋は1886年から1894年に完成した。ときおり背の高い帆船が入口する時跳ね橋が上がる。

昔ロンドンブリッジを売るというニュースで、アメリカ人がこの橋と思って飛びついた。買ったのが古いロンドンブリッジだった。今でもアメリカのどこかの砂漠に置かれているという。現在のロンドンブリッジは鉄筋のしっかりした、何の変哲もない橋である。

橋を渡って右に折れたところから初めに見るのがセント・キャサリン・ドック(St. Katherine's Dock)でこのあたりは早くに開発されて、周囲の住宅地は非常に高価だそうだ。このディッキンス インは18世紀からのパブ・レストランで有名。

 

途中の住宅の前庭にきれいな桜が咲いていた。昨年3月3日の私のブログに載せた桜は寒緋桜だった。これはいったい何と言う名前なのだろう。

こんな素敵なフラットなら住んでみたいと思う。同じデザインの建物が3軒ならんでいた。

このあたり、1970年くらいまではドックに運ばれてきた荷物を保管する倉庫で、ドックが廃れてくると同時に、使用しなくなった倉庫を改造したフラットになっている。この建物もクレーン・ワーフと呼ばれるからにはクレーンで荷物の出し入れをしていたに違いない。

 

もう100年以上は経っているであろうパブ。こんなのがテームズ河沿いに点在している。

この巨大なフラットも昔の倉庫を改良したものと思われる。赤のバルコニーがこの建物をモダーンに変えた。

 

 

川渕の昔の倉庫は今では高級フラットに変わっている。

 

1990年代三角屋根のカナリーウォーフがロンドンでは一番高いビルディングだった。

振り返ってみればシティも高層ビルが目白押し、あちこちクレーンが見えるからには建築ラッシュは続いている。

カナリーウォフの前のスクエアーの噴水のある庭には

この2体の銅像。有名な芸術家ヘンリーモアの作品。

カナリーウォーフの中にはロンドンの有名店がズラーっと並んで地下と1階を占める。天気が悪かろうが雪が降ろうともこのショッピング街は関係ない。周囲の高級フラットに住むヤッピーたちのショッピング地になっている。この中にDLR の駅も入っていてバンクへも行けるし、私が帰るルーシャムへも20分でいける。

 

昔のドックを利用して、水辺にモダンなビルがたちならんでいる。

 

 

 

このビルの壁面はメタルの凹凸と光の印影を利用して素晴らしい模様を作り出している。友達と二人感心して眺めていた。

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドックランド・リバーサイド・ウォーク (Dockland riverside Walk)

2022-03-01 19:55:07 | ロンドン周辺

グリニッチの一番の観光名所と言えば天文台とこの帆船カティサーク、この船は1869年中国から英国へお茶を運ぶ目的で作られた当時では俊足の帆船だった。1880年代の蒸気船の台頭により茶の輸送は終わり1895年までオーストラリアから羊毛の輸送船として活躍した。その後ポルトガルの会社に買われたが1922年英国が買い戻し英国南部ファルマス(Falmouse)で若い船員の練習船として活用された。1938年にグリニッチに転送され、当時若いエジンバラ公の元で近くの海軍士官学校の練習船として活躍、1954年から現在地のドライロックに収まっている。

このカティサークのすぐ近くテームス河の下を通るトンネルがある。

このトンネルは歩行者オンリーで1902年にオープンした370メータの歩道。自転車の人たちもこの階段を担いで上り下りするが、トンネル内は乗車禁止。両サイドにはエレベーターもあるが、この日は動いていなかった。

この写真はIsle of Dock(ドックランド)から見た旧海軍士官学校。

ドックランドは船が停泊するドックからつけられた名前で、犬のドックではない。

ドックランドが活躍華やかな時代は19世紀から20世紀初頭のビクトリア時代でこの大きな煙突はここで鉄工業を行い、近くの

 

ドックで当時最大の鉄性の巨大輸送船を建造中だった。この時活躍したのが、英国の産業革命に一番貢献したイサムバード・キングダム・ブルネル(Isambard Kingdom Brunel)(1806-1859)

(ロンドンオリンピックの開会式にジェントルマンの格好をしたたくさんの男性これがブルネル)

せっかく作った巨大輸送船は役立たずで、ブルネルにも失敗作があったのだとこの時知った。

 

ドックランドは巨大輸送船がここのドックに停泊することがまれになったため、貧民街だった。

1980年末から1990年代サッチャーさんがここを開発する計画を立て、ロンドンで初めての高層建築が実現した。

こんな素晴らしいフラットだが決してマンションなんとかとは命名しない。

30年前私が働いて居た日系企業がこのドックランドの中心地カナリーウォーフにオフィスを借り私も1年ほどここへ通っていた。その頃はこんな新しいビルは建ってなくて、三角屋根のカナリーウォーフと呼ばれるビルが一番高かった。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の英国事情とグリニッチ公園

2022-03-01 07:15:18 | ロンドン周辺

先週木曜日2月24からコロナに関しては、規制全廃。感染発病しても、自己隔離など規制が取れて隔離しなくてもよい。マスクも撤廃。コロナはインフルエンザと同等に扱ってよいとのこと。

確かに最近の感染者は少なくなってきていて、日本の半数くらいが続いていた。それでも死者は200人前後、そのうちの90パーセントはワクチンを打っていない人たちで、各自の責任において感染予防や闘病などするべきで、政府は知らないよーとすべてを打ち切った。

この土曜、日曜日はこれが2月とは思えないほど素晴らしい良い天気で、明るい太陽がうれしくて、一人でグリニッチへ出かけた。

電車を乗り換えて、ドックランド・ライト・レールウエー(DLR)で20分ほど。電車でもDLRでも乗客の半数はマスクをしている。政府がもうしなくてもいいよと言ってもコロナウイルスは消えてなくなったわけでない。まだまだ感染したくない人たちは、マスクをするしか自己防衛の手段がない。

 

コロナの最盛期には静まり返っていたグリニッチ・マーケットが今ではすごい人の群れ。

 

 

 

手作りの小物やイヤリング、ネックレスなどから今はやりの肉厚植物の鉢などあらゆるものが小さなストールで売られている。

 

 

食べ物のストールも出ているが皆手作りなのだろう。とっても高い。それでも観光客は記念に買ったり、食べたりしている。

 

カーネーションの前に済ましている狐君、なんとなく悲しそうに見えるのは私だけだろうか?

小さなストールが50軒くらいは出ていたが、写真だけ映して何も買わず、グリニッチ公園へ行った。

 

 

天気が良い日のグリニッチ公園は殊の外素晴らしい。手前の長い廊下を持つ建物は海洋博物館 とクイーンズハウス。その後ろに見えるのはテームス河を挟んでドックランドの真ん中に開発されたオフイス群とフラット群。

クイーンズハウスはギャラリーになっている。

 

丘の上の天文台。この建物の中に引かれた線が子午線で人はこの線をまたいで写真を撮る。

公園の坂道を登って、春の花咲く植物園へ行ったら、1週間前の嵐で公園内の木々が倒れて当分閉園だと言う。

ガッカリしてテームス河ぶちの旧海兵士官学校を歩き回った。

 

私が英国へ来た50年前にはまだこの巨大な白亜の建築群は、英国海軍の士官学校だったから真っ白の制服を着たエリートの若者たちを見かけることがあった。

いつの間にか学校はサウザンプトンに移転し、今ではグリニッチ大学になっているが、敷地内はどこでも歩ける。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする