Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

1月のロンドンから

2024-01-28 23:01:37 | 日記

昨年1年間我が家の近くのヨガ教室で、ヨガの初歩を習ってみたが、この年でどれだけ頑張ってみても、関節も筋肉も硬くなっていて、進歩しない。それで1月の最初のレッスンの日先生にメッセージを送り、これから水泳を始めるからヨガを辞めると伝えた。

水泳は電車で2駅目にあるベッケンナム市が経営するスポーツクラブで、予約支払いをした翌日から1週間に3回行っている。もう30年近くもプールで泳いでいないから、5往復しただけで息も絶え絶え。やっと7往復できるようになった。これからづッと続ければ20往復ができるようになるだろう。これは今年82歳になる日本人の友達が何年も前から20往復しているとのことだから。

昨年11月ころまでロンドンの北にある図書館で日本語の本を借りてきて読んでいたけれど、借りると早く読んで返さなければと、家事も何もせずにひたすら読書、これではいけないと借りないことにした。

インターネットの青空文庫に50年以上たった日本語の本はタダでよめる。昔夢中で読んで英国へも10冊以上も持ってきた山本周五郎の本が青空文庫に100冊近くも載っている。それであいうえお順でアから読み始めたが、かの有名な作家でも週刊誌などで追われて書いている短編には、駄作も多いのが判って、キ迄読んでやめた。

その頃孫のジュードが毎晩寝る前に読んでいるというマイケル・モーパーゴ(Micheal Morpago)の本が面白い。10代初めの少年小説でこの人の一番有名なストーリーが War Horse 第1次世界大戦に駆り出された農家の若い馬が主人公で、このストーリーはイギリスの舞台でも上映されている。

此の作家はほとんど第一次世界大戦のことを書いているが、ジュードから借りた本で Shadow というアフガニスタンからの親子のストーリーなど子供の本とはいえ涙してしまった。

こんな少年小説は2日で読み終わることができ、彼がクリスマスにプレゼントにもらった20冊ほどの本を次から次と読んだ。やっぱり大人の本がよみたい。

1月半ば今まで買ったりもらったりした読み終わった本20冊くらいを、リュックに詰めてセントジョンズ・ウッドの図書館へもっていった。図書館の前の本棚にあるのは安く売る本で、その前で若いイギリス人の男女が日本語の本をあさっていた。それで話しかけたところ大学で日本語を習っているそう。

私の持ってきた本で、彼らが面白く読めそうな本を15冊ほど上げた。学生ならタダでもらうほうがうれしいだろう。この二人大喜びで持って帰った。

この日借りた本がいまだにまだ読み終わらない。というのは此の1月から娘は今まで働いていた週3日の女子校と近くにある男子校を掛け持ちで週5日働くことになった。この男子校はここブロムリー地区で一番良いとされていて、娘の住んでいるところと学区が違うからジュードは11歳から入れない。

しかし先生の子供なら別というので、娘は頑張って働くようになった。フルタイムの先生は日本の会社員と同じで就業時間が終わっても、すぐ帰宅できない。それでこの私ナナ(おばあちゃん)が駆り出されることになった。火、水、金の3日ジュードの学校が終わると迎えに行き、帰宅して宿題を見てやり、どちらかの親が帰ってきて私は解放される。

さて借りた本の中で初めに読んだのが米原万里さんの ロシアは今日も荒れ模様。この人の本はとにかく面白い。ペレストロイカでおなじみのゴルバチョフの話題と彼を毛嫌いしたエリツインの話など、大いに楽しませてもらった。

そして次はランディ・山口というアメリカ人で 日系軍医のヴェトナム戦争 サブタイトルに地獄絵図の捕虜収容所から脱走した戦慄の手記 と書いてある通り本当に恐ろしい。人間がこれほど残酷になれるのかと思う。世界中の戦争したがる若い人たちに読んでもらいたい本。

ウイークデイは忙しくて友達ともゆっくり会えないので、先週の土曜日、ロンドンのテイトモダーンで会った。

此の美術館は1947年に造られた火力発電所だったが、煙の公害がひどくセントポール寺院の川向のため、発電所としては1981年に閉鎖して、2000年近代美術館として発足した。

上の写真でもわかる通りターバインホールは8階迄突き抜けで、いつもアッと驚くような芸術作品がさがっている。

此の日の展示品は1944年生まれのアフリカ人Anatui という人の作品でたくさんのアシスタントと作った作品で大変驚いた。

遠くから見るとなんだかぼろのようなものがぶら下がっているように見えるが

ひやーこれは何だ。これらがすべて手作り、それも廃品のようなものがびっしり埋め尽くしている。

幕の裏側、切り刻んだコーラのアルミ缶やワインボトルのトップのアルミホイルなどあらゆる色と廃品を使ってこんな芸術作品、

何十人のアシスタントを使ったか判らないがこの一つ一つが手作りで気が遠くなりそうな色の集合体に全くあっけにとられた。

 

 

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ブライトンのロイヤル・パヴィリオン(Royal Pavilion)

2024-01-02 08:09:41 | 日記

今朝はあけましておめでとうと一声書いて、昨日準備をしていたパヴィリオンのことを書こうと思っていたら、能登の地震のニュース。とってもおめでとうとは言えない。

私は輪島高校の出身なのです。警察官だった父の関係で、小学校1年生の時に金沢近くの松任から奥能登へ引っ越しして、高校3年間は輪島近辺の駐在所で過ごしたもので、もう60年もの昔になりました。

金沢へ電話し、NHKWorld を見て輪島の町が燃えているのを涙ながらに見ていました。日本国内にいてもどうしてあげることもできないのに、こんなに遠く離れた英国から、輪島の友達には電話もできない。

無事を祈るばかり・・・・

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昨年末3泊4日でブライトンのユースホステルで過ごし、孫のジュードとパトリックがパヴィリオンでアイススケートをするというので見にいってきた。

 

パヴィリオンの裏庭に作られたスケートリンクで大人も子供も大喜びで滑っている。初めて滑るジュードは転んでいるほうが多いか、手すりにしがみついているほうが多い。

此のパヴィリオンは英国に来た51年前と今から2-30年前の2回は行ってみたことがあるが入場料が高くそれに内部が写真禁止だったから、今回も行かないと娘に言った。

彼女が入場してきて写真可と言い、昨年加入したArt Fund のカードで無料とのこと。 

此のRoyal Pavilion は英国王室の別荘だった宮殿で、1787年当時まだ皇太子だったプリンス・ジョージ(のちのキングジョージ4世)が夏のホリデーにロンドンから近い海辺の町ブライトンにインド・サラセン様式の宮殿を建てた。

 

内装には中国の影響が多くみられる。

ダイニングルーム。

此の宮殿の見ものはこれらエキゾチックなライト と天井。

派手で遊び好きなキングジョージは此の宮殿でロンドンからやってくる貴族とパーティに明け暮れた。

だから宮殿の台所は非常に大きい。

此の丸い絨毯は機械織りなのだが非常に大きく、どうやったらこんな巨大サイズの円形ができるのだろうか想像できない。

此の宮殿最高の素晴らしいミュージックルーム。多くの貴族はこの部屋でダンスに興じた。1975年この部屋が放火され、再建に7年かかったという。

今年の干支ドラゴンの壁飾り、

 

中国系のシャンデリア?19世紀初期は中国やインド、日本の文化がもてはやされた。

これらも中国のデコレーション。

1914年から1916年このパレスはミリタリーホスピタルに改装し、第1次世界大戦で傷ついたインド兵を看護した。720床のベッドで2300人の患者を看たとのこと。

 

ヴィクトリア女王のベッドルーム。ベッドのマットレスを6枚も重ねた中で寝ていた女王様、此のパヴィリオンが気に入らなくて1850年にブライトン市に売り払い、その金でワイト島に宮殿をつくった。

ロンドン・ブライトン間に鉄道が施設されたのは1841年でロンドンからの観光客がブライトンへ押し寄せたため、1850年ブライトン市が一般公開を始めた。

非常に大きな建築物に王家のベッドルームには秘密のドアがついていたりで、孫のジュードも結構楽しんでいた。

 

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