Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

デンマークキャンプ旅行ークロンボー城とファラクスボー城(Frederiksborg)

2013-07-31 08:56:23 | 北欧キャンプ旅行 2013

 

ヨテボリ(Goteborg)の南海岸線は海が砂浜遠浅で魚釣りにはむかない。それにフィヨルドも岩山もなくなって景勝地とは言いがたく、何週間もこのあたりで過ごすホリデー客も少ない。一泊だけ遠浅の海岸線でキャンプして翌朝ヘルシンボリ(Helsingborg)から対岸のデンマークの港町ヘルシンウァ(Helsingor)へフェリーで渡ることにした。

 このヘルシンボリの南の町マルモ(Malmo)からコペンハーゲンまで長い橋が架かっているがこの通行料金がフェリー代と変わらないくらい高い。今回は直接ヘルシンウアから北部のキャンプサイトへ行くつもりだったから、デンマークが対岸に見えるヘルシンボリの港へ急いだ。

港へ着いたのが12時5分前、フェリーは12時に出航する。5分の間にフェリー代を払いファリーのおなかへキャンパーを進ませた。停車した頃にはもうフェリーは出航していた。

 

  

 

この上2枚の写真はヘルシンボリの港町、フェリーにはバス一台分の中国人らしき観光団体が乗っていて、私たちのキャンパーを珍しそうに見ていった。キャンパーが珍しいのではなく東洋系の私が乗っているのが珍しかったらしくカメラを向ける人までいた。

  

フェリーはただの20分でフェルシンウァに着いた。この町の海辺にはクロンボー(Kronborg)城が見える。シェイクスピアがこの城を舞台にハムレットを書いたため一躍有名になり、毎年夏、この城でハムレット舞台劇が公演される。

 6年前にこの城の内部を見て周り過去のブログに詳細を記してある。

 

デンマークは全く山のない農業国で、郊外は麦が黄金色に実り、この旅では初めてのけし畑を見ることができた。

  

ヘルシンウァとほとんど同緯度にあるヒラオルー(Hillerod)はコペンハーゲンから電車で1時間の距離にあり郊外の静かな町だが、ここには素晴らしいファーラクスボー(Frederiksborg)宮殿がある。

 

6年前にも見学したがあまりの素晴らしさにもう一度見たいと思った。なんと言っても今までの6週間近くこんな華麗な文化に触れることなく海や山や氷河を見ての旅だったからかも知れない。

  

キャンプサイトに落着いて、午後すぐ歩いてお城・宮殿まで行く。

 

6年前も写真を取り捲ったものだが撮らずに居れないほど豪華絢爛の教会や、大広間で改めて感激。

  

またもや英国ジョージ5世に嫁いだデンマーク皇女・メアリーの肖像画に魅入った。この美しい皇女は現エリザベス女王の祖母にあたる方で夫のジョージ5世が厳しい人だったそう。反動息子のエドワード8世はアメリカ人のシンプソン夫人と恋仲になり王位を捨てた。

それでエリザベス女王の父にあたるジョージ6世に王位が回ってきた。

この詳細は数年前にアカデミー賞を受賞した英国映画”Kings Speach”に見ることができる。

  

3階の絵を集めた部屋に有名なフランス革命の絵とそれに摸したデンマーク革命?の絵が面白かった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デンマークキャンプ旅行ーヒラオルー(Hillerod)キャンプサイト と 入院・手術

2013-07-29 19:08:52 | 北欧キャンプ旅行 2013

 このキャンプサイトは歩いてお城(宮殿)へ出かけられるだけでなく、デンマークの首都コペンハーゲンにも近くて、6年前このサイトに落着いて4泊して観光に出歩いた。

 今回お昼近くにサイトのレセプションへ行くと6年前と同じ若くて愛想のよい女主人アネッテ(Annete)が迎えてくれた。まるで長い間会わなかった親友にでも対するようで、彼女の笑顔がパーッと輝いた。

アネッテとパートナーのタコ(Taco)の努力でこの寒い国でオリーヴが元気に育ち南国の花カンナが咲き乱れている。庭のハーヴは誰でも料理に使ってよいと言う。皆がのんびり和気藹々としていてとってもいい雰囲気だった。

 

 

 

 

一晩の予約をして午後ファーラクスボー(Frederiksborg)宮殿を見学してきた土曜日の夕方腹痛が始まり日曜日早朝痛みは盲腸部分に限定されてきた。

痛みは激しく亭主がアネッテに助けを請い、キャンパーに来てくれたアネッテはドクターに連絡し彼女の車で救急病院へ連れて行ってくれた。

 即入院、ドクターが2人かわるがわるに来て盲腸と診断、夕方手術すると言われた。

私たちはもう10年もキャンパーでヨーロッパ中を旅しているが、一度も旅行保険をかけていない。なぜならEU圏内には共通の医療カードがあって、どこの国でも無料で医療が受けられる。

 この朝病院の受付に医療カードを見せて以来、一度もサインすることも無く、請求書が来ることも無く退院するまで職員も患者もとっても親切に対してくれた。

このヒラオルー病院は6階建ての巨大な建物で亭主は訪れるたびに迷ったと言う。日曜日夜9時から始まった手術は全身麻酔でキーホールサージョリーと言う最新のテクニック。

翌日午後には退院できると言われたが、麻酔が体に合わないせいか吐き気と目眩そして血圧低下がひどく火曜日朝まで苦しい回復期を病院のベッドで過ごした。

 火曜日の朝食は薄いライ麦パン半分とひまわりパン半分、そして薄いチーズ一枚と紅茶だけ。どこの病院食もこんなにまずいとは思わないが、気分の悪い時にはこのようなぱさぱさな食べ物はのどを通らない。向かいのおばあちゃんのお膳にゆで卵が乗っているのを見てうらやましく思った。

 デンマーク国民のほとんどが完全な英語を話すので不安は全然無かった。看護婦さんで一人だけ英語のできない人がいて患者のおばあちゃんに翻訳してもらって私にいろいろ聞いたこともあった。

 

 

亭主が着替えを持ってきてくれすぐシャワーに入って退院したのは朝10時ころ、キャンプサイトへ戻るとアネッテとタコが大喜びで迎えてくれた。タコはオランダ人で昨年この国に帰化したらしい。

キャンパーに戻って先ずは亭主にお願いしたのはポリッジ(オートミール)で1杯分食べてすぐ2時間も寝てしまった。これでやっと回復したらしい。

夕方には気分も良く翌日から2日分の食料をスロークッカーで作り出発の準備をした。

盲腸の痛みは無いが3箇所穴を開けられた腹部の一箇所が痛む他はキャンパーでの帰国も大丈夫そう。

ヨーロッパを3日で縦断して土曜日の朝フランスの港ダンカークからドーバーへのフェリーを予約するのにキャンプサイトのWifiにお金を払ってパスワードをもらう。

タコがくれた特別パスワードがappendix(盲腸)には大笑いしてしまった。

水曜日朝アネッテとタコにお礼とさよならを言ってデンマークを後にする。キャンプサイトから最南端のフェリーポートまで184Kmフェリーは45分でドイツの北・プットガーデン(Puttgarden)に着き一気に南下デンマークもドイツも高速道路は時速120kmまで出せるし、天気は最高。この時期ドイツは35度はあったがキャンパー内に冷房装置が無くキャンパーの窓を全部開け夜を過ごし、蚊がたくさんキャンパー内でヒッチハイクをしていた。いつもは私の蚊に対する反応が激しいが何と今回の手術の影響か、一度も刺されなかった。この日一日で550kmも南下した。亭主ががんばってくれた。

今回ラッキーだったのはこの病気発生が旅の初めでなかったこととノルウエーでなかったこと、なぜならノルウエーはスカンディナヴィアで只一国EU に加盟していないから。

土曜日の朝無事に我が家に着きやっとゆっくりできるようになった。来年はキャンパーでロシアへ行きたい。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする