Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

東ヨーロッパの旅 11 ルブリン

2011-08-22 21:59:09 | 東ヨーロッパの旅 2011




ヤスナ・グラ僧院を訪れた夜、翌日は首都ワルシャワを訪れる計画をしていたが、急に気が変わってルブリンへ行くことにした。ガイドブックを見るとルブリンの街には旧市街やルブリン城が在り又市電で20分でアウシュヴィッツより規模の大きい強制収容所に行けるという。

ルブリンまで320kmくらい、高速道路は100kmくらいで飛ばしたが、国道のいたるところで道路工事をしていて、遅滞を強いられた。この中央部は山らしいものがなく、肥沃な農耕地帯、麦畑に矢車草が満開であちこちブルーに見える。又この地域で始めて蕎麦の花盛りの畑地を見た。ポーランドのスーパーでは蕎麦の実を売っていて、珍しいものだから一袋買ってみた。英国では見たことが無いからお土産に買って帰ろうかと思っている。





ルブリンのキャンプサイトは市民が泳ぎに来る湖の側にあり、街まではバスで40分くらいかかる。







キャンプサイトについた日はゆっくり休んで、翌朝バスで街へ出かけた。サイトの前のバス停は一時間に一本のバスで一キロ離れたバス停から2本違うバスが出ている。遠くにバスが止まっているのが見え、あせっていったものの2分遅れで目的のバスは出てしまった。次のバスは30分待ちやっと乗り込んだのに、途中の道端で停まってしまった。
何事かと思ってみていると遠くから大勢の人たちがゆっくり歩いてくる。バスに乗っていたお客も運転も降りて行列がやってくるのを静かに見ていた。

翌日になってやっと判ったことだがこの日はカソリックのお祭りで2年前から国民の祭日だったそうな。ご神体を中心に歩いてきた団体はバスの停まっている前で右折し、角にしつらえてあった祭壇でお祈りを始めた。皆熱心な信者で、道路にひざまづいてお祈りしている。バスの運転手もお客の若者たちも道端にひざまづいて祈っていた。








30分も待ってやっとバスが動き出し、ルブリンの町のメインどおりにかかる角でおろしてもらい、旧市街を目指す。すると今度はもっと大掛かりな祭典が合同記念碑のある広場で行われていて、大変な人出だった。






人垣を抜け旧市街へ向かったが、レストラン以外はすべて閉まっていて、旧市街のインフォメーションも閉まっていた。これはとんでもない日に来たものだと思いながらドミニカン修道院の中をのぞいてみるとほとんど誰もいない。あの祭典はこの修道院から出発したものと思われる。





白亜のルブリン城は17世紀に作られ今は博物館になっている。ところがここも閉まっていて、320Kmもの距離をこの町とお城を見たいためにやってきたのにと嘆きつつ、旧市街を後にした。郊外にある強制収容所もこの分ではしまっているに違いないと諦め、新市庁舎の屋上から吹き鳴らすトランペットが物悲しく聞こえる








ご神体の通った後にはバラの花びらが一面に散っていて、これは白いドレスを着ている女の子たちが行進の道すがら撒いて行ったからだ。




広場を取って返しても祭典は続いており、バリトンの男性が歌っていたが過去3日の修道院の歌声から見るとあまりうまいと思えなかった。





バス道を離れたところに故ヨハネ・パウロ2世がローマ法王になる前、教鞭をとっていられたカレッジがある。その名もヨハネ・パウロ2世カレッジと命名された。



又そのすぐ近くに、巨大なマリー・キューリ婦人の像と彼女の名前を冠した大学があった。キューリ婦人がポーランド人であったことをはじめて知った。








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