キャンプサイトに泊まらない時は、電気が引けないのでテレビやDVDが見られない。昔はテレビが無くても困らなかったのに、いったん便利な生活に身をゆだねてしまうと、なかなかそこから出られなくなる。まるで麻薬と一緒かも。村の道端で一泊したときは安全に関してはあまり心配しなかったが、車のバッテリーの電気では明るくないし、テレビがないと静か過ぎてつまらない。
もう一箇所に開いているキャンプ場を捜し求めて、とうとうたどり着いた。そのイオニアンビーチキャンプサイトには英国からのキャンパーが2台も停まっていた。
一台は長さ9.5メートルの豪華キャンパーで、40代の夫婦と犬一匹、キャンパーの外に暖かいお湯が出るシャワーまで備えられて、犬が転げまわって汚れるとシャワーで洗っていた。
あまり大きなキャンパーではギリシャの田舎道を走り廻ることはできない。それで彼らは小型車をレンタルして、あちこち行くとのことだった。このキャンパーの夫婦、ビビアンとアランはギリシャで働いて生活するのが夢だった。二人とも良い仕事を持っていたのに、すっぱりと辞めて、家を売ってこのキャンパーを買ったという。
アランはヨットのスキッパーの仕事を求めて北の港まで面接に行ってきたがだめだった。それでも今もそのイオニオン・キャンプサイトに住んでいるところを見ると、何か仕事が見つかったのかもしれない。ビビアンには私のコンピュータを見てもらったり、オペラのDVD を貸してもらったりして、数日3台のキャンパーが行き来して、仲良くなった。
もう一台は6メーターのキャンパーに30代の男性と犬一匹、彼はほかに6メーターのトレーラーを引いていて、3ヶ月前に英国を出てフランス、スペイン、ポルトガル、スペイン、フランス、イタリアそしてギリシャの海岸線を全部走りこのサイトに到着したという。トレーラーの中には発電機を持ち4輪バイクと家庭用サイズの洗濯機を載せていた。水道をつなげば洗濯機を使えるようにしてあるという。彼の名前を聞くのを忘れたから私たちの間では”洗濯機ボーイ”と呼んでいた。彼は最終的にキプロス島へ渡ってそこで溶接工として働きたいといっていた。やはり働かないで、何年も遊んでいるわけには行かない。
キャンプサイトは大きく、良く手入れのされた庭には今もブーゲンビリアとハイビスカスの花が咲き、英国では決して見られない琵琶の花が真っ盛りだった。
キャンプサイトから2Km離れた村には小さなお店が2軒あり、散歩兼ショッピング、村にはおじいさんが3人道端のテーブルで、ウゾ(アニス酒)を飲んでいたが、ほかには誰もいなくて、遠くてオリーヴの木を切っているモーター音がするくらい静かだった。
初日には荒れ狂っていた海も3日目には静かになりそれから3週間も晴天が続いた。
こんな片田舎の人口も少ないだろうに、教会だけはりっぱだった。
ビワの上の赤いアオイ科の花はハイビスカス Hibiscus rosa-sinensis(ぶっそうげ)でしょうね
(ごめんなさい どうしても花に目が一致屋います(^^)/)