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Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ウオレス・コレクション(Wallace Collection)のグレイソン・ぺリー

2025-06-09 04:48:59 | 日記

ロンドンの都心オックスフォードストリートの大デパートメントストアー セルフリッジの後ろ歩いて5分ほどにあるこのお屋敷ハートフォード・ハウスはウオレス・コレクションと呼ばれる。

ここは元サーとレディ ウオレスのお屋敷で彼らが集めた美術品が展示されている。

そして6月6日金曜日、日本人の友達2人と一緒に特別展グレイソン・ペリーを見にやってきた。

この人、今年65歳の芸術家、奥さんも子供もいるがトランスベスタイ(服装倒錯者)で今は中年女性の服装をしているが、20年ほど前にテートブリテンで受賞したころは、かわいい女の子のフリルを付けたドレスなど着ていた。

10時半には集まっていたからすぐ入ろうとしたらチケットはオンラインでなければ入れないというので、外のベンチでやっとアクセスして11時15分に入場。会場は地下の3室。

 

変なバッジやボタンなどが張り付いてこれがアート? この人コメディアンの要素十分。

 

 

深刻で気取った胸像、しかしうぬぼれの強い人よりもユーモアのある方が良いと説明書き。

 

マンガみたいなポット、この人女装する時は、自分をシャーリー・スミスと言う名前

シャーリー・スミス

 

子供時代のクマさんアラン・ミーズルと子供時代の私シャーリースミスがサーとレディウオーレスに会っているところ。 戦争時代の爆弾で空は火事の様子。

シャーリースミスは家系図に特別興味を持っている。精神病も血統のせいだろうか?

木の幹に描かれている顔が自分(グレイソン・ペリー)。

 

グレイソンが実際来ていたドレス 男性のサイズだから巨大

幅3メーター高さ2.5メーター(およそ)の タペストリー

タイトルが The Story of my life 

 

リバティと共同して作った壁紙

 

精神病院へ入ったシャーリー・スミス

ウールのカーペットでタイトルが天国の門  気絶したシャーリーの周りにはあらゆる凶器が散らばっている。

 

木綿と刺繍とアップリケのベッドカバー タイトルが  I Know who I am (私は自分がだれか知っている)

    偉大な妄想      本当に最初から最後まで分からなかった。

これがモダンアート?

 

 

 

 

 

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雨の日は美術館へ

2025-06-07 05:21:02 | 日記

今年4月、5月は晴れの日が多かった。つい最近まで水源地が乾いてきて、この夏は水不足になると騒いでいたが、最近聞かれなくなった。

毎週火曜日と木曜日は近くの青空マーケットが開かれる。昨日6月5日の木曜日は朝からしっかりと雨が降った。

こんな日は久しぶりに美術館へ行って見ようと、傘をさして駅へ向かった。

ロンドンブリッジから、テームズ川の南川渕をあるいて10分、昔の発電所を改造した巨大なテートモダーンの美術館がある。

 

雨の日は無料でのんびりできる美術館へは私だけではないらしい。こんなに入館に行列を作っていたのは初めてだった。

それと言うのも今まで一度もなかった、手持ちバッグの検査をやっていた。

入ったところのターバインホールは何十メーターあるのか天井まで吹き抜け。

長いエレベーターで2階、3階の常設絵画や作品を見て歩く。

韓国生まれのリーウファン(Lee Ufan)1936年

タイトル・・・From Line 1978年 

 

パシタ アバド(Pasita Abad)のキルテッド・キャンバス

パシタはフィリッピン生まれ、法律を学び渡米後アートに転向してアジア、アフリカ,ラテンアメリカを旅し、この強烈な色彩と布地の作品を展示する。インドネシアのバティック、韓国のブラシによるペインティング、マクラメ(Macrame)と呼ぶパプアニューギニーのKnotted Textile、フィリピンの縫物の技術などから作られた作品。

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso) 1881-1973

シミーズで座る女 ピカソの妻でバレーダンサーだったOlga Khokhlova (1891-1955)を描いたもので彼がモダンアートだけでなく多彩な手法で作品を描いたものと言われる。

  

エドガー・デガー(Edgar Degas)1880-1922 14歳の小さな踊り子

この像はブロンズ+モスリン+シルクから成る。ブロンズは何体でも作られる。

 

ナタリア・ゴンチャロヴァ(Nataria Goncharova) 1881-1962

ロシア生まれ、ロシア、スペイン、スイス、フランスで活躍。

絵のタイトル・・・リネン  男性のシャツのカフスや襟、女性のレースなどの洗濯もの。

アバス アカヴァン(Abbas Akhavan) Studay   for Monument

チグリス+ユーフラテスの植物をワックスワークからブロンズにしたもの。

多色の糸を下げて素晴らしいデコレーションにしたもの。

この反対側の一部屋でアメリカのビキニ島での原爆の実験フィルムを見せていて余りのショックで、この部屋のきれいな飾りのようなアートが誰の作品かも見ないで出てきてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ケンウッド・ハウスの素晴らしい絵画 (Kenwood House)

2025-05-28 01:57:27 | 日記

ロンドン北部のハムステッド(Hampstead)の公園に有るケンウッド・ハウス(Kenwood House)でアメリカ人画家の展覧会が有るのを知り、久しぶりの雨の中一人で行ってきた。

私は昨年夏ローマの壁を歩いたときに、イングリッシュ・ヘリテイジのメンバーになり、このケンウッド・ハウスの案内が来たわけ。入館してメンバーのカードを見せてすぐ2階へ。そこには常設の中世の絵画がたくさん飾られてある。

ダイアナ・セシル オックスフォード伯爵婦人 (1619年)

アン・セシル スタンフォード伯爵夫人(1615年)同じ服を来て同じポーズをとっている二人まるで双子みたい。

17世紀の男性の礼服、上の男性はイヤリングまでしている。

JMW ターナーの漁師のいる海岸風景 (1615年)

ギターを弾く人 フェルメール 1675年

レンブラント自画像 1686年

ケンウッド図書館 壁をぎっしり埋める羊皮紙の本、本当にこれらを読んだことの有る人たちがいたのかと疑問???

さてここから特別展 アメリカ人ポートレート画家 ジョン シンガー サージェント(John Singer Sargent)

入口の壁を飾る2枚の絵、モデルはわからない。

ナンシー・アスター(NancyAstor) Viscountess(子爵婦人)夫のウォルドルフが1919年子爵になったため彼女は政界に出て女性の権利を主張する。1945年まで政界に身をおいた。

ミセス・ジョゼフ・チェンバレン(Mrs Joseph Chamberlain )1864-1957 はアメリカ マサチュセット生まれロンドンナイツブリッジで死す。彼女はバーミンガム出身の政治家ジョゼフ・チェンバレンと1888年ワシントンの英国大使館で結婚。当時の大統領グローバ・クリーブランドも出席したと言う。1914年未亡人となったが彼女の義理の息子Neville Chamberlainは首相になった。

ミセス(レディ)エディス・チェスター・ビーティ(Mrs (Lady)Edith Chester Beatty)はNew york 生まれ(1886-1952)ケンジントン・パレス・ガーデンにて死す。

彼女は離婚後2度目の結婚にAlfred Chester Beaty と結婚ケンジントン・パレス・ガーデンに移り第一次大戦中自宅を赤十字アメリカ軍の傷病兵に開放、経済豊かな夫君のお陰で、モネ、レノアー、セザンヌ、ゴッホの絵を買い集めたり、エジプトのパピラスや、中国の刺繍、フランスの家具などの収集をしたり、馬の育成や養豚までした。

この人の英国での活躍ぶりを見ると数年前テレビドラマで有ったダウントン・アビーの20世紀に入ってからのお城を維持していくため、あらゆる事業に取り組んでいたのは、彼女のような人たちの活躍ぶりを知ったためかもしれない。

アラバマ生まれ(1879年)テルマンストン・ケントにて死す(1958年)Grace Elvino Curzon Nee Hinds グレース・エルヴィノ・カーゾンはアルゼンチンのアルフレッド・ダガン (Alfred Duggan )と結婚1905年ブエノスアイレスからロンドンに移住し、第一次大戦時には赤十字で活躍、アルフレッドの死後1800万ドルの遺産相続、1917年政府の要人ロードカーゾンと結婚。

上流社会で浮名を流した。このチャコールで描かれたポートレートはカーゾンが特に気に入ったと言う。

ポーリン・アスター (1898年)NY 1880年生まれ1972年ガンジー島にて死す。ポーリンはアスター家の富裕層の一員として生まれたが父親のWilliam Waldorf Aster が英国へ移住した。彼女の14歳のときに母親の死で彼女はテームズ河畔のCliveden の女主人として成長。キャプテンハーバート・スペンダー・クレイと結婚。Greathed Manor に移住し1920年アメリカンガーデンを創造。第一次世界大戦時に回復期患者のために家を明け渡し、ナースとして働く。後にガンジー島に移住。

この絵は彼女の18歳の誕生日記念に父親のコミションで描かれたもの。非常に大きな絵。

ミセス・ウイルトン・ヒップス(Mrs Wilton Phipps) Dame Jessy Wilton Phipps nee Duncan

1855NY 生まれ1934年チャーレイ・ウッド ハートフォードシャーで死す。

ジェシー・ダンカンはNYの上流階級で生まれ育ち、ウイルトシャーのウイリアム・ウイルトン・ヒップと結婚。ローカルのロンドンカウンティカウンシルで働きDame の称号を得た。彼女の夫はブラジルからコーヒーを輸入していたが1911年彼の死後彼女の仕事は増えた。ところが彼女の視覚が悪化しロンドン・セントラルカウンシルのロンドン・ブラインド(視覚障害)で働くようになった。この絵は彼女の母親がサージェントの従姉妹にあたりポートレートを依頼したもの。

 

デイジー・レイター(Daisy leiter) 後にマーガリーター・サフォーク伯爵夫人。1879年シカゴ生まれ、1968年カリフォルニアで死去

レイター3姉妹メアリー、ナンシー、デイジーはいずれも英国男性と結婚。メアリーはジョージ・カーゾンと結婚、後にインドの総督になった。

デイジーはヘンリー・ハワード19代サフォーク伯爵と1904年結婚。英国ではウイルトシアーのチャールトンパークのジャコビアンの驚異的な家を修理しローカルの織物やレースを宣伝販売に協力。

彼女の夫は第一次大戦で戦死したため、1935年チャールトンをさりサマーセット州とアリゾナを交互に住んでいた。

ナンシー・アスター(1908)1879年生まれ1964年リンカンシャー・グリムスリープ城(Grimsthorp Castle)で1964年死去。彼女は11人の子どもの内8番目に生まれ、家族はアメリカの南北戦争で財産をなくして苦しい幼児期を送った。

17歳で結婚したが1903年に離婚、大西洋航路船でWaldorf Astorと出会い、1906年に結婚。彼の父親は息子夫妻にテームズ河畔のクリーヴデンの屋敷をプレゼント。この絵は彼女29歳のポートレイトでロイヤルアカデミーに展示されたときはセンセーショナルになった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ラリングストン城の中世期マジック(Lullingstone Castel Medieval Magic

2025-05-26 05:27:14 | 日記

今日日曜日(5月25日)娘のお誘いでケントの田舎にあるラリングストン城へ行った。ここはポールが生きていた頃車で何回か来たことがあり珍しくもないが、今回は電車で駅から30分ほど歩いての道のり。 久しぶりに田舎の道を歩いたら、昨年夏ローマの塀を歩いたときのことを思い出し、やっぱり田舎はいいなーと独り言。

最近暑い日が続いているのに、しっかりとコートを来ているお馬さん、暑くないのかしら?それにしてもこの足の短い馬はポーニーではないような気がする。

途中川を渡ったが水が綺麗で、川面にたくさん花が咲いていた。

お城への途中、ローマの遺跡があるところ、3世紀のローマの村だったところで、残念ながら最近閉まっている。

 

この城で一番立派な建物は堂々たる門。中の建物は全然大したことがない。

今日はこの門を入った広場にテントが並び、中世の服装をした男女が中世の生活様式や手工芸、食生活などの模型を見せてくれる。

中世の拷問に使った道具。

手作りの矢を何百本も作って午後1時から広場でディスプレイ。

ものすごい音の出る銃やキャノンで小さな子達は耳を塞いでいる。

射手の当時の服装。

この城には世界の庭園があり、日本のプランツ(細い黒や黄色の竹、漆の木など)には日本の酸性土壌を持ってきたそうだ。

 

珍しい木や植物がある。サボテンの温室がおもしろい。

3時からバトルシーン(戦いのようす)が有るというから、その前に小さなお屋敷を見物。

空飛ぶアイデアの模型。

どこかのお城の模型 (もちろんこの城ではない)

3時から始まるバトルシーン(戦闘シーン)というから実際戦うのかと期待した。

こんな立派なアーマーをつけている。

いかにも中世の田舎から出てきた武人の姿。

真ん中に立った6人の兵士。雄叫びを上げたり、回れ右をしたり大して勇ましくもない。

結局子供たちに棒を持たせて、槍でつくトレーニングで終わった。

30分かけて駅にたどり着き、電車(不思議と1分の遅れもなく運行していた)で帰宅した。天気も良くて楽しい一日だった。

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大英博物館で広重展

2025-05-22 04:13:50 | 日記

この明るくモダンな建物は博物館の古い玄関を入った真ん中、広くてたくさんの人達が蠢いていても気にならない。

友達のお誘いで広重展を日本人3人で見に行った。

隅田川雪見の図 1832-4年の作品 歌川広重は(1797-1858)初期の木版画は歌舞伎の人物画などをメインに描いていたが、後期になるほど、旅にでて東海道と木曽街道を歩き、土地の風景や人々の生活を描いた。

駿州富士川渡舟の図(1832)空と海と富士山にぼかしを入れ、出版元ははじめ3種のデザインを発売したが、人気がでてきて12種類も再発行した。

昔からマッチ箱の表デザインにこの絵が入っていて、あまり珍しくもないが、実際素晴らしい絵だと思う。人々の生活や細々とした動き、小さな犬まで描かれていて、今世界に認められた日本の漫画のルートはこの時代から始まったのがよく分かる。

東海道53次の内 蒲原夜の雪(1833-5)景色が得意だった画家。

東海道53次の内庄野白雨 (1833-5)私の一番好きな絵。にわか雨に慌てている人たち。竹林の濃淡や急な雨足がよく現れている。

半開きの傘をさして、逃げる人の傘に書かれている版元の名前は広重のユーモア。

駕籠かきのかごが濡れないよう、上から被せた布らしきもの、そしてかごの中に一人座っているのが、接写して初めて判った。

夏秋花鳥図(1830)紅葉とミミズク なんとかわいいミミズクだろう。

各絵の横には絵の説明が英語で書かれているが、その下にさり気なく俳句が書かれていて、見るたび、日本人であることを誇らしく思った。

60余州名所図絵 阿波鳴門の風波 (1855)葛飾北斎(1760-1849)もこの絵に影響を受けたに違いないとのこと。

 

 

京都名所の内 嵐山満花 (1834) 京都へ木材を送る船頭、一人が船を操っているときに、もうひとりは散る花を愛でている。川岸の道には旅人が歩いている。

京都名所の内 四条川原夕涼 (1834)昔から今も連綿と続いている夕涼みの風景。左の男がコミカルな踊りを踊っている。

 

東都名所 両国夕涼み(1847ー8)満月の夕風が出てきて墨田川縁を歩いている女性たちの着物の裾を乱す。真ん中の女性がうちわを口に加えて帯を直している。

後ろの墨田川にはたくさんの人達を乗せた船や両国橋の上にもたくさんの人が見られる。

木曽街道69次之内 長久保 (1830s) 犬と遊ぶ地元の子ども2人。疲れた馬を引いてゆく男、夕暮れに橋をわたってゆく旅人たち。

木曽街道69次の内 軽井沢(1830s)

商人の下男が焚き火の火から自分のキセルに火をつけようとしている。馬を引く男は商人と煙管の火をつけ合っている。焚き火の明かりで木の半分が透けて見える。

女行列 高輪の図 (1830s)大名の奥方または娘が江戸への婚礼の行列。

かごを担いでいるのも4人の女性で一人やや太り気味。花嫁が角隠しをしているのはわかるが歩いている女性たちも角隠しをしている不思議。

数年前メトのオペラで蝶々夫人を見た。そこにでてきたおつきの女性たちがほとんど角隠しをしていてなんと馬鹿なと思ったけれど、これを見て納得。アメリカ人はこの絵を見たに違いない。

名所江戸百景 水道橋駿河台 (1857) こどもの日の鯉のぼり、手前に大きな元材料を持ってきて後ろは風景にする、これは日本画の特徴で、西洋の絵では見られない。

エミリー・オールチャーチ(1974年生まれ)写真家

春祭リ (2020)彼女は広重の江戸100景に心髄し、写真で広重の絵の構図に異なる色彩を加えて21世紀の東京に作りかえた。

上の亀戸梅屋舗の絵に触発されて、ヴァン・ゴッホが真似て下の絵を描いた。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ モンマジュールからみたローヌ川沿いの田野。(1888)

ヴィンセントと弟のテオは日本の版画に興味を持ち400枚以上の版画を手に入れた。ヴィンセントは日本画に触発されて、視野を変えてこの絵で奥行きのある絵を試みた。これらは今まで西洋画には見られなかった。

 

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クリスタル・パレス と FAカップ

2025-05-18 19:29:03 | 日記

昨日土曜日、朝思い立って電車で2駅のジムへ行って、しばしウオーキングマシーンやローイングマシーンでトレーニングした。

終わって駅についたらものすごい男女の群れ。ほとんどが赤と青の太縞のユニフォームを着ていた。

数週間前から窓辺にひるがえっている旗を不思議に思い、隣のご主人ミスターJ に訪ねたところ、クリスタル・パレスのサッカーチームの旗だと言う。

そして今日はどこかで試合があるらしい。

私はこの日ネズミ取りの薬を買おうと隣の駅まで乗り継いでいった。するとプラットフォームはもっとものすごい人で、10両編成の電車に前5両の車両で乗れない人がいっぱいいた。

ロンドン南東の私の家の周囲は昔からスポーツグラウンドが多くて殆どが銀行の所有地だった。ところがこの20年、銀行は退廃し始め、1つはホッケーグラウンドになり、2箇所続きのグラウンドをクリスタル・パレスがトレーニング・グラウンドに買い取った。この10年間屋内トレーニング場から、広大な芝生のコートが何面もある広々とした練習場に変えていった。

それでも孫に言わせればクリスタルパレスは2軍のチームで僕は興味ない。と生意気なことを言っていた。

今朝日曜日の朝は相撲のライブが7時半からあると目覚ましをかけて、起きたのに、実際は9時10分から10時まで。がっかりしたが今更寝にも行けないしと、BBC に変えたら、昨日のサッカーの試合がFA ファイナルでクリスタルパレスとマンチェスター・シティーでロンドン北部のウエンブリーでの試合の再放送。

昔から恐れられているフットボール・フーリガンのような熱狂したファン。これは全部テレビの画面から写したもの。

 

それにしてもこんなにたくさんのクリスタル・パレスのファンが居るのにもっと驚いた。

この背番号10の若い子が1点入れて、マン・Cの応援団は泣くやら悔しがるやら、特にこのクリスタル・パレスのゴールキーパーが実にうまい。

そしてスコアーは1対0のままで試合終了。

一番左に写っている日本人の選手。名前を思い出せないが彼もこのチームで活躍していた。

隣のミスターJも興奮して眠れなかっただろう。この近所の通りで連絡網を作っているインターネットにはミスターJに対しおめでとうのメッセージが殺到した。

 

 

 

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オペラ・ワレキューレ と カペルマナー

2025-05-17 00:08:40 | 日記

5月7日オペラハウスでワグナーのワレキューレが有った。とっても長いオペラで午後4時半から始まり終わったのが夜の10時15分 と言っても6時間45分も演出していたわけではない。

舞台は3幕に分かれその間に2回の休憩25分と80分がある。

 

それでも長いオペラだ。2010年頃にメトロポリタンの映画で毎日4日間ストーリーを上映、これには当時まだ若くて人気上昇のヨナス・カウフマンが双子の片割れとしてでていた。

メトのオペラは舞台装置も素晴らしい上、歌手も衣装がそれなりの中世の軍服様の服装で見ている観客へのサービスがいい。

今回オペラハウスの簡素化された現代風の衣装に舞台装置もシンプルで相当がっかりした。ところが歌手の声量は抜群、誰もがいい声で素晴らしい。でも今では知っているオペラ歌手など一人もいない。

見始めはメトと比較してがっかりしながら見ていたが、それなりにすごいオペラだと引き込まれてしまった。

このニーベルングの指輪の2夜目ワレキューレもストーリーは荒唐無稽で神様であるヴォータンはいずれも古代の神のように好色、狼と睦んで生まれた双子の兄妹が幼いときに別れた身の上、この嵐の夜に一夜を求めた兄のジークムントが妹ジークリンデと出会う。二人は兄妹と知りながら、夫と妻になり、ジークリンデは妊娠する。

ジークリンデのこの家の主フンディングはジークムントと決闘をする。

ヴォータンの妻フリッカはヴォータンの子どもで兄妹の近親相姦になるのが許せない。ヴォータンにジークムントを負かすよう約束させる。

ワレキューレはヴォータンが他の女に産ませた子どもたちで、彼女たちは戦で死んだ戦士の死体をヴォータンのワルハラ城へ運ぶ仕事を受け持っている。

ワレキューレの中でもヴォータンのお気に入りの娘ブリュンヒルデがヴォータンの命令に背いてジークリンデ(妹)を連れて逃げ、ジークムントはヴォータンの槍で剣を壊され死ぬ。

これで2幕目が終わり、ながーい80分の休憩。これが20分くらいだと9時過ぎ終れるものを、お金持ちのドレスアップした人たちは、この休憩時間にオペラハウスのレストランでシャンペンにごちそうを食べるのだろう。こんなときにアルコールを飲んだら次の舞台は寝てしまうのに。

第3幕目の75分はヴォータンが自分の命令を聞かなかったブルンヒルデを罰として岩山で(ここでは木の洞穴で)眠らせて、真の英雄だけが彼女を目覚めさせると周りを火で囲む。

この場面愛する娘を罰とはいえ、長い眠りに行かす父親の苦悩と悲しみ、がよく表されて、ふっと私の父を思い出した。父がまだ生きていた頃、金沢の駅まで送ってくれた父は涙にくれて初めて父が泣くのを見た。彼の死の年、お見舞いに帰国したときは、駅へ送りに行けないと、家で泣きぬれていたと母が言った。

4日前、ロンドン北のカペルマナーで白い藤がきれいだからとお誘いを受けて出かけた。

これはロンドン北エンフィールドのバス停、ここはいつもシャクナゲが真っ盛り、素晴らしい。

オリエンタルポピーまるで造花みたい。

芍薬。

きれいなジャーマンアイリス。

バラの花みたいなシスタス。

この屋敷で一番巨大な1本のシャクナゲ。まだ花は7分目しか咲いていなかった。

着物の柄にでもなりそうな可愛いツツジ。

シャクナゲは色が多い。

日陰の藤は今が真っ盛り。

温室の中のホヤはたくさん花をつけている。私の家にも2鉢あるが、もう何年も花が咲いたのを見ていない。プラスチックのような花。

この温室の中ブーゲンビリヤが派手に満開、それに巨大な丸椅子のようなサボテンがいくつも有って、好きな植物園?である。

 

 

 

 

 

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4月の英国

2025-05-13 04:46:06 | 日記

日本から帰ってきた翌日4月19日はパトリックの誕生日だった。娘が誕生祝にサプライズを予約してあると言う。

私はこの日完全に時差ボケで、朝の6時には起きて2つのスーツケースを開けて、洗濯機を回し、お土産をより分け、8時には洗濯物を干してルーシャムのマーケットへショッピングに出かけた。

娘が11時に迎えに来ると言っていたのに、都合が悪かったらしく1時に迎えに来て、みんなでサリーのワイナリーへ行った。

英国にワイナリーがあるなんて今まで知らなかった。この子供だましのような電車に乗って林と畑を行き、広大なブドウ畑でワインを試飲する。

 

林の中はブルーベルが咲いていた。

このワイナリーのオーナーが彼の会社の歴史や会社の規模など説明し、皆にワインの試飲をしてもらう。私とパトリックが飲ませてもらい、娘は運転して帰るのでアルコール禁止。

この日は素晴らしく晴れて暖かく、気持ちの良い一日だった。

このワイナリーの庭にしだれ八重桜が咲いていた。まるで花の重みで枝が下がったような咲き具合だった。

21日は私の誕生日。娘の家でお昼をよばれ、近くの公園へ行った。

ここは八重の白い桜が満開。

公園の近く、クラブ・アップルだと思う。

イースターの飾り、バニー(うさぎ)と水仙はイースターになくてはならぬもの。

バス停の近くには八重桜がたくさん植えられてこれが今散り始め、ピンクのカーペットになっている。

無人駅の巨大なリンゴの木、このりんごは美味しい実が生る。また今年の秋にはたくさん実り、たくさん採るのも楽しみの1つ。

 

 

 

 

 

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後1日で日本へ !!!

2025-03-28 02:37:45 | 日記

今日は最高の春たけなわ。朝から晴天で桜もモクレンもこぶしも花びら1枚落ちていないほど満開。

通りの巨大なモクレンも今が最高の見どころ。これが花びらが落ちだすと大変。歩道が汚くなる。

これも近所のヒメツバキ、なんてかわいい花だろう。

昨日公園前のバス停で待ってる間に柵の向こうに素晴らしい雪割りいちげを見つけた。高い木々に囲まれたこの一角にすごい群生。

もう10年ほど前、プラムの木に接ぎ木されたグリーンゲイジの木を買ってきた。

プラムは枝も小さく大きくならないがグリーンゲイジはすくすく育ち高さの4倍位になって今は花盛り。ところが花の数には程遠い実が少なく、昨年も2-3個食べただけ、その他は憎きリスにやられてしまった。

小さなプラムの方は昨年はたくさんなってリスにも食べられす、娘がプラムプディングにしたら美味しかったと大喜び。

ブロ友さんの梅の木に枯れかけた木に大きな声で切ってしまうと言ったところ、新しく芽が出てきて実もたくさんなったと。 私も今年は大きな声で切ってしまうと脅かそう。

明日の飛行機は夕方6時、24人分くらいのお土産で2個のスーツケースはいっぱい。考えるだけで疲れてきた。エキサイティング!!!!

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20年ぶりに帰国します。

2025-03-20 22:15:40 | 日記

来週金曜日から3週間、ちょうどジュードのイースターホリディーになるので、1ヶ月ほど前にJALを予約しました。

私のバケツリストの一つ、奄美大島の田中一村美術館へ行くのがまず最初。

この絵はもう30年ほど前、日本の企業が彼の絵6枚をカレンダーにしたもので、好きな絵を額縁に入れて、ベッドルームに飾ってある。今回実際の絵を見てみたく、羽田に着いた翌日には奄美大島へ飛ぶことにした。

はじめは九州から北海道まで新幹線で旅して最後の1週間に金沢と輪島へ行く予定を立てた。九州には今年93歳になる親しくしていた婦長さんがいて、連絡するとやっと家の中だけ歩けるという。電話したときは気分が悪くてとのことだったから、私が会いに行って無理をさせてはいけないと、訪問中止。

もう60年以上も昔の福井日赤の看護学生だった頃の友達は、死んだ人あり、今は寝付いた人あり、病院通いをしている人たちで、70歳の頃に来てほしかった。と言われてしまった。それで福井もアウト。

同級生がこの調子、年上の友達や親戚の人たちも皆どこか悪い。これでは観光旅行で遊んでおれないと心改め、奄美大島から大阪へ飛び、京都の友達、名古屋の友達、鳥羽の友達に会って金沢へ帰ることにした。

金沢も父母も兄も亡くなり、今は体の悪い兄嫁だけが私の行ける場所。こうなると本当に今帰国しないとみんなあの世にと焦ってしまう。

すべての旅程も組んで後は出発を待つばかりにしている。

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こちらロンドンは数日前にはあられにみぞれの寒い日が有ったと思うに3日前から素晴らしい晴天まるで夏のように20度を超えた。

2月半ばから咲き始めた我が家のオカメザクラは、日陰の多い裏庭に置いてあるせいかいつまでも花が咲いていて最近やっと散り始めた。

数日前に通った街路樹の桜は蕾がこんなに膨らんで、もうすぐだね。とひとりごと。

そして今日3月20日またリュック一杯の日本語の本や漫画をセント・ジョン・ウッドの図書館へ持っていき、帰りに明るい温かのストリートを歩いて帰ってきたら

2本の桜の木が8分咲、しばし立ち止まって写真を写し、花を愛でていた。

我が家の前庭に数年前に植えたプリムラもこの陽気、手入れをしなくても立派に咲いてくれた。

このプリムローズはどこからか勝手に飛んできたらしく、前後の庭にだんだん株が増えて花が咲いている。

 

 

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孫の学校のインターナショナル・フェアー

2025-03-08 22:54:53 | 日記

先週孫の学校でインターナショナル・フェアーを開くから孫のジュードに男の子の着物をと頼まれ、黒っぽい大人の着物をほどいて、一切切らずに幅と丈を縮み10歳男児の着物を作った。これがジュードは大変気に行ってほしいというから、この着物が小さくなったら返してくれるよう約束した。

この日は朝から子どもたちは各国の民族衣装で行ったと言う。もちろんジュードも着物を着て行ったそうで、先生がとっても喜んでいたそうだ。

このフェアーは午後3時開催とのことだが、それまでに会場の下準備があるので、娘と2時には出かけた。

ジュードの学校は5歳から11歳までの私立の学校で、授業料も昨年9月から労働党が政府の返り咲きしてから、税金を徴収するようになって、今までより500ポンドくらいは高くなった。

それにしても壁に貼られた子どもたちの親の出身国がこんなに有ってすごいと思った。アメリカ・カナダを除く他の国で多国籍の集まり。

壁に貼られたジュードの絵では半分がアイルランド、残り半分はイギリスと日本、最近自分の名前だけ日本語で書けると自慢していた。

さて午後3時近くになると、各国の親たちが各自の民族衣装に各自の食べ物を持参でテーブルに並べだして大賑わい。

ここはブラジルのテーブル

ロシアのテーブル

会場の真ん中では3月 インターナショナルのBook Day にちなんで子どもたちの新刊書が売りに出された。

 

 

日本のテーブルの横マレーシアの夫婦がたくさんの食べ物を買って持ってきた。

娘が作った巻き寿司といなり寿司は、昨今の寿司ブーム、もちろん完売。若い日本人女性がチキンのから揚げを作ってきた。ある中年女性はよっぽど好きだったと見えて3回もやってきていくつも食べ最後には弁当箱を持ってくるから全部欲しいとか言っていたが、彼女の来る前に完売した。

 

ウエールズのテーブル。

ブラジルのマーシャルアートのグループが、音楽に合わせて空手のようなものを見せたりで、結構楽しませてくれた。

それにしてもこの小さな小学校でこんなにたくさんの外国人の親によるイヴェントが開催され、とっても楽しいひとときだったし、いろいろの国の珍しい食べ物を試食して満腹で帰宅したので夕食は入らなかった。

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ウエスト・ウィッタリング(West wittering)

2025-03-02 06:12:03 | 日記

この3日間青空で洗濯物が乾く日和になった。昨夜ジュードとパトリックが電話してきて、海へボディボーディングに行くから一緒にと言うお誘い。

今朝娘に電話してみると、生徒の宿題の採点が溜まっていてどこにも行けないと言う。だから私に手伝ってほしくて誘われたのだと知った。

3人分のサンドイッチを作り熱いオニオンスープをフラスコに入れ、もしかして海から上がって寒かったらと熱湯を2リッター入りのフラスコに入れタオルをたくさん持った。聞けば今日行くところは67マイル(107KM)も遠くの聞いたこともない海辺。彼らは今年1月2日に来たことがあるという。

朝は霧がかかって晴れるか曇るかと思っていたのに、モォーターウエー(高速道路)を走り出した頃には青空が広がり気持ちのよい天気になった。ちなみに高速道路は無料。

我が家では桜が咲き始めたというのに英国南西のサッセックス州の田舎道では花らしいものは一切なく、若葉もでていないほとんど茶色の世界だった。

聞いたこともないWest witteringの駐車場はほとんど満員。やっと車を止め、防風林を通ると

たくさんの人々がそれぞれのスタイルで太陽を楽しんでいる。

この海辺にもビーチハットと呼ばれる小さな小屋が並んでいて、これは多分カウンシルから買ったものだろう。中は電気がついていて電気でクッキングやお湯が沸かせるくらい、着替えができるくらいで宿泊してはいけない。それでいてこの小屋は以前から相当値上がりしていると言う。

犬を連れた人たちが多く、思う存分走れる犬たちでとっても嬉しそう。

ここまで来る間の車の中で、ジュードは車酔いしそうとか、気分が悪いと言ってパトリックを心配させ、ボディボードをやる気がなさそう。

砂山の草原でパトリックをリクライニングシートの代わりに使って、二人で戯れている。

娘がDaddy’s Boy (お父さん子)と呼ぶのが判る。

ビーチバレーボールをしている若者たち。

戦時中のウォッチタワーかと思ったが、違うようだった。

午後になると人出はもっと多くなった。

3日前まで雨が多い天気だったからこの牧草地には水たまりが多い。

一時大群のこの鳥たちが砂浜から見える上空を旋回していたので、一体どんな鳥だろうと牧場まで見に行った。

 

鴨の種類なのだろうが近寄ってみるとガアガアうるさい。

写真を取りに来たのは私を含めて3人だけ。他の人達は鳥などには興味がないのだろう。

ドーバーからブライトンにかけての海は石ころばかりで、砂浜がない。この長い砂浜はポーツマス(Portsmouth  )まで続いているに違いない。

海で泳いでいた人は2人だけ、子どもたちは足を濡らすくらいで水の中でも駆け回っていたのが犬ばかり。それでもこんなに多くの人たちが広い砂浜を歩き回って太陽を楽しんでいる。素晴らしい良い日だった。

 

 

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桜が咲きだした。

2025-02-27 05:35:09 | 日記

先週コーンウォールから帰ってきたばかり、裏庭の鉢植えのオカメ桜がさきだしていた。

今年は寒い日も有ったが1月は暖冬だったと言われる。たしかにそう思ったのはキッチンの隅で死んでいたナメクジを見た時。また今年もナメクジとカタツムリに悩まされるのか、うんざり。

数年前、道端で咲いていたこの花の茎を2本取ってきて増えたもの。まだ紫色のは蕾も出てきていない。

前庭のボタンの木の下。毎年ながら春はこの野生のクロッカスが咲かないと春の感じがしない。

 

 

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パトリック、タイと東京へ出張

2025-01-30 07:14:52 | 日記

先週日曜日夜、パトリックは日本へ向けて飛んだ。月曜日朝の富士山の写真をおくってくれた。

この朝は成田の近くの温泉に入って、また飛行機でタイへ行った。

火曜日から金曜日までバンコックで働いて、金曜夜東京へ帰ってきた。

以前からこの週末に大相撲を見に行くと言っていたので、私が応援している大の里のアルファベット名と漢字でも書いてメールしておいた。

土曜日朝、国技館の写真やら大の里の写真に、この日対戦した琴櫻とのヴィデオが送られてきた。とっても面白かったそうだ。

月曜日と火曜日は東京で働いて、今日水曜日の夕方帰ってきた。

これが私へのお土産。大の里頑張ってもらわないと・・・・・・・。

ブロシャーの真ん中の Sunrise Tour は外人を集めて国技館を案内説明し、力士の説明もしてもらったそうだ。パトリックの後ろに座っていた若いアメリカ人の男性は日本語がうまくて、それぞれの相撲取りに大声援。大声で 大の里、Its my Birthday!!!と叫んでいたそうだ。

こんな日本語では見ても分からないだろうから、私にくれたが、モンゴル人が多い。今までの横綱にもモンゴル人が多かったから、最近見たユーチューブでモンゴルを旅した日本人のリポートでは、モンゴルの首都のレストランにはちゃんこ鍋もあるそうだ。

もらってきたブローシャの中にこのおかしな手ぬぐいが入っていた。普通の手ぬぐいよりも長くて、さすが相撲取りでも使えそう。

今年10月に大相撲がロンドンのロイヤル・アルバート・ホールへやってきて、5日間の興行を行うそうで、とっても楽しみ。

 

 

 

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クリスマス前の静けさ

2024-12-12 05:37:28 | 日記

12月1日、いつものポストボックス・アートギャラリーの赤いケシの花と兵士帽のヘルメットが取り払われて、もうこれで終わりなのかと思っていた。昨年クリスマスに飾ったデコレーションは1週間以内に盗まれてしまったという。

だから昨年12月のアートは一体どうだったのかは知らない。

12月9日の月曜日、ジムの帰りに見つけたのが・・・・・

 

 

 

メッセージは Merry Christmas to Everybody  と編み込みしてある。これだけでも大変な手間だろうに、毎月良くもこんなに楽しませてくれてと、お礼が言いたい。

今年もクリスマスカードが届き始めた。ポールが亡くなって以来ほとんどのカードは廃止してEメールで済ませている。

通りのあちこちで派手にデコレーションをしているお家を見かける。

これはジュードの学校の帰り、今では4時でも真っ暗だから、通りのクリスマスデコレーションがよく目に入る。この写真は2階バスの中から撮っているからぼやけていて残念。

これは我が家に近いバス停の近くの家。真っ暗な中にこうして色とりどりの光が輝いているとクリスマス嫌いの私でも嬉しくなる。

我が家の斜め向かいのインド人家族のデコレーション。彼らがクリスチャンなのかは知らないが一晩中この派手な電飾が瞬いていて、電気代が勿体ないなーと思っているケチな私。

この冬で52年目のクリスマスを迎えるのだけれど、20日からポルトガルへ行くことにして、飛行機もホテルも予約してしまった。娘の家族にはパトリックのご両親がアイルランドからやってくるし、ユクライナのおばあちゃんと孫のマックス、それにおばあちゃんの娘のアンナと2人の子供たちもクリスマスディナーにはやってくるから、私がいなくても心配ない。

 

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