Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

パーキンソン病 チャリティウオーク

2024-09-15 05:20:13 | 日記

今日9月14日は最近では珍しく1日中太陽が出て、雨が一度も降らなかった。気温はあまり高くなく日中温度が20度くらい、チャリティウオークにはうってつけの日和だった。

パトリックの一番下の弟はまだ45,6歳で今春パーキンソンと診断された。今日はパーキンソン病の原因解明と治癒を目的とするParkinson'sUK の研究費用募金のチャリティウオークで、彼らの両親は北アイルランドからやってきて参加。

日頃疎遠のパトリックのお姉さんもやってきて、以前ジョギング中に転んで腰を痛めた父親と一緒に6マイル(9.6KM)を歩いた。

 

今朝9時過ぎの電車でヴィクトリア駅に行き、電車乗り換えて、バタシーパーク(Battersea Park)の駅で下車。バタシーパークは200エーカのヴィクトリア時代に作られた公園で、道の両側に延々と続く巨大なプラタナスの並木がすばらしい。

天気が良い日の公園は散歩する人やジョギングする人達で活気があり、大きな池の縁ではアヒルに餌をやっている子供も楽しんでいる。

此の日の参加者は1000人近く、ほとんどの人たちが近親者や友人にパーキンソンを患った人たちがいる(らしい?)というのは歩いている人たちの背中やリュックにおじいさん、父親、おばあさん、友達など張り紙がしてあって。彼らが誰のために歩いているかがわかる。

出発前に皆集まって準備体操、

距離は1.5マイル(2.4km)と6マイル(9.6KM)があり、子ども連れや足の弱い人は1.5マイルを、私はもちろん6マイルを選んだ。

 こんな小さな子供も元気に歩いている。1.5マイルは公園内を2周り?

6マイルは公園を1周したあとテームズ川の川縁を橋下3橋通り抜けて、ワンズワース・ブリッジ(Wandsworth Bridge)で橋をわたって川向うの高級住宅地、チェルシーを通り抜けて、アルバート・ブリッジ(Albert Bridge)から公園へ戻るというもの。

川の両側は新しいビルが立ち並び、全く外国へ来たみたい。

途中にパーキンソン病の症状についての張り紙がしてあった。

川縁では向かって歩いてくるグループもほとんどがチャリティウオークの人たちで、心臓病のチャリテイ‐、癲癇(Epilepcy Society) 灯台(Light house)のチャリティーなど多分10種類くらい違うチャリテーの人たちに会った。

ここはワンズワース橋の上から来た方向を撮したもの。

此のビルの下の川縁を歩いて来たが、川の反対に来て初めてその偉大さ、奇妙さがわかる。まるでメカノを組立てたみたい。

川縁にこんな子どもの遊び場、此の男の子は一人で遊んでいた。

川向うの新しいフラットらしい、こんなに新しいフラットや住宅がどんどん建っていても、此の国は住宅難であえいでいる。

このあたりチェルシーの高級住宅地。

ウルトラモダンなフラットの横に古そうな教会。

巨大な工場を改築して高級フラットにでもするらしい。

道端で道案内の二人、I love your hat (貴女の帽子が素敵よ)と言ってくれ ティシャツとマッチするでしょ? 

此のアルバート・ブリッジを渡るとすぐバタシーパークが見えている。

約2時間で6マイルを歩いてきた。此の日のために私の近隣コミュニテイにスポンサーを呼びかけ、4人の人たちと日本人の友だち一人がスポンサーをしてくれた。(トータル70ポンド)

パトリックの弟は自分が患っている身ながら美人の奥さんと二人の小さな娘の4人で6マイルを完歩して10、000ポンド(2百万円)のお金を集めた。今日の最高金額だった。彼とすればなんとかして完治したい一心だろう。パトリックのお金持ちの友達がたくさんスポンサーしてくれたらしい。

午後3時パトリックの家に集まった11人は、私の娘が行かないでクッキングしてくれたおかげで、夕方までのんびり昼夜兼の食事で楽しんだ。

 

 

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9月の我が家

2024-09-10 19:53:57 | 日記

今日久しぶりに2駅向こうのジムへ行ってきた。昨日も駅まで行ったのだが、電車は10分遅れと電光掲示板に出ていて20分経ってもこない。

もう一度確認しに行ったら、キャンセルになっていた。対向プラットフォームにも結構な人が待っていたのに皆帰っていった。見ればそちらもキャンセルになっていた。ロンドン方面で列車のなにか不都合があったらしい。

大体此の1月から2駅向こうの水泳とジムに行くことになってから、一週間に3回は朝出かけているがまともの時間に電車が来たのは、3回に1回くらい、バスはあてにはならないが電車もこれだから本当に困る。今朝も8分遅れ、帰りは5分遅れだった。

此の所毎日曇り空で、雨が多く、気温も15-20度前後。寒い風の中駅で長い間待って電車が来ないときの怒りのやり場がない。

8月のオリンピック中に飾ってあったベッケンナムの編み物グループの婦人達は、9月からまた新しい編み物展示をして楽しませてくれている。

ノアの方舟。本当によく出来ているとおもう。 動物たちは2頭、2匹づつ。ヒゲのノアとその奥さんもいて、方舟の下は波がうちよせている。

こんな街角のアートギャラリー、素晴らしいと思いませんか?

日曜日、いつも行く駅の巨大なリンゴの木にたくさんの実がなっている。毎年行って採ってくるのだが今年は例年より早い気がする。何しろ我が家のクッキング・アップルは両手で1個位の大きな実がボロボロ落ちて収穫時期を知らせてくれる。

此のりんごは駅のプラットフォームへ入る前の階段のところから取れるので、駅へ行く人達が色々声をかけてゆく。皆あのりんごを無駄にしないで良かったねととっても好意的。欲しい人には2個くらい上げてとっても喜んでくれる。

此のりんごの周りは鉄柵とブラックベリーのヤブで、誰も中にはいって取ることが出来ない。もう8年くらい前いつものスーパーで、果物を取る袋の付いた道具を買った。

通りがかりの人がかならずどこで買ったのかをきいてくるすぐれもの。

此の駅にはまだ2箇所に真っ赤な林檎がなっているところがあり、来週日曜日、パトリックが来て取ってくれる。

愛読のヒゲ爺さんのブログによれば此の花ブラウン・アイ・スージーというのだそうで、植えたことはないがいつの間にか庭に芽が出て、一本が巨大な株に成長し、長く楽しませてくれる。

黄色はひときわ目立つ色で、今日このごろの鬱陶しい天気でも元気がもらえる花だ。

 

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へ‐ドリアン・ウオール踏破ーカーライルからロンドンへ

2024-09-05 18:50:43 | 日記

朝6時ころには目を覚まし、スーツケースに泥だらけのブーツもズボンも収め、着て帰るものは最後の一枚づつ、何しろティシャツ8枚、スパッツ8枚、パンティ8枚、ソックス9枚、フリース2枚、その他タオル類などほとんどすべて汚れ物。

バスは7時35分、それを逃すと10時50分のロンドン行きに間に合わない。隣の部屋にあのカップルが寝ているので静かに荷物をおろした。 B&Bでは朝食が出るが早朝のため、サンドイッチを作ってあげると言って、朝7時に持ってきてくれた。

バスが来る5分前バス停に立つとすぐ、待ってましたとばかり雨が降ってきた。バスが来なかったらどうしようと心配無用、ロンドンの我が家近くのバスとは違うようだ。

早朝でも乗客は6-7人、昨日歩いたコースを逆に突っ走る。7時間かかって歩いた道を1時間でカーライルのバス停に着いた。

駅までの石畳をスーツケースを引っ張ってリュックを担いで歩く。嬉しいことに此のとき雨はやんでいた。

駅のすぐ近く、ハドリアヌス皇帝の像。此の街の若者で此の皇帝が此の街を作ったなんて知ってるだろうか?と思った。

それにしても此の寒い北国で、ローマ人たちがミニスカートみたいな制服でよくぞ耐えられたと感心する。

8時半には駅について荷物を預けてショッピングにと思っていたが、ショッピングセンターがここから遠いことに気づいて諦めた。それで良かったのは、しばらくすると激しい雨が降り続き、駅のプラスチック製の屋根では、あまりの激しさに轟音となって、駅のアナウンスが聞こえない。

気温は13度,ティシャツの上からフリースとウオータープルーフのジャケットを着て寒さに震えていた。駅では寒風が吹き抜ける。電車に乗ってロンドンへつく3時間も此の衣類を脱ぐことがなかったのに、ロンドンブリッジへの地下鉄の中では暑くてがまん。

ロンドンブリッジから20分の我が家への駅までに上2枚を脱いで、ティシャツが汗みずくになっていた。

ニューカースルの街を歩いている時にスカイプしてきた友達はフランス在住、此のときはロンドンの娘宅へ来ていて、開口一番 いい天気が続いて楽しかったでしょう。

ロンドンは雨もふらず毎日晴天だったらしい。

帰るなり衣類を洗濯機2杯分洗って、最後に泥だらけのブーツを洗濯機で洗った。とってもきれいになり満足。

翌朝今までのように、顔を洗うと一緒に体重測定。あれほど長期にわたり歩いてきたから5-10kgは減っているかと楽しみにしていたがなんと・・・・!!!

100グラムも減っていなくて、出発時と全然変わらなかった。!!!!

これもイングリッシュ・ブレックファーストのせい、カロリーが高いから空腹も覚えず、お昼も殆ど食べないで歩いてきた結果がこれ。

イギリス人の中年以降肥満体が多いのもあの朝食のせいだと思う。

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へ‐ドリアンウオール踏破ーBowness-on-Solway

2024-09-04 19:37:40 | 日記

歩きでは最後の朝、朝食の大食堂であのカップルに会った。それで同じエージェントで今日も彼らと同じコースを行くのだと知った。

今日もしっかりイングリッシュ・ブレックファストを食べ、彼らにカーライルのお城を見ていくからと、8時半にはホテルを出た。

ホテルが街の真ん中のせいかあたりの建物は新しくきれいで、ローマ人が作った古い街にはみえない。

ホテルの近くのパブでは、ビールの樽の補充をやっていた。

カーライル城は1092年作られ、それは土と木材で作られていたが1122年ヘンリー1世によって現在の石の建築物になった。場内は軍事博物館になっており、残念ながら開館が10時からでは待って居れない。

街の北側広大なビッツパーク(Bitts Park)は素晴らしく手入れされており、ここが始発と歩道を歩いて大通りにぶつかり、地図を見てもどこだかわからない。

リュックを担いた中年女性にきいた所、連れて行かれたところはお城の前を通って同じ花畑の近く、公園の植物管理のおじさんたち5-6人だった。地図を調べどこかに電話して、此の公園の川縁から出かけられることを確認して、教えてくれた。

昨日の雨で狭い泥道は、水たまりが多い。

雨に濡れた釣鐘草の道が延々と続く。

地図の通り橋の下を通り過ぎて、

階段を降りたり登ったり。

牧場の草原の道には、私が物珍しい見世物になったような気がする顔が真っ黒の羊たちがじっと見つめてくる。

途中からまた雨が降り出し、小さな村のバス停で雨宿り。オーツをハニーで寄せ集めたエネルギーバーを食べ水を飲んで、出発。小雨はB&Bへ行く1-2km手前まで降っていた。

散々歩いて泥水の中にも浸かり、ブーツもレインズボンも泥だらけ、やっと海が見渡せる真っ直ぐなローマンロードにやってきて、まだ4マイル(6.2Km)

 

なんの種類かわからないが鳥の大群が海の方から飛んでくる。それが一グループだけでなく、次々やってきた。

海へ行くまでの草原は、湿地帯で時々牛が草を食んでいるが、誰もいない。海の向うはスコットランド。

 

 

此の長い真っ直ぐな道路はまさしくローマ人が作ったもので、此の写真だけ翌日のバスの中から撮ったもの。B & B へ向かっているときは写真の左側の湿地帯が右にあり、まっすぐの向こうには何も見えない。

海から1メートルは上がった道路脇、嵐のときに打ち上げられた海藻が塀に引っかかっている。あの長い道路にも海水が1メータ以上になるとの警戒インフォメーションが出ていた。

夕方4時近くやっとBowness-0n-SolwayのB&Bについた。7時間半の歩きでそのうち休憩と写真を写すのに30分止まったとしても7時間歩き通して歩数44,501歩 距離15マイル以上(24Km以上)

今日ほど面白くない行程はなかった。道は雨でぐしゃぐしゃ、大きな水たまりがいたるところ、長いローマの道路には花も人も家も見えず、見えたのは鳥が群れて飛ぶばかり。

B&Bにはレストランとバーが有ったので、シャワーのあと夕食を早めにと言ったら、すぐ準備してくれ、ミートパイとマッシュポテト、野菜の付け合せに今回の旅の完歩お祝いを兼ねてビールハーフパイント、6時にはベットへ入ってしまった。

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へ‐ドリアン・ウオール踏破‐カーライル(Carlisle)

2024-09-03 21:23:29 | 日記

ブランプトンのB&B のマダムもとってもフレンドリーなかたで、出かけるときには昨夜予約したサンドイッチのパックを渡してくれた。ブラウンブレッド2枚にツナサンド、クリスプㇲ、箱入りジュース、チョコレートが入って7.5ポンド。結局これは次のホテルのレセプションで食べたが・・・

此のブランプトンはへードリアン・ウオールの行程から外れているので旅行案内にも書いてあるが、B&Bから出発するとエキストラの1.5マイルを歩くことになるので、タクシーで行くのが良いと明記してある。

それでマダムにタクシーを呼んでほしい旨頼んだ所、すべてのタクシーは予約済みで、たまたま私が降りたいところのタクシーは9時半に夫婦者が予約してあるとのこと。マダムは此の夫婦に掛け合ってくれ、同乗さてもらう話がついた。

9時半ぴったりにタクシーが来て、マダムに別れを告げ、たったの2kmすぐについた。タクシーを降りて全く同時に雨が降り出した。

急いでフリースをリュックに入れてカバーを掛け、レインコートの下はTシャツオンリー。此の雨は一向にやまず1日中降っていた。

歩き始めての交差点に此のきれいなコスモスが咲いていて、本当にここは秋だと思いながら写真を撮したが、雨が激しくなってくるとカメラも出せない。

途中のお家の庭が花盛りで、カメラを出して撮したのが此の日の歩いている間では2回目だった。それ以降カメラをコートの中に入れて歩いていたら汗と体温でカメラがおかしくなったらしい、3日ほどスイッチオンするたび変な音がするようになった。

出発するときは夫婦は準備が出来ていたのですぐ出立、私はフリースを脱いでコートを着たり、リュックに入れた上からカバーを掛けたりして手間取り、彼らが見えなくなっていたが、あとを追った。

ちょうど1kmのアップルウオッチが知らせてくれたところで、此の夫婦に追いつき、先に行かせてもらった。牧場の隅のパブリック・フット・パスや水たまりの多い細道を雨の中で黙々と歩いていく。もうローマの壁も何も興味なし早くカーライルに着きたい。

それでも3度も道に迷ってウロウロしていたところをローカルの人達に助けられた。

最後に牧場と牧場の間の細道から自動車道に出たのでこれ幸い。まっすぐ此の道の歩道を歩いてカーライルの街に入り、ホテルのある中心街まで行った。その間も雨はやまずコートの中は汗でぐしゃぐしゃ、コートもバムバッグも雨が通って中が濡れて悲惨なことに。

旅行案内の本がびしょびしょ。財布もびしょびしょ、英国のお札は此の数年前からプラスチックに変わっているから濡れても破れることはないが、全部くっついて2枚か3枚かわからない。

ホテルの玄関を入ったときはまだ12時半過ぎ、チェックインが3時だから、お部屋へ行かせてくれない。レセプションの椅子に座って時間待ち。汗が冷えて寒くてただ一枚乾いたフリースがあるのを思い出し、トイレのお手洗いで熱いお湯で体を拭いてフリースを着てじっと我慢。

夫婦者は2時半についた。彼らは旅程どうりにヘビのように曲がった川縁を歩いてたどり着いたので2時間の差は大きい。彼らが歩いた行程にローマの遺跡があったかどうかを聞いたら、ただ一箇所塔が建っていた。それだけ。その御夫婦のご主人が掛け合ってくれて、3時15分前くらいに部屋にはいった。 

大きなお部屋でバスルームに巨大な風呂があり、お湯を満たして解凍した。

此のバスルームには小さなラジエーターが暖かく濡れたコートやブーツを一晩中乾かしていた。

さて着替えてまずは街へショッピング。近くのスポーツ店が閉店セールをやるので全て50%引き。体にあったコートを半額で買い、現金を出したら全部くっついて店員さんから気をつけなさいよと言われてしまった。カーライルは此の1週間毎日雨で明日も雨ですといわれてがっくり。

ホテルのすぐ近くにカーライル大聖堂があった。中を覗いてみて、あまりの素晴らしさに驚いた。

此の地下にはローマの遺跡が残っているというがそれを見に行く気にはならなかった。

私が毎日読んでいるブログに日本人女性でカーライルで結婚して子供も2人、どこかの服飾関係のお店で働いている人がいる。その彼女のブログでは、カーライルには夏はない。と書かれてあって、何を大げさな。と思っていたがここへ来てやっとわかった。まだ8月と言うのに街行く人は冬装束、特に中高年女性は皆暖かそうなコートを着込んでいる。

ロンドンと気温5-10度は低いと思える。

あと一日海辺のBownes-on-Solwayまで歩いて、また此の街までバスで戻ってカーライルの駅からロンドンへ帰る。

此の日の行程15kmくらい。何しろ曲線の川縁をローマの道路で直線で歩いてきたから。此の日の歩行数27、771歩。

 

 

 

 

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へードリアン・ウオール踏破ーBrampton

2024-09-02 02:53:32 | 日記

今朝はやく目覚めた。朝食はやっぱりイングリッシュ・ブレックファスト。10数人の団体ウオーカーが賑やかに食事をしていた。ほとんど中高年。

此のTwice Brewed in (2回醸造)という変な名前のB & B はOnce Brewed(一回醸造)と言う小さな村にあり、ここは非常にポピュラーなIN(旅館)である。此の名前のいわれは、軍人のジェネラル・ウエード(Wade)はスコットランドの有名なボニー・プリンス・チャーリー(Bonnie Prince Charlie)の敵であり、その彼が此の宿に泊まったとき飲んだビールがまずいと言ってもう一度醸造するよう指示したという。

今日は朝7時頃まで雨が降っていたが出かける8時頃にはやんでいた。それでも昨日のことがあるからレインコートをリュックに入れ、スパッツの上から雨用ズボンを履いてでかけた。

昨日降りてきた道路を真っ直ぐ歩いて左側にどんぐりマークの付いたスタイルを見つけて叢の小道を歩きだした。朝まで雨が降っていた為草は濡れて道にもぬかるみのあるところが多い。

 

ここGreen Slackと言う山頂は此の道程の中で一番高いところで、海抜345メートル。

道は登り坂はきついが、それよりも下り坂は手すりがあるわけでもなく、濡れた草や石の上でいつ滑って転ぶか、特に足が疲れているときは非常に危ない。

此の山頂からは壁は延々と続くが下り坂が多くなってきた。

当時の見張り台想像画、壁自身が素晴らしく真四角。

途中のマイルカースルの近く石に座って休憩。水を飲みビスケットをいくつか食べて、スマホを見たら知らない電話番号から3回もかかっている。不思議に思って電話してみたら、もう50年以上も前日本で知り合った英国人男性の奥さんが、彼が3週間前に亡くなりました。どんなに驚いたか。1年に1-2回は連絡していた3歳年下の優しい人だった。こんなときに訃報を聞こうとは・・・・

 

この旅たった1枚の写真、家族の写真を撮していたおじさんに頼んで撮してもらった。

丸顔、元気いっぱいで、金太郎さんみたい?

あの遺跡が、こんなすごい砦だったとは想像がつかない。

 

 

 

このあたりから空模様が怪しくなってきた。

雨の中、サールウオール城(Thirlwall Castel)をみてまわる。此のお城は14世紀にローマの壁の石をリサイクルして建てられたものだという。14,15世紀に、アングロ・スコティシュのアタックに貢献したという。此の当時壁の両サイドのローカル人は非常に仲が悪く、お互いの家畜を盗んで食料にしたり、最後にはプロの警備人が馬で壁の周辺を警戒するまでになった。

此の城は300年後カーライルの男爵に売られ、彼は城のある土地が欲しかっただけで、城は放置されたままで崩壊した。

途中から雨は激しくなり、Gilsland のバス停で雨宿り、大きなリュックを担いたおじいさんと一緒になった。テントや食料を担いて壁を歩いているという。バス停の中で着替えに裸になったので驚いて出てきた。

雨は小止みになり、どんぐりマークの細道はぬかるんでひどい有り様。

此のマイルカースルは線路のそばで、線路を歩いて渡らないと道路に行けない。

ここで道を間違え、左の道へ行ったものだから、人里離れた道路を黙々と歩き、最後に車で来たおばさんが自宅のカーポートへ駐車したので、今夜のB & Bまでどれくらいあるかをきいた所 4マイル(6.2KM)だという。がっかりしていたら、車で送ってあげると、なんて親切な方。遠回りして私がミスした

ラナーコスト・プライオリ‐(Lanercost Priory) 小修道院というがこのあたりでは大きな建物で、やはりここも壁からの石を利用して建てられたものだそうな。エドヮ‐ド1世がここで5ヶ月も療養して、スコッツとの戦にでかけたという。

此のこじんまりしたB&B は居間の暖炉が暖かく、オーナーが濡れた靴を乾かしなさいと暖炉の前に5足も置いてあった。大変気持の良い場所で夕食にインド料理店を紹介してくれ、食後暖炉のそばでスマホを見ていたら、若いオーストラリア人と話し込んで11時まで、トルコ、ギリシャや日本の話しで、すっかり日本へ行く気にしてしまった。

此の日の歩数11916歩と言うがこれは全く正確ではない。此の日の距離26kmと言うが、道を間違え遠回りして車で送ってもらった6kmを差し引いても20km以上歩いていたから。

 

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へードリアン・ウオール踏破‐Once Brewed

2024-09-01 12:44:31 | 日記

歩きだして3日目の朝は素晴らしい天気だった。ベッドルームの窓から朝日が登るのを写真に写した。朝食の席でも、此のウオークで丸1週間晴れている経験者はいないけど雨ばかりだった人は大勢いるそう、私達はラッキーですね。と言った所、ヒゲのおじさんが うーん判らないよ。 でもその言葉を無視して此の日は軽装にした。

朝8時、B&Bのオーナーが昨日拾ってくれたチェスターズの玄関まで送ってくれた。まずヒゲのおじさんが先発、続いて私が歩き始め、2人の夫婦はまだグズグズしていた。

ミリタリーロードからPublick foot Pathに入ると叢の中に長く塀が続き、ところどころ見張り所だった遺跡があらわれる。

此のあたりは高台にありスコットランドの田舎が見渡せる。2000年前にはもっと森林が多く、そして決して想像もしなかった発電用風車が見える。

塀を越すときは此のスタイルが設置されていて、一日何十回上下したかわからない。

此の廃墟は壁と遠く離れたところにあるミスラス寺院(The Temple of Mithras)でAD 200年頃に建立され150年後に廃墟になった。その頃にはローマはキリスㇳ教に改宗していた。

長く伸びた石塀の横の細道をたどる。その横は深く掘り起こされた堀割になっていて、スコットランドの蛮族が容易に塀を乗り越えないようにしてあった。

壁にはローマンマイル毎にマイルカースルと呼ばれる砦があり、此のようなマイルカースルは全壁で80箇所あった。

私は平地で歩くトレーニングをしているときは1時間5kmで歩いていたが、此の上り下りの激しい道では1時間3kmでも多い方。立ち止まって写真を取るだけで、水を飲もうとすればリュックを降ろさなければならない。ほとんど飲まず食わずの行進だった。

 

これまでの石を積み上げた長い壁を見ただけでもローマ人の偉大さがわかろうと思うに、此の丘にはハウスステッド(Housesteads)と呼ばれる全壁長では最大の砦プラスヘッドクオーターがあった。

ここはイングリッシュ・ヘリテージが管理しており、丘の反対側にミリタリーロードが通っていて巨大な駐車場がある。車で此の壁の一部を見ようとする人や巨大な廃墟を見たい一般の人たちも容易にここに立ち寄れる。

あいにく12時近く小雨が降り出した。

イングリッシュ・ヘリテージの小さなオフィスの中は博物館になっておりいろいろな情報が得られる。

屋内で雨宿り兼写真などを見て感心したりしていたが、雨はひどくなるばかり。

敷石を敷き詰めた馬小屋。

 

此の石の上に板を並べて床を作っただろうから、食物の乾燥倉庫などらしい。

此の場所は1838年に発掘された。AD 122 年に建設され、此の地で兵士たちの給与の支払いや、コマンダーのオフィス、ローマ風呂、などが知られている。

雨は一向にやまず、薄着でいると寒くなってくるから、意を決して歩き出した。

上はティシャツと薄いウインドヤッケ下はスパッツのみで、雨の中2時間も歩いた。

急な坂道をすべらないよう苦労して降りたところは10人近くの人達がいた。

The tree pictured in sunnier weather

此の山間の塀の横・シカモアギャップ(Sycamore Gap)と呼ばれる場所に樹齢300年のSycamore(大楓)があった。(写真はインターネットから転載)

2023年9月28日二人の男によって切り倒された。此の二人は犯行を否定しているという。今年12月に裁判になるらしい。

此の木は1991年ケヴィン・コスナー主演のPrince of Thievesの撮影現場で有名になり多くの人達からヘイドリアンのシンボルツリーと尊敬されていた。

こんな大きな幹をどうやって、なぜと不思議でならないが、今此の株の根元から新しい芽が出てきている。ナショナル・トラストに管理されていて、此の木の種から発芽した木をどこに植えるか計画中とのこと。300年も待てない!!!!

(インターネットから転載)素晴らしい写真そして実際これを見ることが出来ない。

さてここでも雨がひどくて、もう向かいの坂道を登る気も失せ、叢の坂道をたどって自動車道路に着き、遠くに見える建物がワンス・ブルード(Once Brewed)のB&Bのあるところを目指してトボトボ歩いた。

此のB&B はツワイスブルード(Twice Brewed) と呼ぶ。大きくてレストランもバーもあり、雨でずぶ濡れの私をすぐ部屋へ案内してくれた。まずは風呂桶にお湯を満たしゆっくり温まり居眠りもし、さて風呂を出ても着替えがない。スーツケースは5時まで来ない。バスタオルにくるまってベッドにいて、薄いスカーフを巻いてスーツケースを探しに行った。若い男の子がスーツケースを持ってきてくれた。

此の日の歩行数34467歩

 

 

 

 

 

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へ‐ドリアン・ウオール踏破 Chollerford

2024-08-31 19:22:17 | 日記

いつもは朝寝坊の私が、こんな旅になると目覚めが早く、6時半には起きて一人で朝食、サンドイッチも作って、エージェントが次のホテルまで送ってくれるスーツケースを庭に置いて、寝ぼけ眼のご主人に別れを告げた。

道路はまっすぐ、ローマ人が作った道路を18世紀、ミリタリーロード(軍事道路)に作り直したもので、此の道路脇にPablic Foot Pathがある。

牧場の脇を通ると此の人懐こい馬がついてくる。日本語で話しかけるから判らないのかしつこく柵を出るときなど 押しやるようにしないとくっついて離れなかった。

此の牛は今年生まれのまだティーンエージャーで、私が珍しいのかじーっと見つめている。

途中の道筋にロビンフッドのバー、レストランが有り、その玄関脇にウオール・パスポート・スタンプ・ポイントがあった。パスポートは郵送で申し込んで2週間かかると言われて諦めていたから、ノートの端にスタンプを押してそれでよし。

広い牧場の真ん中に細い道があり、あちこち馬がいたが、ここは人間など興味なさそう。

パブリック・フット・パスでも此のあたり大変歩きやすい。

ファイヤーウイード(日本語ではやなぎらん)

道端の可愛い野生の花が目を楽しませてくれる。

壁を超えるには必ずどんぐりの標識と階段が作られている。

このあたりの壁は薄くて本当にローマ人が作ったものかはわからない。

ローマ人が作った壁は石の大きさが違う、そして2000年近くになると平地の壁は一般住居の土台や、教会の建設に使われてほとんど見かけることがない。

此の標識の中の人物は1802年78歳でバーミンガムから壁を往復して自宅へ帰り着いた600マイル(966Km)を35日で達成、その間一枚のソックスで過ごした・・・というからここまで匂いがしそう。

此の人ローカルの人達が壁の石を自宅へ運んでいるので、地主に掛け合い壁の保存に尽くしたそう。ローマ人は此の地点から東に向けては壁の幅を今までの3メータ近くから2メータ近くまでに計画変更をしたという。

写真がぼやけていて申し訳ない。イギリスで一番キレイな蝶と言われているピーコック・バタフライ。

ここはChollerford の手前細道を数人の人が歩いていたのを見て、付いて行ったらその遠いこと、往復で2kmは優にあった。

川縁の巨石でローマ人がここで川に橋をかける計画だったらしい。

上の橋が計画されたが流れて下の橋を川上に作った。

 

ここはChollerford のチェスター(Chesters)と呼ばれるローマの駐屯地だったところで、ローマ兵が500人は常駐していた。

広大な敷地にいかにもローマらしく四角四面な建築物、2000年という年月が恨めしい。どんな建物だったか、中はどうだったか、此の寒い北国で彼らはどうやって暖を取っていただろうか?

此のチェスターの玄関で此の夜のB & Bのオーナーが車に乗せて彼の家に運んでくれた。私を入れて4人の宿泊、2人はアメリカ人中年夫妻、もうひとりはヒゲのおじさん。

此の日の歩数 46,016歩距離はわからない。距離を示すアップルウオッチが途中でバッテリーが切れてしまった。

でも私は足腰問題なくシャワー後いつの間にか寝ていたので、夕食の7時に30分も遅れてしまった。

 

 

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へ‐ドリアン・ウオール踏破 Heddon-on-the-Wall

2024-08-31 00:10:26 | 日記

朝7時半に起き、ホテルの朝食ーイングリッシュブレックファースト(英国独特の朝食)

ベーコン2枚、ソーセージ2本、ブラックプディング(これだけは食べない)トマト半切りを焼いたもの、ベイクドビーンズ、トースト、スクランブルドエッグ、・・・・こんな高カロリーの朝食を7泊中、4回食べた。

9時に大きなスーツケースを預けてバムバックと小さなリュックに水ボトル2本とビスケット、カメラを入れて出発。今日は15マイル(24.2Km)の予定。天気は良いが強い向かい風、太陽は後ろから昇って私は自分の影を追いかけながら歩いていた。

街が途切れるまではしっかりとした散歩道で、コーナー毎に上のサインがある。

写真がボケて申し訳ないが、歩きながら通りすがりの女性に、一体何の煙突だと聞いた所、昔のガラス工場の煙突とのこと、もう廃墟らしい。

ガラスもローマ人が此の国にもたらしたもので、長い歴史がある。

川縁の1っ箇所にこんな説明案内があった。此の場所で1640年8月28日英国軍とスコットランド軍の戦があったと言う。2000年前から両国は仲が悪かったらしい。

川向うに英国軍が陣取りスコッチ軍は丘の上から襲ってきている。4人のウオーカーが熱心に読んでいたが、私は写真を撮してそのまま先行。

麦畑は取り入れを待つばかり、こんな畑の隅っこがPablic Foot Passになっている。

冬用の動物の餌に牧草を刈り取りおむすび状にして保存する。

此の川縁の歩道の脇にスティーブンソンの生家があった。ナショナルトラストが管理しているが此の日は開いていなかった。スティーブンソンは蒸気機関車で有名な人、しかし1781年生まれの彼はまだ学校教育はされておらず、機械に興味のあったかれが実際に鉄道エンジンを開発したのは32歳からだった。67歳で亡くなるまで彼は鉄道の父と呼ばれた。

此のコッテージを1km以上も行ったところで道を訪ねたらずーっと前に丘に登っていくべきだった、あのコッテージまで戻ってその後ろから登りなさいと言われ、がっくり。コッテージの後ろの農道は急坂で、ハアハアあえいで上り、やっと自動車道にでた。

たどり着いたところは広大な手入れの行き届いたゴルフ場で、オフイスの前にいた男性にHeddon-on-the-Wallはどう行ったらいいかと聞くと、とっても親切に教えてくれた。

途中の道端のお屋敷の庭に今まで見たことのない花が咲いていた。グーグルで検索するとバラだというが葉が違う。誰か知っている人はいませんか?

こじんまりとした村のコッテージの前庭、へ‐ドリアンの壁よりも花が好き。

やっと探し当てたB & Bは母屋から離れた一軒家でリヴィングとキッチン、2シングルベッドの寝室とシャワートイレ、朝食用にパンやミルク、セアリアル、何でも良いとのこと、明日のお昼用にサンドイッチも作って持っていきなさいとハムとチーズも置いてあった。

昔買った蝶のコレクションで、我が家にもあるので、話がはずみ孫の写真の見せ合いから、日本の庭園を是非見たいと言う。京都の庭の写真コレクションの本を送る約束をしてしまった。

ここが離れの1軒家、

ここは母屋のコッテージでとっても親切な夫婦だった。此の場所まではローマの遺跡は殆ど残っていない。明日からが楽しみ。此の日に万歩計は35,252歩を記録した。多分15マイル(24KM)くらい歩いたかもしれない。

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へ‐ドリアン(ハドリアヌス)ウオール踏破‐ニューカースル

2024-08-30 05:29:30 | 日記

8月22日ロンドンのキングス・クロス駅から英国北東部のニューカッスルへ向かった。キングス・クロスはロンドン中央部の大きくそしてきれいな駅. 4日目の月曜日が8月の休日の為長期ホリデーを計画している旅行者がおおい。

そして此の長い行列は、ハリー・ポッターが此の壁のプラットフォーム9と3/4から魔法の学校へ行った映画のシーンでここで写真を取るために並んでいるひとたち、 

イギリスの電車代はとっても高いが、年寄り向けシニアカードなるものを1年間30ポンド(6000円)で購入すると割引になりニューカッスルまで47.74ポンド(約9600円)それも早期予約購買が必要。当日券は高い。座席指定は無料。

電車は日本の新幹線とは比べ物にはならないが、座席はゆったりしていてニューカッスルまで3時間位、ニューカッスルは英国北端、それより北はスコットランドの首都エジンバラになる。

此夜のホテルは駅の近く、荷物を置くとすぐ街の見物に出かけた。

さすがローマ人が基礎を築いた街、立派な建物が多い。そして此のあたりは気温も穏やかであまりロンドンと変わらないように思われた。

上2軒の建物は劇場。へーこんな田舎にもと思ったけれど、ここは決して田舎ではなさそうだ。

まるでロンドンのストリートを歩いているみたい。2000年の昔ローマ人が攻めてきて、英国を占領した頃のイギリス人たちは、木で住居を造っていたであろうが、ローマの文化に慣れ親しんで石造りの住居や文字もラテン語を話し、書き、ローマの文化を享受して、今の英国はローマ人が400年近く統治したおかげだろう。

此の街の2階建てバスはロンドンと違いブルーやグリーンで統一されている。

 

夕暮れ前、明日から出発する川縁を調べに行き駅裏といえども広大な所、試行錯誤でやっと見つけた。タイン川(River Tyne)にかかる橋がたくさんあった。

タイン川は英国海峡に流れ込む。

 

 

 

 

 

 

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ヘイドリアン・ウオール(ハドリアヌス)を歩く準備 その2

2024-08-15 02:05:56 | 日記

まず最初に買ったのが此の本、Wall の歴史から如何にして此のWall を歩くか、宿泊はどうかとか食事はどうするか、荷物はどうするか、リュックに詰める必需品はなにか、と事細かく書かれている。

ずいぶん昔一年だけトラベルエージェントに勤めたことのある娘は、真夏の一番忙しいとき、自分でホテルを探して交渉していればそれだけで1週間はかかるといって、此の本の中にもあるトラベルエージェントにメールを送った。

エージェントの人が親切で、2週間以内に返事をくれると言っていた。それが昨日、やっとホテルが全部決まったよ‐ とメールが来た。はじめに連絡したときに全額払っておいたので、彼らも真剣にさがしてくれたらしい。

さてそれで、昨夜自分のアカウントを作って7泊8日のプランを見ようとするが、どうしてもあかない。とうとう隣の21歳の息子に来てもらってコンピューターを駆使してすべてがスマホで見られるようにしてもらった。

80歳の私では知らないことが多すぎて、彼にも一緒に行こうよと行ったら僕は仕事があるからといい、道に迷ったら僕がヘリコプターで助けに行ってあげる と本当に優しい男の子。

毎日歩く距離が 1日目ーーー25.5km

        2日目ーーー26Km 

        3日目ーーー20.5km

        4日目ーーー28.8km

        5日目ーーー26.4km

        6日目ーーー23.5km

すごいハードスケジュールだけれど、此のエージェントが荷物は次のホテルへ運んでくれるそうで、水と食料、それに雨具があればいいとのこと。 

早速昨日は20kmを歩いてみた。4時間休まず、座りもせず、水を飲んで一切食べ物を食べずに歩いてくたくたで帰ってきたが、上のスケジュールは一日8時間で歩く距離、焦らず楽しんで歩こうと思う。何しろ昨日はアイフォーンと連結している腕時計が1km毎に11分20秒とか12分30秒とか言うので焦って休めなかった。

それで昨夜その時計をON/OFFすることを教えてもらい、今日は6km歩いたけれど先にバッテリーが切れてしまった。あまりにコントロールしすぎるとバッテリーを消耗させるようだ。 

このWall にはローマ兵が駐屯していたところが遺跡として残っていて、そこはナショナルトラストとイングリッシュ・ヘリテージが有料で公開している。だから両方のメンバーシップも買った。エキストラのお金がどんどん出ていく。 

        

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再び西洋菩提樹(ライムツリー)

2024-08-14 18:15:30 | 日記

先日マーケットで大きなはちみつを見つけ、このはちみつが西洋菩提樹の花から集められたものだと知ってもちろん買った。

ブルガリア産のLinden と書いてあるのはドイツ語で英語ではライム 日本語では西洋菩提樹のことで、ラベルに書かれてあるライムの実を見ればわかる。

 

この花が一斉に咲いているとき、ミツバチが大騒ぎで花に群がっていたものだが、今年の春にはほとんどミツバチを見なかった。天候異常?公害?ミツバチが減少していることは最近では危惧されている。ミツバチがいなくなると果樹や野菜自然界の草花にも大変な影響を与えると言われている。

花が終わったあとにはこんな小さな実がびっしりついている。今ではどのライムツリーも緑の葉に薄緑の実がびっしりついて、どんな遠くからでもなんの木か一目瞭然。

これは7月イタリアで見つけたもので、実も大きく花は一体どれほど大きく咲いていたのかとっても気になる。此の木の下もミツバチがとびまわっていたのだろうか?

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8月の我が家の庭

2024-08-13 01:33:53 | 日記

この所ロンドンも真夏になって、今日の外気は31度とか家の中でも27度もあって、窓を開けられない。冷房装置はないが、屋内でカーテンを閉めていれば、あまり暑さは感じない。

数日前に一度雨が降ったけれど、地面はカラカラに乾いている。

裏庭のアナベルはますます大きくなり芝生を占領しだした。シュウメイギクも負けじと咲き誇り、今年始めてのミツバチがわんさか来ている。

 

鉢植えのミニオレンジの木は5月から庭において太陽に当てていたら小さな蕾がいっぱいついて、可愛い花が咲き始めた。リビングルームで、冬の間中小さなオレンジが彩りを添えてくれる。

鉢植えのあじさいもそろそろ終わりかけ、今年は切り戻さないと行けないみたい。

エキネシアは畑の隅においた狭い石造りの鉢に植えたのが、鉢の下に根が張って植え替えできない。本当は前庭に植えたい花だ。

数年前から毎年球根を買い足しているので色とりどりのベゴニア、次々と花が咲くので夏の間中楽しめる。

梨の木の下、いろんな花が次々咲いているが、手入れできない。

昨年は実が実る前にリスに取られて、5個ほどしか食べられなかったいちじくは、今年はリス退治もできないから、大きなレースの袋をかぶせてこんなになった。

隣近所にも少しづつ上げて喜ばれている。

 

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イタリア1週間のホリディー 帰国

2024-07-27 05:16:04 | 日記

水曜日はイギリスに帰る日、朝7時半にはフラットを出ると言われていたが、朝4時くらいから眠れず、起きて荷物を全部バッグに詰めて、1個だけ残っていた黄色の瓜を切って袋詰にし、飛行場で食べるようにしたが、パトリックが起きてすぐ朝食代わりにつまみ、私も一緒に食べてしまった。

7時には準備整い、マーブルの階段を降りると、隣の奥さんが待っていて私に怪我させたことを気に病んで色々話す。でもイタリア語はぜんぜんだめ。笑ってサヨナラを言ってきた。

7時ちょうどの気温は27度、車を走らせ10分後には30度になっていた。今日の出発空港はバリ(Bari Air port) フラットから高速道路を走って2時間、道路の両脇は赤、ピンク、白の夾竹桃が小山のようになって咲いている。それがほとんど切れ目なく空港近くまで咲き誇っていた。

バリ飛行場は本当に田舎の飛行場だと思い知らされたことがあった。今も水は禁止事項だと荷物検査の前に捨ててしまい、そこを通って飲水を入れようと、聞くとトイレしか給水場はないと言われがっかり。売ってるボトルの水は2.5ユーロだという。

パスポートコントロールを通って待合室が1階と2階にある。1階からはそのまま歩いて飛行機に乗れる。ところがここで2時間近く待っていて12時15分発に乗る前にお手洗いへと行った。1回の待合室にお手洗いはなく、2階へ行くエレベーターは故障して動かない。この2階へ行ってお手洗いの前には20人くらいの女性が並んでいる。聞けばトイレは男女1つづつしかないという。延々と待ってやっとトイレを出て1階まで駆け足で行ったら、パトリックとジュードはもう出かける寸前ドアのところで待っていてくれた。空港の働いている女性に、なんてひどいトイレだと文句を言ったら、彼女も そうだからいっぱい文句を書いて送ってくれ。といわれた。

飛行は快適、3時間半でロンドン郊外のガトゥイックの空港についた。

 

ロンドンは久しぶりに晴れて、窓からドーバー海峡とケントの農場や森が見える。 

線の入った農地は多分麦を刈り取ったあとらしく、緑の農地は牧草地だろう。

イギリスには山がないから、なだらかな丘と農地と小さな村が散在する。

ガトイック空港の近く、この駐車場は長期駐車の車で、当日の送迎は5-6階のビルの中にあった。

この日の新聞にはイタリア、ギリシャから東の国は猛暑、フランス・ドイツ北欧ともちろん英国は気温もやっと2桁。最高温度が20度とか。

たとえ1週間離れていても英国のニュースはやっぱり面白い。おかしな写真を2枚だけスキャンした。

ロンドンの観光客が一番集まるホワイトホースガードの一コマ、後ろに大きく   警告 近寄ると馬が蹴るまたは噛みつく と書いてあるのにこの観光客読めなかったか見なかったか、馬に噛みつかれたが実際は病院へ行くほどでもなかったという。

 

この醜いピンクの巨大な男の像はアートなのだそうだ、それでこの像が設置された後ろの家の人々は  Very unhappy (幸せじゃない)なのだそうだ。彼らの家の窓からはこの巨大な男のお尻しか見えない。・・・思わず笑ってしまった。

 

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イタリア1週間のホリディーDay 5

2024-07-25 06:03:05 | 日記

明日は帰国という火曜日、パトリックとジュードはウオーターパークへ行った。それがどこにあるかも知らないけれど、今日1日私はフリー、なな業も何時間かはフリーだ。

相変わらず太陽の直射日光はきつい、けれどこの日は湿度が低いせいか木陰や影に入ると爽やかな気がする。それで10時ころからカメラを下げてこの街を歩いて1周することにした。

この街ポート・セサリオ(Port Cesario)の街は碁盤の目のようになっていて、非常にわかりやすい。

これはフラットの玄関横に生えている小さな桃の木に鈴なりの実、大きそうなのを数個食べてみたけれどまだ酸っぱい。

フラットから海に向かってまっすぐ歩いているときに、庭の塀から突き出ていたブーゲンビリヤ、花のつき方が面白い。

 

これも通りに面したお家の庭で八重のハイビスカスが素晴らしい。

 

この海は初日に泳いだ所。遠浅でどこまで行っても足がついて立って居れるから、スノークルしても全然面白くない。ただ水がやたらと温かくて、温泉に入っているようだった。

港に立っているこの塔。近寄ってみると中は人が住んでいるような、窓が開いていて玄関に入る呼び鈴みたいなのがあった。

塔の周りに影を作っている木に、蕾なのか実なのかわからない初めて見る木だった。もちろん誰にも聞けないのが残念。

橋でつながっている小さな島は高級リゾート地みたい。

 

海岸の砂地に咲き誇っていたブーゲンビリヤ。

派手な色の花が多い中にこの純白な夾竹桃が目についた。

大きな豆鞘みたいな種が下がっているノウゼンカズラ。英国では見たことがないから種を探してみたがまだ固いグリーンでは役立たず。

この鮮やかなルリマツリ、昨日ブロ友さんのブログの写真で名前を知ったばかり。あまりにきれいでもし挿し木でついたら儲けものと15センチ位の新芽を3本取って水のボトルに入れて持って帰った。

 

 

これは一番単純なブーゲンビリヤ、小さな白いのが花で、ピンクはがくが変化したもの。

サルスベリが咲いていた。イギリスでは絶対に見られない花で、多分この花を最後に見たのが51年前の日本だった。

海岸線の小さな空き地、巨大なうちわサボテンとまだ若いリュウゼツランの葉。

 

ここでもリュウゼツランの花が咲いていた。今まで車の中から写真を撮っているだけだから近寄れなかったが、今日は初めてこの花を接写拡大して見ることができた。

日陰のない炎天下咲いているのは夾竹桃ばかり。

これは特に珍しい。ハウスプランツのアンブレラプランツにこんな実がなっている。こんな暑い国ではこの木も巨大で屋根まで届いていた。

一体どんな花が咲いたのだろうかとっても気になる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

午後遅くパトリックとジュードが帰ってきた。ウオータースライドと50メータのプールで何十往復したとか、ジュードは興奮して話していたが、この夕街の中心街で夕食をというときには疲れ切っていた。

こんなウルトラモダンなフラット、羨ましい。

車が通らない通りの小さなレストランでタパスを食べた。タパスはスペイン料理。

小皿に少しづついろいろな食物が出てくるが、この生ハムとサラミはとっても美味しかった。

日が暮れてあたりにクリスマスのようなデコレーション。人々の往来がはげしくなってきた。夕食は8時、9時過ぎらしい。

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