ロンドン北部のハムステッド(Hampstead)の公園に有るケンウッド・ハウス(Kenwood House)でアメリカ人画家の展覧会が有るのを知り、久しぶりの雨の中一人で行ってきた。
私は昨年夏ローマの壁を歩いたときに、イングリッシュ・ヘリテイジのメンバーになり、このケンウッド・ハウスの案内が来たわけ。入館してメンバーのカードを見せてすぐ2階へ。そこには常設の中世の絵画がたくさん飾られてある。

ダイアナ・セシル オックスフォード伯爵婦人 (1619年)

アン・セシル スタンフォード伯爵夫人(1615年)同じ服を来て同じポーズをとっている二人まるで双子みたい。


17世紀の男性の礼服、上の男性はイヤリングまでしている。

JMW ターナーの漁師のいる海岸風景 (1615年)

ギターを弾く人 フェルメール 1675年

レンブラント自画像 1686年

ケンウッド図書館 壁をぎっしり埋める羊皮紙の本、本当にこれらを読んだことの有る人たちがいたのかと疑問???
さてここから特別展 アメリカ人ポートレート画家 ジョン シンガー サージェント(John Singer Sargent)


入口の壁を飾る2枚の絵、モデルはわからない。

ナンシー・アスター(NancyAstor) Viscountess(子爵婦人)夫のウォルドルフが1919年子爵になったため彼女は政界に出て女性の権利を主張する。1945年まで政界に身をおいた。

ミセス・ジョゼフ・チェンバレン(Mrs Joseph Chamberlain )1864-1957 はアメリカ マサチュセット生まれロンドンナイツブリッジで死す。彼女はバーミンガム出身の政治家ジョゼフ・チェンバレンと1888年ワシントンの英国大使館で結婚。当時の大統領グローバ・クリーブランドも出席したと言う。1914年未亡人となったが彼女の義理の息子Neville Chamberlainは首相になった。

ミセス(レディ)エディス・チェスター・ビーティ(Mrs (Lady)Edith Chester Beatty)はNew york 生まれ(1886-1952)ケンジントン・パレス・ガーデンにて死す。
彼女は離婚後2度目の結婚にAlfred Chester Beaty と結婚ケンジントン・パレス・ガーデンに移り第一次大戦中自宅を赤十字アメリカ軍の傷病兵に開放、経済豊かな夫君のお陰で、モネ、レノアー、セザンヌ、ゴッホの絵を買い集めたり、エジプトのパピラスや、中国の刺繍、フランスの家具などの収集をしたり、馬の育成や養豚までした。
この人の英国での活躍ぶりを見ると数年前テレビドラマで有ったダウントン・アビーの20世紀に入ってからのお城を維持していくため、あらゆる事業に取り組んでいたのは、彼女のような人たちの活躍ぶりを知ったためかもしれない。

アラバマ生まれ(1879年)テルマンストン・ケントにて死す(1958年)Grace Elvino Curzon Nee Hinds グレース・エルヴィノ・カーゾンはアルゼンチンのアルフレッド・ダガン (Alfred Duggan )と結婚1905年ブエノスアイレスからロンドンに移住し、第一次大戦時には赤十字で活躍、アルフレッドの死後1800万ドルの遺産相続、1917年政府の要人ロードカーゾンと結婚。
上流社会で浮名を流した。このチャコールで描かれたポートレートはカーゾンが特に気に入ったと言う。


ポーリン・アスター (1898年)NY 1880年生まれ1972年ガンジー島にて死す。ポーリンはアスター家の富裕層の一員として生まれたが父親のWilliam Waldorf Aster が英国へ移住した。彼女の14歳のときに母親の死で彼女はテームズ河畔のCliveden の女主人として成長。キャプテンハーバート・スペンダー・クレイと結婚。Greathed Manor に移住し1920年アメリカンガーデンを創造。第一次世界大戦時に回復期患者のために家を明け渡し、ナースとして働く。後にガンジー島に移住。
この絵は彼女の18歳の誕生日記念に父親のコミションで描かれたもの。非常に大きな絵。

ミセス・ウイルトン・ヒップス(Mrs Wilton Phipps) Dame Jessy Wilton Phipps nee Duncan
1855NY 生まれ1934年チャーレイ・ウッド ハートフォードシャーで死す。
ジェシー・ダンカンはNYの上流階級で生まれ育ち、ウイルトシャーのウイリアム・ウイルトン・ヒップと結婚。ローカルのロンドンカウンティカウンシルで働きDame の称号を得た。彼女の夫はブラジルからコーヒーを輸入していたが1911年彼の死後彼女の仕事は増えた。ところが彼女の視覚が悪化しロンドン・セントラルカウンシルのロンドン・ブラインド(視覚障害)で働くようになった。この絵は彼女の母親がサージェントの従姉妹にあたりポートレートを依頼したもの。

デイジー・レイター(Daisy leiter) 後にマーガリーター・サフォーク伯爵夫人。1879年シカゴ生まれ、1968年カリフォルニアで死去
レイター3姉妹メアリー、ナンシー、デイジーはいずれも英国男性と結婚。メアリーはジョージ・カーゾンと結婚、後にインドの総督になった。
デイジーはヘンリー・ハワード19代サフォーク伯爵と1904年結婚。英国ではウイルトシアーのチャールトンパークのジャコビアンの驚異的な家を修理しローカルの織物やレースを宣伝販売に協力。
彼女の夫は第一次大戦で戦死したため、1935年チャールトンをさりサマーセット州とアリゾナを交互に住んでいた。


ナンシー・アスター(1908)1879年生まれ1964年リンカンシャー・グリムスリープ城(Grimsthorp Castle)で1964年死去。彼女は11人の子どもの内8番目に生まれ、家族はアメリカの南北戦争で財産をなくして苦しい幼児期を送った。
17歳で結婚したが1903年に離婚、大西洋航路船でWaldorf Astorと出会い、1906年に結婚。彼の父親は息子夫妻にテームズ河畔のクリーヴデンの屋敷をプレゼント。この絵は彼女29歳のポートレイトでロイヤルアカデミーに展示されたときはセンセーショナルになった。