雨雲が低く覆っている陰鬱な翌朝、キャンプサイトをチェックアウトして、一路マイダネク強制収容所へ向かった。ここはルブリンの郊外で、車窓から広大な敷地と一見ぎょっとするような巨大な記念碑が見えた。
まだ朝9時過ぎ入り口で駐車料金を取る若い女性しかいなくて、駐車はどこでも良いといわれ入ってすぐ近くの駐車場に停めた。小雨の降る中レインコートに傘を差して500メーターも歩いたが、遺灰の祭られている慰霊碑や焼却炉までずいぶん遠い。
亭主はキャンパーを取りに引き返し、その間巨大な記念碑に登って周囲の目測と写真を撮った。キャンパーで慰霊碑まで行くとちゃんと駐車場が設けられていて、受付の女性のどこでも良いという意味が判った。
慰霊碑の中には土と小石がこんもりと山に積み上げられているが、これが遺灰と遺骨であることが判りすごいショック。 キリスト教のお葬式では最後に人は灰になり塵となり・・・・とあるが戦後66年これらの遺灰は土に返っているようだった。
それにしてもものすごい量の遺灰の山、すぐ隣にある焼却炉を覗いてみたが、ここで毎日1000人の死体を焼いたという。この焼却炉は世界で只一つ完全な形で残されたもので見ていて目頭が熱くなってきた。
マイダネク強制収容所は周囲にSS部隊やドイツ軍が駐留していたため、労働力を必要とし、規模はアウシュヴィッツより大きいが、団体観光客があまり訪れないらしくひっそりとしていた。この日私たちの後から3-4組の人たちが車でやってきて、ほとんど物音を立てず、話し声も聞こえず、博物館になっている収容バラックを歩き回っていた。
点々と建っている監視塔と二重の鉄条網に降り立ち鳴きわめくカラスの群れが不気味だった。
ここで強制労働の末亡くなった何十万人にも上る人たちはもちろんだが、この写真で見られるようなドイツのSSオフィサーや男女監視人たちすらも、戦争の犠牲者だと思う。この写真の中のオフィサー イムラーは戦後死刑になったが、写真で見る限りではインテリでとってもやさしそうに見える。
戦争がなければこの人たちも、普通の生活をし人を殺めることも無く、幸せな一生を送ったかもしれない。ドイツ軍の80パーセントは戦後、罪に問われることも無く生き延びたというが、一生罪の意識に悩ませられたに違いない。
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