Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ちょっとローマへ

2022-04-15 05:02:29 | ローマ旅行2022

ポルトガルから帰ってきた翌朝、娘もローマいきの私達3人もガトイック空港から出発する。

娘は午前中に友達とスコットランドへ、私たちは午後1時過ぎの飛行機でローマへと言うことで早めに出て、娘の飛行機に間に合わせ、私たちはゆっくり空港待合室でお昼を食べた。

大体出張に家族がついていくなんて日本では考えられないが、パトリックの会社は世界中に存在し、今回ローマで100人くらいの各国職員が集まってミーティングだそう。

英国の本店支店を集めて何人か出席予定で、皆がローマのホテルに予約をいれたが、一人欠席が出てホテルはキャンセルしても返金されないということで、私に回ってきたという。

飛行機はVueling Air と言う聞いたこともない格安飛行機。これはスペインの飛行機会社でBAと携帯しているという。

今回はチケットもPAF も全部パトリック任せ、ワクチン証明書だけ見せて、搭乗前普通のマスクではだめと言われて、パトリックが急いで買いに行ったのが

これ、大人も子供も全部このマスクをしなければいけない。

 

 

 

3時間後にはローマ郊外の空港に着いた。タクシーで約1時間ローマの外壁をくぐっていく。

 

 

ポルトガルと同じように南国だと思ったが、街路樹に松の木が多い。これはポルトガルやスペインでは見られない。

 

 

 

さすがパトリックの会社が選んだホテル、私たちのポルトガルのホテルとは大違い。

 

ベランダ付きのダブルベッドルームがこれから2泊の私の部屋。ジュードはパトリックと寝泊まりする。

 

ベランダから見えるストリートの様子。

ゆっくり落ち着く暇もなく、パトリックは会社の人たちと夕食に行くという。私もジュードも呼ばれているとのことで、巨大な公園のそば道を通りローマの外壁をくぐってしばらく行ったところの高級レストラン、職員10人ほど、英国人やフランス人、イタリア人、ベルギー人など皆英語が完璧。

素晴らしいごちそうで夜11時近くまで楽しんだ。ジュードなど小さな社交家で終わるまで私の隣へも来なかった。

 

 

 

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ちょっとローマへーDay 2

2022-04-14 01:26:54 | ローマ旅行2022

朝7時半にパトリックから電話で、彼は8時に仕事に行くからジュードを見てくれと連絡が入った。昨夜11時過ぎまで起きていたジュードは寝不足で、8時過ぎ起きだしたものの、今までの元気はない。

それでもホテルの朝食では好きなクロワッサンやジュース、スクランブルドエッグなど食べて、出かける気にはならないらしい。ベッドルームに入ってアイパッドでコンピューターゲームを楽しんでいる。娘からはゲームは30分だけと言われているから、出かけようと何度も言っても眠いから行きたくないとぐずる。

それで眠るかと思うと眠れないらしくまたゲームに手が出る。お昼近くまでぐずぐずしていてとうとう無理にでも連れ出すことにした。外は気温も良くなって暖かい。ホテルの隣は大きな公園で近くに動物園もあるらしく、孔雀の甲高い鳴き声が響いてくる。

 

 

公園内を歩いてすぐにこの立派な建物に行き当たった。ボーゲスギャラリー(Galleria Borghese)で英語の案内板によれば1600年代、ボーゲス枢機卿のアートコレクションのため建築され1階は彫刻類、2階は絵画の収集展示されているという。1700年代にはボーゲス4世によって閉鎖された。

 

 

建物の正面玄関の方には若者たちがいっぱい、あちこちでお昼を食べたり、おしゃべりしたり。

階段下のドアが開いていて若者が入っていくからもしかして開館されているのかもしれない。しかし眠いのを無理に引っ張り出してきたジュードを連れてきていては、絵の鑑賞などは到底無理。

ボーゲス公園を町へ向かって歩き、一番最初に見つけたカフェーで昼食を食べることにした。

サンドイッチ1個、ラビオリ1皿、水とコーヒーで30ユーロ、ポルトガルとのギャップがあまりに大きくて驚いた。

 

 

 

 

 

まずは満腹したジュード、早くホテルに帰りたがるのを、だましだましやっとボーゲス公園内を歩き回った。ダディに電話をしたいとぐずるので3時にはホテルへ引き返し、昼寝をするよう部屋を暗くし私のほうが先に寝てしまいそうだった。ジュードは4時半には完全に眠ってしまい、パトリックが仕事から帰った5時もぐっすり寝ていた。

5時半にジュードを起こして夕食前の散歩と称して、遠出をしてしまった。

 

 

 

ローマの町は歩くところすべてにカメラを構えるところが多い。

テヴェレ川沿いにカステル・アンジェロのみえるところでジュードはもう歩けないと言い出し、

ダディの肩車。

カステル・アンジェロからまっすぐにバチカンが見える。

カステル・アンジェロが特に有名になったのがダン・ブラウンのダ・ビンチ・コードで2003年に出版され一躍有名になった。本の中の主人公ロバート・ラングドンがこのカステル・アンジェロで大活躍する。

 

夕日がバチカンの大聖堂の後ろで輝いていて、パトリックは彼の両親がカトリックのため、わざわざアイルランドへ電話をかけてジュードとお喋りさせていた。

夕日が沈むころ路面電車でホテル近くのレストランへ。

 

ピッザを頼んだジュードはその大きさにびっくり、この写真を見る度、笑いが止まらない。

 

 

 

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ちょっとローマへ Day 3

2022-04-13 20:31:45 | ローマ旅行2022

2日目の夜は早くから寝たジュードは、元気いっぱい。

今日はパトリックの仕事も午前中で終わる。高級ホテルの高級朝食を食べて、お昼まで2人ですることは、ホテルの地下にある温熱プールで泳ぐこと。

準備していったら、ルームナンバーを問われ、会社の団体割引のホテル料金にはプールの使用料は入っていないということで25ユーロを払う羽目になった。

それでもジュードが楽しみにしていたから、11時過ぎまで泳いだりジャクジーで遊んだり、一時もじっとしていない。

ホテルは12時にチェックアウトだったから、パトリックの荷物から私たちの荷物を全部持って、タクシーに乗った。

 

パトリックの務める会社のイタリア支店はスペイン階段から100メートルも行かないところで、スペイン広場の標識があった。

 

 

この広場の真ん中に小さな噴水と池、周りにたくさんの人たちが座っている。

 

 

これがかの有名なスペインの階段、と二人で写真の撮りあい、ジュードが甘いものを欲しがるので、お店を探して一番上の階段まで行って見た。上の通りにもブランドのバッグや衣類のお店しかない。教会の中へ入って見た。

 

特に感激するようなものもなくすぐ出てきた。

 

上の階段から見渡せばローマの屋根と広場に行きかう人の群れが凄い。

仕事が終わったパトリックが昼食を食べにと連れて行ってくれたレストランが、彼の会社の上司から同僚たち10数人が集まっていた。誰も私達飛び入りに嫌な顔をするでもなく、親しく会話をしてくれる。パトリックの上司にあたる人もにこやかに挨拶してくれた。

この昼食で皆解散、週末までローマで遊ぶ人や早く家族の元へ帰る人達等で、和気あいあいしていた。

 

荷物をオフィスにおいて3人で行ったところがトレヴィの噴水(Torevi's Fountain)でスペイン広場からもそんなに遠くなく歩いて行けたがあまりに多くの観光客で驚いた。

池の周りをびっしり観光客が取り囲んでいるので、とっても水辺へ行けない。警備員が交通整理をしている。小銭を投げ込んで願い事をするとかなえられるというから、高いところから人に当たらないよう20セントコインを投げたら、若者たちが後ろ向きにやるんだよーと教えてくれた。後ろ向きで投げて水に入るか判らなかったけれどユクレインの平和を願って投げた。

 

オフィスへ帰るとすぐタクシーで空港へ向った。飛行機は行きよりも空いていて3席に私一人が座っていた。夕方の便で帰宅したのは10時、17日ぶりにやっと自分のベッドで休むことができた。

 

コメント (2)
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