Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

コロナ禍のイタリア旅行。

2021-11-02 05:04:31 | コロナ禍のイタリア旅行2021

先週金曜日(10月22日)夕から今朝(10月27日)までイタリアへホリディに行ってきた。ちょうど先週から娘の働いて居る学校が2週間の休みになり、孫のジュードが行っている学校は金曜日から2週間休みに入った。

それで娘婿のパトリックはミラノへの出張も兼ねて、家族全員でホリデーに。パトリックは月曜日と火曜日はミラノのオフィスで仕事をする。

今まで海外旅行と言えば飛行機を予約して、パスポートさえあればどこへでも行けた・・・・がこのコロナ禍、そんなことは夢のまた夢になってしまった。

まず先週の月曜日、ワクチンを打ったという証明書(NHS Covid pass)を発行してもらわなければいけない。本来ならインターネットで私の携帯・アイフォーンに送ってもらえれば良いが、娘のお古を使用しているため、折角のインフォメーションが開けられない。それで郵送してもらうようメールを送って、5日かかるとのこと。

次に出発前48時間以内にCovidの検査をしてその結果を書類にして貰わなければいけない。インターネットで住んでいる地域で検査をしているところと検査費用を検討し、私と娘は一人40ポンド(約5600円)木曜日朝9時過ぎに予約したが、孫のジュードは学校が終わった3時半以降でなければということで木曜日夕5時違う場所で一人50ポンド(約7000円)パトリックと2人で予約。これも娘が月曜日と火曜日にインターネットを駆使して見つけたもので、高いところは120ポンド(1万6800円)と暴利をむさぼるところもある。インターネットに詳しくない私には、とっても探すことはできなかっただろうと思う。

次にEU Passenger Locator Form これなぞ英国がEU を脱退したため書き込まなければならない書類で、インターネットで送られた5枚からなる書類に書き込んで送り返さなければならない。これには気がおかしくなりそうなくらい大変だった。娘とパトリックに交互に電話して教えてもらい2-3時間かかって書き終え送付した時は、もうゲッソリ。

もう一組 UK Visas &Immigration のフォームはパトリックが書き込んで送付してくれた。

これら上2部の書類はインターネットで直接EU 並びにUKの入国管理署に送られているからパスポートを見せるだけで問題なく入国できる。

これらの一つが欠けていても旅行できない。なんと不便な世の中になったものだ。

さて金曜日の午後娘の家からタクシー(娘婿の会社持ち)でロンドンルートン(Luton)空港へ向かった。この日は高速道路で事故があったとかで、車の流れが遅く、普通は2時間で行けるところ3時間半もかかって間に合わないかもと心配した。

ロンドンとミラノ間は1時間20分の飛行時間、時差1時間を入れて夜10時にはミラノに着いたが、パスポート・コントロールで英国人だけ長蛇の列。これもEU 脱退したためとボリス・ジョンソンがうらめしい。

無事解放されたのは11時、そこからミラノの主駅近くの宿泊所までタクシーを飛ばして1時間、夜中12時にやっと着いた。タクシー代も130ユーロ(120ポンド近く)

ところでイタリアのコロナ対策はとっても厳しいのがこの旅行で良くわかった。何しろロンドンから乗った飛行機もマスクはサージカルマスクでなければだめと言うことで娘は大慌てで買いに走った。大人も子供も飛行中はマスクをする。

空港から乗ったタクシーも運転席と客席には厚い透明のビニールが張られ、乗員皆マスクをしなければならない。

 

ただ一晩だけ泊まった宿泊施設は、真っ白の床タイルと直径1メーター以上もあった壁時計が気に入った。台所ではお茶やコーヒーを入れることはできるが食べ物がない。パトリックと二人で近くの駅構内へ行った。

そこはパンのお店やコーヒー店、餃子の店などずらっと並んで買い物客は皆しっかりマスクをしている。私たち2人ともマスクを忘れて仕方ないからスカーフで覆面をしていたら後ろに並んでいた若いイタリア人女性が2枚のサージカルマスクをくれた。パトリックは大喜びで 僕と結婚してください。皆で大笑い。 その駅構内のテーブル・イスで朝食を食べていたら、コービット検査官登場。

ワクチンの証明書を見てOK が出た。これ以来どこへ行ってもワクチン証明書が離せなくなる。

 

 

 

 

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コロナ禍のイタリア旅行ーコモ湖

2021-11-01 04:30:49 | コロナ禍のイタリア旅行2021

 

ミラノ駅は巨大でまるで大聖堂のような趣。

 

高い天井や大理石の柱など、19世紀の建築物だろう。

駅とは人の集まるところ、正面玄関左側に警察と陸軍兵士の群れが立っている。

その近くの木の下では

 

ホームレスの人たちが寝ている。

 

私達は12時の電車でコモ湖へ向かった。

コモ湖はミラノから電車で1時間ほど、ここはお金持ちの別荘の有るところで、湖の周囲たくさんの家が押し合いへし合いしている感じ。

コモ湖は漢字の人の形をしていて、電車を降りたところは人型の又よりやや右上ヴァレンナ(Varenna)と言う町。湖の周囲は山が囲んでいるから、狭い平地か山の段差に家が立ち並んでいる。

 

 

 

 

ラッキーだったのは毎日青空に恵まれ、もう冬の気配の英国のグレイの空から解放されたこと。

青空を写した鏡のような湖で、ずーとここに滞在したいと思った。

 

今夜の宿は狭い急坂を上ったところにある2ベッドルームの気持ちの良いBB. 壁紙は湖の写真が貼ってある。

 

 

 

 

 

この湖の各町をつなぐカーフェリーが運航している。

 

 

岩山に生えている糸杉が、イタリアらしい。

湖のほとりのカフェーで昼食を済ませ、訪れたのがここ Villa Cipressi  ここは大きなお屋敷で、庭が小さな植物園になっている。

 

 

タイサンボクの花の終わった後、実がはじけて赤い実が見え始める。この実初めて見た。

 

 

 

誰も採らないところを見ると、多分渋柿に違いない。大きな木一面、大豊作だった。

 

のこぎりを連想させる葉が面白い。

 

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コロナ禍のイタリア旅行ーVilla Monastero

2021-10-30 05:01:24 | コロナ禍のイタリア旅行2021

Villa Monastero は過去には尼寺だったらしい。この日私は財布だけ娘のバッグに入れてもらって、自分のショルダーバッグを持ってなかった。それで入室するときは必ず見せなければならないワクチンの証明書を持って行かなかった。

料金を払ってから気が付いたため、屋内には入れず、庭を歩き回るだけになった。娘だけ中に入って昔風の家具など見てきた。

 

 

 

ポルトガルでもよく見かけたイチゴの木?この実からリキュールが作られるとのこと。

 

 

真っ赤に色づいた蔦。秋たけなわ!!!。

 

 

小さなモーターボートが7艘のヨットを引っ張っていく。

 

巨大な鉢に植えられた巨大なサボテン。サボテン大好きな私、これを見ると欲しくなる。

 

 

Villa Monasteroから見たVilla cipressi、湖のほとり、一幅の絵になる。

 

 

さすがローマの末裔、床のモザイクタイルが素晴らしい。

 

 

庭の通路わきに植えられた10本ほどの柑橘類の木、グレープフルーツよりも大きく英国ではポメロと呼ばれる。日本のザボンだろうか? こんな大きな実がなっているのをはじめてみた。通りがかる人達皆、珍しそうに写真を撮っていた。

 

 

 

見たことがあるような無いような可愛い花。

やたらとひねくれたシュロ? どうしたらこんなになるのか不思議。

 

 

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コロナ禍のイタリア旅行ーBellagio

2021-10-29 05:02:39 | コロナ禍のイタリア旅行2021

 

翌朝、フェリーで湖が2又に分かれているその真ん中の突端部、Bellagioへ行くことに決めた。

フェリー乗り場まで湖のふちを歩く。さすが観光地だけあって、細い水際の歩道はよく整備されている。

 

 

Varenna と隣接しているPerledo の町、フェリーから見ると山の上まで家々が点在している。

 

 

フェリーの真ん中は車が入り、私たち観光客は両側の階段を上ったところの椅子に座って周囲を眺めることができる。

 

ここが昨夜泊まったVarennaの町。

 

Bellagio には30分ほどで着いた。

 

 

フェリーを降りるとすぐ近くにあった玩具のような観光電車で娘とジュードは乗って廻るという。

 

 

ここはVarenna よりもずっと観光化していて、水際の通りはレストランと、お店がズラーと並んでいる。

 

 

この水際のお店やレストランと直角に細い急坂の階段が何本も山へ上ってゆく。

教会の広場へたどり着くとそこからは水際の道路と平行に狭い道路が走り、両脇はいろいろ素敵なお店が並んでいた。

 

 

 

この狭い道を大勢の観光客が右往左往する。それに車がゆっくり通り抜ける。

階段の細道のピザレストランに予約を入れて、娘とジュードに携帯で知らせ、12時半に再会。

毎日昼食にグラス一杯のワインと大きなピザを食べている。どこのレストランでも入る時にはワクチン証明書の提示を求められ、QR Reader でピーと検査して入室許可になる。

この日のピザも直径30センチほど、6歳のジュードが残さず食べるのには驚く。

 

街角の壁に音楽家のフランツ・リストが住んでいた。との石板が貼ってあった。

さて午後3時40分の電車でミラノへ帰ることにし、2時半から待って乗ったフェリーが、Perledoのフェリー乗り場の着岸に失敗し、まるで嫌がらせの様に、何度もトライしてとうとう電車がつく5分前にやっと下船できた。パトリックは駅で電車のチケットを買うため急いで走って行ったが、私たちが行ってみると、全線不通になっていて、今日は電車は来ないというアナウンス。

明日月曜日はパトリックが会社へ仕事に行く日で、何としても今日帰らないといけない。この沿岸にはバスも通っていないし、駅にはたくさんの観光客があふれた。

皆それぞれタクシーを雇って出ていく。パトリックも昨夜ホテルを世話してもらった若い女性に連絡してタクシーを探してもらった。タクシーがやってきたのが6時頃、娘は車酔いするから助手席に乗り、パトリックが後ろ真ん中、ジュードと私が左右に乗った。

2車線の道路はトンネルが多く、車に揺られているうちに、私とジュードはパトリックを枕に寝てしまった。ミラノの街中の宿泊所まで200ユーロ払った。

 

 

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コロナ禍のイタリア旅行ーミラノDay 1- 大聖堂

2021-10-28 21:30:33 | コロナ禍のイタリア旅行2021

ミラノの中心地は大聖堂(ドゥモと呼ばれる)の有るところ。ミラノで3泊した宿がこの大聖堂まで40分から50分で歩いて行けるところに有って、市内だから設備は大したことはないのに値段は非常に高いところだった。

 

 

月曜日の朝はパトリックが出勤した後、3人で歩いてこの大聖堂へ行った。通りを歩いている人もみなマスクをしている。

入場チケットを買うところは長い行列、屋内に入ったところでまずはワクチン証明書を調べられ、聖堂内と屋根に上がるエレベーターのチケットを買った。

聖堂への入り口で並んでワクチン証明書を見せて入場可。

 

この聖堂内部の床が色大理石で作られた模様が素晴らしい、何度見ても感激する。

 

四方の壁を埋め尽くすステンドグラスを見ると、いつも思うのは宗教はいつの時代も貧しい人を搾取して、すごい芸術作品を残したものだ。

 

 

屋根へ上がるエレベーターは聖堂の後ろの入り口から入る。ここでもワクチン証明書を見せて初めて中に入れる。小さなエレベーターで4人しか乗れない。

数年前ポールとこの大聖堂へ来たときは、屋根へ上れることを知らなくて、ここへ来た日本の従姉や、ロンドン滞在の日本人の友達から、ここが一番素晴らしかったと話を聞いていた。

エレベーターを使わないで階段を歩いて上がると料金は安くなるので、若者たちが息を切らせて上ってきた。

 

 

 

 

石で作られた建築物でもやっぱりいつも改修、補修が必要で、いつ来てもどこかを治している。

 

 

 

この白い石は補修後の石で、上の写真の部分だけ石の交換するのも大変な工事だろうと思う。

 

 

石像の向こうに見える四角い建物が、ミラノで一番醜い(アグリー)な建物と言われている。

 

 

石造りの建築物でいつも見られるのが、こんなおどろおどろした醜い動物の飾りで英語ではガーゴイルと呼ばれる。これらは日本の鬼瓦と同じような役目と考えられる。

屋根からの下りにはエレベーターがなく狭い石造りの階段をせっせと降りなければならない。約3分の1くらい降りたところで、キャーと叫び声を聞いた。降りながら角を曲がったところで、イタリア人の中年のおばさんが倒れていた。

言葉は通じないけれど、左足首をくじいた様子。さてどうしたものか?ちびデブの重そうなおばさん、私一人ではどうしたって持ち上げられそうにない。そこへイタリア人の家族連れがやってきた。そこの娘さんと2人でやっとおばさんを立ち上がらせて、その家族のお父さんがおばさんを支えて、私に行きなさいと言ってくれた。

地階に降りるまで相当の階段を下りてきて、あのおばさん足が使えないのにどうするのかと心配。それでセキュリティのお兄さんのそのことを伝え、彼は無線で誰かに連絡していた。

 

 

さて大聖堂の広場の左横に立派なショッピングセンターがある。世界のブランド物のファッションや靴バッグなど、有名店がズラーと並んでいる。

 

天井も内装もどれも素晴らしい。

 

 

 

特に気に入ったのが大理石の床模様。ここでもさすがローマの末裔、モザイクにかけては世界一だと感心する。

数年前ポールと来た時、中国人の観光客がこのモザイクの上にべったりと座り込んで、異様な眺めだったのが忘れられない。このコロナ禍でただ一つ良かったのが中国人団体観光客が一人も居なかったことだった。

 

 

 

 

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コロナ禍のイタリア旅行ーセンピオーネ公園【Parco Senpione)

2021-10-28 04:51:31 | コロナ禍のイタリア旅行2021

ショッピングセンターを通りすぎた広場の電車通りにあるのが、オペラ界では一番有名なスカラ座、以前見た時も今回見た時も、外観の目立たないこと。期待していくと一番に裏切られる。

 

 

壁の2か所に21年から22年の出し物のリストが張り出してあるが、いったいどれだけの人がコロナ禍を押し切って見にいくのだろうか?オペラハウスの中を見たいと受付へ行ったら明日は開いているからと言われた。多分午後オペラかバレーのパフォーマンスがあるのだろう。

 

昼食はまたもやピザを一人1個づつ食べ、6歳のジュードが直径30センチもあるピザを残さず食べるのにいつも驚く。午後娘は科学博物館へ行くつもりが、月曜日は公共施設は全部休みと知って、近くのスフォルゼスコ城(Castello Sforzesco)へ行った。

 

このお城大きくて立派な城だがあちこちに小さな展示場があり以前行って見たが、大したものが無くて何を見たかも記憶にない。

 

お城の前の噴水が面白いと孫のジュードは一回り水と遊んでいた。

 

 

広大なセンピオーネ公園は池やベンチやスポーツ器具が置かれてあり、結構楽しく時間を過ごすことができる。

道端の芝生のあたりにクルミの実がたくさん落ちているのを見つけた。たまたまバッグに入っていたビニール袋に40個くらい拾った。まだ外側の実が腐って黒いままクルミの実にくっ付いているから、かえってきれいに洗わなければならない。

 

公園の一角に小さなアンプシアターがあり、真ん中の小さな舞台でジュードが演説をする。私たち2人だからものおじせずに話しているけれど、学校では恥ずかしがって話せない。

このアンプシアターは面白いことにメタルの丸椅子が全部に埋め込まれている。

橋げたにはマーメイド?らしき像が4方に立っていた。

 

 

公園の最奥には凱旋門らしき立派な門 Arco Della Pace と言う。

 

 

あたりがかすかな花の香、これは銀もくせいではないだろうか?

 

宿への帰り道、いたるところに大きな地球儀の飾りが目に付く。

 

 

 

 

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コロナ禍のイタリア旅行ーヴェルディハウスとオペラハウス。

2021-10-27 00:06:28 | コロナ禍のイタリア旅行2021

ミラノ2日目、昨夜はパトリックとジュードはパトリックの会社が予約した高級ホテルに泊まり、娘と私は2部屋のダブルベッドでゆっくり眠った・・・のは私だけ。

娘の部屋には暖房が入っていて暑いのにコントロールできない。それで夕方から庭の戸を全開して温度調節。ところがこの4階のアパートはルーフガーデンになっていて、夕方の風が涼しくなったころには蚊がわんさか入ってくるーーと言うのが翌朝判った。

娘の両腕は蚊に刺されてボロボロ、蚊のキーンと言う音がうるさくて眠れずとうとう耳栓をして寝た。10月末でも蚊に悩まされるなんて。

それで2日目の朝は娘がジュードを迎えに行き、私はヴェルディ・ハウスへ行くため別行動。

ヴェルディハウスはもう20年も前、オカリナを習っていた日本の従姉がこのヴェルディハウスでオカリナの合奏をしたという。ここはリタイアーした音楽家たちが住んでいる高級老人ホームなのだ。それでミラノへ行くなら、ヴェルディ・ハウスへ行ってらっしゃいと言われていた。

 

娘から言われたとおりに歩いて地下鉄の駅に着いたが、切符の買い方が判らない。

切符を買っていた若い女性にクレジットカードを出して買い方を教えてもらった。一日券で7ユーロ。San Babilaの駅から7つ目であっという間についた。

地上に上がってみると道路が6か所くらいに分かれるラウンドアバウトの一角、どこへ行っていいか判らなくて近くでお花を売っていたアラブ人らしい人に聞いた。この人イタリア語も英語も判らなそうな。知らんと言われ、横断歩道で止まっていたおじさんに聞いたら指さしたので大喜びで道を渡って行ったら、ここだよーと大声で指さす。このラウンドアバウトの真横の建物だと言われた。

 

 

ミュージシャンのリタイアメントホーム・ヴェルディ作 と書かれている。

 

玄関が開いていたので入ってみたが、受付では コービットのため閉まっています。と断られた。

ラウンドアバウトの真ん中の銅像はやっぱりヴェルディだった。イタリア人にとっては神様みたいな存在だった。

 

地下鉄で引き返しスカラ座の博物館へ行って見た。ここでもワクチン証明書提示を求められ、階段を上ってゆく。

ヴェルディの銅像。

 

マノンやウェルテルのオペラを書いたマスネの像。

 

 

かの有名なセビリアの理髪師を書いたロッシーニの像。

 

今日はオペラもバレーもない日で4階の個室から舞台や客席を写すことができた。

天井桟敷もあの上の舞台の横だと、本当に舞台の3分の1くらいしか見えない。ロンドンのオペラハウスで何回も見えないのを我慢して見たことか。

ロンドンもミラノもオペラハウスの中は大して変わらないと思った。

科学博物館のロケット。娘はジュードと歩いて科学博物館へ行き、3時間くらいゆっくり見て歩いた。私はオペラハウスの後地下鉄のチケットを利用して、科学博物館へ行き、彼女たちが出てくるまで、玄関内の椅子に座って待っていた。

あとですぐ近くに巨大なストリートマーケットが開かれているのを見て、残念待ってる間に見てまわれたら良かったのにと思った。

それでもマーケットでおいしい柿1㎏99セントで買ったのはラッキーだった。新鮮な魚がきらきら光っていて、ホテルにキッチンがあったならと残念に思った。

今日が最後の昼食だからと娘がやたらとオーダーして食べきれず、ピザ4分の2(2人分)とサラダを持ち帰りにしてもらった。お腹いっぱいで夕食はレストランに行かずサラダを食べて本を読んでいたが・・・・娘一家は最後の夕食、フルコースにワインも食前酒からあらゆるものを飲んだらしい。私の1か月分の食費位を一晩で使った。

 

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