Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

東ヨーロッパの旅 7 ヴィエリチカ 

2011-08-26 17:09:06 | 東ヨーロッパの旅 2011

クラクフの南東15kmに世界遺産に指定されている巨大な岩塩採掘場がある。塩は古代から人間の生活に欠かせないものであり、ローマ時代は軍隊の給料は塩(ソル)で払っていたという。そこからサラリーという言葉が出た。今でこそ塩は大変安いが昔は岩塩を発掘、運搬、売買などでドイツの商人などは多大な財産を築いた。このヴィエリチカ(Wieliczka)でも1250年頃から採掘を始め1950年ごろまで発掘が続けられた。地下64mから325mに渡って複雑な地下道や地下洞窟が掘られ続けた。




英語のツアー案内人が30分おきにグループをまとめて出発しており、先ず最初は300段いじょうの狭い周り階段をどんどん降りてゆく。私たちのグループは30人以上が長い行列になって階段を降りた。たどり着いた地下64メートルから横穴をずんずん下へ降りてゆく。





穴は壁も天井も床も岩塩で出来ているが塩という感じはまったくしない。時々塩の結晶が横穴を支える木材について真っ白になっていたり、岩にカリフラワーのような結晶がついていたりする。





岩塩を削って彫刻された像がいたるところにあり、まったく石と変わりない。天井から鍾乳石のように下がった塩のツララも多い。








地下100メータを越えたところでシャンデリアの輝く大広間が現れ、シャンデリアも塩の結晶で作られており、広間の壁を一回り彫刻した宗教画が取り巻いている。この地下の大聖堂には前ローマ法王のパウロ2世が、まだローマ法王に指定される前に訪門されたことがあるという。したがってここにもパウロ2世の塩の像が立っていた。固いタイルのような床は、やっぱり岩塩で出来ている。












地下120メートル以上の水の溜まった池や湖には、塩が飽和状態近くまで溶け出しており生命は一切ないとのことだった。






行く先々に使われているたくさんの巨木は、この狭いトンネルをどのようにして持ってきたものだろうか?地下120メータのお土産屋さんの並んでいる広場で、団体は解散になり、各自自由に地上へ帰れとのこと。お土産店のテーブルランプも塩を彫り削ったものだった。




この広場から、エレベータへ行く途中に地下食堂が在った。昼食も食べずに2時間以上も歩き回っていたので、この食堂で昼食を取る事にし、行列についてポーランド人のおにいさんが頼んだものと同じ、ソーセージの細切れたっぷりと野菜のスープ、サワークラウトと肉を煮込んだものを試してみた。いつも亭主の減塩食に付き合っているせいで、このどちらも美味しいのだが塩辛くて、午後は水を大瓶一本も飲む羽目になった。地下120メートルで食事をするのもこれが初めで終わり、やっぱりここは塩が多いからなーとは亭主の言葉。

コメント
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