Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

大相撲春場所

2020-01-17 02:26:51 | 日記

日曜日の朝8時10分から9時まで大相撲の初場所ライブがNHKWorld で見られた。

日曜日3回だけはライブで見られるようになったのは多分昨年?または1昨年からだと思う。ライブだと相撲の仕切りが長くて45分の間に見られる実際の取り組みは、最後の4-5組だけ。

その初日と2日目に遠藤が当たったのが横綱2人、特に白鳳との取り組みが最高だった。思わず遠藤頑張れ!!!と叫んでいた。そして紫の座布団が舞う中、拍手が鳴りやまないところを見て大いに感激、この日一日気分は高揚していた。

遠藤は私が子供時代に過ごした穴水町の出身、なんとしてでも応援したくなるようなかわいい顔立ちをしている。

確か昨年11月までは小結だったはず。今場所では前頭に格下げさせられていてショックだった。ショックは遠藤だけでなく栃ノ心も大関迄行ったのに前頭に格下げで気の毒だった。

昔大関だった琴奨菊も今では前頭13枚目、彼の35歳という年齢では今から盛り返して大関に返り咲くとは思えない。

こうして格下げされた力士の多くはけがが治らないためだろう。遠藤関けがだけはしてくれるな。けがのために早く引退せざるを得なかった稀勢の里も気の毒だった。

日曜日以外のテレビ観戦は、ダイジェスト版で幕内力士の取り組みを30分にして24時間内に3回見せてくれる。

大相撲が始まると何はさておき、丸2週間の毎日を期待で胸膨らませている。

 

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新しいキャンピング・プラッツ

2020-01-15 05:20:39 | 最後のキャンプ旅行2019-2020

今日1月14日、久しぶりに雨が降った。12月21日が嵐の最後でそれ以来雨は一滴も降らず、ポルトガルの英字新聞によれば、やっぱりポルトガル南部は水不足なのだそうだ。

 

さすが1月になると例年のごとくアーモンドの花が咲きだし、道端にいろいろな花が咲いているのが見られる。

 

 

地下に大きな玉ねぎのような球根を持つシーオニオン(Sea Onion)もう咲いているのかと驚いた。これは例年2-3月の花なのに。

 

 

これらは公園や家庭の前庭の花だから雑草ではないけれど、これからあらゆる色の花が咲きだすその手始め。

 

 

タヴィラのドクター何某(タヴィラにはドクターの名前を付けた通りが多い)の通りに造られた新しいフラット、最近タヴィラは景気が良いのか次から次とフラットが出来上がってゆく。

 

 

タヴィラと私たちの住むカバナスの間に新しいキャンプサイトができた。これはキャンピングプラッツと呼ばれるもので、電気と水はキャンパーにつなげられるがトイレがない。キャンパーやキャラバンの人たちは自分のトイレを使い、汚物だけは所定の場所で処理する。シャワーもあるが一人1ユーロとのことで、キャンパーにシャワーが着いているだろうから汚水を捨てるだけでよい。

 

 

 

キャンパー120台が停車できるという。私たちが行ったこの日は約40台くらい停まっていた。年の暮れタヴィラの花火を見に行くため一泊した友達夫婦によれば、年末は80台くらいは停車していたという。

1昨年まで私たちが停まっていたタヴィラのキャンプサイトは、一時料金を吊り上げて最高過去の3倍までにしたから、誰も寄り付かなくなってしまった。

それで今季は1泊10-12ユーロで今のところ40台くらい停まっているそうな。昔は150台もいたのに。

このサイトへ行ったのは線路わきにできてタヴィラへのショッピングに電車を使うと必ず見える。そこへ以前タヴィラで一緒に楽しんでいた英国人夫妻がここが気に入って1か月は滞在するとのことだった。

連絡しないで行ったせいで、彼らは見当たらず帰りは歩いて帰ってきた。もちろん日本橋を渡って。

このキャンピングプラッツから日本橋の間に塩田もあれば、塩の集積所もあって、たまたまここを通った時に

 

 

 

 

ブルトーザーで塩をトラックに積み込んでいた。これから精製所へ運ばれてゆくのだろう。この集積所はものすごい塩の山でどうやったらあんなに高く積み上げられるのだろうといつも不思議に思っていた。でもこの塩の山は岩のように固いからどうでもなるのだろう。

 

日本橋の近くに見捨てられた塩の山は年々小さくなりつつあるが、蹴っても叩いても決して崩れることがない。岩塩のように固くて泥で汚れているが、塊をうまく取り出せれば、熱湯をかけて溶かし、上澄みの塩100パーセントを風呂や足湯に使えばその効果も優れもの。

この日は友達に会えなかったけれど、代わりに道端に急に大きくなった野生のほうれん草を摘み摘み帰ってきたから、当分新鮮な野菜に事欠かない。

 

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亭主の一時帰国

2020-01-14 03:17:10 | 最後のキャンプ旅行2019-2020

昨年11月半ば、骨を強化するためにおなかに注射することになり、4-6週間毎に一度の予定。次の注射の予約は1月13ー14日だった。

亭主は日曜日の午後3時近くの電車でファーロへ行き、バスで空港へ。離陸は午後7時だったが、何しろ電車が2時間に1本では次の電車を待って居れば、飛行機に乗り遅れる可能性が高い。

英国へ着くのは10時だから夕食用にサンドイッチとバナナを持って行ってもらった。

こんな片田舎から英国へ行く飛行機など、そんなにお客はいないだろうと思っていたのは大間違いで、英国航空は一席のあまりもなくアップグレードなどお金を出しても席がない。

亭主は狭い座席で身動きできず、足の運動をするようにと、練習もさせて行ったけれど、それどころでなかったらしい。やっと通路側に座席を確保したけれど、できるだけ通路で立ったり歩いたりをとの注意も、通路は2-3分おきに人々が行き来して、無理だったそうな。

飛行機が飛び立ってしばらくして、スチュワーデスがやってきて、貴方はキャプテンのお友達ですね。キャプテンが何か飲み物をと言ってますがいかがですか?と言われてびっきりしたとのこと。娘婿のパトリックの友達がキャプテンだったとのことで、座席に余裕があればアップグレードもしてくれただろうけど、この夜は残念だった。

10時過英国のガトゥイック空港に着きパトリックが迎えに来てくれていた。

彼の車で1時間、無事に我が家へ連れ帰ってもらった。娘たちは寒い自宅に泊まるよりもうちに泊まれと言ってくれたが、自宅ほど良いところはないと我が家に帰った。

月曜日は血液検査のみ、火曜日に血液検査の結果で注射液はドクターの処方箋で注射される。午後2時半の予約で行ったものの処方箋が出ておらず待たされて、亭主が娘宅へ夕食を食べに行ったのは7時だった。

次の注射は4週間と言われたのを6週間にと頼んだら、ドクターの許可がないとと言われ、そのうちに連絡してくるらしい。

次は2月になるなら、早めに飛行機を予約してアップグレードをしてほしいと亭主の切なる希望。狭い飛行機に3時間閉じ込められて、足が痛いとびっこをひきながら帰ってきた。エコノミークラスは私たち小さい人でも大変なのに、足の長い亭主にはおしりも膝もつかえて身動きが取れないのは苦行だったろう。

ポルトガルで同じ治療ができるのならと、頼んでみたが、英国のドクターがポルトガルの専門ドクターを探して連絡を取り合わなければならず、無理と言われて、一時帰国することになったもの。もう一度繰り返すのはかわいそうだと思っている。

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昨年のキャンパー友と再会

2020-01-12 03:35:28 | 最後のキャンプ旅行2019-2020

先週新しいキャンピングプラッツへ会いに行ったのに、見つからなかった英国人夫婦が自転車で、日本橋を通ってカバナスへやってきた。

カバナスの海岸線はレストランやカフェーが並んでいるが、いつもはこの辺りで食事することは余りない。

12時半にカフェーでとのメールで、12時二人で出かけた。

キャンプサイトの門を出たすぐの駐車場の古いアーモンドの木が満開。黒い実は昨年のアーモンドがそのまま木にしがみついているが、ピンクの花のアーモンドは苦くて食べられない。ピンクは通りのデコレーション。

 

通りのコンクリートがこんなに汚れているのは、その横の巨大なオリーヴの木から黒い小さな実が落ちたためで、、オリーブオイルが地面を汚しているわけ。

大きな実なら取って塩漬けにできるけれど、小さすぎて種ばかり、通りの木だと誰も振り向きもしない。

 

カバナスの新市街の通りもジャカランタの並木道がある。

 

 

あのきれいな紫色の花が終わった後にこんな実ができる。乾燥して落ちているのを手に取ってみれば、中の種がカサコソ・カラカラ、子供のおもちゃになりそう。

 

咲き遅れの野生の朝顔、英語ではモーニング・グローリーの この色はへブンリーブルー(天国の青)と言う。

3月になると真っ白な花の咲く野生のアイリス。非常に元気そうで花の咲くころぜひ見てみたい。

 

ポルトガルの小さな公園にはこんな運動用具があちこち設置されていて、市民の健康に貢献している・・・・に違いない。

さて久しぶりの友達夫婦。カフェーの外のテーブルでコーヒーとトスターダ(パンの間にチーズと生ハム、サラダを入れてトーストしたもの)で2時間もおしゃべり。

太陽が熱くてだんだん日陰を探して、店の、ガラス戸にくっついて暑さをしのいでいた。

 

 

この青空がポルトガルの1月、彼らもこの青空が恋しくてポルトガルへ10年以上も来ている。

 

道路わきにはこの黄色の菊のような花が満開。春菊はまだほとんど芽も出ていない。

帰りの道端で咲いていたきれいな花、背丈も50センチ以上そして

 

道端に切って捨てられていたこの花、葉の形も花のサイズも上の花とは違うが、挿し木にすれば着くかもしれないと思って持って帰ってきた。

いつもと違う道を歩いてみるとどこもかしこもアーモンドの花が満開だった。

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タヴィラのマーケット

2020-01-10 06:16:22 | 最後のキャンプ旅行2019-2020

毎月第3週目の土曜日にタヴィラでは大きなマーケットが開かれる。

12月のマーケットの日は嵐の最後の日で雨風のため行けなかった。それでもクリスマス前でマーケットは開かれたらしいが、ほとんどの買い物客が行かなかったから閑散としていたそうだ。

先週のマーケットの日も朝から小雨が降り、新聞の天気予報でも雨と言われていたが、亭主の病気で来月までここに居れるか判らないからと、レインコートを着てショッピングトローリーを引っ張って電車で行った。

 

以前から欲しかった金柑の鉢植えを15ユーロで買った。実がたくさんついていて、とっても嬉しい。昨年レモンの木を買って娘に上げたら、今では大きなグリーンの実が2個なっているし、小さな白い花が3-40個も咲いているそうだ。

 

 

 

この大きなオレンジが10個入りで2.5ユーロだった。英国で買うよりちょっと安いくらいだろうがとっても新鮮で甘くておいしい。

大きな柿も2㎏で2ユーロ、9個入っていた。これなど確実に安くておいしい。

 

新鮮な人参は葉の方が欲しくて買ったが、私の前の人が葉はいらないから切ってくれと言ったので、切った葉も一緒にもらって来た。

キャンパーに帰ってからこの葉をきれいに洗って熱湯でサーっと茹で、ゴマ醤油で食べた。癖があるから好き嫌いの差が大きいだろうが、私はこれが大好き。数年前、金持ちの英国人にこの人参の葉を紹介して、それ以来彼も人参の葉が忘れられないという。

マーケットの前にスーパーへ行って一週間分の食料を買い込んで行ったから、あまりに荷物が多くて重くなり、英国人が経営するチャリティーショップで働いている英国人のSさんに仕事が終わったら金柑の鉢とショッピングバック1袋を持ってきてもらうことにして、電車で帰ってきた。Sさんは友達の車で一緒に帰るから安心して頼める。

このマーケットは土産物や日用品、衣料品などもたくさん売られているが、過去5年のタヴィラ在住時に温かいスパッツやレースの上着やノースリーブなどたくさん買ったから今回は雨のため見て回ることもしなかった。

 

 

この野生のほうれん草、まだ雑草が伸びていない野原や道端ですくすく伸びている。いつもたくさん採ってきて亭主に食べさすスープにもたくさん入れる。こんなに勢いの良いほうれん草、きっと栄養もたくさん入っているだろう。

 

 

12月にはどこにも見られなかった春菊が今日はこんなにたくさん採れた。

野原へ行くと至る所に若い芽が出ていて、雑草の中に混ざって生えているのは結構大きい。サイトの水道できれいに洗っていると3人の女性からいったいこれはなんだと聞かれた。春菊は日本人と中国人しか食べないとポルトガル在住の日本人ブログに書いてあった。ヨーロッパ人から見ると私たち変なものを食べると思っているだろう。

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緊急帰国計画

2020-01-08 00:28:16 | 最後のキャンプ旅行2019-2020

先週水曜日に亭主は英国から飛行機で帰ってきた。座席が狭くて大変だったが元気に帰ってきた。

ところが土曜日早朝から喉が痛くなり咳が出だした。英国の娘も孫もほとんど同時に喉が痛くて咳が出だした。一緒にどこかで感染したもので1週間から3日くらいの潜伏期があって、同時に発病したものらしい。

日ごろ健康体の人には風邪くらい何でもないが、肺がんを病んでいる亭主には大打撃だった。日曜日の朝から悪寒が来て1日中何も食べないで寝ていた。足が冷たくてというから湯たんぽを足元に置いたのも気が付かなかったという。

日曜日は乾いた咳がひどくてあまり痰はでていなかったが、咳のために、左胸が痛くていつも胸を押さえて2つ折りになって苦しんでいた。

月曜日には血痰が出だし、トイレで新鮮血が出たのに恐れをなし、この国で死にたくないという。

それで火曜日の早朝インターネットでサンタンデルから英国へのフェリーを予約した。11月に英国からくるときはフェリーが満杯で11月末までフェリーに乗れなかった。それほど寒い英国からスペインへ逃げ出す人たちが多かったのだろう。

1月や2月の寒い英国へ帰りたい人たちは少なくて、フェリーもがら空きに違いない。行は470ポンド、帰りは375ポンドと100ポンド近くも安くなっている。

帰国のフェリーを日曜日に予約し、スペインを2泊3日で北上、日曜日の夕方乗船し月曜日夜10時にポーツマスに着くという。29時間の航海は船酔いで苦しむ私にはつらいが今回は亭主の一大事、私は酔い止めで寝ていけばいい。

火曜日から金曜日の朝出発までにしなければいけないことが多くて焦った。

まずはボーダーフォンにインターネットの取り消しと今までの料金支払い、タヴィラで知り合った日本人の友達2人に私の携帯にLineを設置してもらうこと。

以前から約束していたオランダ人夫妻とのお食事、昨年暮れからお正月に過ごしたお屋敷のオーナーが経営するオレンジ園からオレンジを買ってくること、帰国前にはヘアーカットもと忙しい。

水曜日、オランダ人夫妻とタヴィラのカフェーで落ち合うことにしてキャンパーを走らせ、まずは魚市場へ、魚やモンコイカを買って冷凍し、次はスーパーでトイレットペーパー2パック(20個)英国では昨年から4枚合わせのトイレットペーパーを売らなくなってしまった。いつも愛用していたティシュペーパーももう英国では売ってなくてこれも10パック買ってキャンパーに積んだ。

お屋敷のオーナー・カーロス氏が水曜日お昼にはエージェントへオレンジを持ってきてくれるとのことで、午後3時まで待ったものの、エージェントは1時で閉まりいったいどうしたものか?オレンジが買えないものと思って昨年まで買っていたオレンジ農家に電話予約をしてもらい木曜日お昼に20㎏を買う予約をしてもらった。

木曜日午前中にはキャンプサイトの事務所でカバナスのヘアードレッサーを教えてもらって、ヘアーカット。お昼までに30分ほどあったから帰りに道端のほうれん草を大袋一杯に摘んできた。お昼に友達の車でオレンジ農家へ向かって居る時にエージェントからの電話で、カーロス氏がオレンジを持ってきたという。

何キロあると言ってくれず、これはただでくれるのだそう。予約していたオレンジ農家では10kg6ユーロで20kg買った。

すぐエージェントへ行ったもののエージェントの女性は人とのミーティングで出かけていて、オレンジは彼女の車の中。彼女のミーティングが終わるまで待って居れず、今まで行きたかった初めてのレストランで昼食を食べに行った。

このレストラン、外側は小さくてスナックバーと書いてあるから、入ったことがなかったが、中は広くポルトガル人でいっぱいだった。地元の人たちに人気のレストランは安くておいしい。

食事中にエージェントの女性から電話が入り、私のいるところまでオレンジを持ってくると言って、すぐやってきた。大袋に満杯の大きなオレンジが3袋も!!!

 

 

キャンパーに帰り、全部を持って帰るのは無理で、亭主はサイトの近所の人たち買った20㎏を分け与えた。

カーロス氏からの大袋3袋を持って帰ることに。キャンパーでなければ絶対無理だ。

亭主はいったん咳が始まると15分くらいもせき込んで見ているのも辛い。木曜日の夜初めて夕食を食べてくれた。食事を食べないと体力が落ち咳がひどいともっと体力が落ちるから、早く帰って落ち着くしかない。明朝は早朝出発予定でサイトの友達皆と別れを惜しんだ。

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お屋敷で New Year Party.

2020-01-07 22:17:41 | 日記19

新年も真っ青に晴れた良い天気だった。朝日を拝んだのは太陽が高く上った8時過ぎ。

娘夫婦には日本の正月の習慣など教えていないから、9時ごろ起きてきてHappy New Year !!!  と言い交して終わり。

今夕はオランダ人夫妻と日本人男性を招いて、新年会をする予定。

セヴィリアへ行った朝早く,近所のスーパーでチキンの胸肉とサーモンの切り身1Kgを買って冷凍しておいた。お正月にはスーパーは開かないし、レストランも予約なしでは何処へも入れない。

31日の夕方これも近所のスーパーでポルトガルのワインやイチジクのリキュアーなど買っておいた。

それで年の暮れからパーティのデザートにはテラミスを作る準備、肉と魚も解凍準備。

この日の献立は私が作るのは天ぷらと巻きずし。娘は茄子の田楽、トマトとニンジンを使ってトロに見立てた握り寿司、サーモンの照り焼き、赤と白の蕪の酢漬け それにヴェジタリアンコロッケ。

寿司のノリもお米も持って来なかったから、31日にスーパーで買った。寿司米と書いてあったが水加減がうまくいかず、ご飯は柔らかすぎ、ノリは中国産の品質最悪。

ロンドンから持ってきたのが寿司酢とお醤油だけ、パーティなど予定していなかったから仕方がない。

朝から準備に忙しく、オランダ人の奥さんも肉も魚も食べないから、それなりにてんぷらは茄子とサツマイモ、にんじんと長いグリーンビーンのかき揚げ、一番最後に鶏肉を揚げる。

私も娘もいつもたくさん作りすぎて残り物を数日食べることになる。

お昼に娘夫婦は川渕のアイリッシュパブへお昼を食べに行った。私たち二人昨年から(2日前から)持ち越しのあまりものを片付けなければならず、そんなに毎日出歩いて食べておれない。

午後5時にお客には来てもらうことにしていたので、オランダ人夫婦は自転車で登場。日本人は電動スクーターで現れた。酔っ払い運転にならないから大丈夫・・・・か?

オランダ人夫妻はお屋敷の大きさにどきもを抜かれ、ただただ感心するばかり。彼女からはオランダから持ってきたクロッカスとグラジオラスの球根類をプレゼントにもらった。帰国して植えたのでは遅いかもしれないけど、帰国が何時になるかも判らない。

日本人の彼は袋いっぱいの大きなレモンを持ってきた。友達の庭になっていたものを貰って来たそうな。ありがたい。

はじめは皆で大きなダイニングルームでジントニックを飲みながらおしゃべり、出来上がった寿司やてんぷらなど食べ、ワインを飲み。私が最後に鶏肉を揚げて持って行った時には皆満腹してもう食べられない。と言う。

それでも1時間もしたら私が作ったテラミスも皆喜んで食べてくれた。孫のためにはコーヒーの代わりに新鮮なオレンジを絞って入れたので、初めての食べ物に嫌がっていた彼も味見をしたら、Its super delicious, Can I have more?   もっとちょうだい はオリヴァーのセリフだ。

9時には孫とパトリックが寝てしまい、10時には酔っ払ったオランダ人のご主人の方、自転車を押して帰るという奥さんを見捨てて、16歳の男の子のように、すっ飛ばして帰って行った。彼81歳。 飲み残したワインを平らげてと日本人の彼は11時まで飲んで余ったコロッケやてんぷらも明日の食事にとしっかりリュックに入れて電動スクーターで帰宅。

やっぱりたくさん余った食事を見て、来年もまたここに来たらもっとたくさんの友達を呼ぼう。

 

 

 

 

 

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年の暮れ、正月の花火

2020-01-06 18:56:55 | 日記19

 

毎年タヴィラのジラウ河の真ん中の橋で花火が上がる。今年はこの橋が工事中でどこで花火をあげるのだろうかとはおもっていた。

 

 

この橋、ここタヴィラへ来始めた6年前からよくぞこんなひどい橋を車が通ると不思議だったが、やっとこうして改修工事にたどり着いたのはEU のお陰らしい。

31日の夜11時半になって花火を見に行こう。今回が最後かもしれないからと二人で出かけることにした。娘夫婦は10時には寝てしまった。

タヴィラの中心地はローマ橋の向こう側、いつもクリスマスツリーが立っている。ローマ橋までお屋敷から歩いて10分ほど、十分時間があると思って余裕を持って出かけた。

 

 

ローマ橋の手前であまりに多くの人出、驚いたのなんの。これでは写真を撮れるかもわからない。

 

 

いつも同じクリスマスツリーが立っていたから全然興味も持てなくて、この年は夕方一度もこのスクエアーへ来てみなかった。今年は何処のツリーと交換したのか、素敵なツリーが輝いていた。

とにかくあそこのツリーの近くまで行って見ようと、押し合いへし合い、橋の上の人々をかき分けてスクエアーまで行った。

 

 

この辺りもっとすごい人々で詰まっている。スクエアーのツリーの横にしつらえたステージではアバの音楽が鳴り響いている。

亭主にこれでは写真も写せない、大橋まで歩こうかと言ったら、もう12時になるよと言われすぐ大衆の秒読みが始まった。

 

 

 

 

 

たった5分だけだったがヤシに木の上に花火がバンバン揚がった。人込みの中でカメラを高く上げて写真を写していたが、ヴィデオに切り替えたので一番良いところはここには載せていない。

 

あっという間にフィナーレの花火が上がって終わっても人込みはほとんど動かない。皆ワインを持ってきて友達や家族で飲みあい新年を祝っている。

帰って私たちもワインを飲もうとローマ橋の人込みをかき分けて通るのに、もっと大変だった。亭主などフラフラで、人からは酔っ払っているように思われたと言っていた。

 

こんな片田舎でも頑張ってクリスマスの飾りつけをしてくれるのがうれしい。それにこの花火を楽しみにしているポルトガルの人々もこんなにたくさんいるのだ。

帰ったら1時半だった。二人でシャンペンで乾杯。静かに新年を祝った。

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緊急帰国の途―ポルトガルからカセーレスへ

2020-01-06 07:33:04 | 最後のキャンプ旅行2019-2020

金曜日の朝8時半カバナスのキャンプサイトを出発。昨夕から激しい雨が降ったため、この時間ではヨガの友達一人にしか出会わなかった。彼女は早朝の犬の散歩からの帰り道だった。来年のことは約束できずただ名残惜しく別れてきた。

亭主は歩くのは疲れるが、運転はたいして苦にならないそうで、時々激しい咳と鼻水をふき、薄れてきた血痰を吐きながらの長距離運転。

 

もうこれでポルトガルの青空を見ることが出来ないとあきらめて、雨が激しいスペインの高速道路をセビリアへ向けて走っていると、次第に雨足が弱くなり薄日が差すようになってきた。

 

スペインの道路際どこでも必ず出くわす黒牛の立て看板、どこかのワインの宣伝らしい。

オリーヴ畑の丘の上にひしめくスペインの町。

ポルトガルを出たばかりの頃は高速道路にはほとんど車がなかったけれど、セビリアに近くなるにつれて車の数が多くなってくる。

昨年年の暮れ一泊した高層ホテル、こうしてみてもホテルには見えないけれど、中はたいそう立派だった。この建物以外に高層の建物は見えない。

途中から雨が降ったり止んだりで,心晴れず亭主に何度も休憩しようと言っても停まってくれない。

この坂道も今まで何回通ったことだろう。

 

コルク樫の林も雨雲が低く立ち込めている。

この牧場が連なる辺りは木がほとんど生えていない。羊や牛が放牧されているためで、娘によればこんな動物のために地球の温暖化が促進されているのだという。だから肉食はしない。

見渡す限りのヴィンヤード。

12月初めに通った時ともう2か月近く風景の中にも春の色。

 

 

毎年ポルトガルへの往復に立ち寄る、カセーレスのキャンプサイトに着いたのは午後2時過ぎ。途中で一度コーヒーを飲み昼食に亭主からのリクエストのチーズ入り卵焼きを作った。一週間ぶりに食べるランチで回復してきているのが見えて嬉しい。

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2019年の年末―セヴィリア その2

2020-01-05 15:32:06 | 日記19

 

昨夜はたっぷりのお風呂に浸かって、よく寝たのに、今朝もまた朝風呂でのんびりし、さて朝食。

 

 

 

ホテルの後ろのショッピングセンターに食べに行こうと出かけた。

 

すぐ目に付いたのがこのパン屋さん。おいしそうなパンやパイなど種類も豊富。

 

ミルクコーヒーとクロワッサンやトーストを注文して満足したが・・・・・

 

こんなきれいなお店で出されたお皿でがっくり・・・・こんな縁の欠けたお皿をいまだに使かっているのに唖然とした。

 

 

パン屋さんの前のカラフルなスィートショップ。孫には見せたくない。

 

 

しゃれた飾りがたくさんあるお店、断捨離をするというのにこれは目の毒。

 

 

後ろを振り返ってみれば巨大なホテルが伸びあがっている。

 

 

巨大な鉢に植えられた巨大なオリーヴの木。

 

 

ショッピングセンターの後ろには子供の遊園地がある。日陰になっているため晴天でも寒い。

 

 

寒さなんて平気で遊びまわっている孫は娘に預けてさっさと47階へ行った。

 

 

ショッピングセンターの屋上庭園、良く手入れされて珍しい植物が植えられている。

 

 

屋上の上半分にはガラスもなく吹きさらし状態。雨や嵐の時は一体どうなるのだろうか心配になる。

 

 

 

どこを見ても水平線がかすんで見えるくらいセヴィリアは平野の町。

スペイン時間の12時ホテルを出て一路ポルトガルへ向かった。1時間でポルトガルの国境に着いた。贅沢な24時間だった。5スターのホテルなんて生まれて初めて。これはパトリックからポールへのプレゼントだった。

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2019年の年末―セビリア

2020-01-05 12:12:02 | 日記19

さてホテルでカメラを取ってきて、パトリックやポールが歩いて向かっている旧市街へ行くには、バスが一番手っ取り早い。ホテルの近くのバス乗り場で、旧市街の中心地迄1.8ユーロ。バスは町の外周を回って中心地へ入った。

 

 

 

娘が携帯でパトリックと連絡を取り合い、川渕で合流。それまであちこち歩き回って写真を撮りまくった。

 

 

スペインをムーアのスルタンから奪回したイザベル女王の像が中心地のラウンドアバウトの一角にあった。そのすぐ近くにはスペイン広場がある。

 

この塔はスペイン広場の端を飾る。

 

 

モスクのような建物だったが、中は子供たちのためのおもちゃの展示場みたいだった。さすがスペイン4時半までシアスタで閉まっていた。

 

観光客用の馬車はあちこち走りまわっている。

 

スペイン広場のある巨大な公園の熱帯の木。こんな木を見るとマレーシアを思い出し懐かしくなる。

 

スペイン広場は15年前初めて来たとき、ここの素晴らしいタイルに魅了され、タイルの写真だけで300枚くらい撮った。

 

この写真は娘が撮ったスペイン広場の一角、ここのタイルはぜひ見てほしい。

今回は以前どうしても見られなかったセヴィリアの大聖堂を見たいと亭主と二人で歩いた。

 

 

巨大な大聖堂は15年前には工事中で外壁さえも見られなかったが、今回も開いていなかった。案内嬢に明日は何時から開くかを聞いてみると11時から2時までという。

これでまた今回も中を見ることは出来ない。

この大聖堂のすぐ近くの王宮は以前一番感激したところ。もう4時半過ぎでどこも閉まっていて、たくさんの観光客がうろうろしていた。

 

 

トラムが走るメインロードの素晴らしい建物はホテルに違いない。

モダンなトラムだけれど車体全部が広告に覆われているのだけがいただけない。

 

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2019年の年末

2020-01-05 10:22:38 | 日記19

 

12月30日朝、パトリックがセビリアに安いホテルを見つけたから行こう、と言って朝10時半皆で出発。タヴィラの郊外の高速道路から真っ直ぐスペインの高速道路を走って、1時間半でスペインのセビリア郊外のホテルに着いた。

 

 

 

このユーロスター・セヴィリア・タワーホテルは47階の円柱のホテル。

いつもカセーレスからポルトガルの往復にセヴィリア付近へ来ると一番目に付くのがこのホテルで、遠くからは高い煙突が一本だけ立っているように見える。それでこのホテルの前迄来るまでここがホテルだとは思わなかった。

 

 

 

20階のベットルームに落ち着いて大感激。

 

 

 

 

20階のベッドルームから見るセヴィリアの町は高層建築が無くこのホテルが一番高い。上の写真に写っている黒い影がこのホテルの影で、真下にはショッピングセンターとその屋上は素晴らしい庭園になっている。

ホテルに入ったのがポルトガル時間の11時スペイン時間では12時だったから、しばらく落ち着いた後でお昼を食べに行くというのでカメラも持たず出かけた。

 

パトリックによればホテルから旧市街迄1㎞という。数キロ歩いてやっとお昼にありついたが、食後カメラを取りに、娘はパトリックとジュードのジャケットを取りに、2人でホテルに帰った。

その午後のセビリアは次のブログに載せる。

この夕方6時バスで帰って来た時のホテルの様子。

まだ夕がた6時過ぎショッピングセンターの通路には多くの人々が行きかう。

 

 

 

 

 

 

47階の屋上展望台に上がってびっくり。このフロアーには天井が無くて真冬の風が吹き抜ける。

この日も晴天だったが風は身を切るほど寒かった。

展望台から四方の夜景が見え必死で写真を写して凍えそうになって帰ってきた。

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緊急帰国ーカセーレスからブルゴスへ

2020-01-05 01:36:42 | 最後のキャンプ旅行2019-2020

カセーレスのキャンプサイトでは夜中に激しい雨が降った。朝目覚めてみるともう青空は望めない。雲が低く垂れこめたうっとうしい朝だった。

とにかく今日も400kmスペイン北部のブルゴスを目指す。

 

この高速道路は無料で時速120㎞は普通車。キャンパーは100kmが制限速度だとよそのキャンパーの人から聞いたことがあるが、亭主はそんなことお構いなし。

気を付けていなければ普通車と同じ速度で飛ばしている。

 

この日は一日中心も天気も晴れない日だった。亭主の風邪は良くなってきていて、咳こむ間隔が長くなってきたのと気力もしっかりしてきたようだ。

 

200kmを過ぎた頃に右手の山並み(マドリッド北部の高原あたり)が雪で白くなっているのを見つけた。

 

 

 

途中で一回休憩してお茶を沸かし,サンドイッチを作って食べただけで、ブルゴスのキャンプサイト近くまでやってきた。

カーナビを見間違えて右の道をと言ったものだから坂道をどんどん上って突き当りに大きな教会があった。

そこから引き返してすぐキャンプサイトへたどり着くと、サイトのレセプションでは私を覚えていて、君は前にも来たね。日本人は珍しい。この上の教会には韓国人は時々来る という。韓国人にクリスチャンが多いそうで、この教会が彼らの宗教団体の訪問先なのだそうだ。

着いた時にもまた雨が降っていたから、私はこのキャンプ場に4回来ているが今まで雨が降らなかった時が無い。 と言ったら冬はスペインの雨季なのだから仕方がない。と言われた。

サイトの駐車場は水浸しで、車が泥に沈むかもしれないから,前輪を道路に上げておくようにと言われた。これは12月に来た時も同じだから道路に駐車するつもりだった。

亭主とマイフェアーレディの中の替え歌ーThe rain in Spain , mainly fall in Burgos

とやけくそで歌っていた。

 

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今年もお屋敷でのクリスマスーその3

2020-01-04 18:57:26 | 日記19

クリスマスとその翌日にはほどんどのレストランが閉まって、外食大好きの娘夫婦も家庭料理で2日過ごした。27日には、毎年行くトーレ(Torre)のレストランへ行こうと11時には出かけたので、早く着いてしまった。

 

 

 

海岸の湿地帯を散策していると,ここにもプラスチックのごみがあちこち見られる。

娘が環境保護論者の一人として、肉食否定したためか、娘婿も触発されてあちこちプラスチックのごみを拾って歩いていた。

 

トーレのレストランは昨年まで安くておいしいと娘が特にひいきにしていたところだけれど、

今回早く来すぎたためか、たぶん火も完全に熾火になっていなかったせいだろう。

 

おおきな鯛は中が焼けていない。

 

一番楽しみにしていた小モンコイカのシチュウは焼けすぎ。

 

小イカのシチュウはおいしかったが4人半で食べるには少なすぎ、あとは魚のフライとアルコールなしで、チップも入れて100ユーロも払った。

相当がっかりして娘はもうここには来ないといった。昨年は2回も足を運んだのに。5年前に初めてここへ来た時の4人で食べた料理はもっと多かった気がするが、料金はこの日の半額だった。いつの間にはこの田舎でもインフレーションが激しい。

 

このトーレの隣町のフセタ(Fuseta)はもう15年前初めてキャンプしたところだけれど、昔はずっとひなびた田舎町だった。昨年娘たちを連れてきて以来、海が気に入ったらしくぜひここへ来たいという。

 

 

ここの海は海岸に平行して長いタヴィラアイランドが伸びているので、大西洋の荒波は直接砂浜に押し寄せることがない。水は澄んで小魚や貝が砂地に居るのが良く見える。

私も20年ぶりぐらいで足だけこの水に浸かったけれど、あまりの冷たさに震え上がった。おまけに寒冷蕁麻疹が出て足が真っ赤になりかゆくてたまらない。乾かして温まってやっと収まった。

 

 

まだ4歳半の孫は携帯で漫画を見ている時だけおとなしい。一体どんな大人になるのだろう。

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今年もお屋敷でのクリスマスーその2

2020-01-04 18:04:25 | 日記19

 

 クリスマスの朝も素晴らしい青空、娘婿と孫は借りた自転車でサイクリングへ出かけた。

 

 

 娘婿のパトリックは英国に居ても自転車でロンドンまで通勤しているほど自転車狂で,寒くて暗い雨やみぞれの中を自転車で走るほど危ないことはない。ここでは青空のもと半そでで走るくらい温かいから、毎冬やってくるのだろう。

 

 孫が出かけている間は邪魔が入らないから、娘はクリスマスディナーに数時間かけた。

彼女は英国にいる間はヴィーガンで、肉・魚はもとより、卵もミルクも食べない。けれど英国以外へ行った時はヴィーガンを押し通すと食べるものが無いため、ベジタリアンとして肉だけは食べない。それでここポルトガルでは魚は大いに食べている。

この日のクリスマスディナーには私たち夫婦とパトリックのためにビーフ・ウエリントンと呼ぶ牛肉の塊をパイ皮で包んでオーブンで焼いたものと、彼女と孫には豆腐にナッツをたくさん入れて焼いたものがメインディッシュ、付け合わせにはブロッコリーとカリフラワーのクリームソース。ローストポテトは皆が大好物。

 

 

満腹してせっかく買って来たクリスマスプディングはクリスマスディには食べられず翌日食べた。

私はクリスマスプディングが大好き、昔はこんなに甘いものをどうして英国人は食べるのかしらと思っていたのに、いつの間にか私も食事に関しては英国人並みになっている。

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