Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

東ヨーロッパの旅 13 ワルシャワ

2011-08-19 16:48:30 | 東ヨーロッパの旅 2011



ポーランドの首都ワルシャワは第二次世界大戦時5年間をドイツに占領され、首都の80パーセントは灰燼と化した。戦後旧市街は戦前そのままに復旧された。

戦後40年以上も共産党政権下にあった割には、自由民主化が進んでいて西洋諸国のどこの首都とも変わらない。一番心に残るのはこの国の女性たちのスマートさ。若い人たちはタンクトップにショーツで歩き回っているが皆足が長くてかっこよい。中年から老年にかかる女性たちもドイツや英国で見られるような肥満体がほとんど見られない。
皆スマートな服装で出歩いていて、この違いはなんだろうと思った。肉体が食べもので作られるのなら、英国人は脂ぎったチップス。ドイツ人は脂肪ギトギトのソーセージだろうか。とするとポーランド人は何を食べてこれほどスマートなのだろう。


キャンプサイトのすぐ近くから路面電車で町の中心地セントラムまで行き、バスや地下鉄を乗り継いで、旧市街へ行った。交通費はバス、電車どれを乗り継いでも一日券は9ズロティ、三日券が16ズロティと格安。この町の観光には2日の予定だけれど3日券のほうが安い。





セントラムに降り立つとどこからでも目に付くのが、高さ234mの高層ビル。スターリンからの贈り物として1952年から4年もかけて建築された。中は科学アカデミーなどの各種研究所やコンサートホールなど。部屋数3288とのこと。
科学博物館や進化博物館などが地階にあるがこの日、月曜日はどこも閉館。







戦後新しく作られた旧市街の中心は旧王宮博物館で月曜日にもかかわらず開いていた。二人で35ズロティ(65歳以上のEU圏市民割引)で入場し、一通り見学して回ったが、良くぞこれほどまでに復元したものだと感心した。金ぴかの部屋部屋を回ると各部屋に立っている監視人がほとんど中年女性、彼女たちの前でオーと驚いてみせると、皆思わずにやりとし、まるで自慢するような表情になる。













一部屋はイタリアの有名画家カネレットの絵が壁全部にかけられ、彼がここワルシャワでも活躍していたのを知った。






バルバカンの砦はクラフクとヨーロッパにもう一つあるだけの珍しいものという。これも復旧されたものでどう見ても真新しく見えるのは仕方が無い。
旧市街市場広場はレストランのテントが張り出し、その中心に剣を振りかざした人魚の像があった。デンマークのそそとした人魚姫の像とは違い、体格も立派な人魚像。












昔は貴族の館を改造しオペラや劇場として使われたこの屋敷は今現在大統領官邸として鉄柵の中を銃を持った兵士に守られている。

そこから近くサスキ公園の入り口には直立不動の二人の兵士に守られた無名戦士の墓があり、彼らは一体何時間こうして立っていられるものだろうかと気の毒になった。







サスキ公園を横切り又路面電車で南下し、ワジェンキ公園内のショパンの像を見に行った。
大変暑い日で、木陰の道を歩いているときはまだしのげるが、真っ赤なバラに囲まれたショパンの像の周りのたくさんのベンチには人影まばらだった。この公園内のワジェンキ宮殿は歴史に翻弄された。1944年にはドイツに美術品を持ってゆかれ挙句は放火された。戦後修復されて国立博物館の分館となっているがもちろん月曜日。閉まっていた。





このワルシャワの多くの公園には大変人懐こい赤リスがいる。英国で普通に見られるグレイのリスより小さくて、毛並みは赤茶色だ。







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