Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

これが最後のキャンプ旅行―カバナス(Cabanas)

2018-10-28 19:44:08 | ポルトガル18-19

タヴィラの隣町カバナスは海岸べりの小さな町で、私たちの落ち着いたキャンプサイトはメインロードの近く、鉄道駅もすぐ近くにあるコンセイシャウ(Conceicao)と呼ばれるメインの町、小さなタウンホールや郵便局、スーパーマーケットも1軒だけあり、英国の食品を輸入して売っている小さなお店もある。

カバナスの町へは歩いて20分くらいで海岸通りへ行けるが、国鉄駅へは5分ほどしかかからない。

 

 

 

この辺りは古いポルトガルの町そのままで、白い壁が太陽に反射してまぶしいほど。

 

道端の草藪には青い朝顔が咲き、この南国の花が彩を添える。

 

 

この珍しいプランツは葉のふちに小さな芽とその芽に根まで伸びていて触るとポロリと落ちてそこから新しいプランツが伸びてくる。

草花の再生には種や挿し木による増やし方が普通だが、このような新鮮な葉自身に花が咲くでもなく子供ができるのは今までで初めて知った。

 

  

キャンプサイトへ行く垣根に今まで見たこともないきれいな花が咲いていた。

 

今どきが最盛期なのかあちこちで見られるハイビスカスの花、特にこれは八重咲で珍しい。

 

カバナスへ行く途中の公衆トイレのマーク、これは一体何が言いたいのか???

 

典型的なポルトガルの家屋、室内もタイル張りだが屋外の壁全体がカラフルなタイル張り。

 

 

 

アルガーヴの海岸線は海岸に平行して細長い島が横たわり、港は外海の荒波から守られている。この辺りはリアーフォーモーザーと呼ばれる自然公園になっている。

 

 

 

海岸通りは板造りの歩道が長く続いていて、レストランが多い。夏の最盛期にはこの辺りはバカンス客でごった返していることだろう。今でもレストランには多くの客が見られる。

古い街には不似合いなモダンな教会。

 

 

海岸通りに停車していたフランスの古いキャンパー、後ろにシャワーの設備が作られて石鹸置きまで作られていた。屋外でシャワーに入るのだねー。

 

 

カバナスの裏通りで真っ直ぐな変わった木を見つけた。

 

近づいて望遠レンズで見て初めて分かった。人工的な木の枝をコンクリートの柱につけて、テレビか電波の受信器が上に取り付けてあるらしい。

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これが最後のキャンプ旅行―ポルトガル

2018-10-27 21:53:51 | ポルトガル18-19

 

国境の橋はただいま改修工事中、つり橋の吊りロープがダブルに見える。

 

橋の真ん中が国境線。

 

入国してすぐに目に入るのがカステルマリムの巨大な城塞。この城塞のすぐ下にはフリーのキャンピングプラッツがあるが、電気もトイレも水もないから皆どうしてここに居るのだろうと思う。

 

 

途中の店でショッピングをしたり、タヴィラのキャンプサイトの変革にすぐ反応したマイク夫妻がキャンプしているカバナス(Cabanas)のキャンプサイトを訪ねたりした後、タヴィラのキャンプサイトへ入る前に大きく迂回して、道端に生っていて誰もとらず、朽ち果てていくザクロの実を袋いっぱいに採った。

タヴィラのサイトは設備は一切変わらず、値段を2倍に上げ、今まで最高で150台もキャンプしていたキャンパーやキャラバンを、30台のみにした。それでも今まで15台が最高だそうで、私たちが滞在した3日間は9台しかいなかった。

 

 

今まで勝手に停車していたのを紅白のテープで停車場所を指定し、キャンプサイトの支払いも前払いに決まった。

 

昨年も一緒にラジオ体操をしたり早朝速歩をした友達二組のほか、英国人キャンパー2台、ドイツキャンパー1台。フランス2台がまだ残っていた。友達2組は長さ10メータの巨大キャンパーで、キャンパーのサイズで値段が決まるサイトでは高くなりすぎるため、たとえ値段が2倍に上がってもこのタヴィラが良いのだそうな。

私にとってはタヴィラの町や、シネマ、ショッピングセンター、マーケットが歩いて行けることが何よりも良かったので、残念でならない。

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これが最後のキャンプ旅行―フエルバ最後の3日間

2018-10-27 18:20:17 | ポルトガル18-19

水曜日の朝、ホテルの受付の女性に、ガレージへ電話をしてもらう。

彼女は結構長い間話していたがその会話の中に マニヤーナ と言ったのが聞き取れて、エー、マニヤーナ―(えー明日なの)と言ったら,貴女スペイン語が話せるの?とききかえされた。マニヤーナ―だけね。スペインの一番有名な言葉だもの。

仕方がないからもう一晩泊ることにして、この日の散歩は郊外へ。

 

ホテルの裏道から郊外へ行く広い道路にはフエルバの鉄道駅があった。普通駅と言えば必ず人がいっぱいのイメージだがこの駅は異常にガラーンとしていて、警備員のおじさん一人が立っていた。

駅は最終駅のフエルバからセビリアへの直線であまりお客がないのかもしれない。駅の裏側を歩くとこのスマートな電車が停まっていた。

 

郊外の大きなラウンドアバウト、南国らしくヤシの木が林立している。

フエルバのフットボールスタジアムはまだ新しく見える。ウィークデーの昼間では人ひとりも見えない。

 

 

オディエル川の河口は海のように広々としている。暑い夏の夜にはこの川渕(プロムナード)を歩く人たちでいっぱいだっただろう。

 

 

川向こうの塩の山や長く突き出た鉄の桟橋など、今もこの河口は船の出入りが盛んらしい。コロンバスがこの町へやってきたのもきっと船で来たのだろう。

 

 

通りのあちこちに咲く紫色の花、この木は花も素晴らしいが葉が繊細で非常にきれいな色合いをしている。英国では観葉植物として室内で栽培される下の写真のつる性の植物には、まるで水芭蕉のような花が咲いていた。初めて見た花だった。

 

 

木曜日の朝、また受付の女性にガレージへ電話してもらうと、今日の夕6時までにはエンジンも完成するという。夕方ではもう一晩泊っていくかと思ったのに、ホテルはこの夜は満杯だと断られた。

お昼前には荷物を持ってタクシーでガレージに行き、半日をキャンパーで過ごす。

ちょうど6時にエンジンが快調に働いていて、近辺を一回り、やっとガレージを後にすることが出来た。ガレージの女性事務員が、近くの無料駐車場に停まったらと教えてくれ、この夜は駐車場で一夜を明かした。

 

 

 

スペインの朝は8時近くにやっと空が明るくなり、朝焼けの不気味な赤さの空模様、朝焼けは雨が降る前兆とかで、あまりうれしくない。

 

 

 

9時5分過ぎにフエルバを出て、一路ポルトガルへ向かう。ポルトガルとの国境の橋が見えてきたのはポルトガル時間の8時45分だった。ポルトガルとスペインは1時間の時差があるから、こんな変なことになる。

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これが最後のキャンプ旅行―フエルバの月曜日

2018-10-16 15:45:38 | ポルトガル18-19

 

さて待望の月曜日、通りは人声で賑やか。

 

 

木曜日の夜から今までホテルの向かいの建物に人気が無かったから、ここが学校だとは思いつかなかった。朝からたくさんの子供たちが入っていく。リュックを担いでいる子供たちばかりでなく、旅行バックのように車輪付きを引っ張っている子供たちも多い。

 

 

ガレージへ行く通りは歩道も広いが、自転車道が完備されていて、羨ましい。ロンドンでは毎年自転車に乗っている人たちの死亡事故が報道される。

 

 

スーパーマーケットもどこのお店も月曜日は開店。

中国雑貨屋で、ハエたたきを買おうと思ったが、スペイン語が話せない。それでもお店に入って中国人一人とスペイン人2人に英語が話せるかと聞いたところ、3人声をそろえてNO! と答えた。

ではと指で小さな丸を作り、翼が飛んでる様子を示し、机に停まったのを上からたたく真似をしたら、3人一緒にOh!!と叫んだ。

すぐ一人が奥まった商品の詰まっているところへ連れて行ってくれ、高いところから引っ張り下ろしてくれた。さすが万国共通の手真似が一番。

 

ガレージについてまずはキャンパーの中の冷凍冷蔵庫を見ると、なんと、まだブルーのランプがついていて、ガスで冷凍しているようす。思わず二人とも安どのため息が漏れた。

早速ガスボトルを交換して、バッテリーが赤になっているため、ガレージの人に電気をつないでもらうことにした。今まで不運続きだったからこんなにうれしかったことはない。冷凍冷蔵庫の食料が腐っていたら帰国しようと思っていたくらいだった。

水曜日にキャンパーが治りそうだとの話を信じてガレージを後にする。ガレージからホテルまで歩いて35-40分の距離、もう何回も歩いているから大体の道筋がつかめて、いろいろな通りを歩いてみている。

 

こんなに葉が茂り根も露出しているのは南国の木らしい。

 

 

 

ホテルへ帰る途中にヴィクトリアクォータというところがあり、一応ヴィクトリア時代の英国家屋を真似たものだという。

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これが最後のキャンプ旅行―フエルバの3日間

2018-10-16 14:28:31 | ポルトガル18-19

木曜日夜から投宿したホテルは、観光案内所のすぐ近く、町の中心部にあった。

フエルバは娘夫婦がクリスマスにタヴィラへやってきて、1日だけはスペインへの遠出をする時に必ず来ていた町で、この観光案内所の近くの地下駐車場に車を入れて、街中のレストランでタパスを食べるのを楽しみにしていた。

 

祭日の金曜日のお昼は中心部の通りがスッキリ誰もいなくて、きれいなタイルの通りが光っている。

 

街角で食事をしている人たちもそれほど多くはない。

 

 

町の一角に現れたストリートアート、以前は落書きと呼んだものだけど、この絵を見て落書きと呼ぶ人がいるだろうか?

古い壊れかけた家の板戸に描かれてあった。

 

 

上2枚の絵は巨大なキャンバスに描かれて高い建物の上から下げられてあった。こんなキャンバスの絵が壊れかけた広場のほとんどを占めていて、全部をこのブログに載せることが出来ないのが残念。

 

クリストファーコロンバスの立像が町の中心広場に立っている。

 

高級ホテルの玄関上部の飾りはコロンバスがアメリカを発見した時の様子を描いたもの。

 

土曜日は暑くて気温30度、なるべく日陰をぬって歩く。このきれいな教会が一番気に入った。

 

同じ土曜日の夜通った時の教会はやっぱり美しい。

 

 

 

 

スペインもポルトガルもカトリックの国で宗教祭日がやたらと多い。この小さな町でも教会が至る所にあった。

 

町の中心を外れたところでは、巨大な闘牛場。8月3日に行われた闘牛のポスターがそのまま下がっていた。

 

 

 

土曜日の夜9時ころになって夕食にピザを食べに出かけた。日中と打って変わってものすごい人出、10時ころでも子供たちが走り回って騒いでいる。どこのレストランも満席で夜中までみんな飲み,食べ、おしゃべりを楽しむらしい。

 

フエルバはオディエル河(Odiel River)の河口にできた街で、川渕はきれいに整備され、通りも新しく作られている。

 

 

川渕に沿っての新しく開発された場所には子供の遊園地が作られ、家族連れが楽しんでいた。

 

同じ並びの公園の一角で犬のトレーニングをしている人を見かけた。どの犬も替わりばんこに大きな石の上にかけ上がる。

 

スポーツジムやフードコート、レストランが並んでいる新しいモダン建築物。日曜日にも関わらずあまり人出が多いとは言えなかった。

3日間キャンパーはガレージの中で眠っていて、私たちはホテルでホリデーを過ごしている。でもキャンパーの中の冷凍冷蔵庫が心配で夜中に眠れないときなど、ガスがなくなって冷蔵庫が停まっていたらどうしよう。キャンパーは走っているときはバッテリーからの電気、停まっていて電気の供給のない時はガスが働く。しかしガスボンベを取り換えたのがいつだったかも覚えていないくらい昔のことで、もうガスが切れてしまっているに違いない。冷凍庫にはイギリスのソーセージやミンチ肉、リンゴとダムソンのフルーツコンポートが詰まっている。

冷蔵庫にはイギリスのチェダーチーズが5㎏以上も積み重ねてあり、バターも5パック(これらはポルトガルでも買えるが小さなパックが英国よりも高い)入れてある。

あと1日の辛抱と日曜日の朝から早く日が変わるのを心待ちにしていた。

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これが最後のキャンプ旅行―フエルバ(Huelva)2日目。

2018-10-16 12:20:51 | ポルトガル18-19

 

雨上がりのいつでも降りそうな2日目の朝、ガレージではキャンパーを仕事場へ押して行ってエンジンを調べだした。ガレージの女性事務員だけが英語の片言を話し、亭主もスペイン語の片言を話してやっとお互い話が通じる。

彼女によれば、エンジンが今日中に治らないときは、来週月曜日までどこかホテルを探しておいてくださいという。夕方までに治るよう神頼み、町の中心まで歩いて30分と言うので出かけた。

 

 

観光案内所で町の地図をもらい、安いホテルを数軒教えてもらった。

 

 

観光案内所の中庭にはきれいな建物が庭の周りを囲んでいる。もとは金持ちのお屋敷か王族の宮殿だったらしい。コロンバスがアメリカ発見後帰国して、神に感謝の祈りをささげたのがこの町の教会だったとかで、コロンバスの銅像から絵など記念のモニュメントがある。

 

 

この中庭の一番奥の建物では、南米物産博覧会を開いていた。観光案内所の入り口で話しかけられた女性に教えられて見に行った。

 

 

南米の一番有名な産物が、上の黒と黄色のジャガイモだった。

 

 

 

 

南米各地の衣類やおもちゃ、陶器などあらゆるものが2室に並べられ、英語のしゃべれないペルーとメキシコ人女性に案内されて一回りしてきた。

 

 

観光案内所の前の広場にはこの変わった銅像。見るとこのフエルバとセビリアの中間の砂地の聖地、エル・ロシオのマドンナだそう。 エル・ロシオは過去2-3回行ったことがあるが、1年に数日何百万人もの人々がここに押し寄せるマドンナの祭典がある。

 

夕方5時まで数軒のホテルを聞いて回ったが金曜日の祭日はどこも満員と断られた。

そして5時に帰ったガレージではもっと悪いニュース、エンジンはシリンダーが5つに分解壊れて、新しいエンジンを入れた方が安い、来週2日間で修理するとのこと。

ガレージの女性事務員がホテルを探してくれて、来週水曜日まで予約してくれた。なんとそのホテルは私たちが一番最初に行って断られたところだった。

 

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これが最後のキャンプ旅行―エンジン故障。

2018-10-16 11:00:59 | ポルトガル18-19

10月10日水曜日とうとうスペインからポルトガルへ行くことに決めた。カセーレスからポルトガルのタヴィラまで441km、前日ディーゼルも満タンにしてあったので、朝9時快調にキャンプサイトを後にした。

 

 

キャンプサイトの近くから無料の高速道路でセビリアまで走る。制限時速120㎞、キャンパーのエンジンはいつも快調で今まで過熱さえしたことがない。

 

 

 

セビリアからポルトガルまでの高速道路も無料で、中央分離帯は夾竹桃の花盛り。時々白や薄いピンクの花もあるがほとんどがこの濃いピンクの花が続く。

亭主は時速110㎞以上を持続し、快調に飛ばしていた。ちょうど12時過ぎ,あと50㎞くらいでポルトガルの国境に着くころ、スペインのディーゼルの方が安いからこのあたりで満タンにしようと決まった。

スピードを緩めて道路わきの細道へ入りディーゼルの値段を見ると異常に高い。やーめた。 とまた加速したとたん、急にガーガーと2回変な音がしてエンジンが停まってしまった。

それ以来動かない。

パニックに陥った亭主はそれでも車の保険書を探すが見つからない。あー家に忘れてきたのだーと言って、娘に電話しろという。この春タヴィラで初めてセットアップしたアイフォーンで娘に電話して保険書の内容をメールで送ってもらいたいと伝えた。

近くの給油所に助けを求めていったが、車の保険がないことには助けられないと断られた。

ますますパニックで頭の中が真っ白になった亭主は保険会社の名前も覚えていない。亭主がパニックになると変に落ち着いてしまう私が、保険会社の名前を思い出し、アイフォーンで英国へ電話した。会社はとっても親切ですぐインターナショナルの事故処理サービスへつないでくれ、1時間後には誰かが助けに行くと言ってくれた。その頃はちょうどスペインのシアスタに入る前。

助けが来ると判って、落ち着いたのでお湯を沸かしお昼のサンドイッチを食べ、昼寝までして暑いキャンパーで待ちに待った。

助けのピックアップトラックがやってきたのは4時間後、午後5時過ぎだった。

エンジンを見て自分では治せないと言ってすぐ長い間彼は電話していたが、6時近くキャンパーを後ろに引っ張り上げ、私たちはトラックの運転席横に座って一番近い町フエルバ(Huelva)へ連れていかれた。

スペインのシアスタは午後2時から4時までほとんどすべての店が閉まって開いているのはスーパーマーケットくらいだろう。行ったガレージ(修理工場)も朝9時から午後2時までそして4時から7時まで就業する。この夜はもう遅くてエンジンを見る時間がないからガレージ横で一泊するよう勧められた。

運の悪いことにこの週金曜日はホリディーで金曜日から日曜日の3日間閉まるという。

7時ちょうどにガレージはドアを閉めて皆さっさと帰ってしまった。この夜中から早朝までフエルバでは5月以来初めての豪雨が降った。

 

 

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これが最後のキャンプ旅行―ローマ橋

2018-10-16 08:19:41 | ポルトガル18-19

 

カセーレスへ来たものの、あまり急いでタヴィラへ行く気持ちがなくなって、一日周辺をドライブすることに決めた。昨年春帰国の途中で、カセーレスからポルトガル北部への道筋でローマ人が作った素晴らしい巨大な橋をもう一度見に行くことに決めた。

 

 

カセーレスの郊外の巨石群の間に造られた町をとおりすぎる。人間が後から住み着いたとは言え周りに決して動かせない、巨石があるのは邪魔で仕方ないだろうな。

 

郊外は羊や牛の放牧が盛ん、耕作地は一切見られず。

 

木の上に造られたコウノトリの巣に住人ならぬ住鳥は見られず、来春までは空き家らしい。

 

 

至る所に横たわる巨石を見ながらフッと思いついたのは、今年45年ぶりにあった英国人の友人は趣味で石の彫刻をしていると言った。作品を写真で見せてもらったが素晴らしい。

プロやアマチュアの彫刻家がここに結集して各自好きなものを作ったらどんなに楽しいだろう。一躍このあたりが有名になるに違いない。

 

 

ローマ橋の近くの山上に見える古い僧院へ行ってみたいと思った。

 

 

橋のレヴェルからは壊れかけた石の塀しか見えない。

 

 

 

車で登るのも無理かもしれない急坂を歩いて上った。道は薄いスレートの石を並べたものでもしかしてローマ兵が作ったのかもしれないと思った。こんな大きな橋を2年もかかって造るには一体何人の力が要っただろうか?2年もこの地に住み着いて働くには住居が必要だったに違いない。

アルカンターラ・ローマ橋は全長194メータ、幅8メータ、高さ71メータとスペイン一の高い橋であり紀元後103年から104年にかけて作られた。

坂道の上には古い僧院だけあるのだと思っていた。

 

ところがこんな古い石造りの塀が見え・・・・

 

 

15世紀の教会や大きな町が出現した。

 

 

 

 

 

この町への入り口はローマ橋とは正反対にあるに違いない。あちこちに自家用車やヴァンなども停まっていた。ショッピングから帰ってきたおばあさんたちが、戸口で大きな声でおしゃべりしていたり、全く普通の田舎町、一般の生活がこの町にあった。

 

 

マーケット広場では野菜や衣類が売られていた。

この山上の町もローマ人が作ったに違いない。

 

 

ローマ橋を渡ろうとしているときに、ヒツジの集団に出会った。

 

カセーレス、ローマ橋、コリア(Coria)を結ぶドライブは一周200kmくらいで一日楽しんできた。大きな牛の銅像はコリアのラウンドアバウトの真ん中に立っていたもの。

 

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これが最後のキャンプ旅行―パンプローナからカセーレスへ

2018-10-15 17:56:49 | ポルトガル18-19

パンプローナのキャンプサイトには無料のWi-Fiがあったので早速使用。イギリス人2名からタヴィラのキャンプサイトのことでメールが来ていて、あけてびっくり。

タヴィラのキャンプサイトには今年新しいマネージャーが就任、彼は今までの放任主義のキャンプサイトに秩序をもたらすべく改革したらしい。今までキャンパーやキャラバンは勝手に場所を探してどこにでも停まることが出来た。このサイトには覆いをしてある駐車場が数か所あるが、その覆いを取り払い、その狭い駐車場に大きなキャンパーを停めること。

夏休みの警察官がこのキャンプ場に来て停まるのが、私たち冬の長期滞在者より高いと文句が出ていたそうで、値段を2倍に吊り上げた。そして私たち1か月以上滞在の場合は15%の割引があったが、それも撤廃したそうな。ペットは許されなくて、ほとんどフランス人の半数は犬を連れてくるが、それもダメ。

これでこのサイトに長期滞在者が何人来るのだろうか? 今まで一緒にラジオ体操をしたり、食事に行ったり、チャリティーウオークを楽しんだりした仲間が皆バラバラになってしまう。

タヴィラのキャンプ場がいいのはサイトの設備ではなくて、町に近いこと、マーケットやシネマやレストランにも歩いて行けるのが一番の魅力だった。それに電気も16アンプで、このサイトに居る間はガスを使わないで電熱だけで料理できる。

ポルトガルには安いサイトもいろいろあるがすべて 帯に短したすきに長し なのでショックがひどかった。いったんタヴィラに着いても長期滞在はしないでおこうと決めて翌日、カセーレスめがけて出発。

 

 

 

 

パンプローナからマドリッドまでの半分の距離には岩山や崖が多い。

 

 

この辺りはスペインの中央部から北半分、ほとんどが乾燥地帯の平野で木や森が少ない。

昨年このあたりを通った時に動物の死体に群がるハゲタカを見た。

 

 

スペインの町も地方によってこれだけ色彩が異なる。南に行けば行くほど白亜の村や町が出現する。

 

 

広大な盆地の平野を埋め尽くすひまわり畑。花が終わってできた種からひまわり油をとるのだろう。

 

 

ほとんど砂漠化しているこの辺りは夏は40度以上になり冬はどっさり雪が積もる。

パンプローナからソリア(Soria)の南まで309㎞ ただ一軒知っているキャンプサイトで一泊して翌日カセーレスまでの400㎞を走った。

 

 

マドリッドの北環状線を通ってプレサンシア(Plasancia)へ向かう。道路わきの宣伝看板がすごい。

 

 

高速道路わきの奇妙な建物も良く見ればレイ・ジーン・カーロス病院だそうな。スペインにはウルトラモダーンな建物が有名だ。

 

 

道端の宣伝ではスペイン中に見られる黒牛の看板。確かワインの宣伝だと思うが・・・・

 

 

マドリッドからカセーレスへの半分くらいからオリーヴ畑が広がってくる。

 

プレサンシアの近くは広大なモンフラギュ自然公園になっていて、高速道路から公園への細道に入った。道路の両脇はコルク樫の林で,皮をむかれた樫の幹には防腐剤の塗料が赤く塗ってあり、見た目が痛々しい。

 

 

この公園で有名なのがグリフィンボウチャーと呼ばれるハゲタカ。悠々と大空を旋回して死肉を探している。

 

 

 

 

川を挟んだ対岸の崖に巣を作っている。

 

 

 

 

今年の夏もほとんど雨が降らず水不足、それでも谷間に水があるだけでも素晴らしい。

 

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これが最後のキャンプ旅行―ドドインからスペインへ

2018-10-15 14:14:58 | ポルトガル18-19

 

 

今日はスペインのパンプローナへ行く予定で、カーナビを真南へセットした。狭い曲がりくねった田舎道を走っていると途中で道路閉鎖。カーナビはどんなことをしてでも真南へ行きたがるから途中で横道へそれる道路わきの町を設定したりする。

 

 

 

 

途中のドドイン河のわき道を走っていると次々に素敵なお城に出くわした。岩山にそそり立つお城はベイナック城という。狭い道路で後ろに車が来ているから途中で停まれず、通り過ぎるしかなかったが、このベイナックの村はフランスでも指折りの美しい村といわれる。

このお城は12世紀から17世紀にかけて近隣の城と戦に明け暮れた歴史があるとのインターネットの説明。帰りにもう一度通ってみたいところだ。

 

 

 

 

田舎道ではクルミ林に、網を被ったブドウ畑。

 

種類の異なるブドウ畑だろうか?

 

そしてまだ完全に実っていない広大なトウモロコシ畑が現れた。

 

機械で収穫中のトウモロコシ畑とトラクター。

 

 

こんな飾りの牛など必要ないほど、あちこちに放牧されている牛や羊。この牛はもう10年以上も前数百頭の飾り牛が売りに出された時の1頭らしい。

 

 

フランスの南からピレニー山脈に入り、この道は昨年も通った、サンティアゴ・コンポステーラへの道だと思い出す。

 

 

午後4時頃この道筋を歩いている巡礼達は、一体フランスのどこから来たのだろうか?

 

 

途中の山道では霧が深くなり、もし一人で歩いている巡礼がいたらどんなに心細いだろう。

 

 

サンティアゴ・コンポステーラまで790kmのサイン。

 

 

自転車で巡礼する人もいるのだなー。

 

 

 

巡礼者が宿泊するのは無料の僧院なのだろうが、この町にはきれいなホテルが並んでいた。

 

 

このサインが巡礼道のしるし。

 

途中の車の通れない、わき道の歩道が林の中へ入っていく。女性一人が歩いているのを見かけたが、こんな寂しい道はどうやって行くのだろうか? 

 

もうすぐパンプローナ、この日は朝8時50分から夕方5時まで田舎道ばかり446kmも走った。

 

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これが最後のキャンプ旅行―モンテナック(Montignac)

2018-10-15 11:25:53 | ポルトガル18-19

 

10月5日の朝ヴェンドーメから南下して一昨年キャンプしたことのある洞窟画のあるモンテナックへ向かった。

 

 

多分毎年同じ写真を載せているかもしれない道路わきのシャトウ、玄関門が真っ直ぐ道路に面していて、町をぐるっと一回りして裏の田舎道に出ると巨大な建築物が見えてくる。この道路では今まで停まってもらえたことがない。

ブロワ―(Brois) からチャートロック(Chartorox-発音がわからないので英語読み)を通って無料の高速道路A20に乗る。制限速度が130Km  亭主は大喜びで120㎞近くで邁進。

 

 

 

高速道路にかかる橋にはあらゆるカメラが取り付けられてあるが、今までオーバースピードで捕まったことがないから、亭主は結構楽しんで、今日の目的地まで378㎞ 走りまくった。

 

 

 

 

 

このドドイン地方はアヒルの脂肪肝・フォアグラとクルミで有名。クルミはお菓子からクルミ油までお土産にして売られている。

田舎道の両側はほとんどクルミ林。今からが収穫時期だけれど、個人の畑には絶対行ってはいけない。

 

 

 

この日の宿泊サイトは10月8日で来年まで閉まる田舎のキャンプ地、料金も安くて一泊14ユーロだった。

田舎道の両側は栗林であたりが黄葉した栗の葉ばかりだった。

 

 

 

キャンプサイトには私たちのほか1台のキャンパーが停まっているだけ、誰もいない。

サイトの両脇の林を歩くと栗のイガがたくさん落ちているところに出くわした。そこで大きな栗の実を大きな袋いっぱいに拾って、フライパンで蒸し焼きにした。

私一人で食べるのには多すぎるが亭主は食べてくれない。マー仕方がない、食べるか。

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これが最後のキャンプ旅行―ヴェンドーメ(Vendome) へ

2018-10-09 16:57:00 | ポルトガル18-19

カレーからフランス中央部のヴェンドーメまでは、ほとんど毎回南下の道筋なので特記することはあまりない。

 

 

朝もやにかすむ北フランスの田舎の風景。

 

 

道路の両脇にズラーと並ぶ家並みだけが小さな村をなしている。それにしても人影を見ることがほとんどない。

 

 

 

ローマ人が作ったフランス、直線道路が一番有名。

 

 

今回はサトウダイコンが山積みの畑を見ることがなかったが、この道路わきの工場ではサトウダイコンから砂糖が作られている。

 

最近では特に珍しくもなくなった発電風車も風景に溶け込んでいる。

 

家畜の冬用のほし草もこのように保存されるのか?今まで見たことがない積み上げ方。

 

 

メインロードを横切るこの橋の上は草木が生えている。

 

 

トラクターが引っ張る大型トレラーに山積みのトウモロコシの粒。

 

 

まだ全部の収穫が終わっていないトウモロコシ畑。

 

 

 

農作業の大型農機具も各国によってずいぶん異なるだろう。

ヴェンドーメは昨年初めてキャンプサイトへきて、町の素晴らしさに感激して、あちこち歩きまわり、廃墟のお城から大聖堂に併設された博物館やギャラリーまで写真に写した。

今回は一泊の予定でキャンプサイトに着いたが、翌朝朝食準備をしようとしているときに激しいめまいと吐き気に襲われ、午前中いっぱい起き上がれなかった。心配した亭主は英国へ帰ろうかというが、まずはドクターに会ってから決めようと、サイトのオーナーの協力で医者に予約を取ってもらった。

午後2時半の予約には起き上がれるようになったから、歩いて10分のクリニックへ行き薬をもらった。それ以来めまいは起こっていないから、薬が効いているにちがいない。

医者の帰りにベンドーメの街中をゆっくり歩き、改めて本当に素敵な街だと思った。今回はこの町の写真は一切ない。(昨年の写真を見てください。)

 

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これが最後のキャンプ旅行―フランスへ。

2018-10-08 21:10:11 | ポルトガル18-19

毎年これが最後だと言って友達に笑われているが、今年87歳の我が亭主、毎日350㎞から500㎞を走るのはやっぱり体にこたえるらしく、今年が最後だと亭主が宣言した。

10月2日朝8時半に我が家を出発。6か月を退屈しないよう食料や衣類、DVDやCD、本、毛糸などキャンパーならこその盛りだくさん。

 

 

ちょうど出勤、通学時間だけれど郊外へ出ていくから、交通渋滞は免れて1時間半でドーバーのフェリーポートに着いた。12時15分のフェリー予約をしていたが、10時40分のフェリーに変更してくれポートで待った。今日は待って居る車がやたらと少ない。

あたりにこんなに多くのコンテナ―が積み上げられている。輸出入も国をまたがるとその量の多さに驚かされる。

フェリーにはキャンパー2台と乗用車が10数台。大きなフェリーががら空きだった。でも巨大ななトラックがたくさんのコンテナーを積んで船腹へ消えていったから、損はしていないだろう。

 

 

フランス上陸後すぐにスーパーマーケットが運営するガレージでディーゼルを満杯にした。今までヨーロッパで一番高いディーゼルはノルゥエーで次が英国だと信じていたのに、フランスのディーゼルが英国より高いので愕然、ショック。

カレーの町から一番近いキャンプサイトで一泊する。このサイトでは毎年行き帰りの2回は停車宿泊しているが、キャンプサイトの中を歩き回ったことがなかった。

上の車は英国人が運転するキャンパーの後ろに牽引してキャンプに出掛けた、3輪車の珍しいもの。

 

 

これはフランス人の別荘(?)の前に停まっていた3輪バイク、タヴィラのキャンプサイトにもフランス人が3輪や4輪のバイクを引き連れてあちこち走り回っているがこんなスマートなのは見たことがない。

 

 

 

 

 

 

 

広大なキャンプ場できれいなシャレーが並んでいるが、どれ一つも同じものがない。

これらのシャレーは個人の持ち物で彼らの別荘なのだろう。週末や夏冬の休暇にこのシャレーで過ごすものらしい。どれもきれいに手入れされていて、キャンプ場はこれらの庭の手入れも任されているらしい。

 

コメント
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